超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

ダークウルトラ会の作戦会議

2017-04-14 22:26:45 | ホビー
先月の半ばくらいだったろうか、久々に「ダーク・ウルトラ会」のキリヤマ隊長から招集の連絡があった。新年度の活動計画について、作戦会議を開きたいという。この会は以前の職場の業界エクゼクティブで構成するとある連絡会で、私が何気なくバルタン星人のネクタイにMATのピンをしていたのを見咎められ(もとい!見出され)、見習い隊員の身分でいたものである。デビュー戦は約1年弱前で、ここから「アニソン・特撮縛り」のカラオケが始まった。地元の悪友たちとこの趣向でカラオケを行き始めたのは、全て「ダーク・ウルトラ会」に向けた練習だったのだ。その後、「ダーク・ウルトラ会西へ」作戦(スタートレックコラボ店潜入)、「シン・ゴジラ」鑑賞会、「永井豪オーケストラ」、「スターウォーズ(ローグ1)」鑑賞忘年会など、奇抜とも思える活動を続けていた。ただ残念ながら平日の勤務後の集まりはやたらに「仕掛け時間」が遅く、デビュー後は見習いと言いながら参加できたのは「永井豪」だけだったのだ。

その昔のアニメ、特撮、映画など確かに話が小気味よく通じるが、自ら「ウルトラの会」と名乗る割にはウルトラ戦士そのものの話題よりも、海外もののSFなどそれこそ「ディープでダーク」な世界に誰もが造詣深い。メンバは誰もがその名を知っているグループ企業の一会社を担うエクゼクティブばかりで私はずーっと「見習い」を名乗っていたが、永井豪オーケストラの反省会で「もういい加減に正規隊員になれ」という隊長の一言で「ホシノ隊員」となった。これは初代ウルトラマンの「科学特捜隊」に出入りして「見習い隊員」としてお手伝いをしていた「ホシノ少年」に因んだものだ。むろん本当はウルトラ警備隊の「モロボシ・ダン隊員」をネームにしたかったのだが、キリヤマ隊長の以前のネームが「ダン」だったのでちょっと憚ったのだった。メンバはキリヤマ隊長始め、イデ隊員、ハヤタ隊員、フジ隊員(女性)、アンヌ隊員(女性)、エキゾスカウト隊員・・・皆それなりの会社の幹部なのに円谷特撮防衛隊員で呼び合うのが不思議というか不気味だ。

その隊長命令の招集場所は何と「怪獣酒場」であった。これまで「打てないほどではないが」ストライクゾーンから外角高めにボール1個分ずれていた感があって大人しくしていたのだが、「久々にオレの出番か?!」今回は万難を排しても参加するつもりだった。さすがに年度末始は皆も忙しいらしく、1ヶ月くらい先まで見えるネット上のスケジューラで調整し、4月5日、6日どちらかということになった。「ホシノです。人間標本5・6どちらもOKです」有名な三面怪人ダダの登場したタイトルを使用した、ざっとこんなやりとりをする会なのである。しばらくして開催日の連絡がやってきた。大阪支部勤務の隊員以外は全員参加の模様である。キリヤマ隊長自らは同僚の隊員を従え、会社のノー残業デー制度を利用して開店前から列に並ぶという意気込みである。

開催は18時半目途、2時間制限だからギリギリ間に合うと踏んでいたのだがよりにもよって、そんな大事な日に限って珍しく仕事の予定がどどどーっとスケジューリングされてしまい、夜の部までセッティングされてしまいそうな勢いだった。年度当初で色々あってスタッフにもちろん悪気はないし、私はがっかりして隊長に「業務繁忙のため不参加」とお詫びのメールを打った。「仕事で行けない」などということは最も私のポリシーに反することだ・・・(「そうじゃねーだろ」と言われそうだが)前日に隊長からリマインダーが来てメンバを見ると途中からもあるが、大阪支部隊員と私以外は参加になっていた。特にフジ隊員(女性)など大阪への日帰り出張帰りでお開き時間ぎりぎりに駆け付けるという。うーむ。。。新幹線での遠距離出張にも関わらず参加しようという隊員がいるのに、電車で30分程度の位置にいる私が欠席とは何と不義なことか。

私は外せない会議以外のスケジュールは手を尽くして(謝りまくって)調整し、時間を圧縮したり別の日程にずらしてもらったりして、ダーク・ウルトラ会後半には行けるように目処をつけた。その旨隊長に報告すると「F.A.B!我々はノー残業デーを利用して5時から席取りしています。」そしてリマインダーを帰してきたエキゾスカウト隊員には「S.I.G!エンジェル編隊で行きましょう!」何のことだかさっぱり分からぬだろうが、「F.A.B」とは2015年に50年ぶりに放映された「サンダーバード ARE GO!」で隊員が「了解」のような意味でよく使う略語、そして「S.I.G」はこれも50年前のサンダーバードに続く「キャプテン・スカーレット」に登場する地球防衛機構(スペクトラム)の隊員が使用する「Spectrum Is Green」という了解を意味する略語であり、彼らの乗る迎撃戦闘機がエンジェルインターセプターという。これまた知ってはいるが50年前の英国の特撮シリーズで、私にとっては低めにボール半個分くらいずれている。

ちなみに英国の影響を受けているのか円谷の特撮シリーズの中でも「了解!」というニュアンスでアルファベットを3つ並べて使用するパターンがある。古くはやはり50年くらい前の「戦え!マイティジャック」で「S.M.J」(yes Sir Mighty Jack)、最近ではウルトラマンメビウスのクルーGUYSで「G.I.G」(Guys Is Green)と使われる。隊員は全てアルファベット読みで発音し、DAIGOさんのやたらに日本語の頭文字だけ取った意味不明の表現とは異なる。因みに以前聞いたことがあるのだが、よく知られている了解の意味で「ラジャー」は元々軍隊で無線の命令を受けたときに「received」という意味で“R”というワードを使っていたが聞き間違うといけないので「Roger(人名)のR」と言っていたのが、そのまま「了解」を表すようになったようだ。実は我が社にもアルファベットを聞き間違えないように特定の名詞を使う文化がある。「ジャイアンツのG、タイガースのT、ドラゴンズのD、スワローズのS・・・」なぜかプロ野球が多い。

さてダーク・ウルトラ会当日、思ったよりも少しだけ早く予定をこなし、走りに走って怪獣酒場に向かった。隊長からメンバーには「欠席予定だったホシノ隊員は部下をダマして抜け出す予定(笑)・・・」とか連絡が行っていた。(んなわけねえだろ)19時半くらい、つまり前半終わり間際くらいに飛び込んだ。通されたのは大部屋だったが、グンマを去るときにプレゼントされた初代マン模様のネクタイと科特隊ピンバッジを身に着けて現れた私に隊員は拍手喝采で迎えてくれた。普段は微妙にコースをつかれて中々ジャストミーできなかったが、この地ではほとんどホームグランドに近いもので何をするにも自信がある。テーブル上に並んだ大皿料理を見て、定番のスペシャルモノが多かったので、何を注文したのかほぼ一瞬にして把握できたのだ。



「早かったじゃない。何にする?ビールでいい?」アンヌ隊員がにこにこメニューを渡そうとするのを手で制し、一緒に注文を取りに来たお馴染みダダ模様Tシャツの店員に「ベロンベロンボンバーをお願いします」「へっ?ベロンベロン?何それ・・・」「来れば分かりますよ」キリヤマ隊長が「そのネクタイ最高ですね。特注品なんですか?」隣のハヤタ隊員は「ピンバッチもかっこいいですよ。会社でしてるんですか?」矢継ぎ早の質問にへーこら答えながら、持って来られたジョッキを片手に隊員皆と再会を祝した。ハヤタ隊員はイエローゴールドの小物を取り出して「ボク、これもらったんですよ」「あ、ナースですね。あれは食べでありますよねー」アンヌ隊員は「皆、お腹結構一杯だからこの辺の出てるヤツ食べてよ。これちょっと辛いのよ」「ははは。これはバードンかな。口から火が出ますからね」「すごーい、食べかけ見ただけでメニュー分かるの?」

今年は私のこよなく愛する「ウルトラしぇぶうーぅぅん」50周年なので、持って帰れる箸置きを全てセブンのオープニングタイトルだった。「姿なる挑戦者」「狙われた街」「湖のひもつ」・・・私も甘辛も迷いなく登場宇宙人、内容などを語れるタイトルである。隣にいた中々話の合うエキゾスカウト隊員と熱くエピソードを語り合っていた。あっという間にラストオーダーとなり、それぞれ飲み物とキリヤマ隊長が代表して「ペガッサ星人のダークゾーン」を注文した。「あー、海鮮焼きソバですよね。見た目はやたら面白いですよ。」想定通り、年間の作戦計画と言いながらも次の活動は会社員の聖地にいよいよ出店するという新しい「怪獣酒場」に開店直後に乗り込もうという「メールの一文」で済んじゃうような事項だけだった。このメンバーの今後の活動に期待したい。実はこの来店で私は記念すべき10回目、シルバー会員の称号とともに非売品プレゼントがあったのだが、それがただの「ダダ」の名刺・・・もうちょっと何か色つけてくださいよ~。

              

王城鎮護の地を走り回る

2016-11-23 06:05:10 | ホビー
「走り回るようなところじゃないよな・・・」王城鎮護の古都である。主に西日本に拠点を多く展開する、我が社とは所縁のある企業グループの年1回のフォーラムに参加した。毎年会場は点々と西日本を移動し、我々も特別参加したりするので、実際普段はめったに行くことのない地域に足を運ぶのが楽しみだった。ちなみに昨年は百万石の街、一昨年は「坊ちゃん」の街、そしてその前年は原爆ドームの近くだった。そして今年は世界遺産の宝庫、新しく始めた「御朱印集め詣で」ができると楽しみにしていた。初日の集合は午後だったから、場合によっては朝暗いうちから「のぞみ号」に乗車し、朝日に輝く霊峰を眺めて、オープニングイベントまでにいくつか有名な神社仏閣を見物して回ることを考えていた。ところがこの手のことは周到に計画するとあっさり崩れ、行き当たりばったりにすると割とうまくいくもので、初日は午前中に脱出不能な会議が入ってしまい、スタッフの作った日程を見るとかなりびっしりで、何となくウロウロ見学すればいいものではなかった。「開会式に来賓参加?何のことだ?」

どんなに急いで向かっても会場に到着するのは午後になってしまい、翌日は我が方のスタッフも参加するイベントがあるから朝から会場につきっきりとなる。初日は同僚達と合流できそうもないから、単独で展示会見学を済ませ、翌日直接参加する人たちを激励する懇親会に夕方から合流することになった。幸いに午前の会議が思ったよりも早めに終わったので、ダッシュで東京駅に向かい久々の「のぞみ号」に飛び乗った。平日の昼間ということもあったが、発車5分前に自由席に駆け込んでも車内はガラガラ・・・大動脈がこれで「大丈夫か?」とも思える乗車率だった。家から持参したおにぎりを頬張り、2時間余りの旅だったがあいにく曇っていて霊峰富士の姿は拝めなかった。会場までの案内とGoogleマップを睨み付け、展示会見学を済ませてからのわずかな時間で行けそうなところはどこか?またその場所の御朱印は何時までに頂けるか?スマホを見ながら作戦を練ったものだ。どうやら会場からダッシュで行けそうなのは祇園の「八坂神社」とその隣の「知恩院」、そして会場のすぐ横に「平安神宮」がある。前二者は16時までだから間に合うかどうか微妙だ。平安神宮は17時までやっているのでまず安パイと思ってよいだろう。

同僚達の集合時間には間に合わなかったが、受付で入場登録して関連するワークショップを2つほど聴講し、展示物をひと通り見学し終わって15時を少し回ったところだった。翌日に向けて当時者だけの全体懇親会が予定さっれており、説明員もまばらとなって片付けを始める展示もあちこちに見られた。「詳しくは明日聞けばよし!」私は意を決して会場を飛び出し、一路八坂神社に向かった。西楼門から入り、本殿でお参りした後、社務所に走った。明治初期までは「祇園社」と呼ばれていたそうで、御朱印にもそう書かれ、上から押印されている。舞殿では女性が「君の名は。」で出てきたような神の使いのようなスタイルで舞の練習をしているようだった。重要文化財のオンパレードにもっとゆっくり見るべきだが、16時が迫ってきている。私は丸山公園を走り抜け、法然上人の知恩院に向かったのである。巨大な三門が聳え、圧巻の建築物が並んでいたが残念ながら国宝の「御影堂」は平成30年までの大修理のために中には入れない。時間ぎりぎりだったがここでも2枚目の御朱印を頂くことができた。そして最後の平安神宮に到着した時はかなり薄暗くなっていた。

            

私が駆け回ったのは観光パンフによると「洛東」と言われる区域のほんの一部だが、他にも超メジャーな清水寺、秀吉の妻ねねが夫の菩提を弔うために創建したという高台寺、風神雷神図の建仁寺、そして哲学の道の銀閣寺などがある。実は激励懇親会のお店の近くに「本能寺」というのがあったのでついでに寄ろうとしたのだが残念ながら拝観時間は終わってしまっていた。本能寺の変で、織田信長が宿営に使ったもっと大規模な寺は灰燼に帰してしまったが、その後秀吉により今の場所に移して再建されたそうだ。織田信長は当時の本能寺の住職と関わりが強く、また寺としては要塞のような設備を持っていたので、数回宿営として使っていたようだ。ただ歩いているだけで色々な史蹟や名所がこの地には溢れており、ホントにゆっくり歩き回るべきところだとは思う。この時期の京都は紅葉やライトアップ目当ての観光客が集まっているうえにイベント主催の企業グループはかなり大規模なので何千人という人が押し寄せ、かなり前から市内のホテルは全く部屋の空いていない状態にあり、多くの同行者はなんと大阪に宿泊予定で、私は隣県の大津市内のホテルだった。お隣の県庁所在地なのに京都と大津は新快速でわずか10分もかからない。

          

激励懇親会では若者達相手に大盛り上りしてしまった。翌日のイベントでは競技会形式のエキジビションのようなものがあり、我が方から代表選手として出場する者がいるのだが、彼らは主催者側の用意した全体懇親会に出席してから我々の会に駆け付けるのだが、見学者だけの会がスパークしてしまい、主役がやってきた頃はかなり怪しい状態になってしまっていた。それでも部屋にチェックインした後、私は来場者登録の際にもらった市内の観光マップを広げ翌日のプランを練り込んだ。エキジビジョンの全体開会式の開始は9時、「来賓で参列せよ」と言われていた競技別オリエンテーション&開会式が9時半。。。朝はいくらでも早く起きられるが残念ながら大抵の社寺は拝観時間は9時からになっているので朝一で詣でるのはちょっと不可能だ。開会式が終わって我が方の出場時間は13時、それまでは他のエキジビジョンや前日目を付けておいた展示物の詳しい説明を聞いて回ることになる。パンフレットを集め、精力的に説明を聞いて、以前いた職場の「電話応対」に関する演出を見学し終わった時が11時半、「午前の部は終了です。午後の開始は13時半からでそれまでは休憩時間となります」というアナウンスと同時に部屋を飛び出した。

朝、購入しておいた地下鉄フリーチケットを片手に最寄駅まで走りまず目指したのは「二条城前」駅である。午後の開始時間までに昼休みを利用して行けるのは地下鉄で乗り換えなしで到達できる場所のみだ。修学旅行で最初に訪れた二条城は同じ生徒たちや外国人観光客で賑わっていた。「徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の移り変わりを見守ったお城」お馴染み二の丸御殿から見学に入った。「遠侍」という大名控えの間、老中に挨拶や献上物を渡した「式台の間」、それぞれの間にある襖絵や障壁画は金箔をふんだんに使った「将軍の威光」を示すにふさわしいゴージャス仕立てだ。しかし最も格式の高い大広間で15代将軍が大政奉還を発表したというから「栄枯盛衰」そのものだ。むろん見学通路は全て有名な「鶯張の廊下」になっており、そこらじゅうに見学者がいるから、「ちゅんちゅん」とホントに森の中で鳥がさえずっているようだ。よく古い建物で板張りを歩くと「ミシミシ」と甲高い音がし「天然の鶯廊下じゃねえの?」と皮肉ることがあるが、あの音は(修学旅行随行説明者の話を横耳で聞くと)Vの字に取り付けられた鉄製のかすがいが上下して釘と擦れあうときに発する音だそうだ。(そうそう、そういう説明を数十年前にされたことを思い出した)

    

庭園から観られる紅葉も見事なもので、ゆったりのんびり歩きたかったが、どうにも時間が無かったので掟破りだが観光客群の間をサイドステップで走り抜け二条城を後にした。修学旅行の定番なんていかにも「ベタな観光じゃん」と以前は思ったものだが、やはり素晴らしいものは素直に素晴らしいものだ。ネットで見ると「二条城でも御朱印が頂ける」とあったので「寺社でもないのに御朱印ってありなの?」と多少訝しみなから事務所に行くと、来場記念証という御朱印「のようなもの」でしかも貼り付ける紙だった。ちょっとやられたような気もしたがせっかくなので購入しておいた。(これは御朱印帳の最後のページに貼ろう)私は再び小走りで地下鉄駅に向かい、来た方向の列車に飛び乗って最寄駅を過ぎ去った「蹴上」という駅に降り立ち、「南禅寺」に向かった。残念ながら時間切れで建物内などをじっくり見物する時間がなく御朱印を頂くだけの参拝となったが、とにかくここの紅葉はものすごい。私は完全な真紅の海よりも青葉から黄色、オレンジになりかけの紅葉が好きなのだが、まさしく王城鎮護の地恐るべしの圧巻だった。しかしやはり今人気が高まりつつあるという御朱印は観光客が大勢いくると「いちいち書いていられない」のか、こちらも「貼る紙」になっていた。(これはあまり有難くないなー)

          

午後の部開始10分前に会場に駆け戻り、用意されていた弁当をかきこんでエキジビジョン会場に向けった。我が方は特別ゲストのような扱いだが、1月に予定されている我が社主催のイベントの宣伝もきっちり行っていた。応援団が目の前で騒いでいたのがプレッシャーになってしまったのか、出場の男女はいつもの調子をあまりだせずに苦戦していたが、無事にミッションを全うした。「ちょっと問題キツかったけどお疲れ様でしたねー」一同はそこで解散となった。他にもいくつかエキジビジョン会場があるのでさーっとひと通り様子を見て回ると午後2時半になっていた。「よしっ、イケる!」私は周辺にいた知人と労いの挨拶を交わしてネームストラップを受付に返し、再び一路地下鉄駅に走り出した。最後の目的地は京都のシンボル、教王護国寺「東寺」である。ちょうど今、秋期特別公開期間中で国宝五重塔の初層と講堂を拝観することができる。新幹線の時間までそうあるわけでもなく、再び京都駅から走って向かうことにしたが、紅葉の中に圧巻の五重塔が聳えたっていた。まず食堂(じきどう)内納経所で弘法大師のありがたい御朱印を頂けた。

      

東寺は創建から約1200年、平安遷都と共に建立された官立のお寺で唯一残る平安京からの遺構ということだ。弘法大師は桓武天皇の後の嵯峨天皇にこの寺院を託された。その弘法大師空海がお住まいだったという御影堂は大修理中で中に上がることはできなかった。木造建築日本一の高さを誇る五重塔は新大阪へ向かう新幹線からいつも眺められるランドマークで圧巻を誇っていたが、その初層内部はもっとすごい驚きの構造だった。各層を貫いている心柱は四方を如来?や菩薩?に囲まれている。それを取り囲む四方の柱や壁面にも密教の各大師?が描かれちょっと息を飲むような不思議な空間となっていた。薬師如来とその左右に日光、月光菩薩、台座を支えるむ十二神将の金堂、大日如来を安置された講堂、どれも何度も焼失と再建を繰り返されたようだが、密教の中心という威厳を感じるものだった。日はだいぶ傾きかけていたが、何とか上り新幹線のぞみ号の時間までには京都駅に戻ることができた。いやー、全くせわしない古都めぐりだった。仕事の「ついで」だから仕方がないが、いつかもう少しゆっくりと1000年を超す歴史を噛みしめながら優雅に巡りたいものだ。このシーズンはあちこちの名所で夜間ライトアップされており「東寺」や「清水寺」「知恩院」など人気のようだったが、夜は夜でノーベル賞話題で盛り上がりそうな会合があったのでそのまま東京に向かったのだった。

              

鎌倉で新たな趣味を

2016-11-13 19:00:17 | ホビー
久里浜を訪れた時に書いたように我が家から「鎌倉」という土地は近いようで遠い。確かに距離はわずかなのだが、自家用車で行くと初めから終わりまでほぼ渋滞でしかも駐車場がすぐに見つからない。かと言って最寄り駅から電車で行こうとするとかなりな「大回り」になり面倒くさい。天気が良ければサイクリングがてらチャリで海岸を疾走というのもありなんだが、歩道が狭く渋滞の横をすり抜けるのが意外に煩わしい。特に海岸は風が強いことがしばしばあるので、往復のどちらかがえらく往生することもあるし、そもそも鎌倉の街中はいつ行っても人が多すぎて自転車など邪魔でしょうがない。よってよほど陽気がよく、目的がはっきりしていないと足が向かず、いいとこ年に数度というところである。涼しい季節が一気に去り、晴れているがもひはや海上は北風に耐え難くなってきた週末、以前から予定はいていたのだが、久々に妻と鎌倉を訪れることとなった。

天気が良かったから江ノ島までチャリで行って洲鼻通り経由で江ノ電江ノ島駅から鎌倉に向かうことにしたのだ。海岸サイクリングと江ノ電途中下車の旅、鎌倉街歩きができる。今回の彼女の目当ては「何とか言う有名な薬膳?カレー店でランチ」「パワースポット杉本寺詣り」「鳩サブレ(豊島屋)本店でしか買えないお友達用の土産」というところのようだ。そして私のほうはというとズバリ「御朱印帳」である。「北の国」訪問の際、意見交換会で趣味の話題になった時、「御朱印集めが趣味」という苫小牧の揚げ物屋を推してくれた女史がいたことは既に書いた。実はその時からずーっと気になっていたのである。私はそれほど神社仏閣を回って歩くほど好きではないし造詣もないが、仕事や旅行であちこち出かけると近くにあるパワースポットなどには大抵足を運ぶ。これまでは何かと妻や息子甘辛向けに御守りなどを買って帰ってきたのだが、やたらに増えてしまい家の中に溢れかえっている。

また運転を止めて行動範囲がめっきり小さくなった老母を連れだってのお出掛けはあまりアクティブなことができない(その割にはよく歩かせるが)だけに花や神社仏閣、景色を見て回ることが多い。振り返ると伊豆や房総、相模の国の宮などかなりな神社仏閣を巡ってきた。御朱印帳にすれば記念にもなるし集めて回るというのは中々よい趣味と思う。「なぜ今まで気が付かなかったのか?」とも思えるくらいである。苫小牧のK女史は「鎌倉は2度訪れたが2度とも御朱印帳を忘れてしまった」と残念そうに言っていたから、次に「北の国」を訪れる時までに自分が始めるきっかけとして、試しに何かお土産にしてやろうかとも考えた。しかしそもそも御朱印は寺では写経を納めた証に頂くものだったそうだが、参拝の証には違いないので、スタンプラリーのように代わりに行ってもらってきたあげるというのはNGのようだった。

まずは御朱印を書いてもらう御朱印帳を手に入れなければならない。これは神社仏閣にもあるし、街中のお店でも販売している。鎌倉と言えば最も有名なのは鶴岡八幡宮だが、全国的にはもっと有名で格式高そうなところもあるし、何かありきたりな気がしていた。今は「御朱印ガール」という言葉があるほど御朱印集めは流行っているようで、頂ける社務所窓口には結構長い行列ができていた。私は色々考えて、御朱印は妻と合わせて一冊とし、それぞれが出先でもらえる機会がある時に持って行くことにした。そしてそれから訪れる鎌倉最古の「杉本寺」で御朱印帳を求めることにしたのである。しばしば我が家に救いと発見をもたらしてくれたヒーリングの先生のお薦めで「新しいことを始める時に詣でるとよい」と言われた御縁があり、妻にとってはそれ以来訪れると御加護を感じているようで記念すべき我が家の台帳とし御朱印第一号として相応しいような気がしたのだ。

午前中出発して江ノ島まではチャリで20分程度、片瀬江ノ島駅の駐輪場に置いて洲鼻通りを歩き江ノ電江ノ島駅まではぶらぶら歩くと15分くらいである。時間的には江ノ島駅で降りて弁天橋方面に向かう観光客が圧倒的に多いので、少し苦笑しながら流れに逆行して歩くようだった。江ノ電はTUBEに「夏だけやけに混む」と歌われたのは昔の話で、今はいつ乗っても混んでいる。。。鎌倉までは約20分余り、路面電車になったり海辺を134号と並走したり、窓から手を伸ばすと民家の洗濯物に手が届きそうな住宅地すれすれだったり、中々面白いコースである。鎌倉駅の車止めにあった「かえる」は結構有名で、季節によって模様替えしているそうだ。ちょうど昼御飯の時間だったのでお目当ての「オクシモロン」というカレー店に向かった。「珊瑚礁」や「キャラウェイ」とは違う雰囲気で独特なパクチーやオオバなどをふんだんに使用する薬膳風のカレーで、雑貨や焼き菓子も販売しているようだった。

  

小町通りを過ぎるとまずは鶴岡八幡宮参拝である。ちょうど神前結婚式を執り行うところで、本宮下の「舞殿」で多くの参拝客に取り巻かれていた。外国人観光客には絶好の記念シーンだったようで周囲の人たちからも祝福の掛け声が飛び中々よいものである。台風で折れてしまったという「大銀杏」はちょろちょろだったヒコバエが何と2メートル近くにも成長し、親の大木が見守っているような姿だった。我々はお参りを済ませ、「流鏑馬」の時に馬が駆け抜けるコースを歩いて杉本寺に向かった。正面の苔むした味わいのある石段は以前上れたのだが今は(安全上の問題からか)閉鎖されてしまっている。茅葺屋根の本堂には左回りに多くの十一面観音があり、奥の秘仏本尊は国宝級(重要文化財)で同様の像がある国宝殿では普段拝観できないレベルのものだという。3体ならんだ一番奥で手を合わせると妻は不思議と身体が楽になり霊験あらたかだという。ここで御朱印帳を購入し記念すべき第一号御朱印を書いてもらった。

        

            

鎌倉はいわば御朱印の宝庫だから、ロッテ時代の落合選手のようにシーズン終わり頃に固め打ちして三冠王というわけではないが、一つだけだはさすがに寂しいのでせっかくだから帰り路にいくつか寄っていくことにした。最初に立ち寄ったのは荏柄神社である。あまり聞いたことがなかったのだが、福岡市の太宰府天満宮、京都市の北野天満宮とともに日本三天神に数えられる神社だそうだ。2回の受験を経験した息子甘辛だったが、「私利のために祈念しない」主義の私は合格祈願といったことをしたことがなく、湯島や北野天満宮では「勉強せいよ」という意味を込めて鉛筆を購入して帰った。神頼みはしてないが、結果は出してくれたので少し遅れて「お礼詣り」をするつもりだった。妻はお友達家族で来年受験を迎える甘辛の幼馴染でもあるお子さんのために絵馬を書いていた。「(ま、「私利ではないからな・・・)」見るとたくさんの絵馬が掛けられており、社務所ではたくさんの種類の合格守や鉢巻があった。受験当日早朝祈祷というのがあるのには驚いた。

  

荏柄神社を後にして足を向けたのがちょっとマイナーだが「鎌倉宮」である。以前徳光さんらがバスで鎌倉湘南を旅していた番組で紹介され、行ってみたいと思っていた。建武中興の功のあった護良親王(大塔宮)を祀ったもので、宮の御意思に熱い思慕のあった明治天皇が建立したものだそうだ。鎌倉幕府を倒したまでは良かったが、足利幕府勃興にまつわる暗い事件の中で確か護良親王はかなり悲惨な最期を遂げる。そのせいかどうか分からぬが鎌倉宮には「身を守る」とか「身代わり」「厄払い」のような事柄が多い。自分や他人の悪いところを治すための撫で身代わり様、厄払いを念じて息を吹きかけ杯を投げつけて割る「厄割り石」。ここでは顎鬚のサーファっぽい係の男性に御朱印を書いてもらった。

        

陽は落ちかけ、少し急いで鶴岡八幡宮に戻ったが、御朱印所には前よりも多くの人たちが列を作っていたので今回は諦めた。若宮大路で何軒か面白そうな店を物色し鳩サブレの豊島屋でお土産を探す頃にはかなり薄暗くなっていた。乗り降り自由の切符を買っていたのだが残念ながら今回はそのまま江ノ島に戻ることにしたのである。風が強まっていたが「夕焼け見ながらビールでも飲むか」とコンビニで飲み物とつまみを買い込みいよいよ沈もうとしている相模湾を眺めた。江ノ島の上には三日月と宵の明星があり西には富士山が聳えている。我が家に七里ガ浜や鎌高あたりから江ノ島と江ノ電を書いた絵があり、今回チャンスがあれば途中下車してその場所から写真を撮ってみたかったのだが、こういう夕方もかなり絵になると思ったのだった。

      

今回の鎌倉歩きで私の趣味に新たに「御朱印」という新たなジャンルが登場した。母にこの話をすると想定通りすぐに「なるほどねえ」とノッてきた。「我が家の御縁は寒川だからまずは相模一宮から順番に集めよう」翌週、早速寒川神社に行って母が購入した御朱印帳はかなり格調高く内心「こっちの方が良かったかな」と思ったものだ。私のサーフィンシーズンもそろそろ店じまいを迎える時期となり、これからはしばらく相模の宮を巡ることになろう。仕事の合間に近い予定では駿河国もそして王城鎮護の地もゲリラで走りたいと思う。このサイトでの「お出掛けジャンル」には頻繁に登場することになるだろう。結構いいものだから興味のある人にはお薦めしたい。

  

テーマレストラン

2016-09-06 22:05:49 | ホビー
こんなネーミングのカテゴリーがあるかどうかも分からない。「ある特定のジャンルに特化して室内をデコレーションしたり、料理メニューに特色を持たせている店」というところか。一般的にそうと言えるのは「ハードロック・カフェ」や「プラネット・ハリウッド」などではなかろうか。「ハードロック・カフェ」は先ほど旅行したグアムにはまだあり、横浜の「みなとみらい地区」にも健在だ。以前は名古屋や成田にもあったらしいが、つぶれてしまったようだ。確か1号店はロンドンだったと思う。往年の世界的スターが使っていたギターやビンテージもののレコード、ジャケットなどが博物館のように並び、ロックンロールをテーマにしたショップでは特性グッズが売られていて、その店でしか買えない限定アイテムをコレクションしている客もあるそうだ。私も出張や旅行で課外に行くことが多かった期間、各都市にあるハードロックカフェに行っては「都市名とロゴ入り」Tシャツを購入して集めていたが、アジアの某都市の屋台でほぼ世界中の都市名のある「にせTシャツ」が1000円くらいで売られているのを見て、何やらバカらしくなり止めてしまった。コレクターなどには今でも根強い人気があるようだが、一時期よりも店舗数はだいぶ減ってしまったようである。

ハードロックカフェと同様にグアムにもあって、何度か足を運んだのが「プラネット・ハリウッド」である。名前の通りハリウッド映画をテーマにしたレストランで超有名な俳優が共同で出資したと聞いた。私にとっては疎くてあまり興味もないロックンロールの世界よりも、スーパーマン他かつて見たことのある映画をテーマにした「プラネット・ハリウッド」の方が面白く、店内の装飾も派手めで親しみを持ちやすかった。全盛期には常に(日本人の)長い列が店先にできていたが、いつの間にか下火になりDFSギャラリアにあったグアム店は無くなってしまっていた。観光地や主要都市ではハードロック・カフェとセットであちこちにあったと思うのだが、あちらのように根強いファンがおらず日本の店も潰れてしまったようだ。確かに各店舗を巡ってコレクションするものもなし、サービスや料理も大したことがなく、雰囲気は面白いが一度行けば「次はない」という点で廃れてしまったということか。

建物の奇抜や内装のど派手さはアメリカ版のほうがすごいかもしれないが、この手の(コア)なテーマレストランを作らせたらやはり一番は日本だろう。甘辛と前を通ったことしかないのだが、秋葉原には「ガンダム・カフェ」というのがある。ファーストガンダムまでで知識が途絶えてしまっているので、多くを語ることはできないのだが、宇宙戦艦ヤマトの少しあとくらいだったから、すごい人気が高まり同じような劇場版もひと通りは見に行った。HPでメニューなどを見ると、RX-78-2ガンダムの顔をした「連邦の白いヤツ」(ペンネ・ゴルゴンゾーラ)、量産型ザクの顔をした「緑の巨兵」(ジェノベーゼ)、マスコットのハロの顔をしたパスタ、シャア専用ザクの赤いライス(チキンライス)など、写真が使えないのが残念だが、どれもそれぞれの特徴を表す面白いフードメニューとなっている。それぞれには込み入ったマニア向けのサブ・タイトルが付いており、「知っている者だけがギリギリ分かる」という仕掛けになっているのがミソだ。

先日、息子甘辛と2X回目のウルフェスに行った時、同じ池袋にある「仮面ライダー」をテーマとするコラボ・レストランを訪れた。(ウルフェス買い込んだアイテムを山ほどもってライダーの店に入るのは多少ためらいがあったが)ビルの4Fのちょっと怪しい雰囲気のスペースで、ショッカーの秘密基地という雰囲気だが、間仕切りなどのない大部屋のつくりだ。店内奥には「ショッカー首領の玉座」があり、両サイドに等身大?の1号、2号ライダー像がある。甘辛はしばらく興味深そうに店内を歩き回っていたがウルフェスで腹が減っていたらしく「オレ、『カレーライダーBLACK』と『オーナーのチャーハン』ね。」説明しないと何のことか分からないだろう。仮面ライダーBLACKはおよそ30年くらい前のものだが、甘辛が幼い時によく見ていたVTRの中ではなぜかお気に入りで主題歌もよく覚えていた。

          

また、かなり時を経て平成のライダーとなった10年弱前の「仮面ライダー電王」に登場する「電ライナー」という時空を走る列車のオーナーが旗を倒さないように食べていたのと同じ物が「オーナーのチャーハン」である。ドリンクはこれまた平成の仮面ライダーウィザードから、「魔法石を散りばめて時間が経つと味が変わる」ノンアルのカクテル。そして私の注文したのが1号の顔を模した「ロコモコ1号」だが、下半分の(顎から口の部分)にどうも無理があるような気がする。フード、ドリンクなど種類がすごく多く、昭和から平成の歴代のライダーの要所要所を押さえてメニューができているのはさすがだ。ちなみに店員は皆ライダーベルト装着の赤いシャツを身に着けている。個人的にはショッカー戦闘員のほうが面白いとは思う。

      

さてこれまで書いてきたお店を「テーマレストラン」というなら、やはり私にとってのNO.1は「怪獣酒場」だろう。「ウルトラ戦士に倒された怪獣・宇宙人が夜な夜な憂さを晴らす」コンセプトで、ある意味これ以上ディープな設定はない。何せ入店の際に「ウルトラ戦士、防衛隊員は入店頂けません」という断りと「化けてないかどうか」ジャミラ(真実)の口に手を入れて「踏み絵」をさせるのである。壁新聞や壁の模様、飾ってあるフィギュアなど細かいディティールも凝っていてこの手の他店(例えば上記のガンダム、仮面ライダーなど)の追従を許さない。怪獣・宇宙人の着ぐるみを除くと結構な割合で我が家のコレクションにあるのだが、やはりスケールが全然違う。先日、旧友と来店した時は1時間半に集合してようやく列の1番前に並べた。店に入るまでにそんなに長時間待つことはないので、「交代で磯○水産で飲みながら時間つぶす?」なんて技もアイディアとして上がったが、結局コンビニでビールとつまみを買い込み、入店前のプチ立ち飲み会になってしまった。

開店15分前くらいになると、店内から「ダダ」模様のコスチュームを身に着けた店員(顔も幾分似ている)が出てきて、並んでいる列にそれぞれのグループの人数と名前を聞き取っていく。この時「禁煙席」を希望すると、高い確率で私のお気に入りである「作戦室」のコーナーに案内してもらえる。フィギュアによる数々の戦いシーンや歴代防衛軍の超合金モデルなどがずらりと並び「ウルトラ戦士、防衛兵器の能力を分析してこれを倒す作戦を立案する」というコンセプトでシートが設けられている。小さなテーブルなので4名ないしは最多でも6名まででないと入れない。来店日はちょうどお盆の日でちょうど「怪獣供養祭」の期間だったが残念ながらお馴染みの亡霊怪獣「シーボーズ」は登場してくれなかった。これまで片手に余る回数くらい足を運んで、もはやお品書きなど見ずに定番メニューは注文できる。「飲み物は女性にメトロンとビール、オレはベロンベロンボンバー、この人はザ・最強ね」席は2時間交代制だからメニュー選択に余計な時間を割かない。「あと、料理はツインテールとナース、サラダがメフィラスね」これだけで通じるのである。(たぶん何のことかさっぱり分からぬだろう)

  

しかし先だってのプラネット・ハリウッド同様、最初のインパクトは大したものだが、それ以降何度も足を運ぶのはよほど我々「友の会」を結成するほどディープなファンでも多少は変化してくれないと飽きてしまう。そこは我らが怪獣酒場、数か月ぶりだが続々と新メニューが登場していた。まずドリンクものから頼んだのは双頭怪獣パンドン(セブンの最終回登場ね)の「火焔トロピカル」、ロボット長官(これまたセブン)の「第四惑星コーヒー」。第2弾に注文したスペシャルメニューはメガトン怪獣スカイドン(初代マンに登場)「炎のスッポンユッケジャン」、ペガッサ星人のダークゾーン(セブン登場)「海鮮イカ墨やきそば」、そして円盤生物ノーバ(レオに登場)赤いトマトの暗殺者・・・ぎゃーっはっは。ノーバはただのトマトだがペガッサ星人なんかよくできてるなー。秘密の小部屋にいた彼はやはりウルフェスに狩り出されているようで、今の小部屋(撮影禁止)はメフィラス星人の円盤内のようだ。

    

        

何かをテーマに特集したお店というのはファンにとってはタマラナイものだ。実は我が家も「ゴジラ・ウルトラ・ライダー」をテーマにすればそれなりにコレクションがあるから、装飾をちゃんとすれば近所にある「○ブンの店」よりも展示物は充実していると思う。(むろん、撮影に使った本物などはないけれど)お勧めメニューは限られてしまうが、庭で獲れた三河産にらをふんだんに使用した「ウルトラホーク中華丼」「マットホイコーロ」「マーボライザー」「ウルトラマンタローメン」、ドリンクは「ハイドランジャーボール」、「ジェットビール」・・・むろん器は全てウルトラアイテムで用意できるし、ジョッキも全種類揃っている。場所の不利を宣伝でカバーできれば・・・と言っても、おもちゃのコレクションと北京亭メニューじゃプラネット・ハリウッドよりも短命な店に間違いない。。。

プロフィール写真の更新

2016-08-06 14:40:36 | ホビー
長い梅雨が明け、8月に入って夏本番になるかと思ったら、やたらに大気が不安定で通勤時間に限ってゲリラ豪雨に遭遇することが多い。ただ今年の梅雨時は休日に限ってはカラリと晴れることが多く、前回の「地引網」も含めていよいよ本格マリンシーズンに入るのは早かった。ママチャリにキャリーを取り付け、無理やりサーフボードを搭載して走り回るから行動範囲は限られているが、午前は地引網ポイント、午後はサーフビレッジ付近と果敢にポイントを変えたりしてバリエーションを求めた。さらに昨シーズン末に導入した7フィートの「ソフトファンボード」に加え、前職の同僚から「もう使わないから」と9フィートのロングボード、6フィートのショートボードを頂き、初めてから10年余りにして、一気にサーフライフに広がりを見せたのである。

浮力があってテイクオフし易いうえに本体が柔らかくフィンもプラスチックで初心者にも安全なため、昨年息子甘辛又は妻が始めることを期待して導入したソフトファンボードだが、結局ほとんど出番がなく物置に眠っていた。今シーズンは積極的に引っ張り出して乗れるように練習を重ねたのだった。スキーで言うと以前乗っていた板に比べ、今主流のカービング?スキーは20cmくらい短くなっているのだが、シーズンに1回行くかどうかの頻度でブランクが長くても全然気にせずに滑れたのに、サーフボードは60cm短くなって最初全く乗れなかった。身体感覚が全然違うのである。慣れてきたのもあるがロングボードは浮力が強くて安定しているので、さほど強くないうねりでも沖合から波に合わせることができ、テイクオフのタイミングも余裕がある。一方、ファンボードも乗りやすいとは言われるものの(私程度の腕では)小さい波ではかなりがんばってパドルしないと波に置いていかれてしまい、立ち上がるタイミングもだいぶシビアである。

ひと月くらい練習して、バランスの取れるポジショニングやテイクオフのタイミングを憶え、ようやくスープだけでなくてちょっとした波にも乗れるようになってきた。そしたら、今度はこれまで慣れ親しんだロングボードに乗れなくなってしまったのである。今度はファンボードのテイクオフに身体が慣れてしまってロングの感覚やタイミングが分からなくなってしまったのである。しかしこれも地元の強みか、休みの日に暇さえあれば出動したおかげで、どうにか「乗り分ける」ことができるようになった。午前と午後で概ね2ヶ所、ロングとファンで2種類、組み合わせれば4つのシチュエーションで楽しむことができるようになり、我ながら今シーズンは飛躍的に幅が広がったものだと思う。もちろん同じおポイントでも日によって全く「波の顔つき」は異なり、乗り方もそれに合わせなければならないから、一つのボードでもシチュエーションは無数にあるが、同じ波でもロングとファンでは乗り方が違うようだからさらに面白いのだ。

波の高さがそれほどでもなく、沖合からゆっくりとやってくる「トロ厚い」波はロングボードに向いている。一方高さはそこそこあるが、ざっぱーんと崩れてしまう「ダンパー」波は短い方が乗りやすい。ママチャリキャリーで一度に2枚は運べないので、早朝の偵察によって先の4つのシチュエーションのどれに合わせるか決めるのである。たまたま7月に異動となり、現職となってから「社内ホームページで転入者を紹介するのでアンケートに答えて」と、総務筋から依頼があった。以前は「休日は何をしているか?」「若いときに打ち込んでいたものは?」といった質問だったようだが、今年から堅苦しい質問になっていてちょっと閉口した。どれも60文字以内ということだった。「Q1 仕事でもっとも大切にしていること、モットーは?」「Q2 今、ハマっていること。これからやってみたいことは?」「Q3 健康のために気を付けていることは?」うーむ。つまらん質問だ。。。Q1は「ファイナルトランスファー」編で書いたようなこと、Q3は「血圧レコーディング作戦」編を凝縮して答えた。そしてQ2で少し首を傾げてしまった。ウルトラヒーローアイテムコレクション、釣り、天体観察、海辺の散歩、季節の花巡り・・・多数手を出しているが、どれも「ハマっている」という水準ではない。サーフィンもしかり、10年来続けているが今更「凝っている」と言えるかどうか・・・色々考えた末私は「波の状況に応じロング〜ショートボードを使い分けるサーフィン。立漕ぎボード(SUP)の「ヨガ」をやってみたいです。」とキーボードを叩いた。趣味は「サーフィン」という人は結構いるだろうから、ちょっとひねってみたくなったのである。

あくまで社内限定のホームページだが、ちょっと変わった趣味には取材や詳細の掲載を頼まれることもあると聞いた。確かにあまり見ないのだが、「趣味を自慢する」コーナーが設けられていて、写真なども載っている。そして今シーズンは毎週のように練習に出ているからたまにいい波があって「くーぅ。。。今の撮影してほしかったよなー!」という快心のロングライドが何回かあった。ここに至り、ついに私はカメラマン(妻)にお願いして、我が雄姿をアーカイブ化することにしたのである。実は某SNSのプロフィール写真が数年前始めて以来一度も変えたたことがなく、開くたびに「写真を更新しましょう」とメッセージが現れてうざく鬱陶しく感じてもいたのだ。妻はサーフィンは危険に感じるのかどう誘っても始めなかったが、このシーズンになると海岸に遊びに行く気にはなるらしく、今シーズンはキャリーケースを安く購入したのでボディボードをするという。7月に何回か比較的大きな波のある休日があり、途中先日のように地引網を偵察しながら、しばらく二人で海に入っていた。

10年来サーフィンをやってきて、何人かと海上で挨拶を交わすくらいに顔見知りにはなったが、不思議な抵抗感があって私はサーファ仲間というものを持ったことがなく、海で波乗りするの時は常に一人である。孤高と言えばカッコいいがそれほどのレベルを誇るわけでもない。釣りなどもそうなのだが、一人っきりで楽しむことに寂しさを覚えないが、ずばり「飽きる」のが早く連続して続けるのは1時間がいいところである。ただ誰かと一緒に海にいるだけで、時間を忘れて楽しむことができる。常に一緒にいないのはスキーと一緒だが、ちょっといい感じで滑れたりすると声をかけたり手を振ったりするだけでとても楽しいし、時にいい波が来るとランデブーすることもある。海に行く場合は準備が先にできる私が(待ちきれずに)先に行って、妻が後からレジャーシートや飲み物を持ってくるのだが、ある時いよいよ超兵器203号に望遠レンズを装着し最大望遠で撮ってくれるように頼んだ。

最初にロングボードを持ってきた時、カメラレンズでフォーカスされていると感じるとかなり緊張を感じた。あまり長時間カメラを握らせているのは悪いし、だからと言って慌てて変な波に誘惑され、みっともなくパーリング(後部が上がり過ぎてノーズが水面に突き刺さり逆立ち転倒してしまうこと。)したところを撮られたら、友達に画像を転送されて笑いのエサになる危険がある。パーリングというのはサーフィン用語で波に乗れずに頭から潜っている人を冷やかしてか、「(そんなに潜りたいなら)真珠(パール)でも取ってろ!」という意味のようだ。

        

ただ自分で言うのも何だが、周辺に浮かんでいた人たちの中ではそこそこ「乗れる」ほど上達はしているので、しばらくして何本かいい感じでレギュラー(左足前で右方向に滑る)方向に滑ることができた。「(今の撮ってくれたかな)」帰ってから画像を見てみると、自分ではすごい波に乗っている気分でいても意外に大したことがなくてがっかりすることもあったが、そこそこ形になっているのもあった。たまたまそれが参議院選挙の日だったので「朝からよい波だが、投票には行きましょう」みたいなことを書いて画像アップしたら、意外にも反響があった。「・・・波に乗ってる」「編集うまいな〜」「ホントに・・・?」「話には聞いていたけど本当に波乗りするんだね!」うーむ。私のプロフィール写真は江ノ島をバックに海に向かってボードを抱えているものなんだが、誰も「ホントにやる」とは信じていなかったんだな。。。(陸上スポーツのイメージ強すぎなのかな)

            

中には「形になってるね」「かっけー」「カッコイイね!」なるコメントもいくつか混じっており、それなりには気分のいいものだった。ただそのままプロフィール写真にしてしまうと「アイツ、おだてられていい気になってるな」と思われてしまうのでやめておいた。また社内HPには「波の状況によって・・・使い分ける」と書いたので、別のファンボードでライドしているシーンも撮影しておかねば・・・別の日にまたボディボードの妻と海に行き、再び超兵器203号を向けてもらった。前回よりも少しだけ波が小さくどちらかというとロングボード向けなので状況は逆なのだが仕方がない。こちらの方が苦戦しながらも何枚かいい感じのショットを撮ってもらった。今回は妻が気を利かせて後ろの方にヨットやカモメを含む中々情緒あふれる構図となっていた。

        

「人のプロフィール写真なんぞ、誰も興味ねえだろ」と何気なく更新しておいたら、某SNSは余計なお世話をするもので、いちいち登録者に配信したようなのである。(このあたり、どうもサービスの機能がよく飲み込めていない)今度は「かっこいいね」「やりますねえ」「いい男」などと賛美のコメントがあった。うーむ。こんなによく言ってもらえるなら、もっといいヤツがないかちゃんと探せばよかった。迫力だけならロング(赤ボード)バージョンの方があるんだよなあ・・・と写真を眺めていると、何か妙な構図に気が付いた。妻が写しこんだヨットと小さなカモメの間に坊主頭が一つちょこんと写りこんでいて、テイクオフしている私はそのおでこに「ちゅー」しているように見えるのである。見れば見るほどその通りに見えてしまい、あっという間に変な呪縛に陥ってしまったのだ。「(くそー、このじじいの坊主頭、修正できないものか?!)」ロケ撮影は我々の休日の行動予定や天気、そして肝心の波の状態によってかなりチャンスは限られる。そして「ショートとロングを使い分けるサーフィン」と書いてしまった以上、いよいよ6フィートのショートボードを乗りこなさねばなるまい。ちなみにまだ出動したことがないが、波の小さな湘南海岸では多くのサーファーが苦戦しており、チャンスはわずかしかないと思われる。妻が撮影に協力的なシーズンの間にぜひとも練習を重ね、カバー写真として追加したいと思う。

              

読書の交換会

2016-06-24 22:00:33 | ホビー
久しぶりに人から直接貸してもらった本を読んだ。自ら読書家というほどのレベルでは到底ないが、通勤時にスマホをやったり音楽を聴く習慣のない私は比較的早いペースで本を読む。大抵は図書館で借りてくる本や息子甘辛と一緒に呼んでいる連載文庫本で、著者で言うと少し偏っており最近だと(ペンネームもあるので敬称略)重松清、森沢明夫、百田尚樹、東野圭吾の回し読みに原田マハ、有川浩、三浦しをんに歴史小説をつまみ食いしているような感じだが、そろそろ新分野を開拓しないと読み尽くして在庫が乏しい状態にある。これら「読み漁る」分野はいずれも自分で開拓したものではなく、以前何かのタイトルで紹介したように、小夏師匠やKICKPOP師匠のように近しい?年代に加えて10,20,30(借金問題の某事務所のようだ・・・)歳違いのコーディネーターとも言える「本の友」がおり、奇しくも全員女性である彼女らの薦める著書、作家に首まで浸かってしまっている。一度同年の人と「読書会をしないか?」と作戦を練ったことがあるのだが、本の好みには人それぞれかなり多様性があり、テーマ本を決めるのが難しい上にメンバを募って予定を合わせるのがもっと難しいために実現には至らずにいた。しかし一度、「イニシエーション・ラブ」が映画化されたのをきっかけに(私がハブなのだが)本友のあまちゃんが企画してくれ、奇跡ともいえるコラボレーションで映画鑑賞会が実現したのだから、何かそういう続きが欲しいとは思っていた。

そんな時タイミングよく、研究所勤務時代の同僚だった女史から以前から話題に上がっていた「○×サス会」やりませんか?とメールがやってきたのである。しかもお誘いしようというのは、他にもない私の本友である「あまちゃん」である。私が以前、同門の会の場ついでにお貸しした本をあまちゃんにリレーしてもらったり、別の機会にあまちゃんにお貸しした本を女史に回してもらったりしていたから、面識もあったはずだが、ゆっくり本の話をするのは初めてのようである。私はすかさず「じゃー、本の交換会やろうぜ」と伝えた。NHKニュースで取材していたのだが「会社員、学生、主婦などが気軽に集まってお気に入りの本を紹介し交換し合う」というもので、回を重ねれば感想を交換できたり共感を伝えられたりして楽しそうだった。読書感想文のように決まった本を読んで語り合うよりも自由で気軽に誰とでもできそうだ。

中々ない試みだったから、一応読む人のシチュエーションを考え、メッセージ性を持たせて本を厳選することにした。今やビジネス推進の一線でバリバリ引っ張るマネージャー女史にはバイタリティ200%の「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹著)と疲れた時の癒し用に「虹の岬の喫茶店」(森沢明夫著)、ちょっとお堅い男子系職場の中堅で活躍するあまちゃんには、軽く文化のお勉強に「驕れる白人と闘うための日本近代史」(松原ひさ子原著)、ちょっと切な悲し系の「きみの友だち」(重松清)、元々癒し系の好きな彼女に「癒し屋キリコの約束」(森沢明夫著)を持参した。どの本も元同級生やマネージャー女史本人に紹介された著書やその作者の派生である。中々複雑な貸借関係なのだが、ここにまずは3人での交換会が成立する。何よりも両名は私が小夏師匠から贈っていただいた「三河のにら」から収穫した種をリレーした貴重な伝道師でもあるのである。(そう言えばちゃんと育ってるか聞くのを忘れた・・・)

  

会場は研究所勤務時代に女史を含めグループでよく立ち寄ったステーキ屋である。物価高なのか年々とメニューがショぼくなってきたような気がするが、それでもステーキ他5品と飲み放題がついてリーズナブルな値段だ。そう言えば、数か月前にあまちゃんとはグンマ時代のガノさんとはなちゃんと席を共にしていた。「あまちゃんとはこの前来たよね。Mさんとは久しぶりだよねえ」「あれれっ?Mさんもほとんど来たことないって言ってましたけど・・・」「何言ってんだ。研究所から散々来たじゃんか・・・」「そうか、○×の仕事してたから・・・たくさん来てました。はい」(何トボケてんだ?)関係図でいくと私がハブになるので、方やグンマ時代の話、もう片方は研究所時代の話にそれぞれ花開いた。グンマでは新人であったあまちゃんにはさすがに偉そうにしていたが、研究所の時は同僚だった女史は私がしでかした「おイタ」を山ほど知っているので、バラされるかとハラハラドキドキものだった。。。

近況を聞いていると、意外なところで意外な人とつながりが多くあり、「えーっ?あの人、今そこにいるの?以前○×で一緒だったんだよ」という驚きの連続だった。あまちゃんの上位にいる人は元グンマの同僚であるガノさんだし、M女史の部下にはグンマでルーキーズだったミクちゃんがいる。さらにビーチバレーのじろーくんはM女史と同門の知人だし、あまちゃんらと一緒に「イニラブ鑑賞会」に参加した、ア太郎さんは以前M女史と仕事でご一緒したことがあるという。特に元グンマーの若手が本社のそこここで活躍しているようだし、研究所の元同僚たちはもう各セクションの中核を担う管理者となっていて、おじさんとしては頼もしい限りである。M女史はだいぶ前に家族連れでバーベキュー会を行ったときの幼い息子甘辛を知っているが、「ウルトラ兄弟撮影会」の画像を見せると「えーっ、もう大学生なんですかぁ?!」他人にとって普段顔を合わさない子供の成長とは信じられないくらいに早く感じるらしい。

昔話に花が咲きすぎて(特に女子がそろうととりとめもない話ばかりになる)、肝心の本の内容に関する話題はほとんどできずに時間ばかりがあっという間に過ぎていった。「ここのメニューはさ、えらいボリュームがあるから、順番逆にしてもらうのがセオリーなんだよな。枝豆やサラダなんかでガバガバ飲んでお腹一杯のところにステーキやらハンバーグやら出てくるとキツイだろ?」「そうでした、そうでした。この前もそう言ってましたよね。ちょっとすみませーん」2人とも「(それはアンタだけの話でしょ?)」と口には出さずとも思ったことだろう。オーダストップの時間が近づき、それぞれ持参した本も取り出した。「これはキミ、こっちはキミね。」どんな内容でなぜそれを彼女ら向けに選んだか、かいつまんで話しておいた(ホントはこっちが本題だったのに)彼女らが差し出したのは「キネマの神様」(原田マハ著)、------------「(オレが貸した本ばっかじゃんか・・・!こいつら交換会の意味分かってんのか?!)」ま、実際のところ本の話はほとんどせずに与太話ばかりで時間を忘れたひとときで、後日読み終わった直後にあらすじや感想をメールで交換することになった。

以前から不思議に思っていたのだが、本を紹介したり内容について語ったり、感動を共感したりする知人としてピンとくるのは女性ばかりである。今更女性に囲まれたいと思う年でもない(わけではないが)し、逆に緊張するので適度に男子も混じってほしいのだが、どうも話題性がしっくりこないのだ。しかもさらに不思議なことにこれまで何度も経験しているのだが、一定数以上の女性が中心になる座に同席するとほぼ100%本題になる(結論らしきものに辿り着く)前に時間切れとなってしまう。ぶっちゃけ無駄話に時を忘れてしまい、後半は何が話題だったかも思い出せない体たらくなのである。飲み過ぎてスパークしてしまうのは誰と飲んでも同じなのだが「この話をしに行ったのに・・・」というのが女性軍相手だとやたらに多い。なぜこんな不可解なことになってしまうのか?実はマネージャー女史が持参したのが、これらの疑問を吹き飛ばす目の覚めるような名著だったのである。キーワードは「女性脳」。この先、続けようと思ったが思わぬ字数を費やしてしまったのでまた今度・・・

スマホによるミクロの世界

2016-06-20 07:47:38 | ホビー
実家の母親は取扱いが簡単な携帯を持ち歩いているが、もう何年も使っている古いガラケーで、お年寄りにありがちな「電話とメールしか使わない」パターンである。最近バッテリーも弱ってきて、電池切れに気付かず持ち歩いているのに全然つながらない、という間抜けなことも結構ある。「せっかくカメラ機能があるんだから、写真撮って友達に見せてあげたら?」ここ数年、プチ旅行に連れ出して地方の名所を歩き回る際に私は203号を首からぶら下げているが、母親は携帯でちょこちょこと撮影していた。ようやく最近「メールに添付する」という技術を覚えたようだが、ほとんど「撮りっ放し」になっていたようなのだ。友人に見せるには昔から見慣れたプリント写真の方がよいと言い出したので、コンビニや家電量販店などの端末でプリントしてやろうと連れていったら、何と機種やケーブルが古すぎてデータを転送する手段がない・・・

「いくら何でも買い替え時期なんじゃないか?」と母親を説得し、妻についてもらって最新の「らくらくスマホ」というものを手に入れたようだった。梅雨入りしながらも晴れ間のあった週末に、満開のさつきで有名な湯河原星が山公園「さつきの郷」とバラと花菖蒲が見どころの「小田原フラワーガーデン」を梯子したら、盛んにパシャパシャ撮影していた。ちょっと貸してもらったのだが、恐ろしく綺麗な画像が写り込んでおり、最新式のスマホのカメラ機能のすごさに舌を巻いた。こんなすごい画像が撮れるなら、もはやデジタルカメラなど必要ないかもしれないな。聞くところによると妻の手引きで「LINE」なる通信も行い始め、その後旅行先から盛んにメッセージや写真のやり取りをしていた。ついこの間までメールのタイトル欄に本文を書きこんでしまい、「使いづらい・・・」と嘆いていた母が私も使い方の知らなコミュニケーションを始めたとは驚きだった。

今のスマホの機能、性能向上は全く目覚ましいものだ。音楽、テレビ、ゲームはもちろん、万歩計やナビゲーター、電化製品その他のコントローラにも使え始めている。大学生の息子甘辛は4人でスマホを持ってテーブルを囲み麻雀もしているという。選択科目のスケジュールや急な休講などによってまとまった時間が空いてしまうと、足を運ぶのは雀荘と相場が決まっていたが、手段は変わってもやることはあまり変わっていないらしい。。。家にいても移動しながらも四六時中スマホを片手に何かしており、もはやそれなしでは一時も過ごせない中毒になっているようだ。かく言う私も家族揃って割引にするために同種のスマホ(取扱いを共通にするため)を持ち歩いているが、妻子の使用頻度があまりにも高く老朽化や故障によって何度か機種変更されてしまったので、私のだけ数年前のものに取り残されてしまった。私はどうもタッチパネルが苦手で、指先が変な風に帯電しているのか触りもしないのに画面が遷移してしまったり、逆に画面に亀裂が走るほど押しても何の反応もないこともあり、イラつくことこの上ない。。。最近駅のホームでは盛んに「歩きスマホは禁止」と呼びかけているが、私も「大勢の流れの中でタラタラとスマホをやって歩いているヤツの背中を蹴り倒したくなる病」に感染している。

しかしそんなスマホ嫌いの私にも驚愕と垂涎モノのスーパーアイテムが現れた。「スマホ望遠鏡」と「スマホ顕微鏡」である。特に先般の火星大接近のニュースとタイミングが合ったのか、スマホ望遠鏡の人気はものすごいらしく、通販でも本屋でもハンズでも品切れという看板が目立った。「三惑星の宴」編で書いた通り、天体望遠鏡で惑星を拡大観察しこれを静止画像として保存するのは結構難しいことだから、あんな厚紙のおもちゃでは中々難しいだろうとは思うが、月面くらいであれば驚くほど迫力の画像が得られるだろう。実は我が家のM20号もスマホやコンデジを装着するアダプターを持っているが、土星の輪が辛うじて見えるくらいでかなり辛いものがあった。しかし「自動でピントを合わせられる。拡大が自在にできる」というのは天体撮影には強力な機能であり侮れないと思われた。

そしてハンズで思わず手にしたのが「スマホ顕微鏡」だ。スマホそのものを専用の台にセットするいわゆる顕微鏡型と宝石鑑定士がよく片目に貼りつける(あれ、どうやって付けてるんだろう)ルーペ型がある。どれもスマホの機能を使用すると100倍くらいまで拡大できるようだ。私の好みでは「理化学ゾーン」という売り場にあったこのアイテムを手についレジに並ぶところだったが、「やられた時のショックが大きい」ので、取りあえずはスマホアクセサリーコーナーにあったクリップレンズを買ってみた。いかにもおもちゃなんだが、何と魚眼、接写、ワイド撮影を組み合わせて行える優れものだ。私はこのプチ兵器を携えて「さつきの郷」と「小田原フラワーガーデン」に乗り込んだ。

例年だと「さつきの郷」は6月の最初の土日くらいが満開なのだが、今年は前々日にかなり強い雨が降ったので半分以上が散ってしまったようだ。あばさんによると「花が上を向いて咲くから雨が降ると落ちちゃうんだよねえ」。天気が良かったので真鶴半島から初島、大島なども見渡せる気持ちのよい朝だった。203号とクリップレンズ魚眼で撮ってみたが、どんなものだろうか?どちらも大したことない?!

              

小田原フラワーガーデンはバラが後半となり、花菖蒲とスイレンがちょうど盛りだった。鮮やかに咲き誇る花々に母親は喜んでスマホカメラを構えていたが、私はクリップレンズを接写用に交換して超兵器203号と撮り比べてみることにした。203号はクローズアップモードにしてもせいぜい30cmくらい、しかしこのおもちゃレンズは1cmくらいに近づけないとピントが合わない・・・ほとんどミニ顕微鏡のようで、花の中にある花弁や小さな虫までもが写りこんでしまい、しかも立体的なのでピンとが合わない。バラ、花菖蒲、ヒスイカズラを203号画像と隣り合わせにしたが、何やらよく分からないものになってしまった。花びら一枚とってもみても風で動いてしまうし、奥行きがあると先端したピントが合わないからあまり花の撮影には向かないようだ。コガネムシの顔がやたらに迫力があってちょっと引いてしまう。(もうちょっと可愛らしいかと思った・・・)

              

                

以前、ハガキを送って無料券が送られていたので翌日は妻と江の島のレッドロブスターに足を運んだ。今回持ち込んだのはスマホクリップレンズだけだ。まず黒い不気味な丸い物体は「ロブスターの眼」である。見た目つるんとしているが、接写拡大すると不思議な幾何学模様のようなものが見える。その次が顔の真ん中にある角の先端部分である。これも拡大すると凸凹しており、両サイドに黒い目が薄く見える。最後が触覚の先端分である。これもニラのようにしなやかに見えるが、表面は規則正しく節が並んでいてパッと見触覚とは思えない。その後、ロブスターを色々弄りまわし、色んな角度から接写拡大撮影したが、はっきり言って「おぞましい」画像ばかりなので止めておく。妻が一言「あなたにとっては、いいおもちゃだね」。

           

学生時代に光学、電子顕微鏡など共にうんざりするほど使用したから、「拡大すると見えないものが見える」楽しさは思い出してきた。景色や動物、天体なども面白いが、ミクロの世界にも面白いことはたくさんあるだろうが、どんなものを被写体にするとよいだろうか?植物?微生物?細胞組織?宝石の細部構造?うーむ。。。理化学の血がうずく。想像力の出番だろうが、まずはレンズ片手に手当たり次第に撮って、面白いものを探してみよう。ぶっちゃけ今回は「外れ」に近かったが、にわか(しかもすぐに飽きるかもしれない)探求者の「ミクロの決死圏」レポートに期待あれ。

贔屓のチームとスタジアム

2016-06-15 21:24:58 | ホビー
昨年まさかの予選敗退から1年、我が社と所縁の深いとあるチームが社会人の都市対抗野球に出場できるようになった。昨年の悔しみをバネにしたのか予選からして試合の応援は凄まじく、代表が決定した試合終了時の様子を多数の同僚が某SNSにアップしていたが、紙吹雪が舞いまくり、まるで優勝したかのようなお祭りムードだった。昨年は予選敗退に泣いて普段は連日応援で不在となってしまう幹部が本業に勤しんだのでスタッフは「やけに仕事が捗った」と苦笑していたようだが、今年は2年分だからそれこそ「職務が停止してしまうのではないか?」と言われるほど皆こぞって出かけるのだろう。誰も今時、会社に対しての忠誠などそうは持たないものだが、こういう時、日本の会社はやはり「家族」で、お揃いのビブスやカードでスタンドを埋め尽くし、大声援を送るのは日本代表チームを応援するような一体感・高揚感満載でめったにできない興奮である。

平日は同僚と応援に駆け付けることが多いが、試合が休みの日になると妻や息子甘辛を伴ってドームを訪れたこともある。「今年はめでたく出場できるようだよ」と妻に言うと「ふーん」とあまり興味がなさそうだ。確かに「夫が勤める企業グループのシンボルチーム」というだけで、贔屓というわけでもなく、周囲は誰も知らないのであまりその気にもならないのだろう。元社宅のお友達家族は仲良しなのだが、所属する会社のシンボルチームという意味では微妙な温度差があり、休みの日に唯一Sちゃん家族と一緒に応援に行ったことがあるものの、パパが会社の重鎮であるため関係者の相手に余念を取れず小さな応援団となってしまった。そのうち妻が「久々にプロ野球を見に行きたいよ」と言い出した。

妻は野球の試合そのものやドームの雰囲気が好きなようで都市対抗にはよく来たが、ここ10年くらい(いやもっとかな)プロ野球のゲームからは遠ざかっていた。テレビ中継を見たり、実際に球場で試合を見に行ったりしたのは巨人に松井選手がいたころまでで、それ以降は「プロ野球人気」が急落してきたのか、昔は必ずあって一時は試合終了まで放送延長していた「巨人戦」もナイター中継から姿を消してしまい、朝のニュースで結果を知るだけでだんだんと興味は薄れていった。息子甘辛がサッカー漬けになった影響もあろうが、試合を見たり個人の打撃成績を気にすることも少なくなり気が付いたら都市対抗以外に球場に足を運ぶことはなくなっていた。昨年のGWに横浜に遊びに行った時、妻が同じように「プロ野球を見たい」と言い出し、チケットを買いに行ったのだが、時期が時期だけにさすがに巨人戦でなくても席を取ることができなかった。

子供の頃、プロ野球観戦のデビューはむろん「後楽園球場」である。バックスクリーン電光掲示板両サイドにはデカデカとした「パイオニア」の看板が聳え、子供の目には「霞ヶ関ビルの屋上から地面を見下ろす」ようなジャンボスタンドは「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」でしか見たことのない憧れの地だった。もう一つ、マイナーだったが父親の勤め先がシート契約していたのでよく連れて行かれたのが川崎球場である。川崎大洋ホエールズの本拠地だったので「野球は巨人」だった当時は巨人戦以外はドマイナーでスタンドも2軍戦のようにまばらだった。狭い球場で私もナイター前に練習を終えた選手が石段に座ってうどんを食っているのを見たことがある。後楽園のように選手達と観客が隔離されていないのでやたらにアットホームでファンなら垂涎もののサービスもあった。その後、一時期ロッテが本拠地としていた時はとにかく「閑古鳥が鳴く」球場として「珍プレー好プレー」ではスタンドで鍋をしたり、カップルでイチャイチャ○×するシーンが流れた。(悪学生の私らも簡易「流しそうめん」をやった)

後楽園の他にヤクルトの本拠地である神宮球場があったが、私は湘南、妻は横浜育ちだから何と言っても我々が昔から親しみを感じる球場と言えば「横浜スタジアム」である。海や港の近くで中華街の横にあり、独特のすり鉢状の形状で鮮やかなオレンジ色のスタンド、ヨコハマの「Y」を象った照明塔などが斬新で、距離が近いのもあったが都心の球場よりは我々のお気に入りの球場だ。天候に左右されないドームやもよいがやはり屋根らしい施設の全くない空の開けたスタジアムが解放感があってよい。もうずーっと長いこと来ていないが、昔1塁側の内野席で試合前練習を見ていてフリーバッティングしていた打者のものすごいライナーのファールがすぐ前のシートの背もたれに突進してきたことがある。野球少年だった私は普通に素手でキャッチしようと打球をを追っていたが、着地寸前に硬球であることに気が付いて思わず「ワッ」と手を広げた。(そのまま捕球に行ってたら無事ではすまなかったろう・・・)

さて地元の親しみを感じる「贔屓のスタジアム」はあっても、我々はいつからか贔屓のチームがなくなってしまった。繰り返すが我々が子供の頃は何と言っても「野球は巨人」であり、(晩年ではあったが)王選手や長嶋選手(その後張本選手が登場)どういうホームランを打ってライバルを打ち砕くかだけが興味の的だった。私はスポーツ少年団の野球帽を被っていたが、当時野球少年というものは100%近く黒地にオレンジマークの「巨人」の帽子を被っており、よほどの変わり者か転校生でもなければ「赤いカープ」や「青いドラゴンズ」などは見たこともなかった。巨人ファンというよりもプロ野球そのものが「巨人とその他愉快な仲間たち」だったのである。当時からホエールズ命だったという元同僚「ガノさん」は「まるで隠れキリシタンだったよ」と言ったが、内心「(そもそも弾圧すらされてないさ・・・・)」とベロを出していた。王選手が引退し、高校のサッカー部の顧問だったチュウさんがドラフト会議の日、部活の後ミーティングで開口一番「原は巨人!」と言ったのを鮮明に覚えている。大きな世代交代のあったその辺りから、記憶は「がんばれ!!タブチくん!!」に移り変わって行く。

我々のご贔屓スタジアムが横浜だから本拠チームは「ガノさん」がこよなく愛する「ホエールズ」「ベイスターズ」なのだが、「大魔神」で一旦記憶が途絶えてしまい、中畑清さん監督就任で一時的に応援モードに入ったが、最下位ばっかでやがて興味も薄れてしまった。我々がプロ野球観戦に訪れるのは贔屓のチームを応援するためではなく、青空のもとプロのプレーを楽しみ大歓声と共ににビールを飲むためである。ただ対戦するチームはどこでもよいが(片方はベイスターズだが)、選手名をほとんど知らないのが困ったことだ。「ガノさん」だけではなく以前から特定チームに一途のファンである人は結構周囲にいる。Kちゃんパパのオトウさんは根っからのカープファンだし、台場でご一緒したヤッさんはソフトボール大会で背番号9「カメイ」のユニフォームを身に着けてきた。知人の研究所のプロジェクトマネージャは「タイガースに非ずば人に非ず」と平家みたいなことを言っているし、親愛なる小夏師匠もドラ耳をお持ちのようである。

東京ドームにも横浜スタジアムにも本拠チームのオフィシャルショップがあり、応援アイテムからアパレル、お土産品、フィギュアなど多彩な商品がある。私にとってはウルトラマンワールドM78みたいなもので、ファンにとってはいるだけでワクワクするゾーンなのだろう。先日、IT関連の大きなイベントが幕張メッセで開催されて見学に行った時、帰りに駅までのルートに千葉ロッテマリーンズのショップのウィンドーのポスターを何気なく見て驚いた。(と言うより笑ってしまった・・・)ちょうどセパ両リーグの交流戦が行われ、普段は対戦しないセ・リーグのチームを招いているようで・・・
「虎ブル発生!本当に強いの?ハンシン半疑」「クロウいらず!?100倍パワーで白星がいとも簡単に!」「勝利との破局!鯉人たちの悲劇始まる!」「負のループにハマれ!さらば宇宙の星屑へ!」「宿命の再会!勝ち星だけはロッテにクルーズ!」「谷底に下り竜!なごやかにドラマチックにさようなら!」

      

ぎゃーっはっはっは!!セ・リーグのチーム事情に疎い私にはイマイチ分かりにくいものもあるが、なかなか挑戦的ではないか。相手チームを直接こき下ろすような野次はあまり気持ちのよいものではないが、まあまあこれくらいなら可愛いものか?他のチームでもこういったポスターの「エール交換」を行っているのだろうか?(小夏師匠が見たらお怒りだろうなー)私は個人的に偉大な記録を達成する時や「さすがプロ」という素晴らしいプレーに両軍ファンが惜しみなく拍手を送るシーンが好きだ。その昔、連続試合出場記録更新中の広島の衣笠選手にある投手がデッドボールをぶつけてしまった。むろん故意ではないが、自分の不注意で偉大な記録が途絶えてしまったら大変と思ったのだろう、投手は(たぶん真っ青な顔をして)帽子をとって深々と頭を下げたが、衣笠選手は「いいよ、いいよ」と言うように笑って手を振り1塁に走って行った。これを見た両スタンドのファンが拍手を贈ったのを見た時にすごく感動した。そんな美しいシーンを求めて今シーズン、久々にスタジアムに足を運びたいと思う。

三惑星の宴

2016-06-04 07:04:25 | ホビー
「ヤマトが月から火星へワープしただと?何かの間違いだろう」イスカンダルに向けて地球を出発した宇宙戦艦ヤマトに関する報告を受けてガミラスのデスラー総統が示した反応である。ここ数回の記事で書いているが、5/31(火)は2年2ヶ月ぶりにお隣の惑星火星が最接近する日だ。太陽系で地球のすぐ外側を回る火星は軌道が楕円なために地球との接近のしかたにも変化がある。今回の接近はいわば中接近で15年に1回の割合でやってくる大接近は前回が2003年、次は2018年だそうだ。今年の最接近時の距離は約7500万km、月までの距離(38万km)の約200倍、光の速度でも約25秒かかる。一瞬にしてワープしたと聞いてデスラー総統が驚くのも無理はない距離である。最近、火星までの有人探査がニュースとなり、数か月前妻と「火星に置き去りにされた宇宙飛行士が生き延びる」近未来の映画を見た。波動エンジンとはいかなくても、現在のロケットが出せる最高速度をもってしても感覚的には最短で到着までに数百日規模がかかる旅程となる。

映画のネタバレはできないが、地球から火星への旅行を考えると、軌道上の相対距離や燃料効率の関係で約2年2か月ごとに打上げチャンスがやってくる。そこから数百日かけて火星に到達するのだが、帰還のための打ち上げチャンスもやはり2年2か月ごとにやってくるので結局火星にも数百日単位で滞在しなければならず、総工程は数年レベルになる。物語中は置き去りにされた飛行士は自力で地球に帰還する術を持たないので、地球からの救助をひたすら待ち続けることになった。大気も地殻変動もない「無」の世界である月と異なり、火星の地表には大砂嵐や雷などもあるようなので、何年も前に火星を探索した「マーズパスファインダー」を掘り返して再稼働させたり、砂嵐の中に長い間置きっぱなしになっていた火星上昇機を再利用したり、そもそも地球の100分の1しか大気がないのにあんなすごい砂嵐があるのか?!など多少ストーリーに無理も見られるが、最先端の科学的根拠もふんだんに盛り込まれ、単なるSFではない現実感溢れる映画だった。「火星に生物は存在したか?」という論議も盛んだが、数億年という単位で見れば火星に地球と似たような環境もあったはずだと思うしその時は有名な「タコの八ちゃん」みたいな火星人もいたと信じているとともに、いつの日か人類が火星に居住を始める時がくるだろうと思っている。

さて、そんなロマンあふれる話とはあまり縁のない私はさしあたって前回惑星観察会をポシャってしまってから、虎視眈々と超兵器M20号を空に向けるチャンスを狙っていたが、早々にその夜はやってきた。残念ながら北側の空は雲に覆われ、北極星が見えないので、厳密に合わせることはできなかったが、三脚を置くマークにより大よそ赤道儀の極軸を合わせた。この極軸を中心に地球の自転に合わせて鏡筒と平行な支柱を回転させれば視野に入れた天体を自動追尾することができる。また本体コントローラには星空の位置を表す地図が内蔵されており、アラインメントと言って実際に望遠鏡の視野に天体を導入し内蔵地図とマッピングして合わせることにより、数万種類の天体を自動的に視野に導入することができるのである。我が家周辺のように夜空の明るい場所では星雲、彗星のように淡い天体は導入しても視野内でほとんど見ることができないが、惑星は明るいので月明かりがあってもすぐにその美しい姿を目にすることができる。まずは最も明るい木星を自動導入していきなり最高倍率にしてみたら、いつもの迫力ある太陽系最大の惑星とそれが従えるガリレオ衛星が眺められた。

冬のようにスカッと晴れてはいないから、淡い天体の観測には向いていないが、気流が比較的安定しているので視野に結ばれた像は綺麗だ。北極星に正しく軸合わせできなかったのと、装置の精度がイマイチなこともあり多少画像が流れるのが気になる。「まあ、これくらいなら撮影できるかな」私は超兵器整備計画で入手したCMOSイメージャーを装着しPC上で画面調整を始めた。風もなく画像も安定しているが、高倍率なので少し流れてしまうのと、台となっているウッドデッキが老朽化のため少し動いただけで画像がゆらゆらブレてしまいかなりの苦戦を強いられた。マウスを動かすだけで大袈裟にすると画像がブレてしまうので、キャプチャー時間中じーっとしていなければならず、かなり肩が凝った。いつもながら後から思うのだが、ソフトウェアの説明書を読まずにフィーリングのみで操作しているので、他にもっと効果的なやり方があるのかもしれない。

次に主砲塔を向けたのが接近中の火星だ。ネットで色々調べたがお隣さんということもあるのか、距離の違いが視直径の違いに大きく現れているのが分かった。また現時点では木星よりも明るく見えるかもしれない。最初に天体の撮影をした数十年前から「惑星の撮影」というのはかなり高難度な部類に入るものだった。我が家にある新しい(初中級程度の)天体望遠鏡で星を見ると言ってもちゃんと「面積を持って」見えるのは金星の満ち欠けと火星、木星、土星くらいしかない。3惑星揃い踏みというのはかなり観察の好機ということである。実際には星の弱い光を集める能力はレンズや鏡の口径にほぼ依存し倍率を高くすればよいというわけでもないから、書物やネットに投稿されている美しい画像に比べると「小さくショボイ」のだが、太陽系の惑星の生の姿を肉眼で見るいうのはそれなりに素晴らしいものだ。火星はいつも小さく赤黒あまり景気のよくない像に見えるのだが、さすがに接近中ということもあり明るく大きく見えた。

最後に観察しようとした土星の導入は意外にも困難を極めた。自動導入装置ではCMOSイメージャーの狭い視野の中までは入れてくれないので、鏡筒コントローラで手探りで微調整するしかないのである。時々さーっと像が横切るのだが、すぐに見失ってしまう。ようやく捉まえてもちょっと足を置く位置を変えただけでぐらぐらーっと動き視界から消えてしまう。散々動かした末にようやく視野の真ん中に導入し、ほとんど息もしない状態でキャプチャーボタンを押し続けた。観察開始してから約1時間、西の空の木星は雲に覆われ、それが広がって赤く明るい火星や土星までも飲み込んで行った。昼間は真夏のように気温が上がり紫外線も強く降り注ぐのだが、どうも夜になると雲が広がる天気模様のようだ。老朽化したウッドデッキを踏み抜かないように注意しながらM20号を撤収した。

さて星野や星雲などの写真は撮ってしまったらそれで終わりにする(本格的には色々と処理があるようなのだが)のだが、画像は動画キャプチャーされているから、専用のソフトウェアを使って、何百枚の画像の「いいところ」だけを取って「薄く重ね合せる」ことができる。コンポジット法と言って昔は露出時間の短い淡い像を何枚かとって、ホントにネガを重ね合せた。今は「どういう位置をポイントに重ね合せるか」「どんな画像を採用しどんな画像はボツにするのか」「それぞれの画像をどのような透明度で重ね合せるか」パラメータを決めると自動計算して静止画像を生成してくれる。学生時代に「X線回折による分析」で行ったのだが、たくさんの画像を重ね合せると、一枚一枚にある「ノイズ」という余計なトゲトゲ信号がなだらかにされ、代わりに共通する特徴が浮かび上がってくるのだ。



大元の仕入れ画像がショボイのか、パラメータが複雑で最適にしにくいのか、そもそも無料ソフトウェアのバグなのか作業はこれまた困難なものとなった。動画ファイルはあるので何回でも施行錯誤できるのだが、中々うまい具合にはいかないものだ。ネット上にある「パラメータ設定例」などをいくつか試したが、一番ましに撮れていると思っていた木星像ですら「子供の落書き」のような画像にしかならず、何度もPCがフリーズしてしまった。やっとの思いで一つそれらしいのが生成できると形に特徴がある土星にチャレンジしてみた。こちらの方が暗く難しいかと思ったが、リングがある分だけ位置合わせがしやすかったようで、そこそこの映像は半分くらいの時間で生成できたのだ。ちょうど1年くらい前「超兵器整備計画」編で掲載した二つの惑星に比べてあまり進歩していないようだなー。当時に比べて土星のリングは開き方が大きく見えておりこちらについても観測の好機ということだった。



最後は最接近した火星である。火星は距離が近いとは言え直径は半分くらいしかないので、普段は望遠鏡で見ても小さく赤くしか見えず、表面の模様も中々画像でとらえるのは難しく、「観察者泣かせ」の天体だったが、さすがに接近中で明るく大きく見える。しかしたまたま撮影した時の条件が良かったのか、そう苦戦せずにそこそこ模様の見られる画像を生成することができた。拡大倍率が同じだから夜空に並ぶ3つの惑星を並べてみたのと同じ具合の視直径になる。これらの画像は何となくそれらしくは見えるが、言わばたくさんの画像を合成したCGであり生写真ではない。画像処理技術のない私が行うと特に色合いについてショボイ姿になってしまうが、やはり生で見ると全然美しさが違う。我が家のおもちゃのような望遠鏡でもそこそこ素晴らしく見えるから、機会があったら天体観測所などの公開観察教室などで見ることをお勧めする。



自分が生きている間には惑星へ旅行することはおろか、宇宙に行くこともないだろう。しかしそれこそ波動エンジンでも手にいれない限りはすぐお隣の恒星に行くことはさらに絶望的である。一番近い恒星は有名なケンタウルス座α星、約4.3光年(1光年は9兆5000億km)だから、接近中の火星まで200日で到達する速度では約30万年くらいかかってしまうからである。どんなに大きくな望遠鏡を使っても恒星って点にしか見えないわけだ。それに比べておもちゃ望遠鏡で見ても美しい表面が眺められる太陽系の惑星とは実に親近感がある。火星接近を機会にもう少し工夫を重ね、すごい画像が得られるように努めてみようと思う。

ちなみにこの記事を書き終えた後、最接近の5月31日がやってきた。木星並みに明るくなった赤き火星は見えてはいたが、薄曇りで雲が多く、観測にはあまりよいコンディションではなかった。この記事に登場する画像は約1週間前に撮影したものだが、並べてみても大きさの違いはわからない。(むしろコンディションの違いが強く現れてしまっているな)

    

さらに昨晩、風が強いのが難点だったが、最近ではまれなくらい空が綺麗だったので再び超兵器M20号を稼働させた。風以外のコンディションがよかったから、これまでよりもシャープに撮れているような気がする。右上の赤く明るいのが火星、その左下の明るめの白い星が土星である。繰り返すが写真はショボいが実物を見るとホントに素晴らしく見えるものだ。最近すごいのは厚紙で簡易な望遠鏡を作成しカメラをセットするという「スマホ望遠鏡」が登場したことだ。今のスマホの機能は目覚ましく、ピント調整やズームもできるので苦労しなくても星の観察や撮影が楽しめるらしい。ここ1ヶ月くらいが三惑星を観察する好機である。天気の良い日が少ないのでチャンスを逃さずお楽しみあれ。

        

  



提灯で餅をついた行楽日

2016-05-30 07:04:55 | ホビー
先日の「幻の応援会」終盤に「望遠鏡で見てみたい」という要望が結構上がったので、せっかくなら火星最接近の5月31日までの休みの日でチャンスがあれば「観測会&応援会」をやろうとたまたま近所のデパートで開催されていた「九州物産展」で熊本アンテナショップからの名産品を買い込んでおいた。「馬カレー」「馬肉の生姜煮」「れんこん揚げ」「たけのこの水煮」などだ。とある週末の1日、月一でラウンドしているしんさんと河川敷ゴルフの後、彼のサーフィンデビューをお手伝いしようと誘っておいたのだが、天気は素晴らしくよいもののゴルフ場からネットで調べると肝心の波が全くない・・・初めてサーフボードを手に海に入る人にはあまり大きくない波がよいのだが、ここまでないと単に「浮かんでいるだけ」になってしまう。デビュー戦はまたの機会ということにし、帰宅して一人でボードを持って海岸を流し歩きしてみた。ところどころだが、たまーにヒザくらいの波がやってくるので滑ることはできるが、同じタイミングで10人以上が平行してテイクオフしようとするので、初めての人にはやはりちょっと危険そうだった。

少しでも波の来るポイントを探して会場を移動していると、浜辺の方から「おおーぃ、そこちょっと離れてくれよー」というがなり声が耳に入り、小さな子供たちの群れが見えた。振り返るとすぐ後ろに大きなブイが接近してきている。以前にもあったのだが、「地引網」を引っ張る2歩のロープの間に紛れ込んでしまったのである。「よりによって網の地引コースの波がいいなんて・・・」私は苦笑してコースから横に離れたが、しばらくしてもセットがくる気配がなかったので、波打ち際にボードを置いて網の獲物を見物に行くことにした。皆それぞれロープを引き、やがて一番奥の網が上がってくると漁師の揚げてくるバケツに集まってきた。何度か獲物を見たことがあるが、大量のシラスやヒコイワシの他に真鯛や黒鯛、カマスやスズキなどが混じっている。歓声が上がったのが巨大なエイである。新江ノ島水族館でしか見たこともないようなエイだった。尻尾に毒のあるトゲがあるから近づかないように言われていたが、調べるとどうも無くなっていたらしい。触らせてもらったのだが、サメ肌とは全然ことなり表も裏もぬーるぬるの不思議な感触だった。海から直接上がってきたのでバッグにあるカメラを持っていなかったのが残念だ。小一時間ほどで魚の分別が終わり、幅一ヒロもあるエイはどうやら海に逃がしてやったらしい。

再び地引網を抱えた小型船が沖合に出船し戻ってきた。1日に何組かの団体のイベントがあるらしい。子供の頃はもちろん最近でも地元の町内会などで何度か参加したことがあるが、実際水揚げしたもので食べられるのは生シラスとその天ぷらくらいで、ちょっと地元の「海の幸」というには寂しいものがあるものだった。しばらくしてさっきと同様にブイが接近してくると私は陸に上がり、あらかじめバッグからカメラを取り出してスタンバっていた。さっきと同じ漁師も今度は少し興奮していて「ここ数年で見たこともない大漁だよ。」見ると少し小ぶりだが、活きのよいアジが運搬用ケースを埋め尽くしている・・・実はあまり見なかったが、大きな群れが周辺にいるようで、その日は朝からアジの豊漁が続いたそうなのだ。上空は「お零れにあずかろう」というトンビが旋回し、小さな子供たちはカゴからこぼれ落ちた小魚を拾っては水の入ったバケツに入れて走り回っている。残念ながらその回は「エイ」がかかってはいなかったが、小さな子が水面で見つけたという小さな透明のイカを見せてくれた。(水槽で飼ったら面白いかも)

            

この後もサーフビレッジから江ノ島方面へ色々とポイントを転々としたが、水族館まで来てあまりにも波乗りにならなかったので、もはやサーフィンは諦め甘辛が中学生の時に職業体験でお世話になった釣り船屋でエサを買い込み家路についた。ボードに着いた砂や海水を洗い流し庭に陰干しするとバッグ内を携帯ロッドとチョイ投げセットに詰め替えてウエットスーツのまま再び自転車を漕ぎだす。日はまだ高く、着替えて出かけても選択モノが増えるだけだからである。今回は食事になるような「数を釣る」のではなく、「今どこで何が釣れるか?」を探る目的で河口付近から遡上することにした。1時間ほど移動しながら探ったが、仕掛けが引っ掛かるだけで何の反応もない。沖合でアジが大漁だったから河川でもチャンスかと思ったら全然そんなことはなかいようだ。「お兄ちゃん、何か釣れるかい?」「全然・・・何にも釣れませんねえ」ウェットスーツのまま竿を持っているから本格釣り目的には見えないのが幸いだった。日が傾きかけ、結構上流のほうまで移動してきたのだが、ただの一度も魚信らしいものはなく、リールを巻いて虚しく上がってくる仕掛けにはドブのような臭いのするドロが付着するようになってきた。「(今日は何やってもダメだなー)」夕方になって諦めて坊主のまま家に向かったのだった。

「オレんちの前の川、底にヘドロが溜まってるみたいだったよ。」「ふーん」あまり妻は興味もなさそうだったが、天気がこのままで夜まで続けば「惑星観察会」ができるかもしれない、と言ったら早速近くのお友達家族に連絡を入れていた。夜8時頃になると木星の輝きが目立ち始め、9時をまわると接近中の火星、そのすぐそばに土星が見えてくる。我々は宴会用の食糧・酒を買い出しにスーパーに繰り出した。天体観察と同時開催する「熊本応援会」用の物産は買い込んであったが、さらに「熊本産あさり」があったので妻が白ワイン蒸しを作ることになった。帰宅すると早速妻は宴会準備に入り、私は久々に出番となった超兵器M20号をウッドデッキにセットし始める。我が家の古い方のウッドデッキは劣化が進み、ところどころ板を踏み抜かないように「立入禁止:』ポイントができている。北極星に極軸を向けるために三脚を置くマークは辛うじてこれを避けてあるが、肝心のスコープをのぞくと何も見えない・・・何か雲行きが怪しいぞ、北の空から雲が広がってきたように見えた。

  

天気予報では確かに「夜になると雲が広がる」と言っていたのだが、午後6時の段階ではほとんど雲一つ無かったのに、こんな時に見事に的中しなくても・・・天体観察に興味のありそうだった「たまさん」ご夫婦が馴染みのお店で美味の焼き鳥を買い込んで来場した午後7時頃はもう空一面がどす黒い雲で覆われ、星空の欠片も見えなくなってしまっていた。庭にポツンと置かれたM20号を見て「たまさん」が興味深そうにしていたので、「この中に入っている小さな望遠鏡を使って、この軸を北極星に向かせてね。後は地球の自転に合わせて赤道儀が回転して星を追尾するんですよ。また中に星空の地図が入っているので、大方の星は自動導入できるんだよ。ちなみに木星は今、ここにあるんだけど」コントローラを操作して「ういぃーーん」と20cm主砲塔が回転し始めて夜空の一点を指示したが、そこには分厚い雲があるだけだ・・・たまさんはそれだけでも興味深々だったようだが、何とも虚しいデモンストレーションだった。。。いずれ雲の切れ間ができるかしれないので、そのままセットしておいたのだが、切れ間どころかポツポツ雨が降ってきたようなので慌てて撤収する羽目となった。

            

朝早く河川敷ゴルフから始まったが、昼前に帰宅してから「波乗り」「魚釣り」「天体観察」どれをとってみても「自然が都合よく条件を揃えてくれない」1日だった。火星最接近日は5月31日、また今年は土星の輪もかなり角度が開いていて観察するのは好条件らしい。以前も書いたが、恒久的なものの象徴に見える天体も観察する条件によってチャンスはごくわずかである。ここ数週間は星空さえあればM20号を稼働させ何とかあの美しい姿を見せてあげるか、せめて画像に収めたいものだと思う。うまくいけば紹介したいと思うが、今回の観察会もしかり、私はデリケートなタイミングに合わせるのがとても下手だ。仔細計画をたて満を持して臨むと大抵失敗するが、行き当たりばったりの結果オーライには強いので、毎日何気なく空を見上げ「ここ一番」は外さないようにしたい。

ところでその日はかなり長い時間、海水に浸かりっ放しだったのだが、減塩作戦遂行中の私にとって「海に入ると皮膚から海水の塩分を吸収してしまうのでは?」という小夏師匠の疑問はもっともだと思ったが、反対に「もしホントにそうなら世のサーファは皆高血圧で長生きできないじゃん・・・」とも思えたので少し調べてみた。結論から言うと二つの観点から「海に入っても、皮膚から海水の塩分を吸収することはない」ようである。まず師匠のおっしゃる「浸透圧」だが、理科で習ったようにこれは隣り合った水溶液の「濃度の差」によって起きる。海水と人間の体液の濃度はほぼ同じということらしいので、浸透圧による水分の移動はほとんど起こらないらしい。人間も太古は海水中にいた生物だから「羊水は海水(原始地球)と同じ塩分濃度・成分である」と読んだことがある。神秘的な話だが、都市伝説かもしれない。また「皮膚からの吸収」という観点からだと、「皮膚表面は皮脂腺というところから分泌される皮脂というワックスでコーティングされているので、海水中の物質が吸収されることはない」ようだ。

しかしこの話には「おまけ」があり、いわゆる洗剤やシャンプーなど「合成界面活性剤」は皮膚のバリアー機能を破壊してしまい、有害物質が皮膚から体内に侵入しやすくなってしまうことが知られている。また海水濃度も常に一定ではないので、条件によっては浸透圧から海水の塩分が吸収されてしまうこともあるかもしれない。私は今まで正直ほとんど皮膚のことなど気にしたことはないが、「肌が重要」の女性たちの化粧品などの世界では皮膚の状態というのは盛んに論じられているから勉強になった。しかし海水浴で「塩分吸収の危険」を報じる記事は見当たらないから量的には恐れることはないようだ。どちらかと言えば、パーリング(テイクオフに失敗しボードとともに海の藻屑になりかける)などで溺れかけて、直接海水を飲んでしまうことの危険の方が多そうだ。。。