超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

行列の心理

2010-03-31 21:57:25 | 職場
誰でもある程度はそうだと思うが、私は長い列に並ぶのがきらいだ。ただし最もきらいなのは「列のない肉屋のウィンドー」だが。。。
長い時間並んでも苦にならないのは、一般的にはお目当ての「お気に入り度」を表しているのだと思う。
しかし、何時間もかかる長蛇の列に平気で並んでる人を見ると、そういう一般的な心理とは違うものがあるとしか思えないときがある。

私は気が短いわけではないが、自分の貴重な時間が「順番待ち」などで浪費されるのになかなか耐えられない。
昔の後楽園球場のチケット売り場のように、前の晩から泊まり込みで並んでもそれは「席取り」であって、販売が開始されればすぐに自分の順番、というのは理解できる。
しかしはるか先頭がどこにあるのかも分からず、ちょっとずつ動いて時間内に入れるかどうか、商品をGETできるかどうかも分からない絶望的な状況下で並び続ける心理がどうにも理解できない。

今回は行列について考えてみよう。

●遊園地で人気のアトラクションに乗るとき
ディズニーランドではファストチケット制というのがあるが、普通に並ぶとどの乗り物も最低1時間は並ぶことになる。
最近はあまり行かないが、昔年に何回か訪れたファストチケットが無かった頃は並ばなくて入れるヤツばかり行った。
もう無くなってしまったかな?「ミッキーマウスレビュー」と「カントリーベアジャンボリー」と「アメリカンジャーニー」の3つだ。いつ行っても「待ちなし」で入れたぞ。
富士急ハイランドの「ええじゃないか」「FUJIYAMAⅡ」はだいたい2時間待ち。「ドドンパ」が1時間待ちだったので並んで乗ったが、乗っている時間はわずか60秒。。。

●昔のスキー場のリフト待ち
今ではスノーボードとともに総人口は減ってきたらしいが、サンデースキーヤーだった我々が行く土日のリフト待ちはすごかった。ゴンドラやクワッドリフトになるとやはり1時間は並んだ。困るのは途中で出られないことである。
1日券では元がとれないほど混んでおり回数券にするとか、昼間はゲレ食でゆっくり飲み、ナイターで勝負するという熱血時代もあった。
吹きっさらしの車山高原で1時間待ちでクワッドリフトに乗り、TOP360°(てっぺん)に上る途中で正面で人工降雪機が唸るデンジャラスゾーンでリフトが止まってしまったときは「あんまりだ」と思った。

●食い物屋の行列
店主がテレビでも割とお馴染みだった「しなそばや」というラーメン屋は近所にあり、いつも行列ができていた。一度だけ1時間ほど並んで入ったことがあり、確かに旨かったが店主を筆頭になんか「エバって」おり再び行くことはなかった。ランドマークプラザの「コールドストーン」というアイスクリーム屋は真冬でも長蛇の列ができている。
昼休みに同僚が「用事があって新宿高島屋タイムズスクエアに行く」というので、名前だけ知っていた「クリスピークリームドーナツというヤツを買ってきて」と頼んだら、悲しい顔をして「これから行っても2時からの会議に間に合いません・・」
アイスやドーナツにそんなに並ぶのか?!・・・夜の9時頃帰りに寄ったら確かにまだいーっぱいたぞ。。。




●目的地への入場
正月の鶴岡八幡宮はロープで仕切る参拝制限で鎌倉駅から参道を並ぶこと1時間半、都市対抗野球の東京ドームも入場ゲートが1か所に絞られたため1時間以上かかって入場した。
小中学生のときに劇画「宇宙戦艦ヤマト」を見に行ったときは、長蛇の列が映画館を十重二十重に取り巻いた。
しかし、なんと言っても最もすごいのが「ポケモンセンター横浜」オープンの日。お友達家族が覗いたらしいが、なんと最長8時間!10時に並んで入店が夜6時か?!ありえねえ。。。

盆暮れやゴールデンウィークは何十キロ高速道路が渋滞していてもがまんして出掛けちゃう日本人だからもう長時間並ぶのには慣れてるのかな。
朝、出勤するときに駅前の大型パチンコ店の前に長蛇の列ができているときがある。どうも入場整理券をもらうためなようだ。
時間と金を無駄にする(と個人的には思う)最たるもののパチンコにさらに「並ぶ」とは恐るべき人々だ。

目的を遂げるために2時間以上「並ぶ」という行為は、その目的に対する「お気に入り度」や「思い入れ」、「暇さ加減」の他に何か特殊な集団心理が働いているような気がしてならない。
長い列を見ると並ばずにはいられない生物学的根拠とか、「もうこうなりゃ自棄だ!」とか人間ウォッチングとか。。。
私が唯一理解できるのは、「目的なんかどうでもよいから一緒にいたい人といる」とき、つまり恋人どおしである。

「家族」ではちょっと厳しいな。ホントはいつか離ればなれになる日がくるかも、と思えば貴重な時間なんだが、普通はいつも一緒にいるので空気のようなものだ。つまり一人と同じだ。
長時間並んでGETした根性と話のネタ性に敬意を要求するケースも少し理解できる。アイスクリームやドーナツにあまり興味がないから何とも言えぬが、明らかに「ガリガリ君」でも「ミスド」でもいいじゃんか・・・
と、半分負け惜しみ的に思っていたら、驚くべきひょんなことから「クリスピークリームドーナツ」を食する機会を得たのだ。

年度末の転勤の季節。。。同じビルだが違う部署に異動していく我が職場の同僚が、いつか食堂で昼飯を一緒に食っている時に「一度は食ってみてえもんだな」といった私のつぶやきを覚えておいてくれたのか、朝出社したときに買ってきてくれたのだ!
う。う。う・・・なんていいヤツなんだキミは。。。

「夜、帰りに寄ったらすげえ列だったけど、並んで買ってくれたの?」

「朝8時半頃に行くとすいてるんですよ。二人くらいしかしませんでした」

惜しむらくは、前夜の別の人の送別会で浴びるほど紹興酒を飲み、赤い顔でほおばったのでちゃんと味わえなかったことだ。(カラフルなやつはとても食べられる気分じゃなかった)
やわらかーい食感だったような気がする。。。

  

網代のペンションへ行く

2010-03-29 22:05:56 | 旅行お出かけ
3月最後の土日、天気はまずまずの予報だった。先週は雨ばっかだったからな。。。
2月末の平日に超久しぶり大型旅行を敢行した我が家であったが、「1泊でいいから温泉でも行きたいよね」とチャンスを狙っていた。
日曜日は息子甘辛のJリーグ前座試合&観戦が午後からあるので、近場なら何とか行けるかも、とゲリラ的な小旅行を企画した。

妻が「ドタキャンを埋め合わせる」とくとく値段のプランを探しだし、我々は10数年ぶり、息子甘辛は生まれて初めて「ペンション」というものに宿泊することになったのだ。
それにしても「ペンション」というネーミングすら忘れかけていたが、いったい何をもって民宿でなく「ペンション」とするのであろうか?
網代なんだけど、一応「伊豆のペンション」だ。私のイメージから民宿との定義の違いは・・・・

1.脱サラした中年夫婦とバイト一人で運営しているのが「ペンション」、由緒正しくはないがむかーしから家族で運営し、小さい子供(孫)がいるのが「民宿」

2.庭にはハーブや果物の木がなり、必ず自家製ジャムがあるのが「ペンション」、庭には洗濯物が干してあり、必ず自家製漬物があるのが「民宿」

3.ご主人をオーナーと呼び、オーバーオールを身に付けて出てくるのが「ペンション」、ご主人がいるかどうかは不明でおばさんがエプロンで出てくるのが「民宿」

4.出す時に名前を聞かないと正体がわからないソースと山菜が出てくるのが「ペンション」、トンカツや海老フライなど必ず揚げ物がついてくるのが「民宿」

5.食堂に両手を使ってぐるぐる回すサッカーゲームがあるのが「ペンション」、魚拓と剥製が並ぶのが「民宿」

まあ、こんなとこかな。カップルや女性どうしで来るのは「ペンション」が多いと思うが、家族連れも最近は増えたらしい。
違いというのは単に「和風」か「洋風」かだけなのかもしれないな。。。。
あと、民宿は「小林」とか「布村」とか苗字が多いが、ペンションは赤面するようなネーミングが多く、「パウエル」とか「ルイス」とか言うネームはまず見られない。

網代というのはかなり渋いが、あの辺ではもう少し先の「伊豆高原」がペンションのメッカなんだろか。ずいぶん前に何度か訪れたが、他とはちょっと違った雰囲気のエリアなんだよな。
軽井沢とかを目指したのかもしれないが、長ーい不景気で結構厳しかったと思われる。シャッターペンション街になってないだろな。
今でもありありと覚えているのは、あのあたりで●●博物館と名が付くものに入ると間違いなく「やられる」ということ。
1000円くらいの入館料を取り、15分で見終わる。。。別名「カネ返せエリア」だったぞ。

さて、久々に暖かい陽気となった土曜日、普段だったら早ーく出発して「あれやって、これやって」というのが普通の我が家だが、甘辛はそろそろ成長期なのか10時を回っても起きてこない。
私も前日の送別会で、それなりには疲れていたので珍しく昼頃までぐずぐずしていた。
この時間になるとこの地方の道路は滅茶苦茶混んでいて、大磯港で西湘バイパスに乗るまで45分もかかってしまう。。。

昼食は小田原インター降りたところにある回転寿司に行こうということになった。寿司兵衛という地魚を多く扱う店だったのだが、あじわい回転寿司「禅(ZEN)」という店に変わってしまっていた。。。
回転寿司ビストロとも呼ばれフレンチ製法も取り入れた多くのメニューの豊富さが「売り」で雑誌でも取り上げられた有名店なんだって。
イベリコ豚の燻製が店頭にぶら下がっており、バーニャカウダ、ベルギービールなんてのもある。各国のビールやワインが揃えられ、「夜来てみたい」雰囲気の店だった。

ネタもよさそうだが、値段もそれなりに張るようだ。タラバガニなんて一皿945円!(回転寿司の値段じゃないよ・・・)
こんなところで「うまいものなら食う」子供にフルパワーで注文させたら破産する。。。ところが幸いに息子は起きた後遅ーい朝ごはんを食べてきた直後だったので、「全然ハラ減ってねえ」らしい。
貝好きの彼の注文は「地アサリの酒蒸し」のみ。それに祝・禁輸回避マグロのブツ切り三昧とテールステーキをつまんだにとどまった。

我々は普段食べない「回転寿司では珍しいもの」を次々に注文した。(撮影する勇気がなかったので談話のみ)
地魚三昧(トビウオ、イサキ、ホウボウ)、カワハギ(肝付き)、シマアジ、キンメダイのあぶり塩、ヤリイカ姿、
朝獲れのアジ、生シラスなどなど・・・
鴨料理とかおいしいチーズ、ドイツ直送ソーセージなんかもあり、店内は洋風居酒屋にも見えた。やっぱり今度は夜こよう。。。

真鶴、湯河原、熱海と到着までずーっと海沿いの道路だからドライブには最高の陽気だ。うーっ、釣りがしてえ!
網代港に着いたが、直売の干物店はすでに終わってしまっていた。




メジナ釣りの新スポット南熱海マリンホールまで行って、芝生で1時間ほどサッカーの練習を行い宿に向かった。
宿は熱海の下多賀という、少し海から上った山の上にある。

風呂は2か所あり、ジェットバスと露天風呂を家族で貸し切って使うことになる。大きくはないがなかなか暖まるよい風呂だ。
周辺に果物の実がたくさんあったせいか、鳥(たぶんヒヨドリ)が露天風呂でも飛びこんでくる。
食事まで時間が無かったので、さーっと出てきてしまったが露天風呂はゆっくり入りたいところだった。。。




夕食は「ペンション」らしくコース形式で手がこんでいる。魚介好きの我が家らしく妻は洋食には掟破りの「刺身盛り合わせ」を頼んでおいたらしい。
一人1000円くらい、と言ったらヒラメの活き造りを中心にサザエ、アマエビ、シメサバ、ホタテ、マグロ、カンパチ、ヤリイカ、ホタルイカにトドメは生シラスの超豪華10点盛りだ。




洋風の魚料理はサワラ、肉料理は鳥だったが、どれもちょーっとビネガーが強いかな。ライスは美味しかったが。
息子甘辛はもっぱら刺身でごはんを食っていた。

  

星空がきれい・・・と書いてあったので、203号のバルブ機能の威力を試すときと思ったが、残念ながら月がかさをかぶっていた。
部屋に置いてあった訪れた人の思い出ノート(そうだ!ペンションはこの手のアイテムがあるんだった)を眺め始めた。
この辺はパラグライダーができる教室があるらしい。はるか遠方から挑戦にきているぞ。

甘辛は翌日、午後から横浜の三ッ沢競技場でJリーグの前座試合に出るので、ゆっくり周辺観光はしておれぬ。
朝食を食べて庭へ出ると、色々な木があったが、グレープフルーツが鈴なりになっているような木があり、何の果物なのか尋ねたらなんとレモンだという!
確かに上のほうを見ると真緑の小さいヤツはまぎれもないレモンの姿だ。放っておくとこんなにでかくなるの?!

 

もうちょっとゆっくりしたいところだし、釣りもしたかったが魚も美味しかったし久々に結構くつろげた。
帰りには熱海港で朝市をやっており、好物のサバの干物(塩とみりん)、小型のキンメダイ、スルメイカの干物、精米したての米を購入して、一路横浜新道へ。
るるぶ地元情報誌(無料)版を見ると、あのあたりでワンルームマンション(築35年だけど)が200万円程度。。。毎日温泉に入れて釣りにサーフィンの娯楽三昧に海の幸王国。
うーむ。。。老後を過ごすには悪くないところだなー。


祝!クロマグロ禁輸回避

2010-03-26 23:38:39 | 食べ物
先週、ズームインで「ワシントン条約国会議でクロマグロ禁輸案が否決された」と報道されていた。
普段、国際条約などに興味がない我が家もこの件は「採決される日」を知っているくらいの関心はあった。
「クジラはもともと縁があまりなかったからいいけど、マグロが食えなくなるのは寂しいなあ・・・」というところだった。

子供はむろん肉も好きだが、我が家は総じてかなり魚介系家族だ。おかずがハンバーグと聞いても私は会社帰りに平気で「イカ刺し」を買ってくる。
行きつけの魚屋では普段6点盛りに加え、ヒモ付きのホタテやマグロのいいのがあるとサクで購入し食卓に並ぶ。私のリクエストもあるが、土休日はこのメニューの割合が多い。
3月11日に生シラス漁が解禁になったから、これからまた楽しみが増える。。。

おーっと、ついよだれが出てしまった。。。マグロの話に戻そう。
両親が「きときと魚の国」富山出身の割には私は幼い頃、生魚と言えば「マグロの赤身」しか食べなかった。
寿司にしてもメジャーネタであるイカ、タコ、エビなどを食するようになったのは中学生になってからだ。シラスとアジの干物以外はあまり食卓に上らなかったので興味が無かったと言ってよい。

結婚後、年齢を経るに従って急速に魚介喰いに変貌した。食生活は結婚後、妻の影響もかなり多い。
数年前までスルメイカが豊漁だったのか、1杯100円くらいでおいしく食べられた。(今はびっくりするほど高くなってしまったが)
最近はホタテが仲間入りしたが、どうしても食べたいときの常備品としてイカは冷凍ストックされていたのだ。

ホントは違うんだと思うが、これらの魚介はもともと「味のしきい値」が低い私は冷凍保存のものでも全然OKだ。
神奈川の県魚(ウソ)、アジなんか100円の中型を妻が「たたき」にしてくれるだけで、日本料理屋で食べるほどの満悦が得られるのだ。マジでうまい!
息子甘辛もリトマス紙のような鋭い味覚チェック機能を持っているようだが基本は変わらない。

しかし、サクで買うのはほとんどマグロだけだから、これに限っては自然と味のちがいがわかるようになった。
以前「どれも大したことがない。。。」とかけてしまった、近所24時間ストアの6点盛りだが、マグロの赤身は一見よい色をしているのだが、息子に言わせると「味がねえ・・・」
妻によると「解凍のしかたがよくないのだ」と言う。見た目は鮮やかな赤色で鮮度よさそうなんだがなー。

解凍のしかたまでは見抜けぬが、鮮度やスジの有無など細かいところまでチェックするようになってきたぞ。。。
また、脂がのっていい感じに光っているが、ただスジが多くて味がよくわからない「なんちゃって中トロ」も見抜く眼力を得た。
昔はたまーに海岸道路で三崎港まで入って1本1000円くらいのサクを買いに行ったものだが距離の割にはものすごーく時間がかかるので、最近は行き付けの魚屋で済ますようになってきた。

さて今回の裁決だが、(そもそもなんでモナコの提案なのかよくわからないが)当初かなり危機的な状況であったのが、結果は大差で否決、日本の関係者がギリギリまで関係各国に工作(説得と言うべきか)を続けているのがニュースで報道された。
結果は我が家にとってうれしい限りなので、関係者を称賛したいが、アフリカのある国の関係者がインタビューで

「マグロ(Tuna)も出たよ。生まれて初めて食べたけど、おいしかったね」

とコメントしているのを見て、「もしかして得意の接待攻勢?!」と思ったのは私だけだろうか・・・
ワールドワイドでも普通のサラリーマンと同じようなことしてるんだなー。
今回の逆転否決はマグロ漁だけでなく、漁獲を重要産業とする各国が「他の魚にも類が及ぶのを恐れた」結果ではないかとニュースではコメントされていた。

クジラが調査捕鯨でしか獲れなくなったので、ほぼ日本の食卓や居酒屋メニューから消えてしまって久しい。
一時期流行ったグルメマンガ「美味しんぼ」では捕鯨禁止協定は不当である、みたいなことを主張していた。
ある国の人達の食文化をワールドワイドに議論するのはたぶんものすごく難しい。

世界のクロマグロの80%を食べているのが人口2%の日本である、というのにまずは驚きだ!私は米と味噌汁以外のマグロが「日本の食文化だ」と聞くと若干の違和感を感じる。
コアラにとってのユーカリ、ジャイアントパンダにとっての笹の葉とは違うので、「日本は豊かで食べ物がたくさんあるんだから、一品くらい食わなくたっていいでしょ」と言われると反論しにくい。
マグロが激減又は絶滅してしまうと、食物連鎖する生物に影響が出て沿岸国に影響が出る!と主張する人達をよく説得できたものだと思う。

一連のニュースを見て私はなんの根拠もないが、こんなことを感じていた。
地球(自然)の摂理みたいなものがあって、「食べるために獲る」だけならマグロはいなくなることはないような気がするのだ。
「生き物の食べ物は生き物」なので、長ーい目で見ればバランスみたいなものがあるんじゃないか?

小島よしお風に「何の意味もない」だろうが、私は「食べられない」魚釣りはしない。釣った魚は(食べられるなら)必ず食うのがポリシーだ。
だからバスフィッシングにあるようなキャッチアンドリリースというのはどうも認められない。。。自身の娯楽のために魚を傷つけるだけのフィッシングは「自然の摂理」には反するような気がするのだ。
同様に動物を撃って、剥製にするようなハンティングも好きになれない。射撃して的に命中する手応えを楽しむなら「ハウっ」って言うと皿が出てくるヤツをやればよい。

世の中には色んな職業があって、そういう私が個人的にあまり好きになれない「娯楽」に関することを生業としている人もいるから、単純に無くせ、とかいう話にはもちろんならないが。
というわけで、むろん1秒で論破されちゃうと思うが、このクロマグロ禁輸問題に関する私の私見は

「少なくない国民が広く食しているクロマグロは食べるために獲られている限り、十分資源管理されていれば禁輸にすべきではない。しかしクロマグロを剥製にしたりその皮を使ってハンドバックにするなど単なる嗜好のために乱獲されるようであれば、ただちに禁輸にすべきである」


    


今日の送別会(私向けじゃないよ)にも、マグロの刺身はいつもと変わらず姿を見せるであろう。。。よかった。

水の不思議

2010-03-25 06:35:24 | スポーツ・健康
行きつけのフィットネスクラブで前から「バイオメトリクス」というダイエットプログラムがあって興味を持っていた。
4週間で5万円以上するので、見るだけだったが平均すると「ウエスト-4.4cm」「体脂肪-3.2kg」という羨むべき効果があるようだ。
私は自分自身はダイエットが必要とは思っていないが、こういうプログラムそのものが面白そうなので、パンフレットだけもらっておいて、誰かがやっているのを横目にしてやり方だけパクろうとしていた。

ただ高額(なのかな?)なプログラムなだけあって、なかなかトライする人がいない(かあるいは私のいる時間にやっていない)ようだった。
そのうちにジムのスタッフが体験してレポートするようになり、一般の1週間体験版プログラム(3150円)も設けられた。
そのうちに少しずつトライする人が出てきたのか、「体験談」なる張り紙なども現れ、さらにミニ版2週間プログラムも設けられた。

簡単に言うとこのプログラムは「筋力トレーニング」「栄養のバランスのとれた食事」「新陳代謝を良くする水の摂取」からなる。
食事については日替わりメニューをレシピに従って自分で作る「チャレンジコース」とレトルトが宅配される「レトルトコース」がある。
私の経験では「レトルト」と言うのはどれも同じようなクセのある味がするので4週間はちょっと持たないように感じる。

このプログラムは「筋力をつけて脂肪を燃焼させる」ことに重きを置いているようだ。有酸素運動はなく1週間3回30分程度の筋力トレーニングを専任トレーナーがついて行うことになる。
私は会社帰りに寄るのが週に2,3回、1回の運動量は1時間くらいだからずいぶんヌルいプログラムに感じるだろう。
そして何と言っても驚いたのは1日に飲む水の量だ。体重の1%×4。。。私なら約3リットルである!

1日にペットボトル6本なんてホントに飲めるのか?!約3kgを意図的に増やすことになり、いかにも「水太り」になりそうな気がするんだけど。
しかし説明では「水は飲まなきゃ痩せられない」言いきるのだ。専用の水のようだが、魔法の水でもあるのかな。
水が身体に大事だというのは最近聞いて知っていた。高校時代は炎天下の部活で「水は飲むな」と言われたトラウマでかなり罪悪感からの抵抗はあるんだが。

そんなことを書いているうちに、以前愛読していたブルーバックスか何かで「水の話」を読んだのを思い出した。
私達は普段何気なく当たり前のように飲んだり使ったりしているが、宇宙的に見ると「極めて異常な物質」というものだ。
中学時代はその響きだけから「理論物理学者」を目指していた私は、この手の話(あんまり関係ない?!)をスルーできないので、記憶をたどってみた。
ほぼすべての理由は水に水素結合という構造があるからだったはずである。

その1 氷になるとでかくなる
世の中に色んな物質があるが、個体になると体積が増えるのは水の他はたしかビスマス(金属)しかない。
ある本には多くの生物がこの性質の恩恵を受けているという。凍ったこと(固体になること)により、体積が減ると密度が増えるから氷は沈むことになる。すると池の水は底のほうから全部氷になってしまうから、生物が住めないというのである。

その2 比熱(今では比熱容量と言うらしい)が異常に大きい
蒸発させたり、凍らせたり。。。水温を変えるのにすごく熱量が必要だ。簡単に言うと「熱しにくくて冷めにくい」。
火力発電も原子力発電も水を高温の水蒸気流にしてタービンを回すそうだから、そのまま回す水力発電よりは理に適ってないかもしれないな。

その3 似たような構造の化合物(なんとか2かんとか)に比べて融点が異常に高い
H2OでなくH2Sだとマイナス何十度と極めて低かった。つまりこの特性がなかったら、地球上の水はほぼすべてが氷になってしまい、生物は住めないことになる。

その4 色んなものを溶かすことができる
気体(酸素など)、液体、固体問わず、様々なものを溶かしこむことができる。「砂糖のようには溶けないじゃんか?」と思われる金(Au)ですら、海に溶けているヤツを集めると世界中の人々が億万長者になれると聞いたことがある。
魚だって酸素が溶け込んでいるからエラ呼吸できるんだもんな。

その5 表面張力が異常に強い
これはダマになる力である。昔ブッシュマンが葉っぱに貯まったダマ状の滴を集めて水分補給しているシーンを見た。
網細管現象というやつだ。これによって植物は水分を吸収でき、地表に降った雨がどんどん重みで深く染み込んでいかないのだ。

たしか孔子が「君子は水を見習うものだ」と水を礼賛している漢文を呼んだことがあるし、ヘウレーカの国 古代ギリシアでターレスという学者は「万物は水でできている」と言ったはずだ。
紀元前の同じような大昔だったと思うが、洋の東西を問わず現代でも超有名な学者が既に「水の本質」に迫っているところに人類の英知を感じる。
この不思議な水で身体の60%以上が構成されているのが人間だから、「水」がすべての健康維持の基本というのはわかるような気がする。(1日4リットルはどう考えてもつらいが・・・)

惑星に存在する物質としてはメタンガスやアンモニアが比較的標準的で「水」というのは珍しいらしい。
宇宙の平和を守るべく奔走する宇宙警備隊、構成員であるウルトラ戦士の体組成は宇宙じゅうを飛び回るために「宇宙標準に近い」としたら・・・恐らく地球上で戦うに「水」は極めて危険な物質であるはずである。
「水がない惑星」が普通で、ジャミラのように水には全く弱いのが宇宙生物のマジョリティだと思うのである。

さらに一つ不思議に思うことがある。以前、はっきり言って肥満している友人の体脂肪率が35%というのを聞いたことがある。
「そんなはずねえだろ!人間の70%近く水なのに35%が脂肪だったら骨がねえってことになるじゃんか!お前は軟体動物か?!」
でも実際の話で、女性では40%を超えることもあるという。いったいどういうからくりなのか。。。

バイオメトリクスだけでなく、今様々なところで「水」の重要さが主張され、色々な種類の飲み水が市販されている。
高額のなんとか還元水という水を公費で飲み続け、命さえも失った政治家もいたが、それほど重要だという意識が強まったのだろう。
色々な分野で世界ランキング(別に気にしなければよいのだが)が低迷の一途をたどっているわが国も、「安全でおいしい水がいつでもタダで飲める」と言う点では世界一なんだろう。
だいぶ減ってしまったかもしれないが、小川や自然の湧水を飲める場所が少しずつでもよいから増えていってほしいものだ。

 

鳥を呼びたいときは「水」を置いておくのだそうだ。3連休はよいお天気だったが・・・最近、雨ばかりだなー

卒団の日

2010-03-21 20:24:51 | 少年サッカー
息子甘辛の卒業式の翌日は卒団式だった。(この時期は「最後ラッシュ」だなー)
彼の所属するサッカー少年団はだいたい小学校ごとにその校庭をホームグランドにして市内に30以上ある。
これらの少年団は普通小学1年から最高学年まで希望すればホームとなる小学校児童でなくても自由に入団することができる。

以前も紹介したが、甘辛のチームは彼が卒業した小学校をホームとしていない。
彼は低学年のとき、別のチームにいたが「より強いチーム」を目指し、自分で練習に通える区域内で、最も強いチームを選んだのだった。
その意味では「よそ者」ではあるが、暖かく向かえもちろん分け隔てなく厳しく指導してくれる。

最高学年である今年度はAチームとして最も忙しかった。土日でオフとなったのが数えるくらしかない。。。
ということは、大抵見に行っている私達も付き合っているということだ。
最後の県大会が終わったのが2月半ば、平日思いきって休みをとり、ようやく南の島へ行くことができた。

学校での接点は運動会とか授業参観とか定例行事だけだから、圧倒的に息子と共有している時間は少年団の活動が多い。
甘辛は一人っ子だから、クラスメイトの他にかけがえのないチームメイトがいてよかった。
実はこの他にも市選抜とかアドバンススクールとか実に多くのコミュニティを持っていて、いたるところで声を掛けられる。
一緒に街を歩いていると、「ねえ、今の誰?」というシーンが多くなった。

さて、卒団式は第1部がグランドで下級生団員との「はばたこう会」、第2部は会場を変えて指導者、卒団生、親との懇親会だ。
卒団するAチームと1、2年生チーム、3年、4年、そして4月からAチームとなる5年生とゲームを行い、親チームと指導者チームと戦う。
これを2ラウンド繰り返すがAチームはずぅーっと出ずっぱり・・・卒団の洗礼みたいなものだな。。。

1、2年生との試合は6年生4人を相手に20人・・・ライオンの狩を群れで守るねずみのようだった。
3年生、4年生くらいでは少しは蹴れる選手がいるので、7人くらいに増やし、5年生のCチームとはほぼ同人数で戦う。
みんな楽しそうな顔して走っているぞ。普段下級生とはほとんど試合とかはしないからこれもいい思い出だよな。みんな県大会応援来てくれたもんな。

  

「一緒に蹴れる最後の機会だからぜひ・・・」と親にはメッセージがあった。
私はむろん出場するつもりだったが、怪我が怖いので実はグランドに行く前に甘辛につき合わせ、庭でウォーミングアップをしていた。
いつも見ているだけで甘辛にやらせるトレーニングを始めたが・・・「コイツ、こんな難しいこといつもやってんのか!」ウォームアップで早くも怪我しそうだ。。。

保護者チームとの試合は母親達も混ざって「何でもあり」に近かったが、結構みんな真剣にやっていた。妻は間近でプレーを見るのは初めてだろう。
「甘辛!母ちゃんはここよ。ここへパスね!」
ゴールキックで妻が声を掛けると皆大笑い・・・和やかな雰囲気だなー。

ところが次の瞬間、矢のような弾道のボールが妻をかすめていった。。。
「まともに当たったら、息できなくなるよ・・・」他のママに囁かれていた。
私は一騎打ちができるポジションにできるだけいようとしたのだが、悲しいかな昔の血が騒ぎ、走り回らずにはいられない。。。

私のスルーパスがゴールラインを割ってしまい、甘辛のゴールキックだった。
前線にいる私の頭の真上を飛んでいったが、ものすごい玉筋だった。
「あいつ、こんなボールが蹴れるようになったのか・・・」

子供の動きに追いついていけず、ペナルティエリア内で手を使っちゃった親がいた。当然PKだ。
選手達は大はしゃぎだったが、キッカーに指名したのは中学受験で先月まで休団していた●ノちゃんだ。
「行けー!●ノちゃん!」甘辛はこのチームに来てホントに良かったと思った。

試合が終わると、センターサークルに下級生の団員が並んで、卒団生を中心に囲み、それぞれのチーム代表からメッセージが贈られる。
3年生と5年生の代表なんて感極まって泣き出してしまって、なかなか言葉にならなかった。
5年生代表のR太選手はずば抜けた能力で5年ながら県大会を共に戦った大事な仲間だ。
最後の平日練習では「オレ、泣いちゃうかもな・・・」と言っていたらしい。。。

物事に感動することがあまりなく、何事にもドライだと言われる現代っ子で、こういうちきに素直に泣いてくれる子がいるというのは素晴らしいと思う。
そして卒団生から下級生へのメッセージを返す。
甘辛はやはり「ないと思っていた」最後の県中央大会進出の思い出を語っていたが、
「神奈川ベスト16になれたのはうれしかったが、やはり大会に出場するなら優勝しなければ意味がない」と言い放って来年に託していた。

第2部は始めから泣き濡れた人もいる会だった。監督も奥さんも、指導者も・・・
ホームの地区内では幼稚園から通算7年という選手もいるから、「あんな小さかった●●が。。。」と感無量の人が多かったんだろな。
それにしても監督の奥さんコーチはホントに素晴らしいものを贈ってくれた。

卒団アルバムなんて、個人ごとに編集してくれていて、拍子のセピア色の写真を見ただけで泣きそうになった。。。
皆がひとりひとり思いを語り、これまでの歩みをDVDにまとめ、選手一人一人にプロのようなタイトルがつけられた。
監督の奥さんは指導だけでなく、このチームの運営にずうーっとそれこそ粉骨砕身がんばってくれたのだ。最後に背番号で選手を呼んで思い出を語ったときは堪らなく切なかった。

甘辛は4年生の夏からの入団だったが、1、2年生からこのチームは実に多くの業績を残してきた。
驚くべきことに最後にトロフィーや賞状を分けてくれるのだが、一人ふたつくらい持って帰れるのだ!すげー。
甘辛は昨年夏、死に物狂いで優勝した市民総体の楯をGETしていた。

途中からの入団だったが、このチームを選んでくれてホントに息子には感謝している。
むろん暖かく成長させてくれた指導者やチームメイトには言葉もない。。。
最後にみんなでやったホイッスル前の円陣、「ルーキーズ」のパクリ、「GO!●●GO!」は忘れないぜ!みなさんありがとうございました。

卒業の日

2010-03-20 09:43:30 | 出来事
息子甘辛の卒業式に行った。卒業生は190名。約30年前の私の頃とあまり変わりない人数だが、少子化が進む昨今では驚かれるほどの数だ。
この辺は今だに若者人口が増えつつあるからな。人気があるのかな。

卒業式は体育館で行われるが、全校生徒は入りきれないので1年生から4年生は朝一に校庭でお別れ会をすませ、5年生が代表して式には出席する。
体育館の壇上は使わずに、親たちと向かい合う格好で着席する他はいつものスタイルだった。
5年生の大きな掛け声で卒業生が入場する。

昨晩、前祝をしながら「どんな気分か」尋ねたら、先日のリハーサルで感極まって泣けてきたらしい。
彼はかなり涙もろいところがあるから、自分でも本番は泣いてしまうと思っているようだった。
ところがそうでもないんだな。私にも同様の経験があるが、リハーサルは普段の生活の中でやるから「これで終わりなんだな」とかえって寂しさを強く実感する。
本番は全然雰囲気の違う参加者に囲まれ、緊張感あふれている(何せ普段ジャージの先生が背広を着ている)ので、逆に実感が沸かないのだ。

式次第を見ながら、瞬間感涙率が一番高いのはどこかなーと考えていた。
やっぱり入場のときはいきなりグッときた。25%くらいかな。しかしその後の卒業証書授与までは周囲につられて撮影に忙しく、感涙にむせぶ暇がなかった。。。
体育館という比較的暗い環境で、しかも整列して座る児童のわずか隙間を狙ってピントを合わせるのは私には無理。
203号も今回は説明書を読んでこなかった持ち主の凡ミスで威力を発揮できず撮れるのは心霊写真ばかり・・・ビデオ撮影しておいてよかったー。

瞬間感涙率が次にバーンと上がったのは意外にも「校長先生の言葉」。
小学校5年の家庭科実習で上手に目玉焼きができたのを先生に褒められコックを目指す少年の話。
中学を卒業するとき担任に相談し、いきなり料理学校の門を叩く。そこは申込みをして授業料を支払えば誰でも入れる学校だったが、そこの校長は次のように断る。
「今は君を入学させることはできない。次の3つのことができたら、そのときは晴れて入学させてあげよう。
・ 料理をする国の言葉を完璧に理解できるようになること。
・ 料理をする国の歴史を深く理解していること。
・ 料理をする国以外の国のこともそのつながりについて広く理解していること。」

そして少年はその言葉通り、それから高校、大学に進学し7年後にフランス語を修了して再び料理学校の門を叩く。むろん志望はフランス料理。。。
その少年はヨーロッパで料理の達人という称号を得るまでになったという話。
「少年、担任、料理学校の校長、登場人物のうち誰が立派かは君達がこれから成長して行く間に変わるかもしれない。しかし私は思う。何か『夢』を見つけてやりたいことがあるときに、『そればっかり』やっていては一流にはなれぬ」
これまでこういう場での話はあくびスルーしていたのだが、あまりに深イイ話に聞こえ、瞬間感涙率が50%近くまでアップ!

そして5年生との言葉の「掛け合い」はずいぶん練習したんだろう。
200名近くの児童が一糸乱れず言葉を掛け合うのは見事なものだった。最後に5年生の歌がハモったとき、ググーっと瞬間感涙率は70%まで上がった。
うー。感激だー。

そして全てが終わり、卒業生退場のとき・・・「蛍の光」を予想して身構えていたところ、流れたのはGreeeeNの「遥か」。。。やっべえ、やられた!これは反則だー。
最高瞬間感涙率にして95%まで跳ねあがったが、何とか持ちこたえ卒業式終了。
みんないい顔をしていたぞ。

今回自分以外の初めての卒業式だったが、実に感激、というよりは感心したのは「手作りで卒業生への想いがこもっている」こと。
卒業生の花道を形作っていたのは1年生が昨年から大事に育ててきた「ビオラ」、入場門にあった向日葵で一杯の絵は2年生、卒業生の正面に張ってあった「街の絵」は3年生、私達の正面にあった「大きな桜の絵」は4年生がみんなで作ったものだそうだ。
ゴージャスではないが、ありがたいものだ。

  

祝電は普通、議員とか市長とかエライ人のものを紹介するものだと思うが、読み上げたのは1年から6年の間に担任を受持ち、転勤して行った他校の先生からのメッセージ。
名前だけだが、この学校では息子甘辛一人しかいないのに、彼の所属するサッカーチームの指導者一同からメッセージがあったのも感動した。
当人にとって自分達が忘れられていないことが、何よりもうれしかったろな。

教室で最後の挨拶。先生は児童だけとしんみりするつもりだったらしいが、親達がぞろぞろ教室に入ってきてしまい、授業参観状態になってしまったので頭を掻いていた。
最後にテープをかけたのが、ミスチルの「終わりなき旅」。この歌は旅立つものへは最高のはなむけになるんだな。
先生はサラリーマンを経て教師になったらしいが、実に人気のあるいい先生だ。
皆でプレゼントしたメッセージを見せてもらうと「小学生で6年生のクラスが一番楽しかったです」というものが多かった。すんごく男子と女子も仲が良かったという。

保健室からは1年生から6年生までの成長の記録をまとめられたプレゼントがあった。
くるんでいるリボンの長さは6年間に伸びた身長と同じ長さだそうだ。
この学校、ホントいい学校だったな。

一旦解散して、近所の食事処でお別れ会。パパたちは私も入れて3人しかいない。
料理は何種類か決まっていて、私はサザエコース。付け合わせに刺身が出てきて・・・焼き鳥が出てきたあたりでムズムズしてきた。となりにいたパパに

「このメニューで『抜き』ってぇのはツラいですねえ・・・」すると正面に座っていた誰かのママが

「おつきあいしますよー」

すかさず生ビールを4つ頼んだ。「かんぱーい!」する我々見知らぬ4人を見て、あちこちから生を頼む声が聞こえた。
そうだよ。誰かが口火を切らねばならんのだよ。
その後クイズで「先生の新婚旅行先」を尻文字でやらされる羽目になった。。。

最後に先生(公務員だから一応業務を抜け出し最後だけ)が登場し感謝とともに別れを惜しんだ。
先生にプレゼントしたメッセージの裏側には8年後の自分に宛てた手紙が書かれており、先生に保存してもらって成人のときに同窓会で披露するんだという。。。

「先生はみんなが帰った後、もう一度教室に戻って『もう来ないんだなあ』としんみりしていました。職員室へ帰る途中「ま・さ・か」と思って昇降口を見に行くと、来週も学校へ来たいのか、下駄箱に上履きを置いていった人がいます。誰でしょう?」

「ハイ、ハイ!ハぁイ!」

「ほい、甘辛!」

「オッ、オレ?!」

「せいかぁい!!」

その後数人かが「オレ?」「正解!」を繰り返して大爆笑を誘っていた。。。
やってくれたな。卒業式の数時間後、忘れ物を取りに学校へ戻るとは情けない・・・
しかし、前日に描いてきた自画像には感心したぞ。

        

明るい顔だったんで安心した。その見事な思いでこれからもがんばってほしい。
(髪の毛切れよ)

なりたいもの

2010-03-18 21:31:27 | ヒーロー
息子甘辛の小学校卒業式が近付いている。
先生に贈る手紙には超兵器203号でカッコよく撮れた選抜大会の1シーンをプリントして貼り付けていた。
「将来なりたいもの」を書くことになっているらしいが、「特になし」と書くそうだ。うーむ。。。

幼い頃「ウルトラしぇぶうぅーん」の映像を散々見せつけて洗脳したときには、「何になりたい?」と聞いたら「恐竜戦車」と答えた。
理由は「歩かなくてすむから」・・・これまたイマイチ意味不明であったが。イマドキの幼稚園児なのか鈍いだけなのか。。。
当人がないと言うのに促してもしょうがないから、あきらめながら警告した。

「もし文集として『残る』んだったら、大人になって同窓会なんかで開いたときに『なんてつまんねえヤツ』と思われるぞ」

「だってホントに今んところはねえんだもん。これは先生にあげるだけだよ」

「じゃあ、『なりたいものがない大人になりたい』ってぇのはどうだ?ちょっとひねり技だけど。。。」

「そんな変なのやだー」

このフレーズのマリアナ海溝ばりの深遠さはやはり彼にはわからなかったようだ。
ややこしいことになってしまうが、経験から言うと「なっちゃったものが実は前からなりたかったもの、と思いこむ」というのが最もお気楽で幸福なスタイルな気がする。
なろうと思ってなったものは「空想とは異なる幻滅」が付きまとい、100点満点から減点されていくだけだからだ。

その昔、「恋愛結婚(今は死語?)よりも見合結婚のほうが幸福だ」という友人の論理とほぼ同じである。
恋愛の果てに結婚するとその時点で相手は100点満点、しかしその後は減点しかない。見合結婚の時点では相手の点は未知数が多いから、二人の努力次第で減点ではなく加点もありえる、と言うのが彼の言い分だ。
なーるほどなー、と思って、職場の後輩に語ったら、えらく感心していた。

私は彼と同じくらいの年齢のとき、将来なりたいものは「理論物理学者」だった。
日曜日の「知られざる世界」でやっていた「音波の分析」に感動したのと、アインシュタインの本を読んだのがきっかけだった。
むろん何をやる職業なのはよく知らず一番の理由は「響きがなんとなくカッコいいから」だったのは言うまでもない。

母から聞いたのだが、幼稚園のときの夢は「サラリーマンになって大船駅で立喰いそばを食べる」
卒園式に母がそれを皆に紹介して大爆笑を得たそうだ。。。そう言えば何となく覚えている。
園児にしては限りなく具体的だったその奇妙な「夢」をなぜもつことになったのか・・・恐らくこういうことだ。

前回紹介した東海道線はその昔、戸塚駅には停まらなかった。
私は幼いころ両親に連れられて東京に行くことが年に数回あったのは既に書いた。当時、帰りの東海道線は横浜駅を出ると次は大船、時間にして20分近くかかる。
しかも大船では特急列車の待ち合わせ(追い抜かれる)のため、10分くらい停車していることが多くあった。

ホームには「大船軒」という立喰いそば屋があり、特急待ちの車内にまで実にいい香りがしてきたものだ。
コートを着て、アツアツのそばをすする「サラリーマン」なる人種に憧れを感じたのだと思う。父親も会社員だったが、幼い私にとって「サラリーマン」とは謎の職業だった。。。
身近で見る職業はすべて●●屋というもので、何をしているのか一目でわかる大人たちだった。
ラーメン屋に八百屋、魚屋に本屋、床屋・・・登校時に目にするのはそれぐらいだ。他に多少「エライんじゃないか?」と感じていたのが医者、おまわりさん、先生などである。

「サラリーマン」というのは何をしている職業なのかさっぱり分からなかった。。。
通勤電車に乗って会社というところに行くらしい。会社では「仕事」というものをするらしい。それは電話に出たり電卓を使ったりするものだ。
乗る電車は必ず「東京行き」、どこで降りるのかは「会社」のある場所による(新橋が多いと思っていた)。そして帰りは大船駅で立喰いそばを食べる。

「家でちゃんと茹でる麺のほうがおいしいのに・・・」

母親はブツクサ言っていたが、そこはあの雰囲気と香りにやられているのだ。「立喰いそば」とは夢のように美味しいものだと信じ込んでいた。
当然ながらこの夢の後半は間もなく実現することになる。それは高校の合格発表を見に行った帰りの「新月」という小さな立喰いそば屋だった。
その後通学で短いながら電車を使うようになり、実は憧れの「大船軒」は大船駅だけでなく、最寄の駅や乗換え駅にもあることに気がついた。

学校帰りは何かにつけて「かき揚げ天ぷらそば」を食ってから家で夕食を囲んだ。定期テストが終わった部活帰りは自分へのご褒美で卵をつける。。。
社会人になってそれこそ東海道線や小田急線駅の店はほとんど制覇しているが、どれも作り方は一緒なので同じようなものに見えながらかなり味は違う。
「赤ちょうちん」で一杯引っかけて帰ることがほとんどない私は「立喰いそば屋」にはうるさいのである。

「夢」の前半にあった「サラリーマン」なる謎の職業にもめでたく就くことができた。(なりたいわけじゃなかったが、立喰いそば屋には詳しくなった)
その昔は「電話をしたり、電卓を叩いたり」だったのが「パソコンでメールを見たり」に変わっただけで、どうもイメージはあまり変わらぬ。
自分は何も作っていないのに「会社」がどうして給料をくれるのかは、よくわからないところも多い。まあ、昔であれば植木等風に「気楽な稼業」だったろうが、経済が右肩上がりでなくなった今はそうもいかぬようだが。

息子甘辛は小学校を卒業し、進学だの受験だのと巻き込まれていくだろう。10年後「何になっているか」は想像もつかないほど、世の中の動きが速い。
10年後くらいはまだ高齢化対策だ、エコだと言ってるだろうが、約30年後今の私とほぼ同じ年齢になったときに、「これになってたらいいかも・・・」というお奨めをあえて言うなら、ハイテクを導入した農林水産業あたりかなー。
爆笑問題の番組(太田総理?)で辰巳琢郎 が「徴農制 」というマニュフェストを掲げていた。(そこしか見ていなかったが)

中学校を卒業したら1年間は農業従事を義務とする、というものだ。さっすが、食いしん坊万歳に出ていただけのことはある。
食べ物のありがたさや自然とのふれあい、自給自足の大切さを身につけさせるためと言っていたがそれだけではないと思う。
私が入社する少し前は日本中が熱にうなされ「24時間戦えますか?」とCMが流れ、山を切り崩し、潮干狩りができる海岸を埋め立て、レジャー開発などにあらゆる興味を集中していた。
夢から醒め、長い冬を迎えて少し頭を冷やして見ると、子供は減り老人が溢れる国となったことに気づいたら、着目するのは「食」に関してではないか。

食に関しては「安かろう悪かろう」があぶりだされ、値段は半分でも「かの地」から輸入したものは売れなくなった。(我が家も買わない)
安全で美味しく値段もそこそこの食物の自給率を上げる地味な取組みが受けるんじゃないかと思われる。むろん理系出身の私としてはテクノロジーもふんだんに駆使してほしい。
「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」小細工して楽に儲けようなんてのは時代遅れになるだろな。

写真はよく見るブログで「日本一おいしい蕎麦」と紹介されていた新潟十日町の妻有蕎麦。
以前は商品が先に送られてきて「請求書での後払い」でよかったところに生産者の誠意と自信が見られたらしい。(今は代引きだったけど)
妻の茹で加減も良かったと思うが、上品な感じがして実に美味しかった。(私はどちらかというと田舎蕎麦派だが)


東海道線120周年

2010-03-15 10:43:52 | 出来事
東海道線全線(東京~神戸)が開通120周年のアニバーサリーだそうだ。だからと言って何をキャンペーンされているわけでもないが。
子供の頃は「湘南電車」と言われていた。東京駅にもちゃんと7、8番には列車表示版があった。9,10番線は本線(寝台特急とか)だ。
ちなみにむかーしから、東京駅には11番線がない。デートの待ち合わせで「東京駅の11番ホームで」と言われたら、振られたことを意味するのだそうだ。

小さいときにこの電車を使い、親に連れられて年に何回か東京(日本橋)に足を向けていた私にとって、オレンジの湘南電車とは東京-小田原を走る列車だった。
東京-新橋-品川-川崎-横浜-大船-藤沢-辻堂-茅ケ崎   茅ケ崎-平塚-大磯-二宮-国府津-鴨の宮-小田原
最寄駅から両隣を除いて、すべての駅構内で「朝まで寝ていた」ことがあるのは珍しいだろう。。。第53段仁和寺の法師も真っ青さ(こうなりゃ自虐)
「汽笛一声新橋を~」ではないが・・・

東京
なぞなぞでは日本で一番高いところにある駅。なぜなら、すべての列車が「下り」になるから。
あのレンガ色の駅舎がリニューアルしてカッコよくなった。(老朽化して取壊しという計画もあったが、各方面から大反対にあったらしい)
実はこれまでの通勤経路では乗り換え地点として最もよく使った駅だ。大手町に通勤したこともあるし、一番馴染みが深い。
※朝まで寝ていたのは丸の内口(皇居側)タクシー乗り場前の垣根。靴が片方無くなっていた。。。

新橋
内幸町に通勤していたときに最寄駅として乗り降りしていた。「汽笛一声~」の起点らしく、日比谷口にはSL広場がある。
有楽町からガード下の赤ちょうちんが並び、酔っ払いサラリーマンのメッカのようなところだが、当人はガード下にはほとんど行ったことがない。。。
入社式司会セレクションで「真奈美ちゃん(仮称)」と入ったLIONはこの駅の近くにある。
※朝まで寝ていたのはSL広場の機関車C11の中。そのまま職場に向かった。。。

品川
先日の「大阪へ行く」編でもご紹介したが、改札口内が近年見違えるような「デパート」に変身した。湘南新宿ラインができるまでは新宿の職場に通勤する際に乗り換え点として使っていた。
銀河鉄道999キャンぺーンで蒸気機関車C62が展示されたり、ホームがビヤガーデンになったり色々なホームイベントがあった。
※朝まで寝ていたのはそれらイベントが行われた「臨時ホーム」のベンチ。乗り換え時に間違えて階段を降りたらしい。。。

川崎
父親の会社が川崎大洋ホエールズのシーズン席を持っていて、小さいときに何度か連れて行ってもらった。すんごく選手を身近に感じる小さな球場だったが、そばに競輪場があって駅までの道のりがあまりよい雰囲気ではなかった。
駅反対側にラ・ゾーナ川崎ができて、お洒落に生まれ変わりウルトラマンクラブもあるのでたまに訪れる。
※学生のときサッカーの試合で調布に行った打ち上げ帰りに南武線を使ったが終電が終わっていてラ・ゾーナ側(当時は草むら)で寝ていた。。。

横浜
ここで東横線に乗り換え、大学に通学していた。渋谷や自由が丘で飲んだ帰り、ギリギリ間に合う東横線の到着時間は0時21分で東海道線最終電車は0時22分。西宮神社の福男選びのように激走すること数十回を超えた。
むろんスライディングアウトをくらい、駅構内外いたるところで朝まで寝ていた回数は一番多い。真冬時はあまりの寒さに段ボールを借りて(誰から?)くるまっていた。

戸塚
子供の頃、湘南電車はこの駅は停まらなかった。下り方面の5分の1くらい河川の上にかかっている珍しいホームだと思う。
湘南エリアから上り東京方面に向かう通勤時間帯はこの駅で乗車率が最高潮に達する。(次の横浜でドバっと降りるから)サラリーマンは毎朝必死だった。助走をつけてジャンプ乗りしてくる人もいたから。。。
※朝まで寝ていたのはホームのベンチ。横浜~戸塚間は10分以上かかるいので、トイレががまんできなくなって降りたが、乗っていた列車が最終電車だった。。。

大船
片瀬江の島まで走る「湘南モノレール」の起点。ここまで来ると周辺で寝たりはしない。。。(タクシーもあるし)
東京方面からの深夜の電車はこの駅でガラっと空く。ここで座ってしまうと要注意!茅ヶ崎までは10数分だが、急速に眠りが深くなる時間で「乗り過ごし」率が異常に高くなる。
高校時代にモノレールで二つくらいのところに住むクラスメートの家で調査課題を徹夜でまとめながら飲んでいた。当時は「コークハイ」というものだった。翌朝3人でモノレールに乗ったが、気持ち悪くなり大船駅で○×▽・・・
教訓は「二日酔いで懸垂型モノレールには乗らないこと」

藤沢
高校時代は何かにつけての2次会用の決まった店が駅周辺に2件ほどあった。マスターが高校生とは知りながら少しお酒を出してくれた。。。(実は我が校では公然とした秘密だったらしい)
学生時代の後半は「東急おっぱいパン売ってた線」から乗り換えた下り小田急線でこの東海道線乗り換え駅を寝過ごし、片瀬江ノ島まで爆睡したことが数限りない。
「ご乗車お疲れさまでした。間もなく終点片瀬江ノ島です」というアナウンスとともに竜宮城(駅舎のデザイン)が見えてきて。。。「またか・・・」

辻堂
隣駅だがあんまり縁がない。南口からまっすぐ海岸方面に向かう道がある。一つは「サーファ通り」と呼ばれるが地元では特に夏場は別名「お○カ通り」と呼ぶ。
駅前には大きな商業施設などもなく、軒並みマンション建設が進行している。名前(全部仮称)は「ラ・グラディエール湘南」とか「ル・パトエリテ湘南辻堂」とか“ラ”とか“ル”とかついたゴージャス名に「湘南」とついたものが圧倒的に多く、「辻堂駅前ハイツ」となぜ言えぬ?と思う物件がたくさんある。

茅ケ崎
最寄駅だったが、ここが起点となっている相模線は「しゃがみ線」と言われるくらいにマイナーな路線で、ついこの前までディーゼルの単線。。。冬場はすれ違い待ち合わせのため、ドアはボタン手動で開けていた。
寒川神社と今は宇宙にいる野口さんの母校、茅ケ崎北稜高校に試合に行く以外は使うことがなかった。。。

この先は乗り過ごしゾーンだが、平塚、大磯までならそこから数時間かけて家まで歩いた。(なんと今でも・・・)
最も多いのは小田原。。。大船で座れたのが災いして寝過ごした場合、時間にして約45分・・・ちょうど目が覚める時間であるのと最終電車が小田原行であることがその理由だろう。
K点越えの最長不倒距離は沼津、その手前の熱海も以外に多い。

なんだか自虐っぽい話題になってしまったな・・・
私にとっては40周年ちょっとの東海道線だが、こうやってみると結構思いで深いものがあるな。
前に紹介した駅のキオスクのモデルにもなっているが、オレンジと緑の二つドア「86系車両」というのはマニアの間で人気らしい。(私にとっては「冷房のついていない暑い列車にすぎなかったが)

ステンレス車両になってもオレンジに緑ラインのスタイルは継続したが、どういうわけか湘南新宿ラインが走るようになって、ラインの上下が反転した。
この先も使い続けるだろうから、安全運転でお願いしますよ。

超兵器203号

2010-03-10 22:53:56 | ホビー
絶え間ない時の流れに輝く通過点を見出し、それに向けてカウントダウンすることによって、意義ある経験として刻みつける。
息子の小学校卒業/少年団卒団を間近に迎え、記念アルバム類の作成を手伝いながらそんなことを考えていた。
小学生活は運動会以外親は出番がないから、圧倒的に「記録」が残っているのは少年サッカーだ。

我が家はサッカーの応援に行くと大抵「ビデオ派」であった。私が経験者であることもあり、プレーを後から見ながら「あれだこれだ」と反省会にするためだ。
しかしながら年間にメジャーリーグ並みの試合数をこなす我がチームの試合をことごとくビデオ撮影したが、何十本もたまったテープ(途中からハードディスクになったが)を見ている暇がない。。。
録画に気を取られてゆっくり観戦もできないから、最近サボりがちだったが卒団を間近にして、各家庭に記念アルバムに使う写真の選別などを頼まれると、意外なまでに写真が少ないことに気がついた。

そう言えば、これまであまり気にしていなかったが、先日の選抜最後の大会でも、立派なカメラを持った親たちがずらりと並んでいた。
幸いチームメイトの親御さんが息子甘辛のスナップもたくさん撮ってくれていて(ホントありがたいことだ)写真集には全く困らないくらい、よいシーンが集まった。
しかし「カウントダウン」に入った今、息子甘辛の小学最後の雄姿を親の手で記録に残せないのは申し訳ない。

最後の県大会を前に私はついに(あくまで自分にとってだが)超兵器を手に入れることを決断した。
それは私の父親が使っていたニコンのヤツと同じような形をして、フィルムを入れなくても撮れる写真機である。
あの激しい動きの中で「どアップ」の迫力あるショットを撮るには、オニヤンマ協会も恐れる私の動体視力(というより運動量)をもってしてもキャノンIXY君ではツライものがある。

IXY君を購入して半年も立たぬが、元々それ自体家族で使うために買ったもの(普段は私が持ち歩くんだが)だし、自分専用が欲しいと迷っていたところだった。
また他に求めるスペックはばっちりカッコイイところをキャッチしてやるために
・もうちょっとズームできるような機能がほしい
・連続して速いシャッターを切れる機能が欲しい。
・説明書などを読まなくても「どうしたらいい?」とネットで聞ける程度に名前が知られていること。
・ついでだから天体写真も撮れるよう、シャッターを開けっぱなしにできること。

こうして選ばれた超兵器は俗称(って勝手に命名してるが)「203号」と呼ばれ、インターネット通販で申し込んだ結果、我が家にやってきた。
うーむ。万を超すホビー購入はポピニカEXウルトラホーク1号以来半年ぶりだ。。。。


実はこれまで迷いに迷っていたが、「せっかく小遣い貯め込んでも、墓場までは持っていけぬ・・・」と一念発起したのだった。
ある方のご主人がプレゼントを贈られたときに仰った名セリフがトリガーともなった。

さて、この203号さすがに扱いは手強そうだ。昔の父親のヤツを使っているから大抵の機能はわかるが、細かいところは説明書を読まないとさっぱり分からぬ。
我が家に届いてから2日後に息子甘辛の最後の県大会、つまり本番を迎える。前日の練習試合開始から、とことことピッチを動き回り、シャッターを押し続けたがどうもうまくいかぬ。
ズーム機能で被写体を拡大すると全体の流れが全然みえないから、突如ボールが来て何かプレーするシーンがあってもタイミングがわからないのだ。こりゃあグランドに腕章を付けて入ってる業界の人のように熟練技がないと無理かもな。

やっぱり説明書をちゃんと読んでないから、撮ったシーンを確認する方法もわからんが。。。たぶんIXYとボタンは同じだろ。
試行錯誤を繰り返して色々いじりながら、とうとう「連写」機能にたどり着いた。「タンタンタンタン・・・・(シャッター音)」こりゃあ面白え!
ふむふむ。正月にやる高校サッカー選手権のマークがあるぞ。たぶんこのダイヤルでスポーツモードとなり、動きの速い被写体も撮れるんだろな。

普通に走っているときは撮れるようになったが、やっぱりジャンプしたり、キックしたりカッコよくプレーしてるところをド迫力で撮ってやりたい。
気が付いたらコーナーフラッグの内側まで入ってしまっていた。やばいやばい。。。
撮るだけ撮って画像を見てみたら、どうもいかぬ。ヘディングのときに白目を剥いていたり、相手のユニフォームを思い切り掴んで引っ張っていたり・・・被写体そのものにも問題があるんじゃないか?

甘辛の動きに合わせてピントを合わせつつ、目の動きによってボールが画面に入ってくる瞬間を予想してシャッターを切る。
この短時間でどれだけこの違和感ある動作に慣れるかが勝負だな。
本番は翌日だ。とりあえずビデオカメラも保険に持っていこう。

少年サッカー最後の県大会当日は快晴の朝であった。朝早く集合場所まで息子を送った後、我々が出発するまでは1時間ほど時間がある。
少し早めに出て、海岸線を鎌倉に向かい、鶴岡八幡宮の前を横切って朝比奈に向かえばよい。うちからはちょっと行けない七里ガ浜海岸あたりでは江ノ電と並走だ。
せっかくの雄姿を外してしまったら息子が可哀想だがどうも自信がない。

「鳥でも追いかけに行くか」、と203号を持って外に出た。飛ぶ鳥を被写体に追いかければ、トレーニングにもウォーミングアップにもなるだろう。
以前IXY君を片手に散歩した家の前の川沿いハイキングコースを歩いて行けば色々な鳥にめぐり逢えるが、残念ながらそんな時間はない。
奇跡的にも「市の鳥」を見つけた秘密の場所に向けてポインター号出動だ。

小夏さんから「あの鳥は巣を持っている」と伺って、あれから通勤途上で何度か偵察していたが「株を守る」状態だった。。。
あそこは他にも大きい鳥から小鳥から色んなのがいるから何かしら練習にはなるだろう。
その日はじっくり待ちわびる暇もないので、期待はしていなかったが、なんと!ブルーの鳥を見つけた。しかも付近には私一人だけ・・・独占状態。

前と同様に川の反対側でサーっと動くのを動体視力ぎりぎりでやっと捕捉したのだが、今度は橋を渡って真上まで行ってみよう。
野鳥撮影デビュー戦の203号を出して、ピントを合わせた。うーむ。向こう側が川だとなかなか本体にビシーっとピントが合わないな。
しかし、ちょこまかとよく飛び回る鳥だ。あんまり見とれてると車道に飛び出して車に轢かれてしまうぞ。

そのうち木の枝ではなく、護岸されたコンクリの縁に舞い降りた。しばらく眺めていると、なんと水面に飛び込んで戻ってきた!
2回目に出てきたときは口には何やら小魚をくわえてるぞ。海鳥のように突っ込んだ方向に飛び上がるならわかるが、ブーメランのようにUターンするとはすんげえ技だなー。
ところでそんな習性ってあるんだっけ?

ウォーミングアップのために、飛び立つ瞬間ばかり狙って連続シャッターを押していたが、スカばっかりだった。
ホントに端っこに捉えられたのがわずか2回だ。でもこの鳥ホントにきれいな色しているな。そのうちどこかへ飛び立っていなくなっちゃった。
まだまだ腕は話にならぬが、鳥が飛ぶ動きよりは人間のほうが捉えやすいだろう。少しはトレーニングになったようだ。

そして予定通り海岸を走り、会場となったマリノス追浜グランドへ入る。初戦は2年前、ブロック予選初戦で涙を飲まされた宿敵ともいえる県央のチームだ。
キックオフからズームいっぱいでシャッターを押しまくった。引き伸ばしてもいいように最高画質で撮っても300枚近くは撮れるぞ。
小鳥で練習してきたからウォームアップは万全だ。

ロングボールを相手と競り合いながら・・・
タンタンタンタン!「あーっまたジャンピングヘッドで白目剥きやがったぁ」

おっ今度はゴールキックを蹴るぞ!ここは簡単だな。
タンタンタンタンタン!「うーむ。今日はいつもより余計にボールが飛んでますってか。」

タンタンタン!「あーっもう!あの14番じゃまー!」

タンタン!「それにしても試合の流れがさっぱりわからんなあ」

タンタン!「・・・・・・・・・」

30枚ほど撮ったろうか。私は静かにカメラを置いた。。。やはり大事な試合はこの目で見なければダメだ。

一番ココロに刻みたいものは素子ではなく網膜に焼き付けるべし!

あれから、ホームチームの試合、選抜の大会など、わずかな試合数であったがシャッターを押し続けた。
中にはそこそこかっこいいシーンもあったぞ。しかしどうも甘辛はボールに絡むときは変な顔ばかりしてるなー。
次の試合は「カメラを意識した目線でプレーせよ!」と言ってみるか。。。

超兵器203号を手にして約1ヶ月、我ながらまったく腕は上っていない。
江ノ島トレジャーに参加したときも実はパシャパシャ撮りまくったのだが、イマイチ冴えなかった。
今年中にアンドロメダ星雲M31を撮影できるようにするのと、息子に命じてカッコよくサーフボードにライドしているところを連続シャッターで撮らせよう。

写真はオマケ鳥・・・こんなド真ん中には撮れてません。ファイルサイズが大きすぎてアップできないので、やむなく「切り取り」有修正。。。



カウントダウン

2010-03-08 22:22:25 | 出来事
以前、記事にした「通過点」と一見対極にあるような話だ。
息子甘辛は小学6年生、今年で少年サッカーは卒業だ。その最後を飾る県大会が正月に開催された。
最高学年になってそれなりにタイトルをモノにしてきたものの、イマイチ調子に乗れなかった今のチームで指導者も選手もこの大会のために土日返上でがんばってきたと言ってよい。

ところが抽選が終わって見ると、ブロック予選の1回戦が隣街のナンバー2!
表には出さぬが少し悲痛な気持ちで大会に臨んだのだ。しかし最後に女神が微笑み、見事ブロック優勝を果たして中央大会へ。
1回戦で前回予選の初戦で破れたチームに雪辱を果たし、2回戦で準優勝したマリノスに気持ちよくやられ、彼らの大会は終わった。(写真はマリノス追浜会場から撮った海)



私は常々、「スポーツにしても仕事にしても『続けている限りすべては通過点に過ぎず』これで終点というものはない」と息子に言い続けてきた。
ある目標を達した瞬間に次の目標をたて、それが達成したらすかさずその次・・・オリンピックで金メダル獲っても「これで終わり」ということはないはずだ。
何かに至ってそれに燃え尽き、立ち止まることがないように自分も戒めてきたのだが・・・

一方で「世の中は同じものが2回はやってこない」とも言ってきた。
何やら反対のことを言っているようでもあり、小学生くらいには混乱したかもな。
「4年生の大会も5年生の大会も一度きりしかない」終わってしまったらやり直すことはできない。

一期一会とはよく言われることだ。旅行でも出会いでも同じことは起こらない。
少年サッカーが終わり、スクールも最終クラスを迎え、小学校の卒業式、チームの卒団式が近くなってきた。
写真集に使うスナップを選び、指導者、先生への手紙を書き、お別れ遠足に行って卒業まであと10日あまり・・・
いやでも気分は盛り上がってくるし、区切りとしては大きいので、涼しく「通過点」とも言えなくなってきた。(写真は県大会終了後、車窓から)



コーチが一人海外出張を予定していて卒団式に出られないから昨日は「プチ卒団式」としてカラオケで盛りあがっていた。
今日は本当に最後のチームの招待杯だったのに、雨で中止になってしまった。。。
先週はグアム島で出場できなかったから、とても残念だったな。

「あと何回で終わり」、「あと何日で・・・」とカウントダウンが始まると人間、何事も一生懸命やるものだ。
もうこれで終わり、とあえて強く思うと普段のしょうもないことが「かけがえのないこと」に見えてくるのだろう。
もうじき娘をお嫁さんに出す親は、普段喧嘩ばかりしていても仲良くしようとし、娘はしばらく考えてもみなかった「家族旅行」なんてのも「あり」になるのだろう。もうじき出て行くのだから。

銀河鉄道999のテーマは私なりに理解しているのは「命には限りがあるから素晴らしい」ということ。
機械化人は部品交換を怠らなければ永遠の命を手に入れられるが、それと引き換えに人間らしい心を失って滅んで行く。
妻がベスト本という「百万回生きたねこ」(うーむ。思い出すだけで涙)というのも同じようなメッセージを語っていると思う。

時間は止まることがないから、ところどころにある大きなイベントも通過点というのは至極当然である。
しかし「これを逃したら一生チャンスがない」と分かっていれば、全力で集中するものだが、普段からこういう気分でいることは難しい。
また、当人は意外にもそんなに大袈裟には考えていないことが多い。

雨で最後の試合が流れてしまったので、午後からは近所のスーパー銭湯でくつろぎ、「ひょんなこと」からハマってしまった「東のエデン」という(ジェームズ・ディーンじゃないよ)アニメ映画を見に行くことになった。
炭酸風呂に浸かりながら、学校のクラスメイトとももう少しで離ればなれとなること、チームメイトとサッカーするのももう無いかもしれないこと、色々やっておくことはないのか尋ねると・・・「特になし」と言う。。。
ずいぶんクールな奴だな。卒業/卒団が近付いてきてカウントダウンが始まっても「切なく」ならないのか・・・

考えてみれば10年ちょっとしか生きていない息子たちにとっては、1年はこれまで過ごした10%をも占める「長い時間」だ。
しかも様々な経験も「初仕事」ばかりで、いちいち「感傷」に浸っている習慣ができていないのか。
考えてみれば、自分が卒業したときのことを振り返ると、それこそあんまり印象が残っていないな。

小学校にはまだ体育館が無かった。校庭で卒業式が行われる予定だったが、大雨で急きょ各教室内に変更され、校長先生ではなく担任から卒業証書が渡されることになった。(これはこれで思い出はある)
男性の担任だったが、途中で感極まり名前を呼び出す声が止まってしまったが、「なぜ先生は泣いているのか」不思議に思えてしょうがなかった。
中学校のときは「金八先生」全盛期で、高校受験という初めての試練を乗り切った後だったから、皆それなりに感慨はあったが、どちらかと言うと新たに通うことになる高校への期待のほうが大きかった。

高校の卒業式のときは、確かまだ大学受験が終わっておらず、中途半端な気分で下級生の「送る会」を迎えた。
学生のときは自分の卒業よりも、研究室で仲良く遊んでくれた先輩たちが卒業したり留学して出て行くのに感傷を覚えたものだ。
どちらかと言うと全般的に「送る方」は好きだったが、「送られる方」は好きでなかったように思える。
女子については「これでもう会えない」という「卒業効果」は全く働かず、「記念に○○をください」なーんてことはただの一度も無かった。
これも卒業式があまり好きでない所以である。。。

私は不思議なことに後になってから「あの時本当はもらいたかった・・・」とか「実はファンだった・・・」とか言う「段ずれ現象」が何度か見られる。
「なんで、あん時言わねえんだよー!?」というのが結構多い。
どうも当人の「誰か言ってくれればあげるよーオーラ」が「オレに近づくと怪我するぜーオーラ」に大ひねりで解釈されたらしい。。。

いずれにしても子供たちを見ていると、時の流れの中に大事な「通過点」を見出し、そこへ向けてカウントダウンすることによって「得難い日々」を送るというには早いらしい。
こういうことを感じるのは年齢を重ねてからなんだろな。1年がそれまでの人生の3%を切らないとダメかな(なんて定量的だ!)
私も世の親のように「自分ばかり」盛り上がっている一人なんだろう。「これで小学生最後かもしれない」息子の雄姿を残すために、超兵器入手を決断するに至ったのである。