超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

江ノ電で鎌倉へ

2011-06-30 22:53:32 | 旅行お出かけ
前日の練習試合で「華麗なプレー」で得点したと聞くも息子甘辛は翌日、元気よく朝から出掛けて行った。「いやあ、あの試合は楽しませてもらったよ。。。」と息巻いているので、次も試合だと思いどんな相手なのかと尋ねたら、鎌倉ハイキング・・・ふーん。あっそ。忙しそうだねー。
早朝、竜泉寺朝風呂の後、帰りながら考えた。もうずいぶん10年以上「鎌倉」なんて行っていない。この前、134号をすぐそばまでチャリでサイクリングしたけが・・・
日曜日はそれほど暑くないので久しぶりに足を運んでみるか。

妻に話してみたら、大人用の自転車が甘辛が乗って行ってしまったので無い、と言う。ふーむ。それはちと困ったな。甘辛のいつも乗っている中型車は錆びついてギヤも重たく長距離にはキツい。
ボードキャリー付のクルーザー号も同様にやたらめったら重く、それこそすぐそこの海岸以外にはいけそうもない。(邪魔だし)
駅まで歩いていくのも帰りが面倒くさい。結局、甘辛号と私用の普通車で「片瀬江ノ島駅」までチャリで行き、「江ノ島駅」から江ノ電で鎌倉に向かうことになった。やはり10数年ぶりの「乗車」である。

朝、仕掛けが早い私の割には出発したのは11時過ぎ、昼飯をどこで食べるか考える時間だ。
駅前の駐輪場に自転車を止め、江ノ電江ノ島駅まではぶらぶら歩いて10分くらい、この辺も滅多に来ないから通りの飲食店やらアクセサリー店やら中々面白い散歩となった。
その中で店頭で魚の串焼きを炭火で焼いている店があり、何かいつもと違う感覚があって足を止めた。
山間や河原の店では「イワナ」や「ヤマメ」、「アユ」などが串に刺さって塩焼きになっているのだが、普通は1種類しかない。しかしよく見るとこの店の串はほぼ全部が違う魚だったのだ。 

  

売っていたお兄さんに聞くと、すぐそばで朝獲れたものをもらってきたらしい。石鯛、マルアジ、ムロアジ(アジにも色んな種類があるのね)、黒ムツ、エボダイ、カマスなどなど・・・相模湾の海の幸がオールスターキャストだが、どれも大きさや形がイマイチで単品の商品としてはキツいものを仕入れてくるらしい。
「石鯛はもうちょっと大きくないとねー」「あんたがずっと前に釣ってきたヤツ(シマダイ)はこの半分以下だったよ。でも下した」
さて、一番端に世にも奇妙な顔をした細い魚が刺さっていた。恐ろしい顔つきで早川いくをさんの「へんないきもの」に出てくるような姿だ。

     

その名をオキギス(ニギスとも)と言われた。水深200メートルほどの海底に生息するが、この辺では珍しくない魚だという。(釣りの人気魚「シロギス」とは違うらしい)
試しにそれを注文したら、とてつもなく美味かった!白身なのにしっかりした味でカマスよりもはるかに上だ。サービスのアラ汁とともに二人で半分ずつ食い、おやつとしてはかなりの満足度だ。
「グロテスクな顔をしている魚は美味い」という定説を信じているが、だいぶ前に食ったホウボウと言いまさしくその通りだ。
しかしその後「オキギス」なるものをネットで調べてみると、どうもこんな恐ろしい顔をしていない。図鑑ではこんな鋭い歯がたくさんあるようには見えないし・・・

さて「江ノ島駅」まで行き、江ノ電の「のりおりくん」というベタな切符を買った。路線内乗り降り自由で580円、確か前はもっと高かったような気がするが・・・
先日、恩師の家に一緒にお邪魔した「こーちゃん」の出身県立高校の生徒しか乗る人はいないと思っていたら、ものすごく混んでいた。
TUBEの歌に「夏だけ〜♪やけにぃ混むぅ〜♪江ノ電でぇハコノリ・・・」というのがあったが、ホントそうなのか?!

   

江ノ島から腰越あたりは「路面を走る」江ノ電だが、通常の軌道を走っていても民家すれすれで、手を伸ばせば洗濯物や木の枝に触れてしまう。海と江ノ島と列車をバッチリ撮れる有名ポイントがあるらしく、結構すごいカメラを持っている人が多かった。
その日は沖合ぎみにだが、かなりよい波が入っていて、「これは夕方帰ったら早速行かなければ」とうずうずしたものだ。
もうちょっと空いていたら、江ノ電の行ったり来たりってかなり楽しいだと思うんだがなー。

       

私にとって江ノ島電鉄という会社は素晴らしく「素敵な会社」である。拡張型心筋症という難病を持ち、電車の運転手になりたい、という少年の夢をかなえるべく社を挙げてプロジェクトを実現した。
法規はもちろん、安全性、時間帯、ルート、さらには万が一のときの備えなどあらゆる可能性が検討され、極楽寺駅近くの検車区で本当に運転させてあげることができたという。(路線内は運転席)
私は同じ会社人として「不可能を可能にする」かの従業員をまじめに尊敬する。

奇跡体験アンビリバボーで取り上げられたというのを聞いたのは妻からだった。ホントの映像は見ていないが、わずか数分の「輝き」のためにR134号では救急車が列車に併走し、いつもは無人となる江ノ電全ての駅に職員が配置され、その列車に対して敬礼した、というそのシーンを思い浮かべるだけで涙が出た。
その後、それは物語となって24時間テレビのスペシャルドラマになる。(小さな運転士 最後の夢)
そんなことを思い出しながら20分あまりで終点の鎌倉だ。

ホームに降り立ったときから、ものすごい人混みだ。。。鎌倉ってこんなに人気あったっけ?
小町通りなんかチャリで来ていたら悲惨なことになっていた。神社仏閣はその昔来たけど、「街」としての鎌倉市街のことはあまり覚えていない。
たしか左側のおもちゃ屋でウルトラマンのネクタイを購入したのだけ記憶がある。バッタもんだと思っていたが、妻によるとちゃんと円谷プロと提携している、ということだ。店に入ったらホントだー。東京駅名店街の「ウルトラマンM78」と同じグッズを揃えている。「父の日のプレゼントに」なんて書いてあった(もう過ぎてんだけど・・)ネクタイを購入、10数年ぶりのウルトラネクタイだった。これは幸先いい♪。 
     

たしかピロシキの店があったのも覚えていたが、ものすごい人気らしく次の出来上がりは2時間後、その他キャラウェイ(カレー)、とかこ寿々(わらび餅)、鎌倉山納豆など・・・おーおー、そう言えばそういう店あったなー、どこも人が並んでいる。
「鎌倉惣菜」という店は聞いたことがなかったが、普段は大皿の惣菜料理を出すのだが、満月とその前日は「満月ワインバー」として飲食店として営業するそうだ。口コミで広がり今や全国的に人気があるらしい。
裏小町と言われているちょっとした路地にもいろいろなお店があり人だかりがしている。全然記憶にない店ばかりだが、よく見ると建物は結構古い。栄枯盛衰が激しいということだな。

      

しかし近所の観光地として人で賑わうというのはよいことだ。(あんまり来ないから)
若宮大路に出て駅方面に戻り始めるが、このあたりは老舗というか大きな店舗ばかりだ。のりおりくんを持っており、このまま帰るのはもったいないから、長谷あたりでも行こうかとガードを潜って江ノ電駅に向かうと、なんとホームに入れないほど混んでいる。。。
「こっち方面歩けば行けるよ」と妻が言うので、初めて歩く鎌倉の御成り通りへ。涼しかったから散歩もまたよしとするか。(続く)

箱庭図書館

2011-06-27 14:48:56 | 書籍
今年、入社3年目になるAKBちゃんは7月から本社勤務となる。主に設計関連を司るセンターでバリバリ実務をこなしていたが、初めての本社勤務に向け「そもそも我が社にはどんな仕事があるのか」全般的に知ってもらおうと、この1ヶ月だけO次郎の元に来てもらった。
O次郎は先般紹介したように、このセクション群の大番頭、何があっても大抵顔を出す「何でも屋」、サンダーバードで言うと最も出番の多い「2号」である。
今更1ヶ月くらいで「教えられる」ことも少ないので、私も「付いて回って」とお出かけ3人衆と色々なところに連れ回した。若い人はこれから何で活躍しようが多種多様な仕事を経験することになり、この職場に戻る可能性も少なかろうから「思い出」作りという意味もある。
「seniority」と言う言葉をいつも思わせる職場で一人の若い女性がこれほどまでに雰囲気を変えるものか、と思うと寂しい気はするものだ。

そのAKBちゃんが出かける途中、乙一氏?の「箱庭図書館」という本を話題にした。彼女も色々な本を読んでいるらしい。
実は「共通に呼んだ本について語り合うとすごく楽しい」というごく単純な事象を私に知らしめたのは以前の職場の女性の同僚である。それ以来、他人が「読んだ」という本はとにかく一度読むことにしている。
そんな風に「読んだ本を語り合う」知人は少ないながら何人かいるが、どういうわけかほぼ全てが女性。。。
どうも彼女らに私に不足しているかもしれない「知性」を感じるのである。女性のほうがたくさん本を読むんだろか・・・?!

早速、市内の図書館で検索すると貸出し中で何と「67人待ち」、最近出たものなのかずいぶん人気があるんだな。話をしたら持ってきて貸してくれた。
図書館で同じ著者の別の本を手に取って見たら、ものすごいグロい話だったので少しビビッていたんぼだが、「箱庭図書館」は今まで読んだことがない「ほっこり不思議な空間を持つ本」だった。
短編のように一話完結型なのだが、小さな街で主人公と思われる人とそのお姉さんはどれにも登場し、少しずつそれぞれの話題に「絡み」を持っている。
どうやら主人公にはかなりの部分、著者そのものが映し出されているらしい・・・
活字中毒で四六時中本を読んでおり、何回も車に跳ねられたり、凍死しそうになった姉と自分(主人公)が小説家になるまでのいきさつなど、まるで本人そのもののようにも書いている。この著者はずいぶん悪戯っぽく読者を独特のワールドに引き込んでしまう。

閉店間近のコンビニの店員二人、入って来た強盗にカッターナイフを突付けられ、たまたま後から来た警官に悟られないように演技するのだが、実は・・・「コンビニ日和」
クラスでいじめられているわけではないが、自意識が過剰で仲間の輪に入ることがどうしてもできない男子生徒、一人しかいない文芸部の女子部長とだけは普通に会話することができた・・・「青春絶縁体」
拾った鍵の合う扉を探し回る小学生、殺人事件に巻き込まれて不思議な体験をする(エンドはちょっと怖い)・・・「ワンダーランド」
トランクで昼寝をしていたら、その車が動き出してしまい、真夜中に不思議な子供だけの王国と遭遇した女子高生・・・「王国の旗」降り積もった雪の上に不可思議な足跡を見つけた暇な大学生、どうもその足跡は「平行世界」の人のものらしい・・・「ホワイトステップ」

内容を詳しく書いてしまうとまだ読んでいない(けど読もうかと考えてる)人に怒られてしまうから、「見出し」みたいになってしまったが、私は「青春絶縁体」が一番ほっこりしていて好きだ。どの短編にも「独特な不思議世界」があるが、最後の「ホワイトステップ」はものすごく切ない。。。(これはやばい)
またどの話にも「何となく言いたいことがわかる」ようになっている。乙一氏?というのはネームくらいしか知らなかったが「箱庭図書館」(と言うタイトルの中にも?)にはたくさんの仕掛けがあり、かなり「持ってる」ような気がする。
「人が読んだ本を読む」という無責任極まりないポリシーで色々なジャンルを乱読してきた。「語り合うと楽しい」以外にも「映画化されたものを見ると比較できて面白い」「『あとがき』を読むとさらに著者の思いが伝わりやすい」・・・などなど色々と教えられた。
子供の読んだ本、というのも侮れない。「西の魔女が死んだ」「震度0」「告白」「ブレイブストーリー」「犯人に告ぐ」「もしドラ」などなど語り合うには十分な中身を持っているし、他の人に勧められるほどよくできている。
どちらかと言うとじっと家にいることがまずないから、帰宅や遠距離通勤時くらいしか読む機会が減ってしまったが、本について感想を言い合える本トモは増やしていきたいものだ。

遅れた卒業

2011-06-24 15:06:41 | 職場
総勢800名ほどを数えるグループ会社、関連部門の合同送別会が盛大に行われた。対象は管理者だけだったが100名ほどのパーティとなった。
4月のはずだったのが震災の影響で延期となり7月にずれこんだものだ。会社組織からは離れて今までの仕事とは別のことをする人、離れるが関連事業で活躍する人、社内の新天地で活躍する人(いわゆる転勤)、ベタだがそれぞれ「赤い花」を、胸につけて入場した。
私は最初の挨拶でこれらの人を「卒業する方」と呼んだ。何となく一番しっくりする言葉だったからである。
数人は若い人もいるが、総じて見事なまでのシルバーメンバーである。
息子甘辛の体育祭で校長先生がお話しになった「3つのワーク」を早速パクッて披露しようかと思ったが、どうにもシナリオができないので、その場で思いつくままにしゃべってしまった。。。

「5年ほど前、ボストンのとあるビジネススクールで数ヶ月勉強した。企業の合併や買収、会計や転職、部下とのつきあいやリーダシップなど、およそビジネスに関するありとあらゆるケースについて延々と議論するものだった。卒業式(サマースクールみたいなものなのに)で主任教授が『会社に一番大切なのはこれだよ』とスクリーンに映し出したのが『People』という文字だった。あちらの人だから『システム』とか『ビジョン』、はたまた『リーダー』あたりかなーと思っていたから結構意外だったが、『人』が大切、というのは普遍なんだなーと感じた。その「人」がこれだけ動いてしまうのだから、当人はもちろん会社にとってもストレスは大きいだろう。しかし人も会社も『大転換期』に躍進するものだと思うから、ぜひ次のところでもがんばってほしいです・・・」

なーんて話をべらべらしゃべった。数日後ほぼ同じメンバーでまた別の会があるんだが、このネタもう使えないよなー・・・
実は午後になって一滴も水分を取っておらず、始まる前からかなり「助走」をしていて多少舌が滑らかになっていた。節電でオフィスの冷蔵庫、コーヒーメーカーが使用停止になってしまい、財布に1万5千37円しかなかったので一つしかない自販機で水すら買えずに喉が死ぬほど乾いていたのである。
続いて乾杯の音頭をとることになっていた初登場グループ会社のOK所長は私がばーっとまくしたてたものだから、生真面目にも作っていたメモの内容を全部忘れてしまい、「大きな声で言いましょう」なんて小学1年生の先生みたいなことを叫んでいた。

我がタスク群の「顔」でもある番頭O次郎は本社へ転勤となり、グッチーが後を引き継ぐことになった。ルーキーズに「まずはこのポストを目指せ!」と言い放ったところである。
最強のツートップシステムが崩れてしまうのは残念だが、グッチーの後に来る人も期待のホープだ。のっぽさんもめでたくお隣県の課長に昇進して単身乗り込み、「最後のひと月はO次郎の元にいなさい」と実務センターから引っ張ってきたAKBちゃんも本社勤務となった。「ご栄転」かどうかはこれから本人の結果が証明するだろう。
それにしても送別会などの顔ぶれを見ると(管理職ばかりとは言え)「seniorty」という言葉を思い出さざるを得ない。HBSのケーススタディにも取り上げられたテーマである。

日本語で言うと「年功序列」・・・時代遅れのサラリーマンのようであまりいいイメージにはとられていない。しかし成果第一主義の欧米の人達にとっては興味津々で半ば憧れのようなものまで感じたものだ。「長くいるだけで収入や職位が上がるのは全く非合理だ」という話題ばかり取り上げられているが、目先の利益ばかり追う傾向にある成果主義に比べて、長期的な視野で戦略を練ることができ、何よりも「人」がそれを継続してくれるのは「seniorty」の賜物である。その点は日本人よりも欧米人のほうがクールに年功序列を評価している。
むろん蛇蝎のごとく嫌う人もあり、かなりの激論になった。私は「日本の企業と米国企業、どちらが平均寿命が長いか考えてみよ」なんてことを言った。

先日、とある会議の資料に二人の人材の経験とスキルが書いてあった。両者ともスキルAで一人目が40、二人目が29と書いてあったから
「へーえ、29歳でスキルAなのか。。。優秀な人なんだねー」と感心していたら、「経験年数」だった・・・・何と40年か。。。引退(というのはやはり適切ではない。やはり卒業と言いたい)される人にも40何年間なんていう人がざらにいる。ずらりと並んで異動、退職の挨拶に回ってきた中で最初の人はいきなり「入社して4十●年・・・」と始めた。隣のスティーブに「オレ、2歳のときだよ・・・」

私の管轄内で右から左に異動する人は数えきれない。。。卒業=退職か管外転出する人に絞っても今日だけで送別会3件を梯子することとなる。普段寝てばかりいる国会議員が閉会中に地元回りをするようなものである。
もうじき1年になる私を色々な形で支えてくれた彼らに送りたいメッセージはたくさんあるが、それらはまた別の機会で。
みなさん今までありがとうございました。次のところでも元気でがんばってください。

体育祭2011

2011-06-22 13:00:45 | 出来事
先週土曜日は息子甘辛の通う中学の体育祭だった。小学校は運動会、中学校からは体育祭。。。
私もそうだったが、この違いはどこから来ているんだろか・・・?さらにうろ覚えだが小学校低学年のときには「春の小運動会」と「秋の大運動会」があったような記憶がある。もちろん保護者が見に来るのは日曜日に行う「大運動会」のほうだ。
外国では「球技大会」のようなものはあるが、あの独特の競技を連ねる「運動会」なるものはないようだ。。。

体育祭もいつの間にか年1回になってしまったが、何もこんな梅雨のど真ん中で行わなくてもねー。。。
天気予報はむろん「雨」だったが、私はかなりの「晴れパワー」を持つし、息子甘辛もそれを上回る(自分の都合の良いように天気を変化させる)パワーを持っているからたぶん「開催」はできると思っていた。
予想通り、いつの間にか天気は午後からの雨、という予報に変わり、曇天の中彼にとっては2回目の体育祭が始まった。今年で55回目を数えるという。。。

この催しについては私も息子もだいたい同じような路を辿っている。例えば小学校では「運動なら何でもできる」万能派。運動会では徒競走で常に赤リボン(1位)、リレーで締めくくるのが定番でかなり「楽しみ」にしているほうだった。中学になると成長スピードの影響もあるし、各種目は「選手制」になる。つまりクラスで1,2を争う速いのが集まるから簡単には勝てなくなる。私の場合、1年の200m競争がビリ2、2年の100m競争が4位という失速ぶりだ。
このとき「速いヤツばかり集まった中では自分は大したことがない」と初めて気づいたのだった。

私の記憶ではちょうど我々の時代は「その昔」のスタイルから「独特のヌルい」スタイルに変貌する期間だったように思う。
まず私にはあまり記憶がないのだが、「棒倒し」という競技が姿を消した。次に「騎馬戦」というのがなくなった。やるなら騎馬リレー・・・両競技ともPTA&職員が怪我人が出るのを恐れ、「戦」というネーミングに軍国主義の復活を危惧させるものがあったらしい。
今でも自衛隊などでは伝統的なもので、「それだけ」のために戦時さながらの「戦略」をたて、兵士を配備するという。。
得点や順位付けなどもだんだん曖昧になってきた。リボンや1位の景品もくれなくなってきた。

やがて「競争の結果をつけること自体がよくない」と順位を決めず、「手をつないでゴールする」などという笑ってしまうような暴挙に走ったのである。(これ自体はさすがに我々よりも後の世代)
「勝ち負け」を「優劣」としてとらえることを必要以上に嫌がった結果?(因果関係は分からぬが)子供達の学力体力は平均的にグローバルな位置を低下させていった。と、いうよりも「そんなこと」を鼻で笑いまっしぐらに競争地獄に飛び込んだ超エリートと「ナンバー1よりオンリーワン」とか言っていた輩の格差がはっきり分かれた時代があった。

甘辛達が小学校に入学した頃を見ると、昔さながらの運動会スタイルはすっかり元に戻っていた。騎馬戦は復活し身体の大きい子しか出場できない「大将戦」も存在していた。小学1年生も全力で走り、1位は喜んでリボンを貰っていた。
今の中学の校長先生ははっきり「全力で1位を目指せ」と言う。「フットワーク、ネットワーク、チームワーク」
「体育祭は選手だけでは成り立たない。陰で支える人達を『フットワークよく』手伝え。1年から3年まで『ネットワーク』を使って協力せよ。しかし失敗する選手が必ずいるが、決して怒ったり叱ったりするな。それが『チームワーク』である」
結構いいこと言うよなー。ちょっとパクッて(もとい!メモして)別のところで使ってみよう。。。

この校長先生、昨年甘辛の入学のときに市内の中学から転勤されてきたのだが、「荒れた学校」を健全にする経験豊かな方だそうだ。
聞くと甘辛の学校でも「不良・ヤンキー」といったカワイイ奴らは結構いるそうだ。そう言えばグランドを見ると体操服なんだけど「腰パン」とか髪の毛ど金髪とか、中には途中で帰っちゃうヤツとかもいるらしい。。。
普段の生活でも学校帰りにタバコをふかして歩いたり、なんと3階の教室の外窓から机を放り投げた「女子」もいたそうだ。
昔からそういうヤツは後を絶たないがごく一部だけで、昔のように「学校全体が荒んでいる」ことはない。
中学くらいになるとそれくらいのことはあるよねー。騎馬戦の途中で入ったアナウンスには思わず笑ってしまった。
「騎馬に乗っていない人が相手を蹴りつけているようです。戦うのは上の人だけにしてください」
ぎゃーはっはは。わかるわかる。。。私なんか真ん中下ばっかだったから「噛み付いたり」もしたしな・・・
勝利への執念は「女子」のほうが強い。一対一で向き合い、頭に挟んだお札を取り合うルールになっているが、どうもルール違反をした騎馬があったらしく「物言い」がついて協議となった。
結果、違反は認められ勝ち点は取消しになってしまったが、その騎馬もやはり一生懸命に戦っていたらしく、悔し涙を流していた。(女子の怨みは恐ろしいぞ・・・)

曇天の中、午前の競技が終了しグランドで妻が作った弁当を茅ヶ崎の母と3人で食した後、腕相撲大会やPTA競技など午後の種目が始まった。勝負や得点には関係のない「おまけ」競技だ。
今にも雨が降りそうな天候でその後、甘辛の出場するリレーがあり、3年生は最後の体育祭なので「余計な種目は後回しにしてあげたら」とか思っていた。
そしたら案の定、甘辛たちの種目が終了したすぐ後から、雨がポツポツ降り出して瞬く間にほぼ土砂降りに変貌してしまい、以降の予定は順延になってしまった。妻曰く
「まったく。。。自分の出番が終わると降らせるヤツ・・・」
甘辛が天気に関して持つ私を上回るパワーがこれである。遠足や大事な試合で不幸にも熱を出したりすると必ず大雨が降って延期になったものだ。。。

多くの少年少女は幼稚園なども入れると、15回ほど運動会の主役になる。(3+6+3+3)尻切れトンボになってしまったが、早いもので息子甘辛は11回目を通過したことになる。
10回を過ぎたあたりでは「悪いヤツ」も出てくるだろうが、皆一応ちゃんとした運動会スタイルをしている。(腰パン男女も学校指定のジャージ)
運動会や修学旅行の直前になると「真面目」になるヤツ(出場停止になると嫌だから)が多いのも昔とあまり変わらない。
甘辛も4回しかない残りを終わってしまうと、「自分の子供」の運動会まで10年ほどは遠ざかってしまうから、これから更に印象深いものにしてほしいものだ。

再び現地へ

2011-06-19 15:51:39 | 出来事
6月中に以前と同じ場所に足を運ぶつもりだった。大震災後、「一見に如かず」と凸凹の東北自動車道を「被災地支援車両」で乗り込んでから約3ヶ月・・・我が方が復旧を分担する仙台地区で大津波にあった施設の修復、その他屋外施設の故障修理、設計支援などで延べ1500人以上が行ったり来たりしている。
先日派遣したのが第8次支援隊、燃料や現地の状況等により出陣式は未明の午前3時のときもあれば、県境の拠点に朝7時というときもあったが、大抵は顔を出していた。

4月上旬に大きな余震がやってきたときなどは、直後の派遣隊への挨拶では「壁の近くには行かず、ヘルメットを抱えて寝てください」と真顔で言ったものだ。
5月の連休中にようやく「一時復旧完了」が宣言され報道でも発表された。と、言っても離島と原発事故で立ち入れない区域以外の施設は一部機能を回復した程度に過ぎず、故障修理のリクエストはなかなか減っていかないのが現状だ。
聞くと、復電や道路、燃料事情が回復したことにより、一時的に避難していた人々が帰宅し、気が付かなかった不具合が多数出ているという。

前回駆け付けたのは震災から2週間後、新幹線の高架橋は無残にもねじ曲がり、当分運行は無理だと思った。ガソリンスタンドの前は数キロに及ぶ車両が並び、中には運転手がいない放置?車両もあった。
市街地の拠点で打合せした後に水没した施設まで行くのに距離的には数キロしかないのに、2時間もかかった。。。
津波の被害を目の当たりにし、車を降り立った瞬間に言葉を失ったのが3ヶ月前だった。

あれからバタバタと結構忙しく、中々途中経過を見届けることができずにいた。
一時的な復旧が概ね終わり、いわゆる「復興」フェーズに向けて本社に「復興を推進する組織」が発足した。6月中に我々のような「力技の」広域支援体制を一旦解除し、新組織を中心とする面的な復興を計画的に実行していくことになったのである。
ゆっくりあちこち見て回る時間がないから、今回は出張先から直接新幹線で向かう強行軍となった。

県西エリアで顧客満足度向上に業績のあった協力会社と個人表彰を経営トップに代行し、そのまま小山に向かって奇跡的にも連休前に全線再開通した東北新幹線で一路仙台へ。
震災直後はできなかった技である。それにしても前回東北道から並行する新幹線高架橋を見てあまりのぐちゃぐちゃさに驚愕したものだが、よく短期間に開通できたものだ。
以前お会いしたJR駅長に聞いたら「4月中に絶対直せ!」と9000人体制、昼夜兼行で工事を強行したそうだ。
海洋大地震を検知してから1分40秒で停止できる新幹線の技術もすごいが、X字に曲がりくねった架線柱を千か所以上直した工事力も驚くばかりだ。阪神大震災の教訓から高架橋の基礎はほぼ完璧に補強してあったが、架線柱があそこまでやられるとは計算外だったそうだ。しかしやはり日本の鉄道は世界一だなー。

隣県と結ぶ国道を一路JR小山駅へ。県境を越えて渡良瀬川という川を渡ると足利市。
途中あちこちに「佐野ラーメン」の看板が見え始める。寄って行きたいところなんだが、朝の9時なのでどこもやってないなー。
「橋編」でKICKPOPさんがおっしゃっていたW橋とはこの辺にあるんだろか・・・。
おそらく森高千里の歌に出てくる橋ではないかなー。。。JR小山駅には列車定刻の30分以上前に到着した。
あちこちで「餃子のお土産」を販売していたが、「どうせお金を落とすなら被災地で」とむらむら買いたくなったのを我慢した。

福島県に入り郡山を過ぎると、屋根瓦が落ちてシートをかぶせている家が目立ち始めた。
福島駅のすぐ手前で東北道とランデブー、向こう側から「線路の上に巨大なクレーンが立ちはだかり、見渡す限り傾いた高架柱を修理している」のを見たのが3ヶ月前だったことを考えるとあそこを走っているのはやはり不思議だ。
ただしやはり少しスピードダウンしているようだ。ところどころで速度が緩まるのを感じる。

仙台駅に着くと、先発隊の自動車で現地入りしていた八兵衛達が待っていてくれた。
まずは現地故障修理隊の拠点ビルへ。前回は大渋滞の市街地さまよっている間にガソリンが枯渇してしまい、備蓄のドラム缶から少し分けてもらったところだ。
あちこちで道路や敷地のアスファルトが陥没したり、盛り上がってしまっていたがまだ修復には至っていない。
しかし全国各地から「災害支援車両」のシールが貼られた高所作業車、移動電源車が所狭しと並んでいたのが少し落ち着いてきたようだ。

新体制では「夢と魔法の国」「さくらんぼの国」と仙台エリアの面的復興を手伝うことになっている。ディズニーの国は自エリアも液状化現象で大変なことになっていたが、ようやく広域支援活動に仲間入りしたのである。私のカウンターパートとなる責任者もたまたま現地調査に来ており、色々とお話した。私より一つだけ先輩の「宇宙戦艦ヤマト」が大好きな屋外系施設のプロフェッショナルで、10数年前に大手町で同じ職場にいた。
昨晩から現地入りし支援隊と激励懇親会を行った後打合せして被災エリアをまわり、これから帰るそうだ。
4時から全国電話会議があるはずなんだが・・・出ないつもりなのかな。

拠点ビルを後にし、前回訪れた被災エリアへ向かうが昼食には「伊達の牛タン定食」を食うことにした。
「通定食」という数限定のメニューは牛タン切り落としにテールスープ、とろろ芋におしんこ、ご飯お代わりし放題で840円。かなりお得で美味であった(写真撮り忘れちゃった・・・)
家族への土産にも牛タンを買い込む。翌日は息子甘辛の体育祭だから弁当のおかずになろう。みんなレジで並んでいると八兵衛は

「ぎょえーっ、こっちのほうが安くてお得じゃん!さっき3000円も買っちゃったよ・・・」

まったく気の早い人だ。街中で突如車を止めさせ、お土産店で買い込んだらしい。しかし「味の違いがわかるからねー、へっへー」さらに「伊達」でお土産を買っていた。。。
店を出て高速に乗ってしばらくすると前回とほぼ同じ光景が視界に飛び込んできた。水田や畑に流れ込んだ瓦礫は撤去され、流された車も並べてあったが片づけられてはいない。水没した施設も今は復旧が進み、稼働中を示す緑ランプが一面に点灯していた。しかし入り口の鋼鉄製ドアは水圧でひしゃげたままで、戸締りは南京錠で行っていた。

目の前で洗濯物が揺れていた2階建の民家はきれいになくなっていた。付近を少し歩き回ってみたが、瓦礫や津波で破壊された建物の撤去はなかなか思うように進んでいないようだ。
ただ、何件かは「あそこは2階に住んでおられるよねえ」という家屋があったのが前回と大きな違いだ。
1階は津波で家具他が散乱しているが、片づけて無事だった2階で生活しているらしい。こういう人たちが増えてくるとやはりまだまだユーザ系故障修理隊は休みなくリクエストに応えなければなるまい。。。

以前はあまりの光景に言葉を失い、写真など撮る気にならなかったのだが、少しずつでも片づけが進んでいるし、戻って生活している人もわずかだがいるようなのでホッとした。
津波のすごさを表すショットを一枚だけ残した。電信柱というのは中にこんなに鉄芯が入っているのか初めて知ったが、どうやったらこんなに引き千切れるのか・・・怖ろしいとしか言いようがない。しかし真新しい施設も稼働しており、この先の派遣隊の活躍が期待された。

        

次に付近の空港施設へ。ニュースでターミナルから巨大津波にヘリコプターやら軽飛行機などがおもちゃのように流される衝撃シーンを見た空港だ。
先日、一応この地方の「空の玄関」としての機能を回復し運用を開始している。
海岸からわずか1キロくらいのところにあるのだ。あの津波では壊滅に近い被害にあったはずだが、ここでも奇跡的な回復力が伺えた。何せ周囲の民家は全部「無くなって」いるのである。

前回訪れたときは仙台駅も大きな被害にあって使用不能であった。市街地でも至る所で壁の崩落やショールームのガラス倒壊、建物や施設の傾斜が見られたがそれらの復旧は進み・・・駅へ降りたったときは「震災があったとは思えない」ほど正常機能に戻っていたようだが、ホントの被災地との隔たりは一段と高くなったような気がする。
なぎ倒された防水林?の根っこを横に飛び立つ旅客機を不思議な気持ちで眺めていた。

その後市街地へ戻り現地災害対策室、復興を推進する新組織に顔を出した。現地の責任者マッキーさんは色々な話をしてくれた。
そこまで来る途中に建設された仮設住宅を何か所か見たが、入居率がイマイチ上がらないそうだ。光熱費等を自分で負担するのが厳しいらしいのである。ニュースでも色々な問題を取り上げられているが、発生から3ヶ月、いわゆる「緊急何でもありモード」を過ぎると日常現れる問題が顕在化してくるようだ。復旧、新規建設チームにも限りがあるから、どちらを優先して工事するかが課題らしい。

新組織には懐かしい顔ぶれが結構いた。7月からは若手を中心に兵力を増強する予定らしい。確かに若者にすれば二度とない(あって欲しくない)経験だろうからな。4時の全国電話会議はそこから皆で出ることにした。
「磯辺さんお一人ですか?スタッフの方々は・・・?」「別に・・・車で来ているから帰ってもらったよ
ディズニーの国の責任者は5人以上も取り巻きを連れて来たらしい。。。私は週末自宅に帰るため、新幹線で東京へ向かうから残っただけだ。
会議終了後、また来ることを約束して仙台駅へ。朝6時から色々とあった1日だったが、何故か帰り2時間あまりの列車の旅で「一杯飲む」気にはまだなれなかった・・・

6県会議

2011-06-15 13:56:58 | 出来事
先週末、北関東甲信越6県の技術・施設系責任者の集まる会議があった。会場は「秘密のケンミンショー」で「県民のほぼ全てが『県の歌』をうたえる」という広大なエリアである。
昨年までは北関東4県で行っていたのが、前回から出席するようになったのでホスト係をさせられている。さらに今回から「謙信公の国」からも参加することとなり、次回はそちらが会場ということになっている。毎回のことだが、各県域からは主だったメンバがずらりとやってくる。その派遣数それぞれ10名程度、50名以上の大移動になり会議室は100名ほどの人数であふれかえる。

サミットやAPECでいやと言うほど知ったが、迎え入れる側の事務方とはホントに大変なものだ。会議の資料準備だけでも(スクリーンが多いが)大変な苦労だし、会場の設営、メンバの確認、懇親会の設定から宿泊者の手配など、それこそ本業しながらやっつけることになる。
むろん参加者は自分も主催者になったことがあり、その苦労は十分知っているからなるべく「気を使わせないよう」に気を使っている。
我が方からも総勢9名が押し寄せることになった。私を除く8名は新幹線で団体移動、私は前日東京で悪勉強会があって、帰宅していたから東京から駆けつけることになった。
早朝、時間に余裕があったので超久々の平日早朝サーフィンに乗り込んだがあいにく波は寂しいものだった。
会議自体は規模の割にはどうでもよい(たまに役には立つ)内容が多いので、この機会にこのサイトでたまに登場する職場の同僚を改めて紹介しておこう。(登場頻度順)

スティーブ:施設の保全全般を管轄する
このセクションきっての「義侠に生きる」男。親分肌で部下の面倒見はピカ一、むろん信頼は厚い。自宅からは徒歩で通勤しているため、年中無休でスーパー酒飲みの実力をいかんなく発揮している。高所作業者も昔扱っていたらしいが、高いところはきらいらしい。グラハムカーの「世界の料理ショー」に話題だけ登場する(実際出たことはない)キャラから愛称を付けたが、実際のルックスは「鬼の入道」である。

八兵衛:施設の計画を管轄する
もとは「エイトマン」という通称であった。自他共にに認める「八の字眉毛」、独特の明るいキャラクターで誰からも愛されている。温泉大好きで会員カードを何枚も持ち、何かにつけて遠方に出掛けていく。
噂では持ち歩いているヘルメットにはシャンプーと石鹸が入っているらしい。酒好きではあるがそんなに強いわけではなく、過ごしすぎると駅が宿代わりになる。

O次郎:投資・事業計画を管轄する
我がセクション(というより会社)のヒト・モノ・金をほとんど全部持っている番頭。クールで若手の面倒見もよい将来のエース。意外に熱いところがあり、取引会社との交渉では机を叩いて怒鳴りまくるときもある。(そのとき「まあまあ、ここは中をとって・・・」の「熊さん」役は私。。。

グッチー:実は新宿本社の出張機関だがここで説明するのは難しい
最年少参加者、O次郎と並ぶ若きエース。いつも温厚で怒ることなど滅多にないが、本社人事部若手育成係にいたこともあり、新入社員、超若造系には睨みが利く。優男にも見えるが学生時代アメフトをやっていたという隠れマッチョマンである。

ノッポさん:O次郎の部下。実質の切り盛り係
温和で誰からも信頼され、何をやってもソツがない「組織に一人は絶対必要な」至宝とも言うべき存在。私たちの予定その他はすべて陰で操られており、勝手に変えると怒られる。。。

ダックくん:建設・工事を管轄する
大地震発生時に私と同行していた。(危機的状況でちょーっとフリーズしてしまったねー。)今回の開催県出身で私と同じ単身マンションに住む。聞いてみるとやはり「県の歌」は歌えるそうだ。

ETさん:設計を管轄するセンター長
初登場、我がセクションでは珍しく女性の多い職場を統括する。そのせいかネクタイだけはいつもお洒落なヤツをしている(ような気がする)。物腰が柔らかく好々爺という感じがし信頼も厚い。

シッチョー:「いざ」という時係
様々な「いざ」という時に備えてマニュアル整備や訓練を欠かさずに行う危機管理のエキスパート。ch47ヘリでの訓練も彼が自衛隊と共同企画したもので、むろん震災時には獅子奮迅の活躍をした。

これら一癖もふた癖もある連中の中で、私は年齢的には下から数えて3番目、はっきり言って「いなくても仕事は回る」。妻に言わせると「いなくてはならないときもある」。
ピーク電力(1回に飲むお酒の量)は私が一番、総合電力消費量(1週間で飲む量)はスティーブがダントツトップだろう。
集まった6県の中ではかなりの団結力を誇る。前回は信玄公の国の温泉街で開催された。

会議終了後、高齢(もとい!恒例)の懇親会が開かれるのだが、せっかくの温泉ホテルなのでホスト側が気を利かせ、会議を1時間ほど早く終わらせて「ひとっ風呂タイム」を設けてくれた。
我が方のメンバは翌日息子の運動会がある私以外はすべて宿泊予定でチェックインに走っていた。私も風呂に入ることはできたが、面倒くさいので一足早く宴会会場に行き、舞台の上で一人日本酒をぐびぐびやっていたら何故かメンバ全員が集まってきて囲まれ、後から登場する隣県のソルジャーHさんと飲み始めることになった。一人やってきたソルジャーHさんは
「おめえんとこは結束固いなー。こっちなんかオレをほっぽり出してみんな風呂行っちゃったよ・・・」

集まった責任者(CXOとでも言うべきか・・・)達では私が一番年下だが、以前の職場でも仲良しでみーんな知っているので、結構好き勝手なことを言い合っている。何せ3人は同僚だったことがあるのである。結構な社員数を誇る我が社だが意外と狭い世界なんだな。
ではせっかくだからそれらの猛者達も紹介しておこう。(皆先輩なので敬称あり)

コボさん:黄門様の国代表北浦和で勤務していたときの同僚で、その後も何度となく近しい職場にいた。今年1月1日付で現職に就いたが、運悪く2か月後に大変な苦労に遭遇してしまった。楽しみにしていた第1回コボ杯ゴルフ大会は震災のため中止、我が方で言うETさんの職場にあたるセンターが震災で機能しなくなり、お手伝いしてあげたことに「磯ちゃん、あん時はホントにありがとね」と連発していた。

ソルジャーHさん:餃子の国代表
噂では元軍人ではないかとされるかなりの過激派。人に厳しいが自分にはそれ以上に厳しい。2年ほど前に訪問させてもらったとき、懇親会では二人で店中の日本酒を飲んでしまった。大のゴルフ好きで、今回も会場に現れたときに持っていたバッグはどうみてもゴルフシューズが入っているようにしか見えなかった。
意外と割り切りも早く、「3日間停電したらどう対処するか」という議論では「あきらめるしかねえだろ!」と一喝していた。

トンポーさん:謙信公の国代表
危機管理のスペシャリスト。今回の大震災後、いち早く自県を後方基地とする復旧プランを策定した。燃料補給、支援隊の割り振り、向かうルートの設定などその手腕は見事としか言いようがない。
ご勇退されるという噂もあるが、得難い存在である。
ナオさん:今回の開催国代表
ずーっと以前、係は違うが同じ部に所属していたことがある。もの静かで理性的な側面が伺える。この中では「上司にしたい人No1」かもしれない。数年前、訪問したときは悪乗りして7年に1回の御開帳に足を運んだ。あのときよりもずいぶん白髪が増えたなー。苦労されてるんだなー。

キタさん:信玄公の国代表前職場の同僚、つまり私と同時に隣り合う県に赴任した。私と異なり「いつまでたっても帰らない」ので有名らしい。なりゆき上、ゴルフを始めたらしい。。。部下が勝手にゴルフレッスンをスケジュールに入れてしまうそうだ。全国社長表彰会でこの国のスタッフたちはチーフを中心にEXSILEを踊ったらしい。信玄公まつりに向け髭を生やしたり・・・ノリのよいスタッフらしい。

どの職場も平均年齢は高い(高齢化が進んでるなー)がそれなりに結束を持ち和気あいあいとしている。
今回初参加のトンポーさんの国が次回開催と決まった。(ふ、ふ、ふふふ。。。日本酒のうまいところだ)「サド(もとい!佐渡)がいいなー」とつぶやいておいたが、実現するかどうか・・・
仕事のやり方やスタイルなど基本は同じはずなのだが、やはり微妙に異なりそれなりにどこも工夫している。「おめーんとこはどうだ?」なんて話は「どこも同じだなー」という安心材料にもなるのである。

2011-06-12 17:44:11 | 出来事
「橋」と言うものには、色々な人が多くの思いを馳せているようだ。以前、見たことのある「橋物語」などはずばり橋の写真集だったが、著者(誰だったかな)によれば「橋のある景観は、人間の作った眺めとしては最高のもであると思う。大都会のそれはダイナミックで心を打つし、自然の中の橋のたたずまいは、心がなごむ。」
「戦場にかける橋」「遠すぎた橋」「マディソン郡の橋」など戦争ものは「橋」をタイトルにしたものが多い。
建築家、写真家なども「橋」については特別な思い入れを持っている人が多い。「橋」という言葉が「人と人をつなぐ」意味合いを感じさせるからだろうか。

この辺で「見事な橋」と言えば、横浜ベイブリッジだろかなー。年中通過しているので結構身近にも感じる橋なのだが、その昔あの橋はまぎれもなく「デートスポット」で橋の上から「みなとみらい」を一望できる「みなとの見える橋」だったのである。
駐車する車があまりに多いため「橋の上」だけすごい渋滞し、通過するのに何時間もかかったことがあったのだ。結婚することになり、式場選びに奔走していた十数年前、「あそこにすべー」とそびえ立つビルを指差したのもあの橋の上だった。

また夜になると1時間ごとにブルーにライトアップされた。それを見るためにわざわざ時間を合わせて停車していた車もあった。
「午前0時だけ石田あゆみの『ブルーライト横浜』が流れる」というもっともらしい都市伝説を吹聴する悪友がいたらしく、妻はずーっと信じていたらしい。
自殺防止や渋滞緩和のためだろう、いつの間にかあそこは全面駐停車禁止になってしまい、さらに手すり部分もかなり高いフェンスが設けられている。。。
去年の秋に展望歩道「スカイウォーク」が営業終了してしまったのも寂しい話だ。

この近辺で立派な橋と言えば「レインボーブリッジ」「鶴見つばさ橋」などがある。浅草から日の出桟橋に向かう水上バスも「墨田川」の歴史ある「橋」を案内するガイダンスがあって面白い。
しかし橋としてのスケールで度肝を抜かれたのは「明石海峡大橋」だ。仕事で淡路島五色町を頻繁に訪れていたとき、KIXからの高速船が波浪で運航停止してしまうと神戸港軽油で来たりしたときに見たものだ。
実際に渡ったことはない。。。しかしかなり距離があるはずなのだが、あの大きさは尋常ではない。近くで見たらすごい迫力なんだろなー。

さて、「橋」の写真などショボ写真しか撮れないから、少しマニアックな写真を。。。
ここのところ仕事柄「橋の工事」に立ち会うことが多かった。詩的な意味ではなく物理的に「つなぐ」構造物が橋にはたくさんあるからである。
道路と同様「橋梁」も劣化するので何十年ごとには架け替えなければならない。先日、馬入川(相模川)の湘南大橋も新しい橋に架け代わった。
その際に「つなぐ構造物」も合わせて作り直さなければならないのである。普通は新しい橋梁と同時に構造物を構築し、橋を挟んだ両再度で「えいっ」と切り替える。

この橋は老朽化したために補強するのと車線を増やすために新しい橋梁を真横に構築するケースである。
切り替え地点まで古い構造物と新しい構造物を並行して作るため、一旦道路のアスファルトを切り開く。。。
カッター屋というそのまんまの業者がちゃんといて、見事に道路を切り進んでいく。
アスファルトの厚も色々あり、30センチくらいの刃で開けるときもあれば、90センチの巨大なカッターを使わなければ切り進めない場合もあるという。
一本の鉄棒アームを操作して緩やかなカーブをきれいに切り開いて見せた職人技だ。

    

    

新しい構造物をもう一つ作って、古いやつから切り替えると当然、2度手間になって費用も嵩む。
次のケースは橋梁の下に「ボックスカルバート」という四角い箱を「ぐいっ」と挿入し、新しいものとするという工法だそうだ。これをやられてしまうと(土木事務所の都合だが)「つなぐ構造物」はずーっとルートを迂回して別の橋梁に付けるか、さらに川底のその下を掘り進んで川を渡らせるしかない。。。むろんすごい費用がかかる。
そこで設計者が考え出したのは上下に並んでいる鉄管を一旦左右に平べったくしてボックスの上に固定してしまう、というかなりの荒技だ。

    

その次は謎の橋梁跡写真。。。どうも私たちの所有物のようなのだが、支える橋梁がいかにも不自然で上を通ることができない。
その昔は道路があったようにも見える橋げただが、今はその残骸しか残っていない。
のどかな田園風景で仕事でなければその辺の水辺で釣りでもしたいところだ。場所は県の最東端に近い「雷電神社」の近くである。

   

次の現場は以前調査に来たときは「雪」に埋もれていた。渓谷にかかる橋に新たな「つなぐ構造物」を作る計画だったのだが橋梁に工事の計画が無かったためか行政の許可が下りず「じゃーいいもんね」と渓谷の端から端までケーブルをそのまま通してしまうことになった。以前来たときは全然分からなかったが、すごい高さなのね。。。
小さく見えるオレンジ色のロープを最初に通して本物はその後に引っ張るそうだ。

     

最後が先般開通して、M座温泉を訪れたときに上を通過したY場2号橋。数年前にダムの建設をやるのやらないので、政権交代まであった曰くつきの橋で、あそこには建設当初から「つなぐ構造物」が埋め込まれている。
橋の直下数メートルまで水面がくる計画なのだそうだ。建設中のときは「I」や「T」の字が並ぶのを背景によくレポーターが説明していた。何となく「人類の思い上がり」を訴えるようなレポートだった印象がある。

   

私には残念ながら建築・土木の知識が乏しいが、橋の構造にまつわる話は詳しい人にはかなり面白いんじゃないかと思う。
実際建築家の友人には「世界の橋を巡ってみたい」というのがいた。歌にも「橋」に関わるタイトルがたくさんあったように思う。
ちなみに私の持ち歌にハウンドドッグの「BRIDGE-あの橋をわたるとき-」と言うのがあったが、歌詞は忘れてしまった。。。

節電バトル

2011-06-10 09:20:44 | 職場
私が赴任している街が自宅に比べてかなり「暑い」ところである。ここ数年など猛暑日が続き、最高気温が体温を超すなんてことも結構あった。
また県最東端は日本有数の「灼熱の街」で熊谷と並び、猛暑のときにはよくニュースで最高気温が報じられる。
勤め先のオフィスは本館と別館があり、歩くと数分の距離があるが打ち合わせなどで結構頻繁に行き来するから、真夏はこの「数分」のせいで頭がクラクラすることもある。

さてこの夏を迎えるにあたって、例の節電対策によりかなり例年にない厳しい環境になりそうで、連日具体的方策が議論されている。
震災直後、計画停電を実施されて以来、エレベーターは使わなくなり階段やオフィスの室内灯もよほど暗くならないと点けない。
先日、全国会議で新宿の本社に行ったら、廊下や各階のエレベーターホールなどほぼ真っ暗で、ボタンを探すのに苦労するほどだった。
我が社は東電にとっては有数の超大口需要家なのだ。つまり法令で大幅な節電を義務付けられるのである。

法令では被災地や病院、鉄道など社会的影響が大きい分野は「免除」されているらしいが、どうも我が社には今のところその「お目こぼし」はないらしい。
「ライフライン」とも言われているような気もするが・・・絶対に止められない電力が大半を占めている。。。
まだ法令の解釈で定かではないところがあるが、まともに受け取ると「死守しなければならない電力」だけで許容限度を超えてしまい、オフィスの生活空間の電力を「ゼロ」にしても守れないことがわかってきた。
全社的な話だからその辺は中央でどのような話を進めているのかよくわからぬ。(と言うことにしておく)

いくつか仮説があって色々シミュレーションしているが、まずはオフィスの削減目標は前年比マイナス(とんでもない)%。。。
どこまでいけるのか検証するために、6月からできるところはすべて止めてしまった・・・
エレベーター、室内灯はもちろんコーヒーメーカー、冷蔵庫(って何であるんだろ?)、コピー機なども原則一つを残して全停止だ。「弁当が傷む」と言って冷蔵庫停止には根強い反発があったようだが、考えてみれば中高生は普通に生の弁当食ってるからなー。

自動車業界や市役所も平日に休むとか、サマータイムを導入するとかニュースで流れている。
新宿の本社は窓が開かない」ので、かなりドラスティックなシフト勤務にするようだ。灼熱の地にある我がオフィスも「ヌルい」サマータイムなどを検討し始めている。
「年を取ると朝が早くなる」というのはかなり正解で、徒歩のスティーブ、マイカー出勤の八兵衛、そして新宿勤務のときは出社前に早朝サーフィンを勤しんだ私は揃って「5時始業でも全然OK」と言い放っている。

最も効くのは「エアコン温度を上げる」ことなのである。今は世の中の慣習に合わせて「28℃」設定ということになっているが、私の席は背中がずばり窓(つまり窓際)であり、西日どころか東西南日が当ってしまいまるで「かちかち山」だ。
昨年は集中制御のタイムラグを狙ってデフォルト28℃を下げたり、個別空調の応接室を「20℃」とか死刑ものの温度に設定して涼んでいた。
オフィス電力「とんでもない」%削減のために、室内温度を30℃に設定するという案が出された。皆、凍りついた(ならOKじゃん)が、どうやら労働衛生上NGになったようだ。

別館にいる我々は「計画停電」で仕事がストップしてしまい、散々な目にあったため「せめてNWとPCは稼働するように」非常用発電機をレンタルしていた。
O次郎とグッチーの指示で検討され編み出された画期的な節電案が「発電機の受電設備を高圧受電用に改造し、移動用電源車でビルごと給電する」というものである。
正しく言うと「節電」ではない。「東京電力の代わりに自分で発電する」というだけのエコではない方策である。
しかし今回の政府施策は「東電の発電能力が不足するので『発電できる人』は自分でやって」とも受け取れるからある意味合理的である。

室内温度が9℃設定という地獄のような本館に比べ「いくらでも冷却できる」という夢のようなソリューションである。多数の人が非難してくることも予想される。
ものすごい費用がかかるから「入館を有料にしたら・・・」というアイディアもある(うそうそ)。
セキュリティ上在宅勤務もなままならぬし、中途半端なサマータイムもあまり効果はないだろう。
しかし魅力的ではあるが、「オフィス丸ごと給電策」には個人的にあまり乗り気ではない。

朝5時から12時半までの勤務、週休3日化、シエスタの導入など「仕事のやり方を変え劇的に効率化する」絶好のチャンスだからである。普段と違うスタイルにワクワクする私にとっては「台風が来た時喜ぶ子供」の心境に近い。。。でも接客系セクションもあるから時間は思う通りにならないことも多い。
個人的には節電(と言うよりは耐高温オフィス対策)はいくらも思い付いていない。Tシャツ短パンくらいでは全然生ぬるいもんなー。

・ドリフのたらい作戦
ドリフのコントでよく出てきた巨大なたらい(って今時売ってんのか?)に冷水を入れ足を机の下で足を突っ込んで仕事する。会議のときに持っていくのが大変だ。

・人工冷風作戦
扇風機を買ってきて羽根の前に「ドライアイス」又は「液体窒素」の皿を置く。氷だと解けた後が面倒くさいので気体になるものが好ましい。

・ミスト攻撃
M座温泉での現地検証後、ついでに入った温泉の硫黄臭が未だにシャツからとれない。机の上には「ファブリーズ」が置いてあって、見られてないところでシュシュっとやっているのだが、これが意外と涼しいことに気が付いた。そういう家電もあるようだが、「電気を使えない」ので人力に頼るしかないのが欠点。

・ひんやりマット作戦
昨年の夏、冷やしもしないのに冷たい不思議な枕カバーやふとんのシーツを使った。あれを改造して「着る」というのはどうだろう。どういう素材なのかよくわからないが、結構重たかったが・・・ってそういうシャツがもう売られてるかもしれない。。。

・やけっぱち作戦
ずばり、会社に来ない!これが一番効くはずだ(色んな意味で)。5月末に庶務筋が「夏休みの予定立っていなくても入れろ」とあまりにうるさいので、お盆前後の週ばーっと2週間線を引いた。これはスティーブ達に大好評であった。やはりこういうことは率先して実行しないとねー。結局いなくても何とかなるものだよ。

O次郎達のウルトラCが実現したら快適なはずだからそれはそれでよし。サウナオフィスになったら皆がどんな面白い工夫をするか、また仕事のやり方がどのように変わるか、それを観察するもよし。
どちらにしても「楽しんだもの勝ち」である。「台風時の子供」に徹すれば「火もまた涼し」である。

ウォーキング(最寄りの駅編)

2011-06-06 04:36:17 | 旅行お出かけ
今回は写真だらけです・・・

「かき氷ごときに『並んで待つ』なんてことはないからな」
「出たー磯辺節!・・・『ごとき』だってさー。あなたたるゆえんねー」
開店15分前くらいに妻と家を出て歩き出した。ウォーキングなのだが、今日はいきなり海岸ではなく、我が家の最寄りの駅方面から結構「お洒落」と聞くマイナーな商店街を歩いていつものコースに戻ることにしたのだ。昨日から我が夫婦の行動半径の狭いこと・・・

昨日の強烈な日差しと異なりぼやーんと薄曇りの天候で、我々は歩くこと10分、雑誌でも結構有名というかき氷の店「埜庵」という店に向かったのだった。
夏場は店の外まで行列ができるという「かき氷」の店らしい。。。
自家製の練乳と素晴らしくフワッとした歯触りのよい「昔ながらのかき氷」で連日混雑しているらしい。
一度は話のタネに、と足を運んだが妻にいかに冷やかされようが「かき氷」に何十分も待つなど私の辞書にはない。。。

幸いに開店直後で満員ではあったがすぐに注文することができたが案内されたのは何と2階の部屋である。お年寄りにはかなりキツいと思われる階段を上って喫茶ルームと言われるテーブルに着いたが、一目で「自分の家を店にしたねー」という普通の民家だった。
1階はテラスにいくらもテーブルがないから、あまりにも人気が出てとうとう自分ちも開放してしまったのね。。。。
店員はこの家のお嬢さんだろか、持ってくるモノすべてすごい「大盛りかき氷」だ。私のメニューが基本の「イチゴミルク」、妻の注文は「抹茶金時+白玉」である。

 

すごい盛り方だったが氷がフワフワの不思議な食感で、練乳とストロベリーが絶妙にマッチする「ゴージャスかき氷」だった。
800円とか言うありえない値段だが、味そのものや素材のこだわりはうなずけるものがある。
店内で食する客はほとんどが商品の姿を写真に収めていた。そう言うところなのね。。。

   

駅前の小さな商店街に出るとどことも変わらない色々な店が現れて面白い。ここだけが特別というわけではないが地方柄「サーフィンスクール」というのは多い。結構「無料」って多いんだなー。

   

妻は結構詳しいらしく色んな店を知っている。飲み屋なんだが「犬連れOK」とか「釣ってきた魚出します」なーんてのは土地柄出てるねー。串焼き屋も有名なそうだし、テイクアウトのロコモコ店もある。このあたりは「ヨーガ」が盛んらしく教室みたいなちらしもよく見かける。
ウェットスーツ姿の女性サーファが昼食用に何か買って歩いていた。
本通り(と言っても私道みたいな細い路地だが)から少し入ると手作り細工を売る店があった。店主は気さくだがいかにも「道楽でやってます」ってな感じだ。
横にはどういう意味かわからないサーフィンスクールの看板が・・・

      

    

商店街の端から右に折れるとすぐにサーフビレッジだ。134号をくぐるトンネルには色々なチラシが張ってある。
ヨーガ教室のチラシがあった。海岸で海を眺めながらのヨーガ(写真がイマイチ)というのもいいなー。無料だし妻と次回は参加することとしよう。最近「気」とか「呼吸」を大事にする私たちである。。。

   

新江ノ島水族館まで来ると正午近くだったが、地引網がちょうど上がるところだった。
むろんそんな光景を見て、我慢できるわけがない。。。近頃この辺の水域ではどんな魚が獲れるんだろか?足は打ち際に見える網に向かって一直線だ。
最初に上がってきた大きな桶の中はほとんどすべてが「カタクチイワシの子」すなわち生シラスである。これだけでも「酒のつまみ」には最高だ。

     

小さな魚をより分けたバケツをブルーシートにぶちまけると・・・結構立派な「カマス」が入っていた。
しかし気になったのは「ゴンズイ」だらけだったこと(黒い縦じまのヤツ)・・・もちろん食えないし背びれの後ろに鋭い刺があり猛毒を発する。釣り人の間では悪魔のような「決して触ってはいけない魚」なのだ。
小さい子供が好奇心で手を突っ込まないように漁師さんは口うるさく叫んでいた。
久々に「地引網」の獲物を見た。中々面白かったがあれだけの「ゴンズイ」を見てしまうと当面、この辺で釣りをする気になれないなー。

   

帰りにいつもの通り元町ユニオンで買い物をしてもう一度駅前通りへ。。。来る時に気になったラーメン屋に入ったが味はイマイチ・・・
小さな商店街だが「ぶらり途中下車の旅」でも結構取材にはなるわなー。
しかし私も妻も茅ヶ崎の母親でさえも最近一番のヒット番組はNHK教育テレビの「世界ふれあい街歩き」である。あれは外国の街の一風景だがここ最寄りの街でもあういう取材ができれば面白いと思うなー。

サーフイベント

2011-06-05 19:57:01 | 出来事
私がサーフィンを始めてから5年以上にはなる。地方圏に転勤になってからはシーズンでも週末しか行けなくなったが、新宿勤務のときは日の長い今頃は出社前の5時頃にも海岸に通うほど回数は重ねているが、恥ずかしながら未だ「中級レベル」にも至っていないようが気がする。
ウエットスーツ姿のお向かいのおばあさんに「楽しいですよー」とはにかみ笑いされ、「あの人にできてオレにできぬワケはない!」と始めたものだが、我流のままでは中々上達しないものなのか・・・?!

さすがにホントに初めてのときは、スクールで教わった。生まれて初めてウエットスーツなるものを身に付け、「今日は波がないから中止するところだった」と後で言われたほど穏やかな海に繰り出したのだった。
ボードの部位、波の質や高さの呼び方、準備運動の仕方、パドリングの練習などをやって、インストラクターについて沖に出たが、2時間のレッスンの間に数回は見事にテイクオフすることができた。
後から聞いたらレッスン用は「どんな初心者でも立ち上がれる」超浮力ボードだそうなのだ。

風を切り、岸がすごい(自分で感じる限り)スピードで近づいてくる快感を知ってしまった私は翌週にはもう9フィートのロングボードを購入していた。。。
我が家から海岸までは数分だから、サーフショップで預かってもらう必要もなし、ショップ会員にもならなかったから、徒党すら組むことのない完全な孤高の趣味になってしまった。
今更言ってもあまり意味をなさないが、私はサーフィンは嗜むが断じて自分が「サーファ」であるとは言わないし、言ってほしくない。

もちろん全部ではないがイメージとして「茶髪にあごひげ、元大洋の『斎藤明夫』のようなチャラいネックレスに咥え煙草でやたらと態度がでかい」サーファ特有の「品のなさ」が好きになれないからである。
むろん見渡すとそう言う人のほうがマイノリティなんだが、どうも偏見なのかんなイメージを持ってしまうのだ。
しかしそうは言っても、最近孤高の波乗りでは上達に行き詰まりがある、とどうも感じ初めており、機会があれば2度目のレッスンでも受けようか考えていた。

そんな中、いつものポイントでイベントをやるような情報をHPで見た。あまりよく見なかったのだが、いわゆる「大会」ではなくショップが主催する小さな「サーフィン教室」のようなものらしいのだ。セミプロに直接教われる機会もあるようだ。
その日は地方圏の職場で2,3年生が新入社員を歓迎するバーベキューが予定されると聞いた。地方会社幹部も勢ぞろいで出席するので一緒に出るべきなんだろうが、土曜日だし今回だけは「差入れ」で勘弁してもらうことにした。
差入れはスーパーグルメ主婦小夏さんサイトで知った、震災後大変な苦労の末再出荷を果たした「浦霞」である。
グッチーに手渡す時に、「私の一番の好物がこの銘柄であること。震災で多数の原酒を失ってしまった酒造会社の再出荷への思いを感じて飲め」と伝えておいた。。。

競技に出場するわけではないから特に事前の申し込みはしていなかった。当日は10時からと聞いており、その場で参加するものだと思っていた。
早朝竜泉寺の後、最近畳部屋で座ったり立ったりするのがしんどくなったという茅ヶ崎の母親と近くのニトリで購入した椅子が朝一で届く予定だったので、組み立ててやるため配達を待っていた。
しかしこういうときに限って待てど暮らせどなかなか椅子は届かず帰宅できたのは11時過ぎだった。

あわてて会場付近まで桜クルーザー号を疾駆させたが、どうやらサーフクリニックのようなスケジュールは終わってしまったらしい。。。
今は実際海に入って様々な色のゼッケンのプレーヤーがインサイド(波打ち際)、沖合に分かれて波待ちしていた。
普通、大会のときは海上に巨大なブイのようなものが浮いており、大会エリアであることを示している。それより内側は一般サーファは入れない。

しかしその日はゼッケングループのすぐ真横まで接近することができ、どういう波をどういうタイミングで掴むか、ずいぶん参考になった。
その他「背筋を使って身体を反らしバランスをとる」「テイクオフ時にどのタイミングで一番パドリングを強めるか」「テイクオフ直後の体重移動」など普段聞かない話をたくさん聞くことができた。
競技が始まるようなので一旦エリアを離れ、自分で実践してみることにした。残念ながら波のコンディションがガチャガチャで、思うようには練習できなかった。

1時頃、妻が新しく見つけたという鵠沼の「家庭で気軽にフランス料理を楽めるテイクアウト専門店」PAQUET(パッケ)という店で弁当を買ってきてくれた。
2時間近く海に入りっ放しだったので、腹ペコだった私は陸に上がって海を眺めながら弁当を食べることにした。上空を獲物を狙うトンビが滑空しているので、コンクリの壁を背もたれにした。
気の利いたことに好物の氷結STRONG・・・ナー椅子!風も心地よいし弁当も実にうまい。。。
あまり経験しなかった「湘南らしい」光景だなー。

ひと休みして再度海に入り妻が帰るとしばらくしてイベントは終わってしまい、ビーチクリーンのようなものを始めた。むろん私も参加する。
今まで何度か見たこともあるし、私もやってきたが、サーファと言えども実にビーチを大事にする。
大きなビニール袋を抱え、ゴミを拾って歩くのだ。おかげで最近の海岸には空き缶や大きな瓶、花火の残骸などは全くない・・・
まあ、自分達がいつも遊ばせてもらう海岸なんだから当たり前だわな。

さて最後に1時間くらい締めで乗るかなー、と再度ボードを抱えて海に浮かび数十分・・・
やっかいなことに遭遇した。ちびっとお酒を飲んだせいか尿意をもよおしてきたのである。
私が海に浮かんでいるのはいつもせいぜい2時間くらいで出発前に済ませていくから普通こういうことはない。
夏場、ラッシュガードにサーフパンツであれば、防砂林の奥に行って隠れて・・・ということもできるし、最悪間に合わない場合、海洋投棄も「あり」である。(むろんやったことないけど)

しかしフルウェットスーツの場合、普通にいたす場合でもウェットスーツを膝まで下ろさなければ用を足せない。。。
つまり林の中と言えども尻丸出しのスリークォーター裸になってしまうのである。草なぎクンの例もあるしシーズンとは言え、警察に捕まったりでもしたら何ともキマリが悪い・・・
さらにぴったりと内側に滞留してしまうと思うので「海洋投棄」というわけにもいかぬ。
後から聞いたら妻は「トイレに行きたくなったから帰った」と聞いたが、私も結果的に同じ行動をとることになった。

今回は膝も股関節も腰もガクガクになった。。。ものすごい運動量だったと思う。
もう「運動でダイエットする歳じゃない」と思っていたが、さすがに翌日早朝竜泉寺で体重を計るとここのところ危機的だったものが2キロ近く減量となっていたのである。
運動で1キロ減らすのに計算上消費しなければならないカロリーは7700カロリー。。。「気」のパワーと運動量・・・やはり海はよい。。。
イベントそのものはウエットスーツの丸腰だった。写真は翌日、新江ノ島水族館の正面で行われていたイベント。