超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

顔と色で選ぼうぜ!

2013-04-28 18:08:35 | 出来事
これまで我が家の足として乗ってきたムーブ君は息子甘辛が4年生の時にサッカーチームを移ったときにやってきたから、かれこれ丸5年になるが、試合などの送り迎えなどで県内くまなく走り回り、はじめは走行距離8000kmくらいだったのに今や10万kmに達しようとしている。我が家はあまり車で遠出ってしないのに1年に2万km近く走っている計算になる。軽だから維持費は安いし燃費もよいからこの期間のマイカーとしては最適なスタイルだったと思う。大きな故障も事故もなくまさしく我が家の足であった。来月の半ば頃に車検を迎え距離も大台になるということで、買い換えるかどうか考えていた。

息子甘辛が高校へ入学し、サッカーは続けているが基本的にどこに行くにも電車となった。中学生の時はクラブチームの夜練習で自転車を使っていたが、夜遅くなることもあって妻がよく送り迎えしていた。私がいる時は私が迎えに行ったが、特に受験シーズンも近くなり塾と掛持ちしたりしだすと来る日も来る日も妻の運転で送り迎えしていた。ようやく彼女はこれで送り迎えから開放されることになるから、この機会に車を買い換えようという意見には賛成だった。次はどんなのにしようかな、やっぱり時代はハイブリッドか・・・電気自動車はまだ不便のような気がするし。妻は色々と調べていてどうも「ホンダ」が気に入っていたようだ。竜泉寺の帰りにいかにも「風呂上り」というスタイルで販売店を冷やかしてみた。

車屋を訪れるのは何年ぶりだろう?妻のリクエストは「天井が高く、車体があまり長くないこと」残念ながらどのメーカーのハイブリッド車も空気抵抗を少なくするために流線型で車体が低くなっているのが特徴のようだ。店員に話を聞くと「これからあまり距離を乗らないなら、正直ハイブリッドのメリットはあまり出ないかもしれません」セールスマンがそんなこと言っていいのか?とも思ったが、あまりにメリットを強調し過ぎて「それほどじゃないじゃん」とクレームになることがあるので、正しく認識してもらったほうがよいそうだ。(昔のセールスとは変わってきているな)さらについでに見せてもらった軽自動車は背が高くて5ナンバー並みに中も広く、何とリッター27kmも走るという。(ハイブリッドカーよりもいいの??!)

我が家の私道幅は2mなのであまり大きな自動車は入らない。基本的に5ナンバーなのだが、背が高くて広い車はあまりない。三菱にあると言うので見に行ったが正直別にどうということはない車だった。今回は車を選ぶ決定的な事情や希望があるわけではない。何を見ても何となくピンと来ない私は「もう1回くらい車検通してもいいかなー」などとぼーっと考えていた。そのうち妻が不穏なことを言い出した。「外車に乗りたい」と言い出したのである。「ポルシェは買えねえんじゃねーの?」とにやにや笑ったら「あんなカエルみたいな車はいやだ」と言う。。。彼女が目をつけたのはもっと可愛い車らしい。ルノーの「●ングー」だそうだ。(えーっ、あの花屋の配達用みたいなヤツ?)

仕方なく茅ヶ崎のルノー販売に行ってみたが、どうもモデルチェンジしてかなり車体が大きくなっており「前の方が良かったのに・・・」とがっかりしていた。なるほど女性好きのするような丸いデザインで面白いが取り立てて魅力を感じたわけでもなかったので内心ホッとしていた。正直あの「顔」を乗り回すのは抵抗があったのである。その後も●ィアットとか、ミ●クーパー、シト●エン・・・何やらネットで調べているようだった。BMWやベンツなど高級外国車やスーパーカーには興味がないらしい。(そもそも買えないし、車庫にも入らない)ちなみにスティーブはボルボに乗るのが夢だったと聞くがやはり我が家には大きすぎる。ヨーロッパ系の丸い車が好みのようだ。

「(まだあきらめてなかったのかよ・・・)」外国車など高いしサービスもイマイチだし、部品一つ交換するにしても不便だろう。燃費も性能もテクノロジー的には日本が世界一だと信じて疑わない私は最初は歯牙にもかけなかったのだが、その主張を聞いているうちにだんだん彼女の言うとおりに思えるようになってきた。
「これまでは甘辛の送り迎えの毎日だったのでコンパクトで燃費がよく費用のかからないムーブが当たりだった。もうそれほど距離を走らないから燃費など気にしなくてもよいし、我々ももうじき「天命を知る」年齢である。次の車を10年乗ったら60近くになることになる。そろそろ『乗りたい』と思う車に乗ってもいいんじゃないか?」
明けても暮れても送り迎えばかりしていた妻の主張に「なーるほど、そりゃーもっともだ」と思った。

元々「次はこんなのがいい」というこだわりが全然なく、何かとっかかりポリシーが欲しかった私はずばり、「顔と色で選ぶ」という誰にも想定できなかったであろう方針に決めた。「個性ある顔をしていること」「色は最近見るようになったメタリックな青か赤」後は妻が納得する車であればよい、ということにした。そして目をつけたのが●ジョーである。湘南台にディーラーがあると言うから、試しに見に行ってみることにした。この名前を聞くと「刑事コロンボ」が乗っていたオンボロ車がすぐに浮かぶのだが、顔もスタイルも色も中々のものだ。天井はあまり高くないがガラスルーフというのを明けるとオープンカーのように開放的で気分がいい。妻によれば「顔」は一つ前の世代の方が好きだが、インパネやステアリングは最新モデルがよい、という。

フランスは道路の舗装率がドイツほど高くないので、足回りが柔らかく軽快で「猫の足」のように走る車だという。アウトバーンの発達したドイツの車は男性的で硬い走りをするそうだ。ワーゲンゴルフのように性能はいいが大衆っぽさがあるのに比べ、中々コアのファンの多い自動車のようだ。何か車自体に結構親近感を感じた私は「いいじゃん、この車。後はグレードと色だな」
青葉台店には認定中古車も含めてもっとたくさんの種類の●ジョーが見られるようなので、「試しに乗ってみる」つもりで足を運んできた。我々はこの時点で半分以上、決めてしまっていたと言ってもよい。
私と妻で半分ずつコースを試乗させてもらうと、素晴らしく乗り心地はよい。(これまで軽なんだから当たり前か?!)ただハンドルは右側にあるが、ウィンカーレバーとワイパーのレバーが逆になっていて、左折しようと右手でレバーを操作すると「わ、わ、わーっ」とワイパーが動き出して焦りまくる始末だった。

        

最初は「顔が好きだ」と言っていた一世代前の中古車で話を進めるつもりだった。二つのディーラーを往復して一番気に入ったものにするつもりだったが、中古車購入というのは出会い運のみである。帰りに湘南台のディーラーに寄ってみると前回訪れて「いいね」と言っていた車は前日に売れてしまったという。。。(そんなに回転するものか?)何回か見積もりをもらってメールでもやり取りを繰り返していた。片方のディーラーは自宅までやってきて、先代と最新モデルの違いを詳しくレポートした専門誌なども持ってきてくれた。(住所を書いておいたので訪問は可である)
「キミさえ良ければ、最新モデルでいいんじゃねえか?色も好みのがあるしさ」妻もどうやら同じことを考えていたらしい。かの会社は4月が決算期であるらしく、熱心に値引きを提案してきた。

普段から「仕事では消費者マインドを捨てろ」とスタッフには言い続けているが、逆に今回は高い買い物だから最大限発揮しなければならない。値切り交渉が心の底から苦手な私は、対面すると逃げたくなるので自分の文才を信じ極めて論理的な価格低減・見積もり要請をメールで送った。その後何度かセールスマンが訪れたようだが、その度に妻は色々と細かい交渉をしたようで(相手が決算期で「どうしても新車を売りたい」という熱意が助けたのもあるが) 妻からのメールを見たら「ここまで付けさせる?」と思う装備を込みで信じ難い値引きだった。さすがに彼女も心の中で「マジっすか?」と思ったが顔色に出さなかったそうだ。こうして1●年目の結婚記念日、我が家にとっては4代目となる自家用車が登場することになったのである。

ルーキーズたちへの伝言

2013-04-26 05:58:04 | 職場
今年もルーキーズ達が配属されてきた。正しくは正式配属は色んな研修などを経た後で、まずは各職場のジョブローテーション(職場実習巡り)、販売研修などを行う。ここ数年、毎年15名前後の新入社員があり、ちょうど半分くらいが技術系社員であるので私の(遠い)管轄になる。グッチーを中心に技術系の若手ならではの取組みを展開しているが、皆集まると学校の一クラス分くらいになるのでかなり賑やかである。私はこれまで(何かの縁で)職場に配属されてくるルーキーズというものを見たことがなかった。今年で3回目になるが、何度あってもフレッシュでこちらも新鮮な気分になるものだ。個性豊かでしっかりしており、自分たちの時と比べるとため息が出るほど優秀な「粒そろい」である。正直、昔の巨人軍のように「ドラフト1位級」選手ばかりを集めてどうするのかと思うこともある。(モーレツ社員ばかりではないろことが現代的?!)

我々幹部と顔合わせを行ってお互いに自己紹介した後、2年生、3年生などと混じって歓迎会が開かれるが、似たような年齢なので誰が何年生なのかあまりよく分からずに談笑している。そしてそれぞれのセクションの仕事の内容、周囲との関わりなどが数日かけて説明される。私はこの手の座学が「死ぬほど」退屈で、学生時代でももうちょっと真面目だったと思うくらい、ほとんど全ての時間寝ていた。小学生バリに部屋の外に立たされたこともある。たまたま機会が無かったのか、約四半世紀たってレクチャーする側に立つことになったのだ。と言っても、何十枚もパワポを作って懇切丁寧に説明・紹介するのは新入社員お世話係のグッチーで、私は最後の30分くらい世間話をすればよいと言われる。

私のセクションは大きく二つあって、午前と午後丸々使ってその概要をレクチャーする。前半がグッチーで後半が先日スノボデビューの際にご一緒したニカウさんである。私は出番となる20分前くらいに会場に入った。グッチーがどんな講師ぶりを発揮しているのか見てみたかったのもあったのだ。退屈そうな顔もせず(むろん眠ることなく)聞き入っていたルーキーズ最後部席のさらに後ろの席で、4月からCS向上のために赴任した我が方初の女性マネージャー(たぶんエリート)のベッティ(仮称)と並んで聞いていた。本社系の勤務ばかりでいわゆる現場仕事が初めてだそうなベッティーは少し先輩だが同僚のグッチーのレクチャーを熱心にメモを取りながら聴いていた。(さすがー!)

説明資料は全部新しく作ったものではないが、既存の資料を組み合わせて我が職場のことを何も知らないルーキーズのために様々な工夫がなされ、分かりやすく再構成されていた。最後に「自分を振り返って」とか「仕事とは」とか啓蒙色満載のページが続き「自分が仕事で大事にしていること」などを織り交ぜ、いかにも「じゃあ、いつやるか?今でしょ!」的なメッセージを様々に趣向を凝らしたイラストと共に熱く語って名演を終えていた。「後ろの磯辺さんの前で話しにくいんだけどね」とか濁していたが、私は聞きながらかなり感心していた・・・と同時に苦笑もしていた。「(アイツ、いい資料作ってるじゃないか。あんな分かりやすいペーパ、オレの前に持ってきたことねえくせにさー・・・)」
「じゃあ、これで終わります。皆さん、がんばってくださいね」というグッチーが締めくくると「起立!礼!!」・・・2秒くらい最敬礼して・・・「ありがとうございましたっ!」まるで警察学校の卒業式である。。。(オレ、あれやられんの苦手なんだよなー)

その後、頭を掻きながら「いやー、どうもこんにちは。あと30分くらいなのでよろしくお願いしますぅ」とヘラヘラ話しを始めようとしたら「キリぃーつ!レイっ」とやはりかまされてしまった。。。(だからそれやられるとやりにくいんだってば・・・)
「昨日は懇親会、そして2次会お疲れ様でした。私は湘南から2時間かけて通勤しているので、夜遅くまで飲むのは注意が必要で・・・昨日は皆さんのフレッシュな熱気にエネルギー切れをおこし、国府津まで乗り過ごしてしまいました。新社会人としてこういうことのないようにお願いしますねー。私は午前と午後説明する二つのセクションを掛持ちしているんですが、グッチーさんの説明はよくわかりましたか?あんな分かりやすい凝った資料、たぶん作ったことないですよ。我が社の人間は新入社員大好きでねー。たぶん夜中まで頑張ってガリガリ作ったんだと思います。この情熱を本業にも活かしてもらいたいもんです」
★思いつきで喋っても精彩を欠くなー。ここ笑っていい所なんだが「がははっ」と笑ったのはグッチー本人だけ、ベッティはちょっと微笑んでいる。肝心のルーキーズたちは軽く引き笑いしているのが数人・・・

「意外と質問を受けるようですが、この会社でどんな種類の仕事を経験して何年も過ごすのか?さらにぶっちゃけ会社員ですから、どんなタイミングで『何』になれるのかは興味があるでしょうから、昨年同様『とある社員のインデックス』をご紹介します。私が入社した前の年から我が社の新卒採用制度ががらーっと変わりました。それから二十数年、この会社の採用・育成、キャリアアップ全般の制度は大きく変化していないので、参考にはなると思います。むろん人によってかなり異なります。私の場合は少し転勤が多いかな。しかし職種の変動や一つ職場にいる期間など大体こんなもんです・・・」
★グッチーも自分の仕事の経歴を分かりやすくまとめていたが、私は人事情報表をそのまま使ってしまったので「●●年▲長任用」とか結構、生々しい。海外旅行(もとい!出張)なんてのも結構興味があると思って行き先だけ書いておいたが、米国を1国としても15ヶ国出掛けている。。。ビジネスとは言えないような所用ばかりだがずいぶん色んなところへ行ったものだ。

「さて、この手の話はこれから『いや』と言うほど聞かされると思うので、印象に残ったものだけ覚えておいてください。昨年の新入社員にも似たような話をしましたが、やはり1年もたてば内容は変わります。まず皆さんには手に入れて欲しいものと捨てて欲しいものがあります。どちらが先か、といえば『捨てる』ほうが先です。手は2本しかありませんから、今まで色々つかんだもので塞がっていたら一旦捨てるしかないですよね。
■今まで身に付けてきた武器
皆さんは入社するまでに色んな学問を修め、武器と言えそうなものを身に付けてきたでしょう。語学力、テクノロジー、はたまた公的資格とかね。しかし残念ながらそれらのほとんどは仕事の上で直接役に立つことはない、と思います。今、お客様の前にいきなり立って我が社の製品を提案しろと言われてもできないでしょ?日本語でできないものがどんなに堪能でも英語でできるはずがない。魚料理をするのにペーパーナイフだけ持っていると思ってください。鱗くらいは下ろせるけどその先は進めないですよね。しがみつかないことです。捨てないと他の大事なものが手に入らないです。
■消費者マインド
偉そうなこといいますよ。仕事というのは基本的にオーバーアチーブするものです。サービス残業やただ働きしろと言ってるんじゃありませんよ。自分の割り当てが10だったら11とか11.5くらいにして少しだけ納品物に余裕を持たせてあげるんです。それが会社だけでなく社会への潤滑油となって恩恵として戻ってきます。消費者マインドに嵌っているとそれができません。それはそうですね。『同じ商品なら1円でも安く、同じ予算なら一つでも多く、又は少しでもよい商品を入手』という貨幣との交換効率を追及するのが賢い消費者=消費者マインドです。そういう人は同じ報酬をもらったら「10やって」と言われて11やることはありません。むしろ「9」で済ます方法を考えるか、「10の成果」をいかにアピールして報酬を増やすことに知恵を絞るのです。お荷物社員まっしぐらですよね。仕事は「労働と報酬の交換」とは考えないほうがよいです。
■適性、適職という考え方
我が社への入社を決める前に誰もは自分にとっての適性・適職というのを考えたことでしょう。実は仕事というものにあまり楽しいものはないので、辛いときに適性・適職という逃げ道を持ち出すと不幸になります。「ちょっとこれやってくれない?」と頼まれることに適性がある、と思ったほうがよいです。自分の適性って自分の評価よりも他人に判断のほうが圧倒的に正しいことが多いからです。もちろんじーっと待っていることはありませんが、私の経験からしても我が社は色んな種類の仕事の機会がありますから、黙っていても適職に収まっていくものと思ってください。
★ここまでは昨年も似た話をしたが、KICKPOP師匠のお読みになった「あの世で聞いた、この世の話」という著書の応用編でもある。(師匠、毎度のことながら参考にさせていただきました)
他に「グローバル化人材と軽々しく口にする人には気をつけなさい」と色々言いたかったが、思いつきではあんまりうまく説明できなかった。「英語だ英語だと言って、社内の会議や公用語を英語にしたりして、そのために必要なトレーニングやミスコミュニケーションによって失う時間やリスクを考えたら通訳を雇ったほうが低コストである。他にもっとやることあるよね」と言いたかった。

「捨ててばっかりでは元気になりませんから、身軽になったところで次は手に入れて欲しいマインドです。今年の念頭に我がセクションでは『試しにやってみる』というのを合言葉にしようぜ、と言い出しました。するとスタッフが「こんなのはどうですか?」なんてアイディアを出してくれたので悪乗りしてこのスタイルになりました。まさしく新入社員の皆さんに相応しい言葉だと思います。ポスターを作りましたのでよく見てみてください。ベテラン勢も中々やるものでしょ?
■「試しにやってみる」
ビジネスの上で最も大事なことだと個人的には思いますが、残念ながら我が社はこれがはっきり言って下手です。ちょっと規模が大きいのと社会的責任とかが騒がれるので「軽くやって失敗したからやーめた」のいうのが中々できないところはありますが・・・いずれ色んなところで同様なことを耳にすると思いますが、今全社を挙げて「試しにやってみよう」という気風を盛り上げています。むろんその先鋒にいるのは皆さんの柔軟な発想だと思います。
■「ついでにやってみる」
これからしばらくは煩わしくも(と言っちゃーいけねえよな)色々レポートを書いてもらうと思います。その大半は「何か気付いたことを元に業務カイゼンせよ」というものです。このカイゼンのキーとなるのが「どこまで『ついで』にできるか」です。これは先ほど言った「オーバーアチーブ」に通ずるところもあるんですよ。皆さんの大先輩はこれが結構得意です。経験豊富ですからね。よーく学んでください。
■「せっかくだからやってみる」
これも先ほどと同様ですが、思っていたほど「楽しい仕事」ってないんです。しかし「楽しそうに仕事をする人」はよく見ると結構います。こういう人を心の師匠にするとよいと思いますが、彼らは必ずと言っていいほど何かにつけて「せっかくだからやってみよう」と何にでも手を出す人達なんですよ。この悪ノリ精神が会社(いやかっこよく言えば社会かな)を救うのだと個人的には思っています。

最後に一言。。。皆さんがめでたく入社される少し前、何十年もこの会社に勤めてきた先輩達が去っていきました。その送別会の挨拶で私は「この会社はあらためて素晴らしいと思った」と申し上げたんです。どこを見渡してもその地方の「父」と言えるような柱が必ずいて、その人が去るとこれを「つなぐ」人が継ぐ。企業にとってもっとも大事な「存続する」ということが(ちょっと歴史的背景もありますけど)ここまでちゃんとできている会社はありません。よくぞ我が社を選んでもらったものだと正直思います。だから皆さんは入社した瞬間からこれを引き継いで次代に「つなぐ」義務を負ってるんです。ここで出会ったのも「せっかくの縁」ですから、色んなことを「ついで」に恐れずに「試しに」やってみましょうねー。
これで終わります。(ってやっぱり「きりーつ!」ってやるんだろなー)

単なるメッセージなのだが、次にこういう機会があるかは微妙なので、ルーキーズに限らず「せっかくだから」元ルーキーズにも届くことを願ってタイトルに「伝言」を入れたのである。

季節外れの雪の板

2013-04-24 04:51:08 | スポーツ・健康
やっぱりオレぁ、ゴルフよりゃこっちだぜー。(週末連続でゴルフにスノボとはアクティブなことだ・・・)
「新しいことを始める時」にお参りするとよい「杉本寺」の御加護もあってか、本年「試しにやってみるシリーズ第二弾」がついに実現した。内緒で妻と隠れ練習しようとして吹雪に見舞われ、ぶっつけ本番で臨んだ前回は強風で営業中止!まるでゴルフの本格コースデビューと同様「呪われていた」スノーボードトライアルである。。「えっ?この時期に?」と思われるかもしれないが、恐らくデビューコースになるであろうGALA湯沢スキー場はGWまで営業しており、私は虎視眈々と機会を狙っていたのである。たまたまスキー好きのチーフがリフト券を4枚GETしてくれてベテラン勢で行かないか声をかけてくれ、私も3度目の正直になるが湘南から直接GALAまで駆けつけることになったのだ。

チーフは私よりも少し先輩だが「私をスキーに連れてって」世代、つまり誰も彼もがユーミンの「スキー天国」をゲレンデで聞いていた年齢層だからスキーは上手い。今回は若手はメンバになっていないらしく、張本の広角打法のように色々なスポーツをこなすジローくんと八兵衛と「お出掛け衆」を構成していたニカウさん、「ドランクドラゴンの鈴木に似てないか?!」という噂がたったいっけいの3人である。この中で無謀にも「スノーボードデビュー」を宣言したのは私のみであった。チーフとニカウさんは年代的にスキーバリバリ派、ジローくんといっけいは私よりも下になるがスノボはやらない次世代スキーバリバリ派である。私は一人で下手すりゃ子供と一緒に「初めてスクール」でたった一人、雪にまみれることになるかもしれないが、最後のチャンスだと思い「オレぁ、一人でスノボやる!」と息巻いていた。

しばらくして「いっけい」は極秘のうちにジローくんを通じて(って言っても机3つ分くらいしか離れていないが)「スノーボードお供します。」と言ってきた。他の3人のスキーが上手過ぎてついて行けなくなることに不安を覚えたらしいのである。チーフも上手らしいし、ニカウさんは地元民で弾丸のように滑る。ジロー君は自分で企画するくらいだから自信があるのだろう。完全に一人旅で話題を独占する覚悟でいた私は残念なのが半分、心強いのが半分だった。二人してGALAスキー場超特別価格の「はじめてスノボレッスン」を受けることになった。何と2時間みっちり教えてくれて一人1500円である。

いつもの通り私は「びゅう」の「ワンデーGALA」チケットを利用する。往復の新幹線とリフト券、レンタル割引券がついて何と往復の電車賃よりも安い。ただしこの時期になるとスキー&スノボ客も減るらしく、新幹線「たにがわ」の本数が春休みに比べて激減してしまう。「東京7時20分発は先週末で運転終了しました。GALA湯沢まで行く列車は・・・44分も3月で終了ですねえ。後は8時4分になります。」「じゃあ、7時台のもっと早い列車はありますか?」「8時4分の前は・・・6時36分ですねえ」なんと!7時台は一本もないのか。。。これではほぼ始発電車で行かなくてはならない。結局8時4分東京発で向かうことにした。午前中のレッスンには間に合わないなー。

正真正銘、生まれて初めてスノーボードを履く私は、何か事前に感触をつかむヒントがないか考えあぐねていた。ここんところゴルフだのピラティスなどに加え何かに用があって中々事前学習もできていなかった。図書館で借りてきた「はじめてスノーボード」を読み込み、早朝サーフィンが少しは役に立つかと思ったらあいにく寒過ぎて無理。。。スケートボードをやろうとしたらすごい雨が降ってきてしまった。唯一考え付いたのが「wiiスポーツ」である。スノーボードレースのゲームがあっってこれを10回ほど繰り返したが、どうも「落下する」感覚とは違うようだ。

当日はあいにく晴天とはならずにこの時期ではホントに珍しく小雪がちらつき気温は0度だそうだ。前日から冷え込み山沿いは雪だったそうだから、結構新雪が積もっていてむしろコンディションは良さそうだ。ただ私以外の3人を乗せて自家用車を出す予定だったニカウさんが「雪対策をしていないから」ということで、全員が同じ新幹線に乗り込むことになった。いっけいが用意してくれたビールで乾杯し、GALAに到着するとめいめいスキーとスノボをレンタルしてゲレンデに、向かった。手続きやら準備やらで意外に時間がかかり、昼休みの集合時間までは1時間余り・・・私といっけいは午後からのレッスンまでリフトにも乗れずにその辺で「上っちゃー滑り降り」を繰り返して苦闘を続けていた。どうも慣れているように見えるいっけいに「ホントに初めてか?」と尋ねたら実は10年くらい前だが3回くらいやったことがあると吐きやがった。

    

少し小雪が舞っていたが、雪質もよくスキー組は気持ちよく滑れたようだ。一緒に昼食をとってビールで乾杯して、ニカウさんが用意してくれたペットボトルのウィスキーをちびちびやりながら談笑した。ただ「こいつら、初めてだってのに酒飲んで来やがったのか?!」とコーチに思われないようにかなり控えめにしていたのは言うまでもない。申し込みをして集合場所に行くと、スキーからスノボ、色々なコースのレッスンに人が集まっている。申し込みの時に子供ばかりだったから「やっぱ子供に混じって教わるのかー」と苦笑いしていたが、彼らは意外にも中級者スキーレッスン。。。「初めてスノボ」のレッスンにいたのは私といっけいだけだった。コーチはいつも通うスポーツクラブのピラティスのインストラクターに似た若い女性だった。

  

準備運動などあまりせず(これは感心だ!)、ボードの名前、履き方、方向変換などを習った後で転ぶ練習、そして前足だけ装着して後ろ脚のキックで進む「スケーティング」、途中で後ろ脚をボードに乗せてそのまま進むのだ。ここまではほぼスケートボードと同じで楽勝である。
「お二人とももうできそうですね。じゃ、リフトに乗ってみましょう」「へっ?いきなりですか?降りれませんけど」「大丈夫、あのリフトの終点はまっすぐ進めばそのまま止まってくれます。転んだらずりずり横に避ければ問題ないです」2時間かなり丁寧に初心者を教えてくれると聞いていたが、ずいぶん乱暴なことだなー。一緒に乗ってもらったリフトでは「お二人とも覚えるの早いですねえ。いつもはいちばん苦戦してる人に合わせるんですが、今日は二人なのでどんどん進んでターンぐらいまで行けるかも」「しかしこの時期、驚きの雪ですよねえ。雪質はよさそうですけど・・・」

      

降り場では案の定「わ、わー、きゃー」と初めてスキーする女の子のようにへっぴり腰で転倒。。。[
こっ、これがスノーボードか!」やはりサーフィンやスケートボードとは全く違う!両足を固定されるとはこれほど恐ろしいものなのか・・・?!サーフィンのように波に押されて滑り出すのではないし、スケートボードはここまで傾斜のキツい道路では普通やらない。放っておくとどんどん勝手に滑って行ってしまう、文字通り「落下」である。最初は谷に向いて恐る恐る立ち上がり、少しずつ立てたエッジを傾けてボードをずりずり滑らせて木の葉落ちのようにジグザグにずり落ちていく練習、これは難なくできた。エッジの傾きとボードの滑り出しの要領さえ覚えれば大したことはない。しかしその逆、山側を向いて同じことをしようとして試練にぶつかった。エッジを立て過ぎるといつまでたっても滑り出さないし、寝かせすぎるとすぐに暴走して真後ろに転倒してしまう。。。谷に向かって仰向けに転倒するのだから、恐ろしいし危険極まりない。

        

何度か練習してやっとのことでそこそこできるようになると、今度は身体の上下半身を逆にねじって「イヤイヤ」をするようにボードを左右に振りながらずり落ちる練習だ。そもそもこんな動きはやったことがないので、どうにも要領が分からぬ。スノーボードと言うのは両手を広げボードと身体を平行にして進む側だけを首を向けて進むそうだ。スキーでは斜滑降でなければ常にへそが真下を向いているのでこれに慣れているものは中々につらい。4回目なことをゲ●したいっけいはこのあたりで要領を思い出してきたらしく、何とかスピードをコントロールしてゆらゆら滑り降りていく。「おいおい、そっちじゃねーだろ」と行き先はボードに聞いてくれ状態の私は七転八倒で次第に取り残されていった。気がつくといっけいと女性コーチはゲレンデ端に仲良く座って談笑していた。まるでプライベートレッスンである。「(くそぅ、オレだけ置いてぼりかよ・・・?!)」

しかし(後でどうやっていじり倒してやろうなどと)考える余裕はなく、なんとかヨタヨタと後ろをついていけるようになった。ちなみに彼らは緩斜面で「直滑降して左右にカーブで停まる」というステージに立っていたが、私は無念にもそこまで辿り付けなかった。中に着込んでいたユニクロのウルトラライトダウンはビショビショになり、腰から下はどこもかしこもパンパンになって筋肉が言うことを聞かなくなってきたところで初めてレッスンは終了の時間となった。2時間なんてあっという間だ。「お二人とも運動神経抜群なんですねー。次はもう初級クラス、すぐに中級クラスに行けると思いますよ。午前レッスン、午後レッスンで進んでいく人も中にはいるんです。GWまで営業してるんで、ぜひまたいらしてください」恐らく誰にでも贈っているであろう言葉を投げてにっこり笑って一緒に証拠写真を撮り、女性コーチとはお別れとなった。

「いっけいのコーチ独り占め」時は自分がそれどころでなく、独身の彼に対して生暖かい目で見ていたのだが、その後になって「あの置いてけぼりはねえだろ」と「思い出し怒り」の波がやってきた。私よりも3回くらい経験があるからといって・・・いつかこの差は埋めてやろうではないか。
あらためて、どんなスポーツでも「アレをやっているから、こんなの簡単だ」ということはないものだ。しかしビフォー40でサーフィンを始め、波が崩れる前に乗れるようになるまで数年かかったことを考えれば、もう何回かゲレンデで集中練習すれば、それなりにはできるような気はする。。。あの感触、恐怖感を覚えているうちにもう一度練習しなければ。。。季節はあとわずかだが、ゴルフよりは上達は早いと思うのである。

ゴルファーの心理とスタイル

2013-04-19 23:14:52 | スポーツ・健康
先週末のお出掛け日和、今まで呪われたかのようにスケジュールがパーになっていたゴルフ再デビューをようやく果たした。メンバーはスティーブ(もう再会かよ!)、八兵衛、イッシーである。かつて職場を同じくした友人で、今でも仕事上の付き合いも多い連中である。八兵衛はスキーは第一級、マラソンなどもバリバリ出場している、はどちらかと言うと回遊魚(失礼、アスリート)系だが、スティーブとイッシーは典型的なサンデーゴルファーで、その歴にも30年に及ぶベテランである。グッチーやいっけいと半分お遊びコースのように回ったのが3月の初頭、スティーブのお別れゴルフ会で本格コースデビューするはずだったのだが、未曾有の大トラブルに見舞われて欠場、先々週は猛烈低気圧の襲来で中止・・・ようやく実現した20年ぶりのデビュー戦だった。

実はスティーブから急な誘いがあっった話でその日はグッチー、いっけいと陸上J隊の行事にお呼ばれしていたのだが、「この前、スティーブと回れなかったし今回は行っていい?」と頼み込んだのだ。お馴染みのch-47やoh-6Dなども揃い踏みの年1回の展示会なのだが、似たようなものに2回、3回出ているうちに今は海上や航空に興味が移ってしまっており「ホントに搭乗する」以外はパスさせてもらったのだ。昨年は大雨の中、グッチーはひどい目にあったと今だに根にもっているようだが、今年は天気もよく駐屯地周辺は標高も高いのでまだ桜が咲いているという。ゴルフのスタート時間が早かったので、私は自宅から朝5時の始発電車に乗る羽目になったが。これくらいは仕方ないだろう。

  

向かうゴルフ場はイッシーの会社が法人契約しているところで、我が社の社員やOB、そしてとんでもなく偉い幹部などがほいほい訪れる「知り合いと高い確率で出会う」名物コースだそうだ。練習場には何度か足を運んでいるとはいえ、「行き先はボールに聞いてくれ」状態の私の下手なプレーをあまり見られたくないものだ、と思っていたら案の定KYOちゃんたちの2グループがやってきていた。(まあ、彼は私と似たり寄ったりだからあまり気にならないところだが)
朝、8時のスタートだったが「冷たいモノ、用意しときましたからねー。へっへっへ」と八兵衛は小さなビールのケースを電動カートに搭載していた。まずは「スタートに乾杯」である。

運動前に準備運動やストレッチなど全くする習慣のない私だが「この時」だけは特に肩や足腰回りをぐるんぐるん振る運動を中心に入念にウォームアップした。別におやじの遊びしか思っていないゴルフで怪我などするはずもないのだが、はるか20年前の記憶だとアサイチの一発目のティーショットは身体が凝り固まっており、まずもってまともに飛ぶことがなかったのである。この辺にも心理が表れるようで、スティーブやイッシーは簡単に体をほぐしながら談笑しているが、八兵衛はどこかで買ってきた「ティーアップセット(地面に固く突き刺すティーに紐とボールが付いていて、ドライバーで打つことができる)でひたすらティーショットの練習をしていた。

さていよいよ我々のグループの番である。打つ順番のくじ引きをすると私は3番目で、いつの間にか40分くらい後にスタート予定のトミーが冷やかしで見に来ていた。トップバッターの八兵衛はちょっと右に曲がったがまずまずのショット、イッシーは見事な弾道でフェアウェイに運んだ。私はティーグランドに立ってから打つまで比較的早いほうだ。アドレスに入る前に素振りや方向合わせなどはしない。これも人によってスタイルがあり、打つ前に必ず一度リハーサルとも言える素振りをするのが、八兵衛、グッチー、KYOちゃんなどである。KYOちゃんに至っては入念な素振りの後、「やっと打つのかよ」とアドレスに入って完全リハーサルの素振り・・・もしかしてあの中には空振りも混じっているかもしれない。スティーブやイッシーなど上級ゴルファーはアドレスの入る前に軽く確かめる程度に振るくらいだし、いっけいはそれすらせずに「あっという間」にバコン!と打ってしまう。

大きく深呼吸して意識を集中し、中々緊張した一打だった。。。「(このホール、この一発だけでよいから真っ直ぐ飛んでくれ)」という心中神頼みが効いたのか、天ぷらに近い弾道だったが取りあえず真っ直ぐ進んでフェアウェイぎりぎりにポトンと落ちた。最後に目の覚めるようなスティーブの一撃で我々のグループは打ち終わり「じゃー行ってきまース」と電動カートに乗り込んだのだった。八兵衛はラフのためクラブを何本か持って走っていった。パー5のロングホール、私の2打目は力みすぎて100ヤードほど転がっただけ、次のショットはうまくあたりグリーンエッジまで真っ直ぐに飛んで行った。ロングホールなのに3発でここまで来るとは幸先いいじゃないか・・・ところがシェイクスピアばりの悲劇はここから始まるのである。

左にぐぐーっと曲がっているこのホール、グリーンの近くまで歩いて行って驚いた。あちこちにバンカーが口を開けて罠を張り巡らしていたのだ。まるでバンカー網である。「何だ、こりゃー?」「ここは、ホントにバンカー多いんですよ。しかも変な形で出すのすごく難しいし、砂は硬いし・・・・磯辺さんのも左のバンカーに入ってますね」もう何十回と通い、このコースを知り尽くしているスティーブは何の気なしに苦笑いしていたが、私はとても笑えなかった。。。「(困ったな。さすがにバンカーなど全く練習してないぞ。確かクラブを砂につけてはいけないルールだったが、どうやって打つんだっけか?)」パターでごまかそうにも芝が砂との切れ目でオーバーハング(アゴと言う)していて、簡単には出そうもない。

試しにパキっと打ってみると斜め右45度に飛び出し、アゴに当たって逆戻り・・・もう少し力を入れてドスっと打つも、今度はサンドウェッジがボールの下を潜り抜けてしまい2cmくらい前へずれただけ。。。「この野郎っ!」と普通に打つとバンカーからは脱出したがボールの真ん中を叩いてしまってグリーンを大きくオーバー、何と反対側にある同じようなバンカーに捕捉されてしまった。似たような悪戦苦闘を繰り返し、方向も滅茶苦茶だったがようやく脱出してギリギリグリーンエッジにボールが停止した。他の3人はグリーンの上で傾斜や芝目を調べている。自分のせいで遅らせてはいけないから、はるか向こうのカップに向かい、適当にポコンと打つと「あーああ、こりゃー強いかも・・・」スティーブの気の毒そうな声が・・・実はここはグリーンもオフィスのカーペットのように恐ろしく早くしかも複雑な傾斜がうねっていて、コースを外れるととんでもないところまで転がってしまう。

私がいい加減に打ったボールはスティーブの予言通り、カップをかすめて下り傾斜を転がり続け、信じられないことにグリーンからコボレ落ちてさっきのバンカーに再び転落!次の一打が土手にぶつけて停まった時、もう少しで「インステップキック」が炸裂するところだった。カップインまであと10mのところまで3打で来たのに、その後「コトン」という音を聞くまで12発!!!怒りとか嘆きとかを通り過ぎ、私は「服部半蔵・影の軍団Ⅲ」で言うところの「我が心、空なり」状態だった。
最初のホール(パー5)で15発も叩いた私の「へえ、20年ぶりにクラブを持ってほぼ初心者なのに、磯辺さんはそんなすごいスコアを出すんですか!さすがですねえ」と賞賛されるという妄想は儚くも消し飛んだ。

さすがに口数も少なくなった私に「ま、まあ、グリーン周りは練習量が全てですから・・・ここは特にね。あれだけちゃんとアイアンが当たれば全然OKです」とスティーブの誰にとも分からないつぶやきを聞いた。そんな気休めで気が晴れるわけでもないが、私が落ち込んで(またはつまらなそうにして)雰囲気が悪くなったり、皆のスコアの足を引っ張ったりしては誠に申し訳ない。どうしたら気分転換できるか考えた。(こういうところもゴルファー心理なんだろう)ここのコースは皆こんな感じでグリーン周りはバンカーだらけだそうだから、画期的にスコアが回復するのは期待できない。私が考え付いたのは「2アップ尻あがり作戦」である。何せ初っ端でいきなり10オーバーなのである。次のホールから2打ずつ少なく上がれるように気を付ければ6ホール目でパーがとれる計算になる。そして途中何度か心は折れそうになりながら、なんとか作戦通りに運んで「次につながる」プレーで気を良くしハーフを上がってきたのである。

絶好調だったスティーブは途中でマジに自己ベストを更新するつもりになったのか、ビールには手を出さなくなった。前日飲み過ぎてふらふらだった八兵衛は裏街道まっしぐら(それでいてちゃんとした数で上がって来る)なので、自分で持ち込んだ割には最初しか飲まなかった。イッシーは元々あまり飲まないから自然、想定外のぶっ叩きにムシャクシャしている私がぜーんぶ飲んでしまうことになる。昼御飯はピンそばにかけて「ざるそばセット」、これにハイボールを2杯引っ掛けていい気分で後半戦に臨んだのだが、ここに二つ目の落とし穴が待っていた。多少飲んだところで、運動神経に支障が出るわけではない。この心理はまさしく学生の頃飽くことなく繰り返していた「徹マン」である。

自動車の運転さえしなければ、海釣りやサーフィンはもちろん、ビーチバレーでもテニスでも、サッカーでさえ「多少、酒を飲んでも」何の支障もない。しかしゴルフだけは(特に初心者は)どうもダメらしい。飲みながら徹マンすると末期はやたら身体にガスが溜まり、ささいなことで笑いが止まらなくなるに加え、狙う手は「一色手」か「七対子」ばかりになる。ゴルフも全く同じで集中力がなくなり微妙な自分の心理コントロールができなくなり、それが大敗に直結するのである。グリーンに向かうと正面に大きな木が2本ある時があった。普通なら安全に真横のフェアウェイに1回だして改めてオンを狙う所なにのに「発射角が60度としても木が空間に占める割合はわずかしかなく、当たる確率はごくわずかである。」という一応ちゃんとした根拠付きでまっすぐグリーンを狙うとカコーン!と澄んだ音を出して右側の木を直撃・・・

20年ぶりの本格コースは大いなる試練を課されることとなった。ゴルフはやっぱり心理のスポーツだ。「オレにはやっぱり『アジリティ』の活かせないスポーツは向かねえなー」なんて言っているようではまるで子供だ。(正直、フットサルやサーフィンの方が向いているとマジで思った)次は「星の数ほど砂がある」海岸でバンカーショットの練習を重ね、庭でグリーンエッジからのピンそば寄せを極め、お酒は昼休みにジョッキ1杯だけ、というストイック作戦で次は臨むとしよう。

思わぬ撤退、江ノ島トレジャー

2013-04-16 22:40:18 | 旅行お出かけ
ちょうど一月ほど前、春休み中でたまたま息子甘辛が夜練だったので、家族3人で江ノ島トレジャーにチャレンジした。昨年は来れなかったので毎年来ているわけではないが、この機会に身近な観光地を隅々まで探検して回るというのは結構楽しみだった。家族ずれや子供同士、恋人やお年寄りグループまで幅広く人気が出てきたようで、あちこちでパンフレット片手に探索し回っている姿が見られる。ただし年々、謎の解明やキーワードの発見、それをヒントにした宝箱のありかなどが段々難解になり、かなり事前に作戦を練らないと最終正解まで辿りつけないこともある、とエフ横でレポートされていた。「まあ、あの辺は何度も行ってオレ達は詳しいからな」と午前中に家を出て私はスケートボード、妻と甘辛は自転車で弁天橋で落ち合うことにした。甘辛は時間になると片瀬江ノ島駅からそのまま練習場に向かい、私は彼の自転車に乗って帰る。

3月末日まで開催されているから、すぐに載せるとネタばれしてしまうと思い、とっておいたら今までズルズルとレポートをサボっていた。先日、スーパーお洒落マダムの小夏師匠が鎌倉にいらっしゃり、何とこのサイトでも載せた「鎌倉の古い寺」を詣でてくださったときに「江ノ島トレジャー」のネームをお書きになっていたので「これは書かねば」と筆を取ったのである。
まず観光センターで無料パンフレットをもらうと、それに謎が壱から四まで書かれている。島内のお土産屋や飲食店にヒントが貼られていて、それぞれの謎を解き明かし「ここ」と思われるところを解明するとそこに宝箱があり、キーワードをGETすることができる。4つのキーワードから「悪の親玉」の居場所を探り当て「最終キーワード」を入手すると任務完了である。

        

ヒントはどの謎に関わるものかまでは見てみないとわからない。我々が最初に見つけたヒントは謎参に関するものだった。
謎参「●●●を2つに分かつ場所。赤の間を抜け、下った後に上がれ、母と子はそっと見送るだろう。小さな道も恐れずに進めば道となる。最果てを目指せ。道の果てでは「本当」を一つ濁らせた、その裏が見えるだろう。石の輪の中に探し物は見つかる」(これにぱっと見、意味の分からない地図らしきモノがついている)
ヒント1を見ると、●●●にあたる謎の文字らしきものを左右に分かつと「ダイシ」となることが分かる。ヒント2は明らかに実物の観音様である。マザーというのだから謎の言葉にある「母と子」にあたるのだと思われる。 

           



ここまで来ると、江ノ島を庭のように歩き回ってきた我々には分かるのである。「ダイシ」というのはずばり「江ノ島大師」、赤の間というのは鳥居のことだ。確かに芝が生えた細い道が伸びており、「本当」を一つ濁らせた「本堂」がある。そしてその脇の石が円状にとり囲んでいる木の根っこに・・・小さな箱発見。間違って崖を上らないように看板がある(誰か上って怪我でもしそうになったんだろな)のが笑えるが、敷地内は色々な花が咲き美しい庭園だった。我々は次に謎四の解明にあたった。
謎四「四つの聖なる地。「ツキの地」にて「ツキ」に向かって右に進め。木の下にて探し物は見つかる。ヒント2にある「カタナ、ナカ、コメ、ツキ」を見てほぼ地図が何を示しているのか一瞬にして判明した。カタナは辺津宮、ナカは中津宮、コメは奥津宮(奥という漢字に米がある)、そして最後のツキが龍宮である。それぞれの位置は頭に入っているからこんなの楽勝である。

          

残りのヒントは2つ、順調に解読できるかと思いきや、思わぬ苦戦を強いられた。謎弐についてはヒントがあったのだが、どうもよくわからん・・・謎壱に至ってはヒントすら中々発見できなかった。龍恋の鐘やら白き柱を探したり散々歩き回ったあげく、「もしかして江ノ島島内にないんじゃないの?」という妻の一言で「まさか」とは思ったが、このまま彷徨ってもらちが開かぬので博打に出ることにした。片瀬江ノ島駅や江ノ電江ノ島駅周辺にヒント提供のマップがあったからだが、「ハズレ」だった場合、もう一度島に戻って歩き回る時間も体力もない。(もう3時間以上歩きっ放しだった)
謎壱にあった「龍の腹には聖なる人も大きな鐘も飲み込まれている」というくだりをヒントに足を運び、とうとう発見した!龍口寺である。「こりゃー反則だろー!江ノ島トレジャーじゃねえじゃんか」散々歩き回って息子は支障が出るので、そろそろ練習場に向かうことになった。家族3人での探索はここまで、思いもかけぬ「撤退」である。

          

「なんか、このまま帰るのは釈然としねえなー。オレもう1個だけ思い当たるところがあるから待っててくれ」どうしても解けない謎弐について、私はヨットハーバーに向かった。
謎弐「船を照らす満月と半月、満月につながる道の始まり、白き柱に探し物は見つかる」シーキャンドルでないとすれば、本島にある「船を照らす灯台」はヨットハーバーだ。満月と半月というのが不明だが、白き柱もたぶんあったような気がする。しかし実際に普段立入禁止で初めて入るヨットハーバーにも探し物は見つからなかった。そのうち妻から「見つけた」という電話が入った。実は片瀬漁港にある赤と白の灯台だったのである。満月につながる道というのはいつも偵察に行く釣りゾーン、白い柱とはイベント舞台のことだったのだ。

     

我々はそのまま一旦帰ることにしたが、どうも今回の敗因は駅周辺から捜索を開始しないで、いきなり本島に行ってしまったことだ。散歩気分でやってくる我が家とは違い、このゲームは観光センター主催だから「電車でやってくる」観光客向けのプログラムとなっていたのである。しかも宝探しのエリアが前回に比べて反則技的に広い。そもそも龍口寺など知っている人は少ないはずだ。しかも完全制覇するにはもう一つさらに難解な「使命2」をクリアしなければならない。次回訪れると時は十分な対策と綿密な作戦が必要だ。しかし鎌倉ももちろんそうだが、江ノ島にもまだまだ知らなかった本物のトレジャーがたくさんあるものだ。「江ノ島トレジャー」はこれらと出会ういいきっかけになると思う。

      

歯科サービス業

2013-04-14 05:00:16 | スポーツ・健康
妻は身体の具合が悪くなった時、薬もあまり飲まないし、限界が来るまで医者には行かず「獣が巣に籠もるようにじっとして・・・」自然治癒を待つが、私は何でもバファリンで解決しようとしてしまうし、治らなければ割りとホイホイ診療に行ってしまう。痛みやその他不快な症状に弱いのである。しかし世の人も多いと思うが、歯医者だけはそれこそ痛くて我慢できなくなるまで行かないものである。骨折ですら放っておいても治るものだが、虫歯や歯周病は「絶対に自然には治らない」といつも言われながら不思議な現象だ。とは言え私は「歯が痛くてグラグラしていたのに、自然に治ってしまった」経験が2回くらいある。

しかし今回はこれまで無かったほど急速にどうにも歯医者に行かねば我慢できぬ状態に陥ってしまった。外来するのは2年ぶりくらいだろうか?「痛くて行く」のは6,7年ぶりだろう。毎年人間ドックの歯科検診を受けて、いつもその象牙質の見事さ(よく分からない)は褒められるが、「虫歯は一本もないのに歯が抜け落ちて無くなるよ」と歯周病について脅され1年に1度歯石を取るように言われ実行してきた。この2年間それをサボった祟りなのか?!牛乳でしんなりしたシリアルや中途半端に柔らかい濡れせんべいなど「ありえない」私は、いつも「大堅焼」のような厚みのあるせんべいをバリバリ食っていたが、先週末あたりに「んっ?」と右下奥歯に違和感を覚え始めた。

「なーんかこっちで噛むと痛いな。普段は何ともなく液体にしみることもないんだが、圧力をかけると痛むんだよなー」歯も何かグラグラしているようだ。これまでの経験だとこれは虫歯ではないような気がしたが、以前のように自然に治ってしまうのか放っておくとどんどんひどくなってしまうのか判断がつきかねた。しかし週があけて1,2日すると「ぐあんぐあん」痛みが増してきてしまった。これはその予防法と8020運動というのを習ってきた母親から聞いた歯周病というヤツかも知れぬ。「80本って言うのはこの歳では難しいよねえ・・・」この手の話など適当にしか聞かない彼女は分けの分からぬことをのたまっていた。(80本のわけねーだろ!アンタはティラノサウルスか?!)正しくは80歳になっても20本の歯を保つという歯周病予防運動である。

最初は妻に頼み息子甘辛が歯並びを矯正してもらった地元の歯科医院を予約してもらった。歯科というのは基本的に予約制である。それも最近は何日も先のことが多く、今回も月曜日に問い合わせてもらい取れたのは金曜日だった。どの歯科医院でも「急患は受け付けます」と書いてあるが、個人的に「そりゃー、ねえよ」と思う。歯痛は内臓系の痛みや外傷のように「痛みでのたうちまわり、立ってもいられない」ということは考えにくいからである。顎が倍くらいに腫れ上がり、発狂しそうに痛そうなら分かるが、それ以外は何日も前から予約して時間通りに待っている人をすっ飛ばして急患など「このヘタレが・・・」と思われるに決まっている。実際、そうなって見るとかなりキツいが、歯痛はあくまで根性で我慢できるものと見られるからである。

しかし火曜日の夜になってここれはまずいかもしれないと思った。バファリンプラスを連続で飲んで痛みを紛らわし・・・もし自然治癒しないものだとすれば1回や2回では治療が終わらない可能性が高い。その度に休みを取るのはムリだからどうしても職場の近くで終業後通えるような歯科医院を探さなければならない。地元の歯医者はキャンセルし私はひとつだけ心当たりのあった、夜21時まで診療している歯科医院に連絡して初診の予約を入れた。午後6時半に恐る恐る入って問診表に記入し待合室に座っているとにこやかな女性歯科技師に案内された。まず名刺を渡されて詳しく症状をインタビューされ、初診に行う診療や検査、その所用時間などくわーしく解説してくれた。私が痛みの具合を説明すると「そうそうわかります、わかります!ぐわーんとした感じですよね」まるでカウンセラーのように相槌を打ってくれる。

いつもの診療台に座ろうとすると医師と助手が笑顔でお出迎え・・・まるで(滅多にない)接待を受けているようだった。口の中をくまなくデジタル撮影し、レントゲン室で写真を撮ってもらって診療台に戻ると目の前にアームに乗ったモニターがうぃーんと移動してきて正面に画像が写し出された。最新式だと思ったが、そこから先は昔から変わらぬ「ピンセットの片方だけ」のような器具で歯や歯茎をガリガリ引っかき、歯科健診で聞くよくC1とかPo3とかお馴染みの呪文をずらずらーっと医師が唱え、助手がキーを打ち込んでいく。診断結果は「親知らずを抜いた横の歯ぐきが歯周病菌に侵されて化膿し炎症を起こしている」。治療は「歯茎の奥まで進行しているので、膿みをほじくり出して薬で治療してみる」ということだった。麻酔を打って何やらガリガリやられ、噛み合わせ調整のためにいつもの「きゅいーん」マシーンで削られた。

昔のように時間通り行ったのに前の人が伸びて長時間待ち合わせ、しかもやっと台に座ったら医師の診察などちょちょいとやるだけで他の人と掛持ち(まるでブラックジャックのように)、削ったり抜いたりするメインイベント以外は医師が姿すら見せない診療に比べればずいぶん歯医者も「サービス業」になったもんだと思う。しかし治療台から少し離れて技師に状況説明を伝えている医師の「歯ぁ、抜かないでおくのは難しいかもな」というつぶやきを私は聞き逃さなかった。外科医に言わせれば「酒ばかり飲んでいなければ」私の再生能力はトカゲ並みなのだ。変に張り出している歯だからこの際抜かれても大過ないが、ここは何とかキープしておきたいところだ。

      

この歯科医院は何をするにも「待たせる」ということをしない。別室に案内されると最初の歯科技師が出てきて、「お口の健康手帳」という冊子が出来上がっていた。歯周ポケットの診断だと痛いところを除き概ねギリギリセーフ、反対側の奥歯にやばいのが1箇所・・・驚愕したのは虫歯が大小含めて全部で8本!!!そのうち5本は一度治し終えた歯にまた虫歯ができている。医師曰く「昔の詰め物等が長年の劣化で隙間ができそこにばい菌などが入り込んだのでこれはあなたのせいじゃない」
以前指導されたので一応歯間ブラシも使って朝晩結構ちゃんと磨いていたつもりだったのに、ショックを受けていた私に少し同情的な見立てだった。どれも軽度なものなので、1,2回で処置は終わるようだ。治療方針・方法について私は「時間がかかってもよいから、一度の通院であらゆるできることを施してほしい」とリクエストしておいた。

    

女性歯科技師は「今日は歯茎の膿みをとって傷つけた状態なので、痛み止めと化膿止めがでます。麻酔もしてますので激しい運動、長時間の入浴は避けてくださいね。また気にして指や舌で傷口をさわらないでください」
その説明に「何か不足しているもの」を感じた私は「あのーぅ、もしかしてお酒は口内の消毒になるから飲んでもよいとか?度数高いヤツ。。。」
マスクをとってご自身も歯の矯正中のような彼女はにーっと笑い「私もね、歯を抜いたその日の夜に飲みに行っちゃったことあるんですよ。でも・・・コホン、お薦めはしていません」(この人、好き)
1週間後に予約して歯科医院を後にした。中途半端に遅くなって、運動もできないから帰りの電車で飲んじゃおうかと思ったが、新幹線で東京に向かう途中で麻酔が切れてきてとてつもない激痛にそれどころではなくなった。ずがんずがんする痛みにイライラ度は増していき。。。「お口の健康手帳」を読み返しながら、最後のページに「診療中、痛かったら遠慮なく言ってくださいね」と書いてあるのを見て、「そんな根性なしじゃねえよ。しかも痛くなかったら、来ねえよ・・・・」と意味無くツッコンでいた。

奇縁あるキャンパス

2013-04-10 04:59:56 | 出来事
金曜日は4月から高校生となる息子甘辛の入学式だった。私の時も母親だけだったし、卒業式の1ヶ月後だから「(今回はいいかなー)」とも思っていたのだが、どういうわけか入学式場は線路沿いの体育館ではなく「聞いたことのある(と言うか、ずばり通い慣れた)キャンパス」というのを聞いて驚いた。確かに大きくないながらも講堂があるし、ほとんど散ってしまったが桜の並木に広々としたスロープ、趣きのある正面の本館にテクノロジー最先端の斬新な建築群など、「機会がなければ来ない」人達にとっては興味深いだろう。中々粋なことをしてくれるものだ。公的資格試験で上智大学をはじめ何か所かキャンパスを訪れたが、自分が通ったところを外すのは「縁の神」(もしかして杉本観音様?)に申し訳がない。

私は休暇を取り、どうせなら茅ヶ崎の母親も誘って入学式ならぬキャンパス巡りをすることにした。その昔は横浜乗り換えの東横線渋谷方面、さらに田園調布で目蒲線というマイナーな路線で江ノ電の100系タンコロを想わすような真緑の丸っこい青ガエルのような車両で通学したが、今は相互乗り入れもあってだいぶルートが変わってしまい残念なことに目蒲線は無くなってしまった。自由が丘に加えて私も試験に足を運んだギジュクのある日吉や湘南新宿ラインが停車するようになった武蔵小杉駅でも乗り換えることができ、東海道線も横浜ルート、川崎ルート、そして品川ルートが選べるようになった。出発時間によって最短所用時間のルートが異なるからそれはそれで煩わしい。

駅を降りると改札の正面に正門が見えてくる。入り口の右脇に100年記念館という奇妙な形(落成当時は「ガンダムハウス」と呼んだ)をした博物館がある。正門を入って正面に大きな図書館があったのだが、何と取り壊されてしまっていた。敷地自体は変わっていないのだが、昔からあった伝統的な本館以外は周辺の建物群がなんとも斬新な(ある意味珍妙な)建築物に変わってしまっていた。テクノロジーをうたう学府に加えて建築、デザイン系学科が総力を挙げて頭を捻るとこんな奇妙な形になってしまうのか?! その点、関東大震災にも東京大空襲にも生き残ったという本館は趣きがある。正面の桜並木は残念ながら概ね散り終わってしまっていたが、家族連れがお弁当を持って小さい子供と遊びにきている。

    

式次第は私の時と同じ(っってここしかないけど)70周年記念講堂で行われた。「あんまり大きくなかったんだねえ」母親の記憶もだいぶ薄れていたようだが、まあこんなものだった。入学式や卒業式で歌う歌わないで何かと物議を呼ぶ「君が代」を斉唱し、校長の挨拶後、新入学生が一人一人点呼されて立ち上がる。最後に新入生代表が宣誓を行って一同礼で締めくくる。当たり前だがこのキャンパスで一番偉い人(学長だわな)も来賓として挨拶していた。この人は来月、我が社の大学OB会にも顔を出すと聞く。「この前、倅が高校に入学したのでぜひぜひよろしく」と媚売っておこうかなー。

    

この学校はただの工業高校だったのだが、10年くらい前から文部科学省指定の「Super Science High-School」といういかにもなネーミングになってプログラムもがらりと変わったそうだ。高大一貫教育やグローバル化、テクノロジー立国をうたう役人が普通高校とはちょっと違う味付けの斬新なカリキュラムを編成したのが自慢らしい。何せ「学生服」の指定がない。つまり私のように「ドカン」を履くこともないわけだ。(何度も言うが「不良」だからというわけではなく、「サッカーやってたのでノーマル制服は太ももがキツかっただけ」である)ちなみに「ドカン」は学校指定の店には当然販売しておらず、JR駅南口にあった「コイズミ」という刺繍入りの中ランとかそれ系のアパレル店で購入したのだが、残念ながらなくなってしまっていた。

通学が自由な服装だからよく見ると、入学式のスタイルもマチマチだった。大体中学校の制服をそのまま着てくる生徒が過半だったが、高卒1年生の似合わないスーツのようなスタイルの人もいた。甘辛はというと「制服じゃー芸がないよな」と私が今でも身に付ける成人式に来たジャケットを羽織るとそれなりにぴしーっとしたのでそのまま着て行った。さらに下には中学のYシャツではダサかったので、私用に妻が買ってきた襟の大きな(流行りの?)デザインシャツを着ていた。このキャンパスのこの講堂で入学式というのも、会社の関係で学長と知り合いというのも、私のお下がりを見に付けて行くことといい、何やら不思議な縁を感じるものだ。甘辛は入学式が終わると本拠となる別のキャンパスでサッカーの練習が早速あるのでイソイソと新しいチームメイトと移動して行った。

以前も書いたように父親は半世紀以上も前にこのキャンパスのすぐ近くに下宿していた。自身は経済学部だったのに理系信奉者だった父は私が中学に入学した時に母とともに神田で広辞苑を購入し、私に買い与えるとともにこのキャンパスを案内したのである。「ここに来れたらいいよねえ」と無邪気に呟いたのは母親だったが、奇しくも約10年後そのキャンパスで卒業式を行うことになる。実は高校も大学も父親はギジュクに憧れていたらしいのだが。。。3人で歩いた東端の通りは昔と変わらずにあった。実は私が前半を過ごした地区はキャンパスでも南端に位置していた。ぷらぷらとそこを歩くとやはり見たことも無い立派な研究棟が建っていた。

そして必ず訪れるつもりだったのが、第2学生食堂(通称2食)である。グラウンド側に大きな第1食堂と新食堂があり、普段は大抵はそこで昼食を食っていた。カツ丼一杯200円の時代に380円と貧乏学生には贅沢メニューに見えたが、一度その味を知ってしまったら最後、ここの学生なら卒業した後でも決して忘れることのなかった伝説のメニューが「チキンガーリック」である。大きな唐揚げに醤油ベースの少しトロミのかかったガーリックソースが「じゅわーっ」と鉄板に湯気を上げながら出てきた時はこの大学に来て本当に良かったと思ったものだ。もう四半世紀も前のメニューだが、何と健在だったのである!(「ソウルメニュー復活」とあったから一旦消えてしまったのか?!)

  

私は感激のあまり、母と妻に「ここで昼飯食って行こう!」と食堂に押し込んだ。こういうひょんな機会でもないと彼女らも「学生食堂」なる所で食事することもないから、もの珍しく3人でカフェテリア方式のゾーンに並ぶことになったのである。ところが・・・「チキンガーリック下さい」と言った私に「ごめんなさい!あれは5時からのメニューでして・・・」というおばさんの非常極まる答えが帰ってきた。確かにウ慌ててウィンドーに駆けて確認しに行くと「17時から」と小さく書いてあるではないか・・・
私は絶望に目まいがするほどだった。。。う、う、ううう。せっかくメニューにあったのに食べられないなんて・・・(一体誰に断って「夜」のメニューなどにしたのか?!)

    

食堂の後ろには大学生協があったが、面白いことに自衛隊と同様、大学ネーム入りグッズコーナーがあって、ネーム入り饅頭、ビスケット、ネクタイやらステーショナリーがたくさん販売されていた。私が卒業記念に購入したネクタイピンもまだ売っていた。「記念に何か買っていったら?」妻は父の墓前用に饅頭を購入して母に渡していたが・・・世界の●ーバードならまだしも、こんなしがないマイナー大学のネームが入っているアイテムなど持っていてもねー。しかしハンカチやタオル、Tシャツなどまでお土産としておいてあり、大学法人も生き残りに大変ね、と思わざるをえなかった。本館の中を一周し正面玄関から出てスロープを降りて行った。通り道は綺麗に整備してあったが、花見の時に芝生養生用にあった赤いコーンにビールを入れて大がぶ飲みしたのがここである。一通りキャンパスを巡ると天気もよいし、我々は甘辛達の練習を見に行ってみることにした。グランドは電車を乗り継いで約20分、新幹線がすぐそばを走り、東京タワーが見えるメトロポリタンな雰囲気のある場所だ。

    

私が高校の時など同じグランドでサッカーとラグビー、野球が同居して練習し、特にレフト側にいたラグビー部など打球が頭に当たって救急車、というのを2回も見たのにそこは「サッカー専用」のような恵まれた環境だった。この夏に人工芝に生まれ変わる予定だと聞く(実は2年前の予定だったが、大震災で延期になってしまった)。グランドの脇で練習を眺めていると責任者らしい人がわざわざ挨拶に来てくれた。「サッカー部総監督の●DOと申します。このたびはおめでとうございます。これからよろしくお願いします」「こちらこそ息子がお世話になります。どうぞよろしくお願いしいます」
この学校にも野球部はあったのだが、練習中に線路に飛び込んだ打球が鉄道を止めてしまい、当局からえらい怒られた末廃部になってしまったそうだ。

息子がひょんなきっかけで話したそうだが「お父様は●●南高校でサッカー部にいらしたとか。S木先生に教わったのではないですか?」「はははー。先日、古希を迎えたそうですが、相変わらず怖い顔してました」「あの人は実にエラい人で、私も国体強化委員の指導者に呼んでもらった時に指導頂きました。怒られっ放しでしたがねー」私達の顧問だった時も県内ではかなり偉かったらしいから、もはや全国区なのかもしれない。一線は退いたようだが、息子が一度は志望を決めた我が母校の選手権予選にも顔を出しており、久々にその健在な(怖い)顔を見た。ここにも不思議な縁を感じたものだ。

入学式だけ大学の本キャンパスで行うとは珍しい。この学校(大学)には不思議な縁を感じるが、先のキャンパスで母親はさすがに孫に対しては「ここにこれたらいいね」とは言わなかった。我々両親も(特に私はOBとして)そうなったら嬉しいが、「たぶんここに来ることはないだろう」というのが大方の見解である。息子が高校も一時、私の母校を志望した時はそうなったら嬉しかったが、そうはならなかった。。。時代は変わっているし、彼の最も得意とするスタイルでサボらずに力を開花させればそれでよく、またそうあって欲しいと思う。(全く同じじゃーかえってつまらないし)
夜は近所の店で練習帰りの甘辛と合流し、「解禁」になったばかりの生しらすで乾杯した我が家だった。

  

鎌倉の古いお寺

2013-04-06 20:55:41 | 旅行お出かけ
先月末、鎌倉を歩いた時に目指したのは、鎌倉最古の寺で「杉本寺」という。スピリチュアルヒーリングの先生がここを訪れた時に「何か」を感じたらしく、「新しい事が始まる時に行っておくとよい」とアドバイスいただいたのだが、初めて聞くお寺だった。調べてみると鎌倉駅から歩くと25分くらいかかる外れにある。方角的には報国寺の手前あたりになるが、そのお寺と並んで道路標識に「杉本寺」と現れるくらいだから鎌倉でも格式高いところなのだろう。たまたま前の週末の女性タレントが鎌倉を練り歩くテレビ番組で「杉本寺」が紹介されていた(松本明子さんだったかな)。何でもありがたい「書」を書いていただけるということだったが、彼女らが訪れたときはお寺は閉まっており、午後4時半までの拝観ということがわかった。  

   

我々は鶴岡八幡宮の流鏑馬用馬場を朝比奈方面に向かい歩き始めた。ビゴーおじさんのパン屋やアルトシュタットという美味しいフランクフルトの店を通り過ぎ15分ほど歩くとその道沿いに「十一面杉本観音」と書かれたたくさんの幟のある長い石の階段が現れた。坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所両方の第一番札所だそうである。拝観料は200円、時間は朝の8時から午後4時半までだった。イイクニ作ろう鎌倉幕府の500年も前の奈良時代に行基が開いたと言われる鎌倉最古のお寺だ。長い階段を上って行くと古い萱ぶきの門が現れ、さらに石段を上って行くと同じような萱ぶきの趣き溢れる本堂がある。本堂に至る正面の階段は苔むした真緑で風情があるが、滑りやすいから危険なのか立ち入りはできなくなっている。

      

本堂の中は撮影禁止なのだが、珍しく観音様本尊の目の前まで入っていけるのだ。行基菩薩、慈覚大師、恵心僧都の作と言われる三体の観音様が鎮座まします。大きなろうそくに「家内安全・身体健全」などの願い事を書き、お供えしてお参りする。何やらひんやりとしているが、不思議に落ち着いたパワーを感じた。妻は「背中が重かったのが、すーっと軽くなった」と言っていた。私も同じく最近運動し過ぎで腰から背中にかけてがっつり堅くなっていたのが、和らぐような気がした。入り口にいた大学教授のような熱心な信者のような方が上記の由縁を詳しく語ってくれた。ロシア人の教え子が来日すると必ずここに着て30分ほど観音様の前で正座して行くと言う。歴史や由緒など全く知らないが、心身が落ち着いて疲れや憑きものが落ちるというらしいのだ。

スピリチュアルヒーリングの先生は「ぐるーっと一回りする」ように言ったそうだが、恐らく本堂の中を奥まで回って本尊を拝んで来い、という意味だったのだろう。寺務所で松本明子さんがもらっていたのと同じ「仏様のありがたさを歌った御詠歌」を書いてもらった。先生が言うところの「物事を新たに始める時に願いが成就するよう」なお守りがあった。毎月1日と18日はごまたきを行って祈念してくれるそうだ。一番大きな行事は8月10日で大護摩供、三十三観音経読誦の大法要が厳修され、この日にお祈りされると四万六千日分のご功徳があると伝えられているそうだ。その場に居合わせた(たぶん学校の)先生は「必ずいいことがありますよ」と笑っていた

      

さて杉本寺を後にするとすぐそばに有名な報国時(竹寺)がある。たしかものすごい昔に友人グループで訪れただけなのでどんなところかもすっかり忘れてしまっていた。こちらは観光名所としてかなり有名で外国人もカメラをもって歩き回っている。拝観料は200円と杉本寺と同じだが、抹茶をいただくとプラス500円という「やられ感」のある値段設定だ。しかしここの孟宗竹はものすごく素晴らしい。大昔訪れた時はすごく寒かった記憶があるのだが、昼間でも鬱蒼としげった竹が太陽光を遮りうす暗くひんやりしていた。奥には本堂があるが、この寺は禅寺なのだな。こじんまりした落ち着いた感じの石庭が現れる。見事なつつじがあり、本院にはたくさんの文化財があるそうなのだが、ほとんどが鎌倉国宝館に所蔵されているそうだ。

        

今回は八幡宮と杉本寺、報国寺の3つだけで「ひょんなきっかけ」でもないと訪れる機会が少ないが、由縁もセットで追い掛ける神社仏閣とは中々によいものだ。ベタベタの観光地でも「人が集まる」というのはそれなりのすごさがあるものだ。私は勢いで友人に聞いた「一個人」という雑誌を初めて購入してしまった。知的好奇心のそそられるジャンルを特集する月刊誌のようで、今回の保存版とされたのが「奈良 古都の謎を旅する」というものだった。興福寺に東大寺、薬師寺に唐招提寺、そして斑鳩の法隆寺などである。高校生の時に古文の教師が法隆寺とは実に謎の多い寺であると言い、哲学者梅原猛さんの著書を紹介してくれた。法隆寺中門にまるで「通せんぼ」するように真ん中に柱が建っているのは「聖徳太子の怨霊を鎮めるため」というダイナミックな説を唱えた興味深い本だった。

      

鎌倉もそうだが、修学旅行で訪れた京都・奈良をもう一度訪ねたいと思う。実は学生時代に悪友と自家用車強行軍で修学旅行で訪れた神社仏閣を巡ったことがあるのだが、歴史的な意味などをあまり考えずになぞったのでただ懐かしいに過ぎなかった。仏教や何百年の前の政治などは学ぶだけで大変だろうが、鎌倉の小さなお寺ですらあのパワーなのだから、本場はもっとすごいのだろう。私はどちらかというと歴史的背景や文化様式などよりも、「風水上の意義」や「龍脈の通り道」、「気の集結する場所」など少しだけ神秘っぽい逸話が好きだ。「天命を知る」年齢になるまでにはぜひ、色々な神社仏閣を巡っておきたいと思う。

鎌倉を歩く

2013-04-01 22:06:36 | 旅行お出かけ
新学期、新年度の始まる4月1日、その前日に半日かけて鎌倉の街を歩き回った(帰宅したら何と1万5100歩!)。とある縁から初めて訪れたいお寺があったのである。
「何か新しい事が始まる時、行っておくといいよ」つぶやきさんの家にお邪魔して久しぶりにお会いしたスピリチュアルヒーリングの先生がご自身で足を運んで教えてくださったそうなのだ。何でも鎌倉最古のお寺らしい。八幡宮や大仏に長谷観音、銭洗い弁天やら鎌倉五山の名寺などさすがに子供の頃から遠足やハイキングでたくさん訪れたが、このお寺は聞いたことがなかった。私自身は新年度という以外に何が変わるというわけでもないのだが、息子甘辛の場合は新しい高校生活が始まるので是非ともお参りしておきたかった。

しかし春休みに入っても友達と遊び惜しんだりサッカーで忙しかった息子はとうとう最終日の31日になっても時間を作れずに、代わりに我々がお参りしてくることになった。それこそ前年度最後の休日だったのだが、かなり寒い1日で時折雨もぱらつくような天気だった。昼も近くなってからの出発だったが、春休みで桜もまだ見られるこの時期、乗用車で行っても駐車場がないだろうから、少し不便だが一旦片瀬江ノ島駅に出て江ノ島駅まで歩き、江ノ電で鎌倉駅に向かうことにした。(チャリだと雨が降ったときに困る)昨年冬に駅周辺を散歩した時にあった小鳥のマスコットがまだ防寒服を着ていた。

  

この時期、途中乗車ではえらく混み合っているかと思われた江ノ電も比較的空いていた。鎌倉に向かう道のりで「珍しい路面電車としての走行」「海岸線に出たときの風景」「トンネルの由来」など観光案内のようなアナウンスを車掌がしてくれるのだ。鎌倉駅はそれほど混雑はしていなかったが、小町通りに入るとやたらめったら観光客がごった返していた。いつもの光景だ。ここを歩くのは1年ぶりくらいだろうか?この街は来る度に店が変わってしまっているところと、何十年も続いている店が同居している。読み返すにはどこか分からぬが、私の興味対象が変わっていないのでおそらく前回と同じようなものばかり目についているだろう。

入り口にある「イワタ珈琲店」、大昔からここに店を構えている。妻は分厚いホットケーキが有名と言っていたが何の変哲もない店で雑誌などで取り上げられて一躍脚光を浴びたという話も聞いていなかったが、店の中は空席を待つ客でごった返していた。ウルトラネクタイを何本も購入したお馴染みのおもちゃ屋「ちょっぺー」、小さな子供が「絶対インチキに決まってるよなー」という隕石やアンモナイト、三葉虫の化石を販売する謎の店を発見・・・流行りものなのかこの周辺には石ころ館とかいう店をはじめとしてパワーストーンなどを扱う店がやたらに多い。 各地の桜を扱う花屋も結構賑わっている。

    

そして気付いてないだけなのかもしれないが、面白いものを売る店が増えていくような気がする。おーっ、江ノ島の雑貨屋にあった「水(雨)に濡れると模様が浮かび上がる傘」が店頭販売されている。おやじが物珍しがるギャル(死語?)たちに色々と説明をしているようだ。その横になんと!同じ雑貨屋で衝動買いした「忍者傘」らしきものがあるではないか?!しかも柄の部分がこちらは金属光沢に光っている。。。思わず手にとって眺めてみると、さらに驚くことに水に濡れると28種類の武将の家紋が浮かび上がるというのだ!「今日だけ特別価格だよ」おやじの追い討ちが私を悩ませた。通常2840円が半額以下の1260円。。。うーむ、ハイパワー忍者傘か・・・完全に敗北した気がした。その横にあった新兵器忍者折畳傘や小銃型傘を眺めていると妻は冷たく先を歩いて行ってしまった。

  

その先の「お箸や」で妻は私が傘を眺めた時間の倍以上かけて自分と息子甘辛の箸を選んでいた。私の使っている箸は10年くらい前に上海の中華街でお土産に3元で購入したひねり箸だったが、彼女らのは最近傷みが激しく買い替えるつもりだったらしい。店内には様々な種類が置いてあった。干支にちなんだ模様や江戸文様の渋い箸、「男箸」というただぶっとくてごっついだけの箸やパワーストーン入りの箸、そして極めつけは「箸鉄用」という新幹線N700系の形をした箸だ。妻は息子用の箸には昔友人が着ていた「中ラン」の内側にあった刺繍のような「龍」模様の箸に名前を彫り込んでもらっていた。なーんか以前来たときよりも、石、傘、箸など微妙な流行り(流行らせ?!)モノの店が増えてきたような気がする。 身近なガラスの器を高熱で変形させ一輪刺しを作っている店もある。鎌倉の小町通りというのは随分栄枯盛衰があるようだが、いつ歩いても実に面白い。

    

さて八幡宮に入ると「段葛」の桜はだいぶ散ってしまっていたが、源平池の方はほぼ満開時の様子をキープし、池に落ちた花びらが美しかった。本宮したの舞殿では何やらたくさんの宮司が整列して行事を行っている。鶴岡八幡宮では『金槐和歌集』を編纂した源実朝公の功績を称え献詠披講式という催しが開催されるのだそうだ。どうも短歌を募集してこれを神前にお供えするとともに、優秀作品を披講する行事らしい。もうすぐ鎌倉まつりだ。昨年はちょうどパレードの時にあたったが、一度でよいから、流鏑馬というものを見てみたいと思っている。ホントは練習の場を提供してもらえるなら修行の上、実際に馬に乗って的を射抜いてみたいものだ。

          

大震災のちょうど1年くらいに強風で倒伏してしまった御神木の大銀杏も残った根から若芽が生長したそうだ。源氏滅亡の事件となった源実朝暗殺時に下手人の「公暁」が隠れて待ち伏せしていたという有名な大銀杏だ。大木が折れてしまった後に出る若芽を「ヒコバエ」といい、HPでは順調に生育と書いてあったが、どれがそれなのかよく分からない。樹齢1000年近くあると言われた親の巨木は倒伏してしまった時の根っこの部分は別の場所に移されてしまっているので株がほとんどない「挿し木」のような状態であまり予断は許さない。格調高いパワーでぜひ復活してほしいものだ。
そのまま本宮へ上りいつもの通り「私利ではなく、無病息災」を祈り、流鏑馬の馬場を東に向かったのである。