2度目「「倉」」①/お楽しみの買い物

2015-10-17 20:43:04 | 72歳/2015年

《倉敷》

  お楽しみの町

 トルコのお店屋さん

 おちょこ4個・・2000円

トルコのお土産屋さん

倉手工布店

  綿麻/手織物店  

倉敷の手織り布

麻の手織物

    

小樽で購入

ステンドグラス・ランプの下に敷く 

麻の手織り物 

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 倉敷物語館にてお茶

 倉敷物語館内

カフェでお茶の時間

現・倉敷観光協会

元倉敷市役所

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2度目の 倉敷

 2015.10.7(水)~10.10(土)

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2度目の「倉敷」」②/《人力車初のり》

2015-10-17 20:42:32 | 72歳/2015年

《倉敷を巡る

人力車初体験

人力車

えびす屋さん・・久保ちゃん 

京都、奈良、浅草など 各地でご活躍

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 美観地区

  スタート

駅ビルで軽い朝食 倉敷駅から北へ10分歩くと美観地区入口到着/Am9:30でした 美観地区入口でイケメン兄ちゃんに捕まりました 2人は人力車に乗りこみ高みの見物です 大橋家ゆかりの『倉敷物語館』から出発し、本町通り商店街を抜け~/東町通り~/クラボウ記念館脇を通り~/最終地点に到着 全行程30分、2人9000円 

 人力車初体験

 解説が楽しい

 本町通り

  家並が美しい

呉服屋

 倉敷で一番古い店 

 

 

 

 

 倉敷生まれ/《mt》

《mt》とは/マスキングテープのこと

 

孫のお土産

夏にはこんな風景に出合います

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「東町」を抜け  

 

 

なまこ壁が美しい

 

 

最終地点「有燐荘」到着!

二人で30分/9000円...倉敷の町の案内をしていただきながら楽ちん楽ちんの人力車初体験でした 2人は大満足の30分でした 

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東京駅発Pm10:00~倉敷駅着Am7:30

2度目の 『倉敷』

2015.10.7(水)~10.10(土)

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2度目の『倉敷』 ③/《ホテル・IVY SQUARE》

2015-10-17 20:40:02 | 72歳/2015年

 《 ホテル/IVY  SQUARE 》

 商業都市として発展

 ホテル(IVY  SQUARE)

ホテル(正面入り口)

ホテル(フロント)

ホテル(フロント)

築40年のホテル

アンティークな雰囲気

レストラン《蔦》

レストラン《蔦》

バイキング朝食

 

 ホテルの窓枠はアイアン製

IVY SQUARE

(アイビーのある広場の意)

◆夏はビヤーガーデン/バイキング広場に

 

盛夏んのビヤーガーデン

モネのアトリエの水連

   

 

 

アイビーの秋

 ジーンズの展示場 

秋のアイビー

冬は葉を落とします

夏のアイビーは暑さからの日除けになる

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大原家の遺産

大原美術館

お宝がいっぱい

 

大原美術館 

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大原美術館

児島虎次郎 記念館

大原美術館 とは....1930年洋画家『児島虎次郎』の業績を記念し、岡山県倉敷市に設立されました 孫三郎は《倉敷紡績》を始め数々の企業を経営する辣腕の実業家であり、志高き《社会事業家》でもありました 労働問題/福祉/医療/文化など様々な分野で功績を残しました

 

6代目/大原孫三郎氏.....6代目社長/は1歳下の《小島虎次郎》を画の勉強の為フランスへ留学させます 2度に亘りヨーロッパ各地を巡り、磨かれた眼でエルグレコ/モネ/ゴーギャン/マティス/などの絵画を始め、優れた作品の数々の収集を孫次郎に提案します さらにオリエントの美術品収集(エジプト/中国/朝鮮半島)など、東西文化の源泉を物語る考古美術品の多くを収集し展示しています

 

児島虎次郎記念館.....はお宝の宝庫 『児島虎次郎』のフランス留学中の作品や、オリエント(古代エジプト、西アジア)等の考古美術品を原綿倉庫の蔵の中に所蔵し、『児島虎次郎記念館』として公開 

 

7代目社長/大原総一郎氏.....父「孫三郎」の意志を引き継ぎます 西洋及び日本の近代美術/東西の古美術/日本民芸運動の作家の作品を(浜田庄治~河井寛治郎~芹沢介~棟方志功~富岡憲吉)/重厚な蔵の中で鑑賞できます 「生きて成長する美術館」という理想のもとに『大原美術館』の充実に力を注いだのは・・大原総一郎氏でした

9代目当主.....築・220年の大原家住宅の現当主

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2度目の 『倉敷』

ホテル/IVY  SQUARE

 2015.10.7(水)~10.10(土)

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2度目「倉敷」④/ 天領船に乗って

2015-10-16 17:38:10 | 72歳/2015年

《 徳川「天領」 》

倉敷の地

中橋

なまこ壁が美しい/倉敷考古館

倉紡製品

原綿積み降ろし場跡

江戸時代(舟着き場)

 20mの海を10mの運河に造りかえ

荷卸のできる倉敷川になりました

天領舟で

倉敷川を巡る

 定員6名

中橋を通過

一枚石/庵治石(香川県) 

天領舟に乗って巡る《倉敷川》

倉敷川一周

 20分500円 

 萩の花が咲き揃う

 

 

日本一雨の少ない倉敷

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2度目の『倉敷』

 2015.10.7(水)~10.10(土) 

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2度目の「倉敷」⑤/《有燐荘・秋の一般公開》

2015-10-16 16:40:00 | 72歳/2015年

《 有燐荘/緑御殿 

秋の一般公開

 

戦火に会わない家並み 

左/有燐荘

正面...大原美術館/右・大原家(蔵)

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秋の一般公開 

  

有燐荘又(緑御殿)

 昭和3年/当時26万円(現5億円)の建築費

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緑御殿(別荘).....緑色の瓦屋根が目立つこと「緑御」とも呼ばれます 艶やかな黄色と緑色の瓦(唐三彩)は、 特殊な釉薬が使われる泉州堺の瓦職人に特別注文しました 現在の価格で1枚3万円程だったといわれています また1947年(昭和22年)には昭和天皇の宿泊所として使用されるなど 大原家別邸の後は来賓館として使用され、多くの貴賓客をお迎えしました  土台石は廃藩置県となった高松城の庵治石(香川県)が使われる

 

設計は.....大原美術館や中国銀行の設計を手がけた(薬師寺主計)、明治神宮や築地本願寺の造営で知られる(伊藤忠太)、庭園は近代日本庭園の先駆者であり 平安神宮や山県有朋邸などの名庭を手がけた歴代の小川治兵氏 

七代小川治平/作庭の庭

平安神宮~円山公園~南禅寺界隈の別荘群(無鄰菴~清風荘~対龍山荘)などの作庭をした

 

堂本尚朗

2013年他界した画家の遺作展 

撮影禁止

   

左/大原家本宅 右/有燐荘 

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有燐荘とは.....風情豊かな倉敷の町並みの中に建つ「有燐」」 昭和3年(1928年)に 大原孫三郎が病弱な妻を気遣い、家族の為に落ち着いた住まいを、と建設されました 内外装デザインは(児島虎次郎氏) 

 

素封家/大原孫三郎の別邸.....として完成 設計デザインに「大原美術」の設計者/薬師寺主計を中心に、築地本願寺の造営で知られる建築家/伊東忠太、大原美術館の名画収集に尽力した洋画家/児島虎次郎が関わり、和洋折衷様式のおおらかで優美な別荘になりました

 

唐三彩の瓦は現在の価格で1枚3万円もする高価なもの 病弱な奥様と家族のために建てられた別荘でした 奥様は早世されこのお屋敷に住むことはなかった 庭は京都の植治/七代《小川治平》が手掛けた 昭和10年/「大原美術」の所有となり、平成9年より/年2回特別公開を兼ねて「有燐」」を会場とした展覧会を開催しています


「重要文化」大橋家住宅

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倉敷で唯一/重文

大橋家&大原家

大橋家は.....大橋家は江戸時代水田・塩田・金融業など新田開発によって財をなした大地主 大原家と共に「新禄」と呼ばれる新興勢力を形成していました 住宅の屋敷構えは大原家とは大きく違い、長屋門を有し主屋が通りに直接面することなく奥に長い京風の建物です

 

大橋家住宅は江戸後期/1796年(寛政8)年に建てられた倉敷の代表的な建物で「国の重要文化財」です 現在は倉敷市に寄贈され一般公開されています 倉敷の代表的な町家のひとつに数えられています 長屋門を筆頭に、なまこ壁/倉敷窓/倉敷格子など倉敷の豪商らしい重厚な造りが印象的です 往時の商家の姿を現在に残しています 国の「重要文化財」指定

重要文化」 大原家住宅(築220年) 

緑御殿(有燐荘)/築100年

大原家住宅は/(9代当主)住まい

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大原家は.....

江戸時代、綿花の大量生産で財をなしました 「倉」は徳川幕府直轄の「天領の地」になります のちに倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め「「大原財」を築いた江戸時代の庄屋(地主)

 

社会~文化事業にも熱心に取り組み、倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)、大原美術館、大原農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所(現・法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補習学校(現・岡山県立倉敷商業高等学校)など設立した

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夜行寝台特急

サンライズ 瀬戸

  

高松行/サンライズ 瀬戸 

9番線/寝台特急サンライズ/東京駅22:00発  

 

 15分前

9番線ホームに滑り込む 

 

寝台車は 二階建 

 

PM10:00乗り込む

ラジオをセットして就寝

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サンライズ乗車

寝台特急

東京駅/22.00発.....岡山駅/Am6:30着の予定 途中「米原駅」で機関車の事故があり、岡山駅へは1時間遅れのAm7:34着 在来線に乗りかえ「倉敷」へ直行した

 

駅ビルで軽い軽食を取りました 今回の旅の目的は、天領舟から動画撮影した「有燐」の一般公開に合わせ再訪しました 

10月8日(木)Am9:00

 倉敷川を天領舟「「動画撮」に挑戦 

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2度目の/ 倉敷

 2015.10.7(水)~10.10(土)

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シルバーウイーク/《娘達のご招待》

2015-10-16 05:22:12 | 72歳/2015年

《 第21回/西関東吹奏楽 》

群馬県代表/高校の部

 

 

高校の部

東日本吹奏楽コンクール

響け復興のハーモニー .....第21回西関東吹奏楽コンクール(高校の部)に出場しYuri   Yuriの応援に浜松の次女も誘って家族6人で新潟まで駆け付けました 金賞まであと一歩でした パーカッションが管楽器を盛り立て美しいハーモニーを楽しみました

 

宿泊した宿「泉慶」.....ホテル「泉慶」は今では稀少なホテルです 仰天の驚きでした こんな風流なホテルに泊まれたことは晩年の大きな喜びでした 温泉~宿~食事~全てに行き届いていました 日本に生まれて良かった!...と実感した2日間でした 「みなさん ご招待ありがとう」 シンプルなホテルは多いけど、こんなホテルにはこれから先中々泊まれないでしょう 奈良ホテ」」宿泊以来の感動でした

   

 越後平野を行く

  稲刈りは終わりました 

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《奈良ホテル/並》

月岡温泉 /泉慶

別世界の空間/広い大きい

ロビーに一歩足を踏み入れると

翌朝のロビー

美味しいコーヒーを頂く 

家族で旅の終わりの余韻 

  美術の散歩道

美術の散歩道

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お宝の宝庫 

 美術の散歩道

 

 美術の散歩道

右/お土産屋さん

 

大広間で家族7人の夕食

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月岡温泉/白玉の湯は全国屈指の硫黄含有量を誇り、入浴後のお肌は白玉のようにしっとりなめらか 

 

庭園大浴場/月鏡.....温泉の入り口に立つと、立派な歌舞伎門に誘われます 天井は雅な広々した格天井にまず驚き、お風呂には不釣り合いな素敵な照明が化粧ルームや湯上りルームを照らすのにも驚きます 大きな灯に見とれながら湯冷ましを頂き、周りの景色をしばらく楽しみました

  

野趣あふれる露天風呂/花鏡.....洞窟風呂さながらに巨石を積み重ねたトンネルを抜け出る、そこには石風呂の露天がありました 源泉を引き湯にした美肌の「ナトリウム硫黄」」 びっくり仰天こんな温泉は初めてです 何度も入りたい記憶に残る露天風呂

 

病人が出た時のためにストレッチャーが浴室内に設置されていました ストレッチャーが浴室内にある温泉も初めてでした

月岡温泉発祥の地

月岡温泉発祥地地

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 シルバーウイーク

  老舗旅館の雅に触れた一日 

   2015.9.17(木)~9.22(水)

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1度目「倉敷」」(1)/《大原家の遺産/美術館経営》

2015-10-15 20:20:57 | 72歳/2015年

《 大原家の遺産

児島虎次郎 記念館

大原美術館

大原美術館

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実業家/6代大原孫三郎

大原美術館 児島虎次郎 記念館

大原美術館 とは.....1930年洋画家「児島虎次郎」の業績を記念し、岡山県倉敷市に設立されました 6代/孫三郎は「倉敷紡績」を始め数々の企業を経営する辣腕の実業家であり、志高き「社会事業家」でもありました 労働問題~福祉~医療~文化~など様々な分野で功績を残しました

大原美術館

お宝の宝庫

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6代目社長

大原孫三郎氏

1歳下の「小島虎次」」を画の勉強の為フランスへ留学させます 2度に亘りヨーロッパ各地を巡り、磨かれた眼でエルグレコ/モネ/ゴーギャン/マティス/などの絵画を始め、優れた作品の数々の収集を孫次郎に提案します さらにエジプト~中国~朝鮮半島~などを訪れ、東西文化の源泉を物語る考古美術品の多くを収集

 

「児島虎次郎」のフランス留学中の作品や、オリエン(古代エジプト、西アジア)等の考古美術品を原綿倉庫の蔵の中に所蔵し、「児島虎次郎記念」として公開 「児島虎次郎記念」」はお宝の宝庫です

 

7代社長/大原総一郎氏.....父「孫三郎」の意志を引き継ぎます 西洋及び日本の近代美術/東西の古美術/日本民芸運動の作家の作品を(浜田庄治~河井寛治郎~芹沢けい祐~棟方志功~富岡憲吉) /重厚な蔵の中で鑑賞できます 「生きて成長する美術館」という理想のもとに「大原美術館」の充実に力を注いだのは.....大原総一郎氏でした

 大原美術館

蔵の壁を彩るなまこ壁

スイレン/モネの館から移植され育つ 

 「分館」/入場口前の広場

  「分館」/入場口前広場

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初代/大原孝四郎氏/別荘

新渓園/築100年

お休み所

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新渓園(現お休み所)

初代社長/大原孝四郎氏

還暦記念に別荘として建設しました 大正11年/「孝四郎」」から継承した6代目社長「大原孫三郎」」から当時の「倉敷」が寄付を受けました 「新渓園」の名の起こりは、孝四郎氏の画号「新渓」から

 

新渓園(休み所)

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大原美術館と新渓園

児島虎次郎 記念館

 2015.7.3(金)~7.7(火)

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1度目「倉敷」(2)/《美観地区》

2015-10-15 07:00:57 | 72歳/2015年

《 美観地区 倉敷 》

大原家

ホテル/ivy SQUARE

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 時代と共に変遷

大庄屋/大原家 「米/綿花」の集積地

代官所設置 「天領」としての倉敷

 「倉敷紡績」の経営 美術品の収集

「大原美術館の創設」 「児島虎次郎記念館」

 S49/5.....改装され「ホテル」として旅行者に解放

レトロなホテルとして40年間愛される

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ビアーガーデン

飲み放題~食べ放題/バイキング

モネの館から

移植した4株のスイレンが育つ

ホテル入口「美しい窓飾り」

レストラン「蔦」 

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崇高な精神を基盤

倉紡倉敷工場

明治末までに数回の増改築を行い戦争を迎えた 昭和19年には軍需工場(休止工場)となり活動を停止した  「倉敷」の美しさを保持し、より美しい町に育てようと具体策を推進したのは3代当主/大原総一郎氏  昭和44年「倉敷紡績」の創立80周年を記念して、明治22年建設時から「原綿倉庫」として使用された建物をそのまま活用した「倉紡記念館」が一般公開に至ります 美しい蔦の緑につつまれた「工場本体」はまだ眠ったままでした

 

新幹線の岡山開通.....により観光客は急増します 宿泊休憩、食事などの施設が不足しました 「倉敷紡績」はこの現状を踏まえ地元の要請、史跡としての創設工場の保存活用の検討を始めます

 

ホテル経営.....宿泊施設、駐車場、文化的な雰囲気と交流の場の施設の必要性 ユニークなホテルを創る方向に話し合いが進みます 明治建築の権威/東京大学教授・松村貞次郎博士に相談し、創建当時の建物は全く手を加えないで保存する方向で計画は動き始めます 昭和49年5月/休養と教養の場としてホテルの運営開

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ホテル 『IVY  SQUARE』 オープン

ホテル・設計者/浦辺慎太郎氏

昭和49年度建築学会賞、商業空間デザイン賞

インテリアデザイン賞を受賞した

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HKドラママッサン」 撮影場所

ホテルの敷地内

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壁面の蔦の役目

レンガ造りの原綿倉庫

西日の温度上昇を防ぐ目的で植えられた壁面の蔦 「児島虎次郎記館」はレンガ作りの「原綿倉庫」にあります 「児島虎次郎の油絵作品&オリエントの考古美術品」多数展示します

 

児島虎次郎記念館.....多数の美術品はレンガをむき出しにした元「原綿倉庫」に展示されます 自然のままの空調を利用して管理され一般公開しています 「児島虎次郎記念館」はお宝の宝庫.....一見の価値があります

6代/大原孫三郎氏 別荘

緑御殿/有燐荘

 築100年 

 

当主の本宅(築220年)

なまこ壁が美しい.....9代/大原家

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大原孫三郎氏

代当主

病弱だった奥様のために建「緑御殿(別荘)」  土台石は廃藩置県となった高松城( 庵治石)から運ばれた 屋根瓦は唐三彩の美術品(現在価格一枚3万円)、緑とオレンジ色の磁気が美しい唐三彩の屋根に圧倒されます

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9代当主の妹/正田修氏「日清製粉」に嫁ぐ

本宅700坪/敷地内に蔵が11個、綿花/お米の大地主 

小作人2700人、田地田畑800町歩

(東京ドーム172個分) 

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 大原家/倉敷の発展を支える

倉敷中央病院経営(医師500人京大病院系) 

四国銀行経営

大原美術館  児島虎次郎記念館

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土台石/高松城から運ぶ

春秋 /一般公開されます

住宅地のなまこ壁

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 美観地区 /倉敷 

 2015.7.3(金)~7.7(火)

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1度目の『倉敷』 (3)/《天領の地》

2015-10-14 07:36:36 | 72歳/2015年

《 天領の地 》

倉敷歴史の旅

 

倉敷の歴史

倉敷は.....江戸幕府の代官所が置かれ、代官に支配される直轄地「天領」でした 大規模な新田開発/塩田開発/水運業を担った大原家と大橋家 《倉敷は綿花とお米》の一大出荷地となったのです 

 

幅20mの海を埋め立て.....幅10mの運河を作り、「倉敷川」は集積物の運搬に最適な交通手段になりました その河港には多くの商人が集まり蔵を建て運河で物資を運び「倉敷」はやがて商業の中心となりました

倉敷川/は瀬戸内海へと流れます

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大原孫三郎/別荘

 有燐荘

 昭和3年建設 

有燐荘

1928年(昭和3年)建築

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庭園設計.....大原美術館や中国銀行の計を手がけた《薬師寺主計》、明治神宮や築地本願寺の造営で知られる「伊藤忠太」、庭園は近代日本庭園の先駆者であり 平安神宮や山県有朋邸などの名庭を手がけた歴代の小川治兵氏 

京都七代・小川治兵衞氏/現代の「植冶」 

 

七代・小川治平/作庭の庭.....平安神宮~円山公園~南禅寺界隈の別荘群(無鄰菴~清風荘~対龍山荘)などの作庭

 

緑御殿(別荘).....緑色の瓦屋根が目立つことで「緑御殿」とも呼ばれます 艶やかな黄色と緑色の瓦(唐三彩)は、 特殊な釉薬が使われる泉州堺の瓦職人に特別注文しました 現在の価格で1枚3万円程だったといわれています また1947年(昭和22年)には昭和天皇の宿泊所として使用されるなど 大原家別邸の後は来賓館として使用され、多くの貴賓客をお迎えしました 土台石には廃藩置県となった

高松城の庵治石(香川県)が使われる 

 昭和3年/当時26万円(現5億円)の建築費  

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橋は一枚石

香川県の庵治石(あじいし)が使われる 

 

橋を潜る「天領丸」

20分500円

「倉敷」/発展の礎

明治以降になって「水運業」が衰退します 明治18年「倉敷紡績所」設立運動が青年有志により計画され、明治21年3月認可されます 以後倉敷は「紡績所」を中心に発展します 

初代社長・大原孝四郎氏

堅実経営に徹し基礎固め

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2代目社長/大原孫三郎氏.....経営の根幹を人づくりを従業員教育におき積極経営をします 1歳下の小島虎次郎を画の勉強の為フランス留学へ 留学中エルグレコの作品「受胎告知」を昭和32年購入、他にエジプト~西アジア~の歴史ある美術品の収集もします 敷紡績工場」明治末までに数回の増改築を行い戦争を迎える 

 

昭和19年/「軍事工場」に転換.....終戦とともに休止工場となり活動を停止 3代社長/大原総一郎氏は倉敷の美しさを保持し、さらに美しい町に育てようと熟慮を重ねます  その一方で日本民芸運動家「浜田庄治~河井寛治郎~芹沢けい介~棟方志功~富岡憲吉~」らを支援します 

民芸作品/大原美術館で鑑賞

ホテル/IVY  SQUARE

(ホテルフロント レストラン蔦)

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工場本体は.....美しい蔦の緑に包まれ眠ったままでした 昭和45年の万博終了後、新幹線の岡山開通により観光客は急増します 工場本体を中心とした利用をどうするか?  歴史的背景のもとに公共的役割の宿泊所、駐車場の充当に苦心します 

 S45/9  ホテル/IVY  SQUARE誕生

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美の宝庫 

 児島虎次郎記念館

 大原美術館 

 2015.7.3(金)~7.7(火)

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