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主観と客観


例えば物語文を読んで、書かれている以上に物語の展開を考えたり、新たなエピソードを創造する子がいます。

あるいは詩を読んで、同じようなモチーフで別の詩を書きたくなったりする子もいるでしょう。

こういう創造力というものは、やはりその子の個性がよく表れているところであり、将来的にはまた違った成長を遂げて新たな作品を誕生させてくれるかもしれません。

しかし、こと中学受験の国語というのはそういうものではないのです。

ありていに言えば、そこに何が書いてあるのか、客観的につかむということが大事になってくる。

百人が読んで百人とは言わないまでも90人ぐらいはそう読む、というような解釈に基づいているのです。

問題を作る先生の立場で考えてみると、当然作者ではないわけで、自分がこう読んで設問を作った時に、その答えが複数あるというのはまずい。塾かや出版社から疑問の声が上がらないように、ということを考えていくと「文中にこう書いてある」という根拠が明確であるような問題になっていくのがふつうです。

ところが自分で想像を膨らませたりしていくと、そういう根拠は見えなくなってしまう。また、自分を登場人物に置き換えてしまうと、「なんでそういう行動をするのかわからない」こともあり得るでしょう。

だから、あくまで文中に根拠を求める、という考え方でいかないといけない。

これは国語力とは多少ニュアンスが違う部分なのです。

本が好きだったり、文章をよく読む子が国語の点数がとれない場合、この罠に引っかかっている可能性があるのです。

あくまで主観をなくして「客観的に読む」という姿勢で臨まないと、点数はまとまらないようにできている部分があります。

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