母は文学少女だったそうです。でも、私は母が家で読書しているのを見たことがありません。毎日の忙しさでそれどころではなかったのでしょう。
私が松居先生の本を再版し、出来上がった本を渡しても感想は聞けませんでした。私がようやくできた、と喜んでいることをしっかり感じ、「ニコニコしているね」と言ってくれました。
英訳版にとりかかるため、プレゼンテーションをすることになった時、何だか分からないながらもわざわざ名古屋に行って何かやる、それを応援してくれました。
英訳版の出版が具体的になった時、母は末期ガンで入院中でした。翻訳&監修者の吉田先生に会いに行くため、明日は見舞いに来れないよ、と言いました。毎日の見舞いだけを楽しみにしていた母も、本当に大事な用なのだ、と分かってくれました。
出来上がった英訳版が吉田先生から届いたのが奇しくも母の誕生日でした。母はすでに亡くなっていましたが、完成を疑うことなく逝けたのは静枝さんと同じでした。
私が松居先生の本を再版し、出来上がった本を渡しても感想は聞けませんでした。私がようやくできた、と喜んでいることをしっかり感じ、「ニコニコしているね」と言ってくれました。
英訳版にとりかかるため、プレゼンテーションをすることになった時、何だか分からないながらもわざわざ名古屋に行って何かやる、それを応援してくれました。
英訳版の出版が具体的になった時、母は末期ガンで入院中でした。翻訳&監修者の吉田先生に会いに行くため、明日は見舞いに来れないよ、と言いました。毎日の見舞いだけを楽しみにしていた母も、本当に大事な用なのだ、と分かってくれました。
出来上がった英訳版が吉田先生から届いたのが奇しくも母の誕生日でした。母はすでに亡くなっていましたが、完成を疑うことなく逝けたのは静枝さんと同じでした。