私は時々静枝様に愚痴を言っていました。
「静枝さん達は松居先生にお会いしているからまぁ、いいですよ、でも私は会ったこともない彼に惹かれてあたら花の青春を捧げてこんな泥沼なことをしているんです、本当に悪いオトコです、責任を取って欲しい」と。
それを普門院でも言っていたら静枝様も寝たままで
「そうだそうだ、まついのとーるは責任をとれ~」とデモ行進しているみたいに手をあげ、ふざけました。
そのことを田中先生に話すと「そりゃあ、いい」と・・・・・・・
私は時々静枝様に愚痴を言っていました。
「静枝さん達は松居先生にお会いしているからまぁ、いいですよ、でも私は会ったこともない彼に惹かれてあたら花の青春を捧げてこんな泥沼なことをしているんです、本当に悪いオトコです、責任を取って欲しい」と。
それを普門院でも言っていたら静枝様も寝たままで
「そうだそうだ、まついのとーるは責任をとれ~」とデモ行進しているみたいに手をあげ、ふざけました。
そのことを田中先生に話すと「そりゃあ、いい」と・・・・・・・
著作権継承者は年末に退院できました。病気が治ったわけではなく、これからも治療は続きますが、ともかくお正月を自室で過ごせたことはうれしい自由だったでしょう。治療の成功を祈るばかりです。
著作権継承者(83歳)が11月下旬に緊急入院されたことがわかりました。猛暑の後は短かすぎる秋で、お会いする計画がのびのびになっていました。二人で寛永寺にも行けたらいいな、と思っていました。
私が初めて彼女と電話で話をしたのが1998年です。この時私は「この本は絶版になるべき本ではない、むしろ英訳されてもいい、文化遺産だ」と言いました。この私の夢にずっと10年近く彼女をつきあわせてきたのです。でも、英訳はともかくも完成しています。それが救いとなっています。
幼稚園生の頃の私が何故あんなに死を恐れたのだろう・・・・同じ歳の子に話しても、理解されず。(当然ですね)
ひとつには、我が強いためにその我を失うことを極度に恐れたということ
もうひとつは、何しろ幼稚園生ですから、まだ大事な人を失った経験がない。今ならば、「あの人も、あの人もあっちの世界に行ってしまったし、あの人達も行ったんだから、私も、行ってもいいかな」という気になっています。法然さんと親鸞さんの関係と言ったら大げさでしょうが・・・・・
先日日比谷公園に行く用があり、ついでに図書館にも入ってみました。入り口にびっくり・・・・警備員が立っているのです。図書館なのに、何故・・・・・ふと、もしかしたら、ホームレスが入ってこないようにしているのではないか、と思ったのですが、これは僻んだ考えでしょうか・・・・
公園のベンチやプラットホームのベンチはホームレスが横になれないよう、わざと仕切りをつけているものがあるといいます。この考え方は、哀しいものですね。
文明が進むということは、弱肉強食ではなくなることではないか、と思います。皆がそれなりに幸せになることではないか、と。くだらない政治家や役人が税金の無駄遣いをしていることを思えばホームレスが図書館に入ったり、ベンチで寝ることくらい、何だっていうんだろう、馬鹿馬鹿しい・・・・