終戦記念日が近くなり、浮浪児になった方の記事を読みました。
政府から助けてもらえるなどとは思わず、公衆トイレで寝泊まりし、食べ物をねだったり何でも手伝ったりして生き延びていった話でした。自分の親はもちろんのこと、他の子たちも朝になると死んでいたりして片付けられていき、とにかく必死で生きていくしかない記録でした。
そんな様を見て松居桃楼は松竹へ帰らず、隅田公園を不法占拠してでも自立のための街をつくったのです。不法占拠であるが故に大変な苦労を強いられますが、そもそも戦争によって孤児になったり家を失った人たちですから、本当の意味で「不法」なのかと思います。
戦争によってたくさんの不幸を生み出した政府こそ国を不法占拠していたと思います。
松居先生は蟻の街を守るためいろいろな嘆願書を書いたはずで、それは役所に残されているかどうか・・・・・
政府から助けてもらえるなどとは思わず、公衆トイレで寝泊まりし、食べ物をねだったり何でも手伝ったりして生き延びていった話でした。自分の親はもちろんのこと、他の子たちも朝になると死んでいたりして片付けられていき、とにかく必死で生きていくしかない記録でした。
そんな様を見て松居桃楼は松竹へ帰らず、隅田公園を不法占拠してでも自立のための街をつくったのです。不法占拠であるが故に大変な苦労を強いられますが、そもそも戦争によって孤児になったり家を失った人たちですから、本当の意味で「不法」なのかと思います。
戦争によってたくさんの不幸を生み出した政府こそ国を不法占拠していたと思います。
松居先生は蟻の街を守るためいろいろな嘆願書を書いたはずで、それは役所に残されているかどうか・・・・・