テニスプレイヤーの日記

日々の随想や所感を書きます。

城巡り 八上城跡へ

2023年08月05日 | Weblog

亀岡方面から篠山城に入ってくる手前の南側にある山が高城山で、そこにあるのが、八上城跡です。

春日神社口から本丸まで、1時間とか。

この暑さで、今回の本丸への登頂は、見送りです。

 

//////////////丹波篠山市ホームページから///////////////////////

篠山盆地の中央部に美しくそびえて、丹波富士とも呼ばれる高城山(朝路山・462メートル)に、中世の名城、「八上城跡」(町・史跡)がある。丹波守細川高国に属した波多野元清が永正5年(1508)に築城したのに始まる。元清は足利義稙から一字をもらい稙通と称し、両細川家の対立を利用して勢力を拡大した。次の秀忠は、丹波守護代となり丹波一円を制したのである。その後、松永久秀に攻略され、甥の孫六(郎)が城主となったが、永禄9年(1566)に奪回した。天正3年(1575)から信長の命を受けた明智勢に攻撃され善戦したが、同7年6月、調略により秀治・秀尚兄弟は安土で処刑され落城した。丹波を与えられた光秀が滅んで、城は秀吉の配下となり城代が置かれ、次いで五奉行の一人前田玄以が5万石で入封。次男茂勝は慶長13年(1608)に改易。松平康重が笠間城(茨城県)から入封。翌年、篠山に築城されて、廃城となった。山頂に本丸の石垣が残り、岡田丸・二の丸・三の丸の平地や尾根には多くの曲輪跡が見られ、北麓には主膳屋敷跡・御殿屋敷跡があり、殿町に最初の築城地と伝えられる「蕪丸城跡」(町・史跡)がある。

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城巡り 般若寺城跡へ

2023年08月05日 | Weblog

城巡りとして、般若城跡へ向かいました。

正覚寺のところとか、行ってみました。

お寺の北側の山が、城跡とか。

 

//////////////////丹波篠山市のホームページから///////////////////////

現在、正覚寺があるところには、もと波多野氏の祈願所の般若寺があったことは前に述べた。その背後の小山に、天正6年(1578)、明智光秀が八上城を包囲攻撃するため、向城として築いたのが「般若寺城」である。向城とは、付城ともいい、敵の城を攻めるとき、それと対して築く城のことである。(本城に付属した城をいう場合もある)
目の前に八上城があり、監視所として最適の位置にあったわけで、明智治右衛門が城将となり、前方の道路を遮断するなど包囲作戦の拠点となっていた。
『篠山領地志』や『丹波志』などによると、山頂に350平方メートル位の主郭(本丸)が東西に長い平坦地をなし、ほかに東に二つ、西に一つ、南に二つの曲輪の平坦地があったようである。また、本丸の90メートルほど下に、約97平方メートルの屋敷があったということから、般若寺の建物を館にしていたと考えられる。
なお、山中には、日輪山西方寺跡や正保3年(1646)に出土した如意輪観音像を祭る観音堂があった。

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城巡り 土塁に囲まれた大渕館へ

2023年08月05日 | Weblog

城巡りで、昔のまま土塁に囲まれた館があるということで、行ってみました。

土塁に囲まれ、堀がある住宅でした。

 

///////////兵庫県公式観光ガイドによると///////////

室町時代に造られた土豪の居住跡で、屋敷の周囲に土塁と堀を巡らせています。土居の内と呼ばれる館跡は、かつては同様のものが付近にいくつも存在していたと思われますが、現在ではここにしかありません。畑氏の居館であり、別名大渕館と呼ばれます。

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