2023.8.28 いつも社有車なのですが、今日は、途中までですが、
初めて電車で出張しました。それにしても暑い。
現場では、汗だくでした。首の輪も完全に溶けてしまいました。
山中城跡から三島市内でランチを食べて、韮山城跡へ向かいました。
韮山中学校側から城山に進入して、城池を東側を走り、
城池の北西角の案内板ありました。本城跡は、ここから入ります。
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伊豆の国市/韮山城跡 (city.izunokuni.shizuoka.jp)
韮山城跡は、戦国時代、伊勢宗瑞(通称:北条早雲)が、韮山の丘陵に築いた山城です。
明応2年(1493年)、駿河の今川氏の客将であった伊勢宗瑞が、韮山の堀越公方を攻め、伊豆に進出しました。伊豆を平定した宗瑞は、韮山城を整備し、自らの本城としました。
宗瑞の死後、2代目氏綱は、北条氏と改姓し、相模国小田原城(現在の神奈川県小田原市)に拠点を移したことにより、韮山城は伊豆地域を治める支城になりましたが、今川氏や武田氏などの戦国大名による進出に対する防御の拠点として、重要な意味を持っていました。
天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉の小田原攻めでは、約4万の軍勢に囲まれましたが、6月に開城するまで、3ヵ月にわたる籠城戦に耐え抜きました。
北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣である内藤信成が韮山城に入城しますが、慶長6年(1601年)に廃城となりました。廃城後は、韮山代官の御囲地となったため、その環境を大きく変えることなく、土塁や堀なども戦国時代の姿をとどめています。
現在、韮山城跡は本城(龍城山)のみ階段等を整備しています。土手和田遺構群、天ヶ岳遺構群や、豊臣方の太閤陣場付城跡・本立寺付城跡・追越山付城跡・上山田付城跡・昌渓院付城跡は、私有地につき立ち入りをご遠慮ください。