30.9.29 土曜日、台風24号が接近しています。台風21号では、強い雨風で、雨漏れと
なりましたが、コーキングした対応していますが、今度の台風24号もほぼ同じか
少し強いので、影響が心配です。明日に備えて、家の周りの台風対策を行いました。
但し、屋根のアマチュア無線のアンテナは、すでに雨で屋根が濡れて登れないので
前回21号の台風前に点検した結果が、大丈夫だったので、今回も大丈夫だと
思っています。明日、台風24号 被害がなく早く過ぎ去ってほしいと願います。
30.9.29 土曜日、台風24号が接近しています。台風21号では、強い雨風で、雨漏れと
なりましたが、コーキングした対応していますが、今度の台風24号もほぼ同じか
少し強いので、影響が心配です。明日に備えて、家の周りの台風対策を行いました。
但し、屋根のアマチュア無線のアンテナは、すでに雨で屋根が濡れて登れないので
前回21号の台風前に点検した結果が、大丈夫だったので、今回も大丈夫だと
思っています。明日、台風24号 被害がなく早く過ぎ去ってほしいと願います。
上司や先輩、役職の方のパワハラ発言に悩まされる人は、多いと思います。
パワハラをしている人は、「パワハラ」と全く思っていないところが、一番
問題なのですが、部下や後輩が「パワハラ」と思ったら「パワハラ」なのですが、
なかなか相手に対して 部下や後輩から「パワハラ」だと訴えることは難しいです。
その意味では、あるラグビーの男の子、ある体操の女の子は、すごいです。
パワハラの上司が先輩がなぜ役職になれたのかは、上司や先輩の上司に対しては
「良い部下」だったと推測できます。パワハラの上司、先輩は、パワハラの上司に
仕えてきましたから、そのパワハラを、後輩や部下にやってしまっていると
思われます。この上司や先輩に対して、どう対処するかですが、なかなか難しい。
パワハラしている先輩は、ある本によると、「自己愛性が強く、自分がほかの人
より優れていると誇張したがる傾向にあるとか。それで、過剰に自信を持ち、
後輩は、それに従うべきと勝手に思い込んでいる。そして、一番やっかいなので、
自分から見て、後輩、劣っている人 を攻撃的ななっている点です。
なるべくその人とは議論をさけて、従っているふるをするのが一番ですが、
どうしてもだめな時は、最終は、「パワハラ」相談を会社にすることです。
体操の女の子のように会見を開くことは、難しいので、まず、みんなに相談して
どう対処したのか聞いて、仲間で対応しましょう。一人であたったら負けますから。
日曜日に行った岐阜県垂井町の竹中陣屋跡から菩提山城跡へ向かう白山神社の途中、
単線線路を横切りました。最初は、レールが二本だけの単線なので、私鉄かと思いましたが、
こんなところに私鉄が走っているわけがなく、そうしている間に、特急と思える車両が、
東から西に向かって走っていくのを写真撮影しました。
車両のタイプから名古屋から米原経由の金沢行きの「しらさぎ」です。時刻から推測
すると「しらさぎ七号」のようです。
帰って地図を見ると、東海道本線の迂回用「新垂井線」ということでした。
これは、大垣駅から関ケ原駅へ向かって急勾配となっているため、蒸気機関車の時代に、
この区間だけ蒸気機関車を増結した。蒸気機関車を連結したり外したり、勾配を上った後に
用済みの機関車を大垣駅へ戻すという手間がかかっていたので、1944(昭和19)年、勾配を
緩やかにした下り列車専用の線路「新垂井線」を作ったとのこと。作った理由は、太平洋
戦争中の輸送力増強。貨車や客車の連結数を増やし、大垣駅と関ケ原駅の機関車の作業を
なくす。両駅を通過させてスピードアップするためだったとか。
これを聞いて、北陸線の敦賀から新疋田間は、登り線が、勾配をあがるため
山を一周しているのと似ていると思いました。
竹中陣屋の前の道を通り過ぎ、鉄道の高架の下を抜けて少し行くと、竹中半兵衛の
墓があり、そこを抜けて岩崎神社さらに登っていくと、菩提山城跡のひとつの
いくつかの登り口がありますが、菩提寺の方からの白山神社の方からも
登れます。
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菩提山城は、垂井町観光協会のページでは、菩提山の山頂に、
竹中氏の居城が構えられた、この菩提山は竹中陣屋跡の西方にあります。
山城は標高402mの山頂に、およそ南北260m、東西最大幅60mの広大な天嶮を利用して
おり、堅固なつくりと巧妙さは、類を見ない規模になっています。
頂上の菩提山城跡までのハイキングコースでは史跡を訪ねながら、春夏秋冬の自然の
美しさを味わうことが出来ます。とのこと。
30.9.23 三連休の真ん中 国道8号線、21号線を東に走り、垂井駅の方に左折して、
陸橋を超えてすぐの垂井城跡に行って来ました。最初は、垂井の泉の手前を、登れば
すぐだったのですが、行き過ぎて狭い街中に入ってしまいました。幸い軽自動車に乗って
来たので、なんとかなりましたが、城跡は、石碑だけですが、
小高い地域で、城跡です。
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垂井町観光協会から引用すると、
天安2年、慈覚大師が垂井町にある専精寺の前身である「天台宗 普門山善相院」を建立。当時は勅願寺でした。その後天台宗より浄土真宗に改宗し、寺号を「普門山 専精寺」と改め、現在の地に本堂が創建されました。また、この地は関ヶ原合戦に活躍した西軍の武将平塚為広の居城である垂井城跡と云われています。
平塚為広とは→戦国時代から安土桃山時代の武将。大力で薙刀の名手といわれています。豊臣秀吉の家臣(馬廻)として仕え、小牧・長久手の戦いや小田原征伐に参加して武功を挙げました。秀吉死後は豊臣秀頼に仕え、慶長5年(1600)には美濃垂井に1万2000石の所領を与えられました。関ヶ原合戦では西軍の大谷吉継に代わり指揮を執りました。
敗軍の中、辞世の歌を大谷吉継に送っています。
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