ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「ユーゲント」第86号

2008年10月08日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」第86号(2007年06月08日)

                     ドイツ語教室の教科通信

 全体として第1回より内容が充実しました。この「レポート」の意味が分かって努力したからだと思います。しかし、学長や校長のリーダーシップを考えたものはゼロ、他の人と話し合ってみたらしいのもゼロでした。もっと上を目指しましょう。

     前号の記事について

- 同じ講義を受けている人がどんな意見を持っているかが良く分かった。

- 私はベルリンと言えば壁を連想します。しかし、ベルリンの壁は元々何のためにあったのか、知りませんでした。この機会にその事を調べてみましたところ、冷戦が関係しているということを知りました。確か、このくらいの事でもなければ壁は作らないだろうな、と思いました。
 ★ 壁と冷戦の関係を知らないのはびっくりしましたが、自分で調べたのは偉いと思います。

- 前号の最後に載っていたドイツの女子高生の話は勉強になりました。やはり女性はロマンチストであるのと同様、それ以上にリアリストなんだと感じました。日本の女性にはもう少しリアリストになってもらいたいです。
 ★ もう少し沢山の女性と付き合ってみてから又考え直してみても遅くはないと思います。

     授業アンケートについて

- 自分の意見をまとめる力を身につけさせるためにアンケートを行っていると先生はおっしゃっていました。ということは、このアンケートは意見を「収集する事」よりも「書かせる事」に重点を置いているのだと、私は考えました。私の考えが正しいのであれば、アンケートをする一般的な趣旨から少し逸れている気がします。授業内容に関する主張書という意味を込めて「主張書」と、改名してはいかがでしょうか。
 ★ これは「より良い授業のために」と題していますが、略称を「アンケート」としています。そのために問題が起きているのだと思います。私の問題にしているのは「意見の収集」か「意見を書かせる」かではなく、意見か否かなのです。思いつきや思いつきの切れ端は生徒のためにならないからです。これは真面目なアンケートの趣旨から逸れていないと思います。提案を参考にして今後は略称を「レポート」としようと思います。

- 去年予備校に通っていて、授業アンケートがあったが、それはマークシート方式で、決められた質問(声の大きさ、字の大きさ、分かりやすさなど)に5段階くらいの評価をするものだった。こういう形式のアンケートはあっていいと思う。僕が反対なのは、自由に何でも書けるフリースペースです。匿名は悪口を書かれるし、記名式でも本当に思っていることは書かないと思う。もし本当に授業への不満や先生に訴えたいことがあるのなら、相談者のような人や組織を設置して、そこに相談するような形にすれば、本音も言えると思う。実際に予備校でも生徒1人1人に学習相談の人がいて、その人に「授業はどう?」と聞かれた時は、本音を言いやすかった。
 ★ マークシートの方は、多分、先生に渡されるのではなく、予備校の方で参考にするのだと思います。そして、先生に伝えられることもあると思います。生徒は学校(予備校)と契約しているのであって、先生と直接契約しているのではありません。他方、先生も(生徒とではなく)学校(予備校)と契約しています。

- 授業アンケートは記名式であるべきだと思います。但し、記名式ならば何でもいいというわけではないのです。大事なのは、生徒と教師の信頼関係だと思います。信頼と言っても、上下関係がありますから、親友同士のようなものではありません。生徒は授業を受け、好いところや悪いところ(悪口ではない)を言う。教師はそれに対し、回答や行動で示す。

 また、アンケートは成績評価に含まれるかを明らかにしておく必要があると思います。だだ、成績と関係ないとすると、必ずどこかに誹謗中傷が出てきてしまうと思います。だから少しは成績と関係していてもいいと思います。そして、そのアンケートがどのくらい、どのように成績に反映されているか、それを明確にしなければいけないと思います。

 無記名には反対です。それは記入者が内容に責任を負う必要がなくなってしまうからです。私は高校までずっと無記名でした。特にひどかったのは高校のアンケートです。半期ごとに付けるのですが、授業始めの5~10分で終わらせてしまうのです。さらにマークシートなので、意見はほとんど反映されません。アンケートを取るだけとって、教師はそれを丁寧に確認しているのかさえ怪しいものです。高校の終わり頃はそれが分かっていたので、アンケートはスピード勝負でした。とにかく早く終わらせるということです。これは典型的な悪いアンケートだと思います。

 このドイツ語のアンケートは好いアンケートだと感じます。まず生徒と教師との対話がなされていて、意味のあるアンケートになっていると思います。また成績についてはメールで聞けるということなので、それで説明してくれるでしょう。このドイツ語の授業を受けて初めて、好いアンケートというものを知りました。アンケートについて深く考えたことがなかったのでいい機会でした。
 ★ 高校のアンケートがそうなったのは、校長の責任だと思いませんか。

- 静大のアンケートは効果的だろうか。書くのが面倒だと言って真剣に書いていない人もいたと思います。原因は書く時間です。授業の始めに用紙を配り、提出は授業終了時でした。ドイツ語のアンケートのように多くの時間を与えて書かせるべきだと思います。

     休憩(ボローニャ大学、高柳)

- 高柳健次郎の話はとても参考になりました。特に「1人の天才よりも、沢山の優秀な人がいた方が好い」という点が良かったです。情報科学科の就職先が研究チームである場合が多いからです。
 ★ 多数者で協力するにしても、協力の形態はいろいろあると思います。私の学問だと、先人の本を読むということです。これも協力の1種だと思います。逆に、関口存男(つぎお)さんの業績を学ばないために間違えている教授が沢山います。

 高柳さんについて知らない人も随分いたようです。本当は誰がこの話をするべきだと思いますか。

- ボローニャ大学のある地域は大学を中心に町があり、好いことだと感じた。
- 日本ではあまり町中に大学を作らないけど、ボローニャ大学を見て、人々の生活との関わりの深さに驚いた。
 ★ 昔は町中に作ったのですが、新しい大学や大きくするためには土地を郊外に求めざるをえないので、今のように変わってきたのです。しかし、東京などでは都心回帰も起きています。

     その他

- Ich liebe das Leben のプリントの最後の方を授業でやっていません。ただ忘れているだけだと思うので、やって下さい。
 ★ 宿題の答え合わせを全部しなければならないとすると、宿題をあまり出せなくなります。宿題はすることに意味があるのだと思います。
 又、文法をもっとやってほしいという要望も、例年通り、いくつかありました。大学は授業時間が少ないということは、授業と独習との配分が前提されているということです。独習できる事、独習すべき事は宿題にして、授業でしかできない事を授業でする、というのが基本です。練習問題をして分かっていない事が分かったらそこを説明するという方法でこれまでやってきて、問題はありませんでした。

- 和訳は意訳と単語の意味を優先するのとどちらがいいですか。
 ★ 両方やってみて、段々自分の流儀を確立していったらいいと思います。

- 授業前に先生に「ここはくさい」と言われると、自分が言われているようで、いい気分がしない。「淀んでいる」くらいにしてくれませんか。
 ★ 自分たちで窓を少し開けておいてくれればいいと思います。

- 先生のブログを少しですが、読みました。考え方がこれまで出会った人とは違っていて、興味深いです。「教育の広場」を中心に読みましたが、第 277号と第 284号の「リレーエッセイ」についての記事が気になりました。メルマガからこのような話題に発展させて面白く読ませていただきました。私だったらメルマガが配信されても気にも留めないか、読んでも政治とは別のカテゴリーで考えてしまい、先生のような考え方には至らない気がします。これから先生に出会ったことで、自分の考え方に良くも悪くも影響が出そうな気がします。自分の意見、物の見方、とらえ方がどう変わっていくか楽しみです。
 ★ 私は社会改革を目指して生きてきたし、生きています。学問もそのためです。前は社会主義者でしたが、今は政権交代論者です。最近は、特に公務員のあり方を変えることが根本的な大問題だと思っています。

- 少し前に陣内智則と藤原紀香の結婚披露宴を見ました。2人ともすごく幸せそうで、見ていてこっちも幸せな気分になり、羨ましく思いました。近年、結婚する人が減っているけど、やっぱり結婚はいいものだと思いました。
 ★ 皆に祝福されて結婚してもうまく行かなくて別れる例も、比率(離婚率)としては、増えています。2人の人間が理解し合うのは難しいのです。以前は女性が我慢していましたが、最近は我慢しなくなったのです。経済的にやっていきやすくなったからです。それに結婚していても離婚同然のカップルもかなりあります。仕事の忙しさも問題です。しっかり調べて考えて話し合って生きていって下さい。

- 先生は浜松の外国人達をどう思いますか。僕は、工場が多い浜松で沢山の外国人が働く事は好い事だと思います。これからの日本は少子高齢化が進み、労働力が少なくなってくると思います。その時、求める労働力は外国にあると思います。浜松は日本の未来像なのではないかと思います。しかし、まだ共生がしきれていない所もあると思います。浜松は全国に先駆けて外国人と共生できる街になってほしいと思います。
 ★ 少子高齢化は自然現象ではなく政策の結果だと思います。しかし、それがなくても、国際化は止まらないでしょう。今では日本人の国際結婚率は約6%で、更に増大しています。街づくりの根本は市長のリーダーシップの問題ですが、市民も提案を出す必要があるでしょう。私は教育については既にブログで「インターナショナルクラス」という題で論じました。

     高橋英夫『偉大なる暗闇』(講談社文芸文庫)から

 これは漱石の『三四郎』に出てくる広田先生のモデルと言われる旧制一高のドイツ語教師岩元禎(いわもと・てい)の評伝ですが、岩元氏を中心として様々な人を描き、当時の雰囲気を伝えるものです。その中に岩元氏の授業の様子を描いた堀辰雄の文があります。

  - 岩元先生にはじめて教はつたのは3年のときで、アダルベルト・シュティフテルの「ホッホワルド」の講読をうけた。今でこそシュティフテルも一部の人々に人気のある独逸の作家の一人になつてゐるやうだが、その頃はまだ殆ど誰にも知られてゐないやうな不遇な作家だつた。さういふ半ば埋もれていた作家のものを岩元先生は好んで取り上げられ、一年間、文学にあまり関心をもたない理科の私達に熱心に訳読して下すつた。

 先生が深みのあるしはがれた声で徐(おもむ)ろに1人で訳読せられてゆくのを私達はただ茫然として聴いてゐた。ときどき先生の声がとだえると、私達は急に緊張して、一層小さくなつてゐた。さういふときはいつも先生が次の言葉の訳し方を考へあぐねながら、私達の上にその炯々(けいけい)たる眼光をそそがれてゐるのを知ってゐたからである。

 先生の訳語はいつも厳格をきはめてゐて「Fichte」は「フィヒテ」といふ木であつて「蝦夷松(えぞまつ)」とは異なる木の名であり、「Tanne 」は「タンネ」といふ木であつて「樅」などと訳すとまちがひとせられた。万事がその調子であつた。「ホッホワルド」は何処から何処まで深い森の中の物語であり、すべての人々や出来事が森の静寂の中に溶け込み、ひとり先生のしはがれた声のみがその静寂を破つて、流れ来たり流れ去る渓流の音と入り交じりながら、森の主めいて聞こえてきてならないこともあつた。

 そしてその物語の最後の夏がきて「1人の老人がそれからなほしばしば影のやうにその森の中を過ぎるのが見られた。しかし彼がいつごろまでゐたか、いつごろからもうゐなくなつたか、誰ひとりさだかには知らぬのである」と終る。その最後を訳し終へられると共に、岩元先生は最後に私達をぎろりと見渡されてから、さすがに深く疲れたやうな様子をなすつて教室を出てゆかれたが、そのときの先生のすこし猫背のうしろ姿はいつまでも私のうちに残つてゐた。 -

 ★ これは全然語学の授業ではないし、そもそも授業としても最低だと思います。こういう授業が続いたために日本のドイツ語学は低下の一途を辿ってきたのだと思います。

 根本問題は「偉大な暗闇」などというものがあるのかです。これは「本を出していないから頭の中にどんな宝があるか分からないが、ものすごく実力のある人」という意味です。試合で負けた人について、「本当は実力があったのだ」と言ったとしたら、どう思いますか。どんな根拠でそう言えるのでしょうか。出てこなかったものは無かったのです。暗闇は偉大ではありえないのです。人生に言い訳はないのです。