ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「ユーゲント」第12号(2000年01月19日)

2007年09月11日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」第12号(2000年01月19日)

              ドイツ語教室の教科通信

 冬休みの宿題の一環として「大学の教養教育のあるべき姿」につ
いて論ずる作文を出しました。皆さんしっかり考えたと思います。
印象に残った文章ないし論点を掲載します。

    大学の教養教育を考える      工学部 K・D

 大学の教養教育を考えるためには、今まで過ごしてきた小学校・
中学校・高校の教育から考えなければならないと思います。

 僕は、ここにくるまでいろいろな科目を勉強してきました。して
きたと言うよりは、やらされたと言った方が良いかもしれません。
教養科目と言うと、音楽・美術・家庭科・道徳など、わざわざ学校
の授業でやらなくてもいいんじゃないの?と思ってしまうものが多
かったような気がします。

 僕は小さいころから工作が好きで、物を作る仕事がしたいと思っ
ています。工学部志望によくいる人間の一人です。歳の離れた兄が
いたので、小学校のころから自分のやりたいことをするには、大学
に行かなければならないと思っていました。

 だから、受験にいらないもの、役に立たないものはなるべく手を
抜いてきました。特に高校のときはそうでした。浪人していたとき
も、模試で点数を取るにはどうしたら良いのか、それだけしか考え
ていませんでした。今考えると寂しい学校生活だったなあと思いま
す。

 大学でまず第1に学ばなければならないのは専門科目だと思いま
す。これから社会に出たときに、1人の技術者の卵として必要な知
識を身につけなければならないと思います。そのためにここに来た
のだから。

 第2に、広い視野だと思います。広い視野を身につけるには、と
にかくいろいろな事を経験したり、いろいろな人と話をしたり見る
ことが大切だと考えています。

 高校を卒業してからたびたびショックを受けました。僕は予備校
に1年間通いました。予備校には初めて出会う人たちが沢山いまし
た。何年も浪人して何としても何々大学に行きたい・三十過ぎて家
族もいる人が医者になりたいなど、みんな必死でした。予備校の講
師はいろいろな職を転々としてきていて経験豊かな人ばかりでした
。大学に入ってからも友人の話を聞くと、みんなそれぞれがんばっ
ているんだなあと感じました。

 昨日、成人式に行ってきました。懐かしい顔ばかりで話が止まり
ませんでした。学生の人もいれば、結婚して子供のいる人もいまし
た。みんなそれぞれの生活がありました。そして、話をしていて
も、昔のようにはいきません。考えていることが全然違うんです。
すごく寂しかった。寂しいというより孤独感を感じました。昔はみ
んないつでも一緒でした。みんな必死に生きているように見えまし
た。

 小学校のタイムカプセルを開けました。その中に母からの手紙が
入っていました。母の思いがいっぱい書いてありました。読んだら
泣いてしまいました。今まで受験のことだけを考え、周りのことを
何も考えなかった自分が情けなかった。

 長々と関係ないことを書いてしまいました。僕の言いたいことは
、人間らしいことが一番大切であること、そして無駄なことなんて
何もなかったということです。音楽も家庭科も今は、やってよかっ
たと思っています。教養ってなんでしょう。

 辞書で調べたらこう書いてありました。学問・知識などによって
養われた品位。教養を身につけるということよりは、英語が話せる
ようにしたり、社会に出てすぐに役立つことを学ぶ方が効率的に思
えます。でも僕は、もっと人間的な方がいいと思います。僕は、今
まで受験のために知識を詰め込んできました。

 大学では、人と人とのコミュニケーションを多くした方がいいと
思います。可能かどうかは分かりませんが、5人くらいで先生と討
論するような授業などは面白いと思います。討論にならなくても、
先生の経験談などを聞くのは楽しいでしょうし、感動するのではな
いでしょうか。

 ★ 現実は、小学校→中学校→高校→大学と上に行けば行くほど
「人と人とのコミュニケーション」が少なくなっているのではない
でしょうか。どこに問題があるのでしょうか。大学は大きすぎるの
ではないかと思います。専門学校と比較してそう思います。

    大学の教養教育を考える     人文学部 I・T

 本学の教養教育には納得できない点が多数ある。前学期に私は物
理学の授業を受けていたが、教授が、私達文系の人達は物理の用語
をあまり理解しないと思っている事である。サイン・コサイン・タ
ンジェントぐらい高校の数学や物理で既に習っているし、英語の略
字でも書ける。どういう計算をすればいいかということも分かる。
教授自身は「分かりやすく」ということでやっているのだろうが、
初め、授業を受けていて少し不愉快だった。

 大学に来て高校の授業をする必要はない。大学は大学の授業をす
ればいい。現に今、木曜日の2限に古文の文法事項を復習している
授業がある(これは専門科目だが)。テキストには大学受験用のも
のを使っている。授業を受けていて本当に馬鹿らしくなってきた。
シラバスを読むと、古文の知識がないままで専門に進まれては困る
というような事が書いてあるが、なぜそんな授業をするのか私には
分からない。

 数回出てみたが、下らない雑談で終わってしまった。大学に来た
意味がない。高校で出来る事を大学でしないで欲しいし、する必要
もない。同じ教育界にいるのなら、高校での教育を徹底させればよ
い。

 授業内容について言うと、物理はただ教科書に書いてあることを
黒板で詳しく説明するだけのものだった。宇宙の話等も出てきて、
あまり興味が持てなかった。教授も、文系の生徒に、理系の生徒並
に理解してほしいと考えてはいないだろうから、もっと日常生活の
中でどこに物理が活かされているかということを講義すべきだ。

 しかし、後期になって取った生物学の授業は他の授業とは視点が
違う。生物学という学問を通して地球上のあらゆる物の見方や考え
方を教えてくれる。例えば1つの事柄を考察する時に、昔はどうだ
ったか、未来はどうなるか、それに関する地球への影響等、あらゆ
る視点で物事を考える事。その事が将来、生物学を学んだ者と学ん
でいない者の考え方に関係してくるという。私にとって前期よりは
楽しい。

 〔学生の〕受講態度について言うと、はっきり言って悪い。授業
中盤になって堂々と入ってくる人がいる。このことは生徒に問題が
あるのは当然だが、教師にも多少なりとも問題があると思う。文系
の生徒に理系の授業をやれと言われても、大半の人が興味を持って
いないだろう。そういった状況でいかに生徒に興味を持たせる話題
作りが出来るかということが教師に求められているのだと思う。(
中略)教養教育の意義は何よりも自分の世界に触れることにより、
人生や自分の生き方を考えることだと思う。(以下略)

 ★ 大学では1人1人の教員の自由度がとても大きいのですが、
教師には生徒の意見を聞く義務もやはりあると思います。それを制
度化する必要があるのではないでしょうか。最初にテストをして学
生のレベルを見て、やり方を工夫することも必要かもしれません。

──私が一番納得いかなかったことは、教官の授業での話し方や黒
板の書き方です。主題別科目や教養科目ではやはり人数が多くなり
がちであり、おのずと教室が広くなります。すると、後ろの方だと
教官の声が聞こえなかったり、黒板の字が読めなかったりすること
がありました。

 マイクを使ってらっしゃる方もいるのですが、それでも聞き取り
にくい方もいらっしゃいます。このような授業ではたたでさえ分か
りにくい授業なのに余計に分からなくなってしまいます。せっかく
学ぶのだからしっかり学んでおきたいのに、このような事では学習
意欲が低下するだけだと思います。

 ★ 授業の仕方は自由だと言っても、それは「授業の仕方」とし
て一定水準以上であるという前提の下での「自由」だと思います。
水準に達しない「技術」はそもそも授業になっていないと言えます
。大学は教員の教授技術を一定水準以上にする義務があると思いま
す。

──私は、大学に合格した時、やっと内容の濃い勉強ができると思
い、授業が始まるのを期待して待っていた。専門で選んだ日本史を
ゆっくりと学べると、楽しみで仕方なかった。ところが、一般教養
という授業の存在、そして1年生での授業の大半を占めるものとい
うことを知ったとき、残念でならなかった。

 ★ 学生も入学前に自分の進む大学のカリキュラムがどうなって
いるかを調べた方がいいのだろうが、大学側もインターネットなど
で、自分の所の勉強のあり方はどうなっているのか、どんな選択肢
があるのか、実際の先輩の経験談などをまじえて発表していく必要
があると思います。

──僕は入学前、教養科目には大変興味を持っていました。~今ま
で僕は外国語を含めると合計8科目の教養科目を履修しましたが、
自分で「受講した」と自信をもって言えるのは3科目しかありませ
ん。入学前に持っていた教養への関心は薄らいでしまい、このよう
な教養ならもっと専門の時間を増やしてほしいと思うことさえあり
ます。~

 満足した講義について考えてみると、内容・課題等がハードであ
ること、成績評価の根拠が明確であること、などが共通しています
。逆に不満足な講義では、黒板に文字を羅列するだけである、時間
をフルに使わない、課題がなく期末のテストだげで評価行われる、
といった共通点があります。僕の感想では、教養教育といえどもし
っかりした内容のある授業をしてくれないと、学生にとって意味が
ないということです。

 ★ 「学生にやる気がない」と言うのはやる気のない教授の言い
訳だと思います。「悪名高い」私のドイツ語でもこれだけ付いてき
てくれる学生がいるのです。「授業は教師の実力と情熱で8割決ま
る」

──大学に入って一番ショックを受けたのは、大学の先生のアルバ
イトの話でした。「大学の先生は自分の研究が忙しいため、授業の
手を抜くことがある」という話を以前耳にしたことがありました。
「忙しいならアルバイトなんてするな」というのが素直な感想です
。それに、大学の先生は週にいくつの講義を行っても給料が同じで
あるということも知りました。多くの授業を行った人はそれだけの
給料を受け取るべきだと思います。

 ★ 研究に熱心な先生はたいてい授業(教育)も熱心だと思いま
す。教員のアルバイトは「勤務時間(本来は研究時間)中のアルバ
イト」です。私は最近、私のホームページの「哲学日記」のコーナ
ーに「国公立大学教員のアルバイト」と題する文章を発表しました
。情報公開条例を使って調べた結果にもとづいて詳しく論じました
。関心のある人は読んで下さい。

──私にとってのフレセミ(フレッシュマンセミナー)は大学に入
って初めて受けた授業であり、大学には「スゴイ奴ら」がいると知
った授業だ。

 具体的な授業内容は、受講者が各自の興味ある世界の問題を調べ
、考え、意見を発表。その後討論のような質疑応答というものだ。
結論は出ないが、「スゴイ奴ら」は持論をとうとうと展開し、私を
圧倒した。大学って凄いなと思った。

 しかし、違うフレセミを取った友人は、教授が話しているだけで
つまらないと言っていた。そこで、私は、フレセミには是非とも討
論を義務づけてもらいたいと思う。その授業の前には各自が調べ、
考えてくるという学生の態度も必要だ。

 あと、フレセミを1年生だけと限定せず、プレセミ等に改名して
、他学年も受け入れてほしい。他学年と率直に意見を交わすことで
刺激ある授業になると思う。

 ★ 私はこの意見に賛成です。4年間の大学生活を2つに分けて
、それぞれの2年間を1つのゼミに属すようにしたらいいと思いま
す。学生生活をゼミ中心にするのです。そしてゼミでは討論を義務
づけるだけでなく、「ゼミ通信」も義務づけるべきだと思います。
書き言葉の練習をすることは大学教育の中心の1つだと思います。

──現在大学を卒業して就職した学生で、専門課程で学んだ知識が
職場で生かせるような企業に就職した人は少ないという。大学を卒
業して、就職することを考えると専門課程教育より、もっと幅の広
い教養教育の方がいいのではないか。

 また、たとえば環境問題を解決しようと思ったら、工学、医学、
生理学、化学、気象学、法律学、経済学、社会教育学などなど、あ
らゆる関連学問を動員する必要がある。社会のあらゆる部門の現場
で同じような必要がある。そのような要求に対し、それなら、必要
な専門家をどんどん集めてくればよいかというとそうはいかない。
どういう問題でも、その問題の全体像をとらえ、いま何が必要で、
それはだれがどう役割分担すればいいかを考えるマネジメントが的
確にできるゼネラリストが必要である。問題解決に参加する専門家
も専門領域をこえた目がもてるゼネラルなスペシャリストが必要で
ある。

 そのためには、専門バカ的スペシャリストではなく、いろんな専
門領域のことまである程度わかるというレベルのゼネラリストにな
らなければならない。

 人文科学、自然科学、社会科学、3分野の知識を幅広く習得する
ことは、現代社会に生きる人間の基本的な教養として必要なことで
ある。さらにただの知識というだけでなくそれらについて深く考え
ることが必要である。

 日本では哲学の教育が欠けていると思う。高等学校では行なわれ
ていないし、大学においても、知識としての哲学が多く、哲学する
ことの実践的訓練は少ない。

 哲学的な思索というのは、正解がない問題について、深く考える
ことである。大事なのは、知識を積み上げることではなく、自分自
身で推論を組み立てそれを表現していくことであり、まさにこのこ
とが必要なのである。

 ★ 立派な考えだと感心しました。しかし、こういう本当の「哲
学」の授業をしようとすると、それの出来る先生がほとんどいない
と思います。事態は深刻なのです。

──『ねっとわーく』を読んでみても数名の教授の意見は書かれて
いるのですが、ただ書かれているだけで、こういう意見があるから
、大学としてこういう事を考えていきたいというふうな、検討の段
階には達していないと思います。それでは意味がない。これからは
、教授・学生両方の意見を聞き、十分検討していくことが、教養教
育をより良いものにしていく、とても有効な方法だと思います。

 ★ 大学全体のコンセンサスを図りながら変えていくのは大変で
すが、ともかく意見に対する大学側の返事があってもいいと思いま
す。