ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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講壇学問の貧しさ

2005年10月25日 | タ行
01、講壇学問の貧しさ

 去る(2003年)06月30日の朝日新聞に伊藤成彦さん(中央大学名誉教授)の「『異端』のローザの魅力」と題する文章が載りました。新聞社の方で付けたと思われる「日本でR・ルクセンブルク全集完全版刊行へ」と「レーニンらの革命指導にあらがった先駆性」という説明的な見出しもありました。

内容は、日本(伊藤さん)が中心になって初めてローザ・ルクセンブルクの完全な全集が出ることになったというもので、ローザの意義を3点にまとめたものです。

これを読んで、(2003年)02月06日付けの朝日新聞に載りました的場昭弘さん(神奈川大学教授)の文章「世界最高水準のド・イデ研究」を思い出しました。これには「河出『広松版』28年ぶりに新編集」という説明的な見出しも付いていました。

これは昨年(2002年)の秋に岩波文庫でその新編集が出て評判になっていることを契機にして書かれたものです。内容は、マルクスとエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』(とされている)草稿の最も好い(実物に近い)出版物(の翻訳)はこれであるというものです。

1974年に広松渉さんが出したものがベースなのですが、その広松さんの仕事の意義を論じています。

この両者に欠けているものは何よりも自分の現在の生き方への言及です。伊藤さんも書いていますように「社会主義への関心が薄れています」。その中で自分は社会主義に対してどういう考えを持っていて、どう生きているのかに全然触れていないのです。お二人とも社会主義に賛成のようですが、それならその理由を述べるべきでしょう。

選挙になると、「自分はいかなる考えに基づいてどういう投票行動をとるか」を言わないで、傍観者的に何党が勝つか負けるかだけを論じるのが好きな日本人に相応しい知識人であり大学教授だと思います。しかし、これは本当の学問ではないと思います。

何も、「理論と実践の統一」とやらを振り回して政治ごっこを押しつけるのが正しいと言っているのではありません。そもそも「理論と実践の統一」とは「両者は統一するべきだ」というお説教ではありません。

しかし、的場さんも言うように1960年代、我々は「マルクスを片手に未来を語った」のです。その中心的書物を取り上げるのに「いま、自分はどう生きているのか」を言わないのでは、ほとんど意味がないと思います。

そもそも、的場さんの尊敬する広松さんはなぜこの編集にこだわったのでしょうか。それは、正しく編集すると、共産党系で信奉されているミーチン主義の「唯物史観」はマルクスの真意とは違うことがはっきりし、それによって共産党を批判できる、と考えたからだと思います。

もちろんその考えは間違っていました。共産党はマルクスの一言半句を重視する党ではありませんし、「ド・イデ」の正しい編集が出ても、正しい唯物史観が得られるわけではありません。広松さんの『唯物史観の原像』(三一新書、1971年)を見れば、大した事のないのが分かります。

しかし、広松さんはともかく当時の社会で戦って生きる武器としての理論を追求していたのです。

伊藤さんはローザを「人間の顔をした社会主義」思想の元祖だと言いますが、日本共産党も「ソ連や中国の社会主義は本当のものではない。自分たちは本当の社会主義を作るのだ」と言っています。では、伊藤さんはそういう日本共産党に対してどういう態度を取っているのでしょうか。なぜその事を論じないのでしょうか。

的場さんは広松さんの意義として、マルクスがこの本を契機として疎外論から物象化論に移ったことを明らかにしたことだと言っています。しかるに、的場さんは後の方で疎外論と唯物史観とを等置するような言い方をしています。そして、「物象化論のポイントは、人間と人間との関係が、物と物との関係として転倒した姿で現れるということだ」と解説しています。

まず、「ドイツ・イデオロギー」という題名の「イデオロギー」について説明するべきでしょう。なぜなら、それは今の日本語では「人間の行動を決定する、根本的な物の考え方の体系。(狭義では、階級的に規定を受けるとされる政治思想・社会思想を指す)」(新明解国語辞典)を意味しますが、それと違うからです。

それは「観念論的な歴史観」ということです。マルクスとエンゲルスは自分たちのそれまでの歴史観が観念論的だったと気づき、仲間たちの考えを批判するなかで自己批判したのです(観念論的と観念的とは違います)。

的場さんは、マルクスは「ドイツの哲学者に向かって『それは幻想だ、真実はここにある』と吠えている」と言っていますが、「幻想」などという不正確な言葉を使うのは分かっていない証拠です。唯物論か観念論かの問題なのです。

従って、「ド・イデ」の中心はあくまでも唯物史観です。それはもちろん物象化論への道を開くもので、それを完成させたものが「資本論」です。

物象化について説明するのなら、人間関係が物の関係として現れること自体を「転倒して現れる」と言ったのか、それとも、物として現れる場合に転倒して現れる場合とそのまま現れる場合と両方の可能性があるのか、そういう点にも触れるべきでしょう。

的場さんの文章は用語法が不正確すぎます。これが「世界最高の水準」なのでしょうか。

  (メルマガ「教育の広場」第130号、2003年07月12日発行)

 02、投書(第130号を拝読して)             K・S

 毎回おもしろく拝読しております。

 今回の「講壇学者」に「自分の現在の生き方への言及」が欠缺しており、それを自覚しないことが「貧困」であるとのご指摘は正鵠を得ていらっしゃると拝察を申し上げます。

「人間の顔をした社会主義」という概念自体が特に佐瀬昌盛『チェコ悔恨史』等で虚構であることが古くから指摘されております。またメイリア『ソヴィエトの悲劇』では、マルクス=レーニン主義が生み出す体制そのものが、人間の自由と両立せず、レーニン、トロツキー自体が恣意的な「人民の敵」への徹底的なテロを主張していたこと等への検討も我が国では十分に消化されていないように思われます。

 そもそもそのような「貧困」が生まれる原因を私個人としては、学者として物事を虚心坦懐に考察できない、学者としての素養にも問題があるように思っておりました。理論を考察する場合に、その理論についての肯定論・否定論を先入観なしに考察し、主体的に自己の議論を組み立てるという、当たり前の価値自由(Weber)なしに、社会科学・哲学等は成立しないように思われます。ご指摘の論者の出発点がすでに「社会主義者」の立場に立ち、「社会主義への関心が薄れています」と嘆いてみても、それは信仰告白以上のものではありえません。

「社会主義」への関心が失われたのは、「ヒューマニズム」「博愛主義」の否定という事実を、なぜこのような講壇学者は認識しないのでしょうか。やはりそこには先生がご指摘になった「自分の現在の生き方への言及」が欠けているところに、原因がありそうです。個人の実生活への現実性が欠けているから、先入観に簡単に支配されてしまうのではないか、と先生のご意見を拝読をして認識を新たにいたしました。

 そしてそのような「社会主義者」の経済学者が、学的批判勢力のない地方の国公立大学等で「正しい経済学」を教えています。このような「講壇学者」は独立行政法人化とともに淘汰されることを心より期待しているのは、私だけでしょうか。


 03、お返事(牧野 紀之)

 投書をありがとうございます。

 社会主義批判については、自分はかつて社会主義者だったのか否かをはっきりさせてからにするべきだと思います。

 又、批判の仕方も大きく分けると、現実の社会主義の間違いを指摘する方法と、マルクスとエンゲルスの思想そのものに間違いがあったとする方法とがあると思います。いずれの場合でも、社会主義の歴史的功績も認めるべきだと思います。

 実際には、現実の社会主義社会の批判(あら捜し)が多すぎると思います。私はマルクスとエンゲルスの理論を再検討したいと思います。

 又、今後の日本の進路については資本主義を前提するとしても、ヨーロッパ型を取るのか、アメリカ型を取るのかの問題があります。

 そもそもヨーロッパ人の言う「社会主義」は日本で言う「社会民主主義」のことで、日本で言う社会主義はヨーロッパの人々は「共産主義」と呼ぶということも確認しておきたいと思います。

 (02と03は、メルマガ「教育の広場」、2003年07月17日発行)