ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

久しぶりに

2011-11-22 03:56:38 | 第四章・愛とゆるし
30代半ばの頃だと思います。

其の頃やはり外に大型犬を飼っていました。一匹でしたので、何とか世話をしていたのですが、ある日反対する私の意見を無視してもう一匹の大型犬を連れて主人が、帰ってきました。

其の頃は、とても心身ともに苦しい時で、犬の世話などとても出来ない状態でした。心に余裕がなかったと言う方が、正しいかもしれません。

毎日犬小屋を見る度に、心に浮かぶことは、早く誰かにあげればよいのに、どうにかならないのだろうか、そのことばかりでした。

元からいた犬は可愛がり、後から来た犬は憎しみの目を向けていました。

ある日友人から頂いた魚を、犬達に食べさせました。同じに分けて食べさせたのですが、後から来た犬はその魚を吐いて死んでしまいました。

そのことは、私にとって忘れられない出来事として、時間が過ぎて行きました。ある時のワークショップで、その話をしたときでした、その中のお一人の方の言葉が、私の考え方を変えました。その一言が、「魂の殺人ね」でした。

動物にも魂があるのかは、私は判りません。その言葉を、愛に置き換えた時、私は憎しみが、その犬の命を縮めたのだと解釈しました。

その後の私は、家に来る動物達に愛情を注ぐことにしました。どの動物達も寿命を大きく超えて生きました。

動物でさえ愛(優しさ、温かい心)を注ぐと喜ぶのだから、周りにいる人たちに愛で、接するとどんなに喜んでくださるだろうと考えています。

“まずはあの嫌いな人を、理解する努力を始めようかな。”

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烏骨鶏の「うっちゃん」

2011-11-10 08:03:04 | 第二章・五感と体感
10数年前、教会の敷地内に住むMさんのお家にお伺いした時のことです。
Mさんが、お留守のようなので裏の鶏小屋を見に行きました。烏骨鶏の黒い鶏が、外を散歩していました。

捕まえて鶏小屋に入れましたが、大きな雄の鶏に突付かれ逃げ回る状態なので、外に出して暫らく様子を見ていましたが、このまま放置するとカラスに狙われそうなので家につれて帰りました。

飼い主さんには、後で報告してそのまま我が家で飼うことにしました。我が家の庭は、2匹の猟犬が、大きな囲いの中での犬小屋でのびのびと歩き回り、庭は建てた時は、日本庭園の小さいつくりでしたが、もったいないので徐々に畑にしました。

畑の真ん中に大きな石があり、そこに良く野良猫が、子猫を連れてやってきて寝そべっていました。そのすぐそばを、烏骨鶏の「うっちゃん」が、草などを食べながら通っていました。

不思議に猫たちは、「うっちゃん」に危害を与えることなく、まるで仲間のように一緒にいました。時には子猫が、「うっちゃん」の冠のような頭の羽を、前足で遊んでいました。

途中雄の白い色の烏骨鶏を、ご近所さんに頼んで貰い受け暫らく一緒に飼っていました。我が家の庭は、動物達の天国のような状態でした。亀のカメ子ちゃん、黒ちゃんとちびの2匹の犬達、17年も長生きしたインコ、そして愛犬のシュナ辛いことも多かった時期でしたが、この私にとっては家族のこの子たちに随分慰められました。

そして私の五感は、この子達によってさらに強められたと思っています。

植物もそうですが、動物達の声を聴くことによって、今この子たちが、何を欲しているのか少し感じることが、出来る様になったのではと思っています。

まだまだ、「うっちゃん」のお話は、山のようにあります。これからも時々、書かせていただきたいと考えています。


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