30代半ばの頃だと思います。
其の頃やはり外に大型犬を飼っていました。一匹でしたので、何とか世話をしていたのですが、ある日反対する私の意見を無視してもう一匹の大型犬を連れて主人が、帰ってきました。
其の頃は、とても心身ともに苦しい時で、犬の世話などとても出来ない状態でした。心に余裕がなかったと言う方が、正しいかもしれません。
毎日犬小屋を見る度に、心に浮かぶことは、早く誰かにあげればよいのに、どうにかならないのだろうか、そのことばかりでした。
元からいた犬は可愛がり、後から来た犬は憎しみの目を向けていました。
ある日友人から頂いた魚を、犬達に食べさせました。同じに分けて食べさせたのですが、後から来た犬はその魚を吐いて死んでしまいました。
そのことは、私にとって忘れられない出来事として、時間が過ぎて行きました。ある時のワークショップで、その話をしたときでした、その中のお一人の方の言葉が、私の考え方を変えました。その一言が、「魂の殺人ね」でした。
動物にも魂があるのかは、私は判りません。その言葉を、愛に置き換えた時、私は憎しみが、その犬の命を縮めたのだと解釈しました。
その後の私は、家に来る動物達に愛情を注ぐことにしました。どの動物達も寿命を大きく超えて生きました。
動物でさえ愛(優しさ、温かい心)を注ぐと喜ぶのだから、周りにいる人たちに愛で、接するとどんなに喜んでくださるだろうと考えています。
“まずはあの嫌いな人を、理解する努力を始めようかな。”
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其の頃やはり外に大型犬を飼っていました。一匹でしたので、何とか世話をしていたのですが、ある日反対する私の意見を無視してもう一匹の大型犬を連れて主人が、帰ってきました。
其の頃は、とても心身ともに苦しい時で、犬の世話などとても出来ない状態でした。心に余裕がなかったと言う方が、正しいかもしれません。
毎日犬小屋を見る度に、心に浮かぶことは、早く誰かにあげればよいのに、どうにかならないのだろうか、そのことばかりでした。
元からいた犬は可愛がり、後から来た犬は憎しみの目を向けていました。
ある日友人から頂いた魚を、犬達に食べさせました。同じに分けて食べさせたのですが、後から来た犬はその魚を吐いて死んでしまいました。
そのことは、私にとって忘れられない出来事として、時間が過ぎて行きました。ある時のワークショップで、その話をしたときでした、その中のお一人の方の言葉が、私の考え方を変えました。その一言が、「魂の殺人ね」でした。
動物にも魂があるのかは、私は判りません。その言葉を、愛に置き換えた時、私は憎しみが、その犬の命を縮めたのだと解釈しました。
その後の私は、家に来る動物達に愛情を注ぐことにしました。どの動物達も寿命を大きく超えて生きました。
動物でさえ愛(優しさ、温かい心)を注ぐと喜ぶのだから、周りにいる人たちに愛で、接するとどんなに喜んでくださるだろうと考えています。
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