今年も今日が、最後の一日になりました。
この数年、川に今までのような越冬してくる、渡り鳥の姿が激減していた事に心配していました。また川の上空を黒く染めて上流から下流への往復の移動を繰り返していた鵜達の姿も見えなくなったこともさみしさを募らせていました。
12月に入って、主人の運転する車で、我が家に帰る途中ふと見た河川敷に、鴨たちが餌を食べている様子が見られ、お帰りなさいと思わず声を掛けたくなるほどの嬉しさを感じました。
溶連菌で、寝込んでいたある日、たまたま階下に用事があり、降りていくと窓の外を黒い何かが、飛んでいくのが見えました。少数ですが、川の上を黒く染めて鵜の大群が上流へと飛んでいく様子が、見られました。また嬉しくなって窓越しに見るとその群れは、上流ではなく、川の中へと次々と降りていたのです。ボラの子供たちも川の方へと用水路から移動しているのかもしれません。
大分の〇川の冬の景色が、戻ってきました。本当にうれしいです。
今年も私の生活上、沢山の苦しみ悲しみ耐えなければならない事が、沢山ありました。その一つが、体力の衰えからくる風邪の繰り返しの症状で、肺炎にもなりかけ、溶連菌にもかかりました。其の事で、福岡に治療にも行けず、プールにも行けないことで、筋力が弱まりあちらこちらと痛みの症状に悩まされ始めました。
そんなある日、ある青年の話が、テレビから流れてきました。手も足もないその青年の生き生きしたメッセージに、励まされました。
私も同じ障害者として生きてきました。私は、其の事を、隠して生きてきました。
何故なのか考えていくうちに、妹の言葉に心が折れたのです。「手が、悪い癖に」その一言が、それまで手が不自由でも、中学校のある日まで、友達にもいじめられたことがなく、友達も普通にしていただいていたので、不自由だと意識していませんでした。
妹の言葉は、私の心をそれが悪いものだという方へと向かわせたのです。
身体の劣等感は、青春時代にはとても重たい事でした。今は、不自由なことを受け入れています。それ以上にあちらこちらと不自由になってきています。
ただ‘心は自由で、いたい。’そう思います。
どんな辛い人生のように見えても、良い時は必ず来ると信じて生きてきました。
今は、孫と手の不自由な私を受け入れた主人と子供たちが、います。
一人きりだと泣いた日々は、遠くの過去となり沢山の家族に囲まれて、幸せです。
来年もまた乗り越えなければならない山に、沢山出会うかもしれません。その試練は、より良い日のための出来事と受け入れて、乗り越えたいと思います。
今日は、今年亡くなった父の為にも両家のお墓参りに出かけました。来年も家族を見守ってくださいと祈り、娘たちと孫と私は、カトリックの祈りを唱えました。
2013年もあと少しの時間となりました。
皆様にこの一年、ブログを読んでいただいた事に感謝の思いでいっぱいです。
心から皆様お一人お一人の来年のご多幸をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
ブログランキングに参加しています。ワンクリックお願いします。
この数年、川に今までのような越冬してくる、渡り鳥の姿が激減していた事に心配していました。また川の上空を黒く染めて上流から下流への往復の移動を繰り返していた鵜達の姿も見えなくなったこともさみしさを募らせていました。
12月に入って、主人の運転する車で、我が家に帰る途中ふと見た河川敷に、鴨たちが餌を食べている様子が見られ、お帰りなさいと思わず声を掛けたくなるほどの嬉しさを感じました。
溶連菌で、寝込んでいたある日、たまたま階下に用事があり、降りていくと窓の外を黒い何かが、飛んでいくのが見えました。少数ですが、川の上を黒く染めて鵜の大群が上流へと飛んでいく様子が、見られました。また嬉しくなって窓越しに見るとその群れは、上流ではなく、川の中へと次々と降りていたのです。ボラの子供たちも川の方へと用水路から移動しているのかもしれません。
大分の〇川の冬の景色が、戻ってきました。本当にうれしいです。
今年も私の生活上、沢山の苦しみ悲しみ耐えなければならない事が、沢山ありました。その一つが、体力の衰えからくる風邪の繰り返しの症状で、肺炎にもなりかけ、溶連菌にもかかりました。其の事で、福岡に治療にも行けず、プールにも行けないことで、筋力が弱まりあちらこちらと痛みの症状に悩まされ始めました。
そんなある日、ある青年の話が、テレビから流れてきました。手も足もないその青年の生き生きしたメッセージに、励まされました。
私も同じ障害者として生きてきました。私は、其の事を、隠して生きてきました。
何故なのか考えていくうちに、妹の言葉に心が折れたのです。「手が、悪い癖に」その一言が、それまで手が不自由でも、中学校のある日まで、友達にもいじめられたことがなく、友達も普通にしていただいていたので、不自由だと意識していませんでした。
妹の言葉は、私の心をそれが悪いものだという方へと向かわせたのです。
身体の劣等感は、青春時代にはとても重たい事でした。今は、不自由なことを受け入れています。それ以上にあちらこちらと不自由になってきています。
ただ‘心は自由で、いたい。’そう思います。
どんな辛い人生のように見えても、良い時は必ず来ると信じて生きてきました。
今は、孫と手の不自由な私を受け入れた主人と子供たちが、います。
一人きりだと泣いた日々は、遠くの過去となり沢山の家族に囲まれて、幸せです。
来年もまた乗り越えなければならない山に、沢山出会うかもしれません。その試練は、より良い日のための出来事と受け入れて、乗り越えたいと思います。
今日は、今年亡くなった父の為にも両家のお墓参りに出かけました。来年も家族を見守ってくださいと祈り、娘たちと孫と私は、カトリックの祈りを唱えました。
2013年もあと少しの時間となりました。
皆様にこの一年、ブログを読んでいただいた事に感謝の思いでいっぱいです。
心から皆様お一人お一人の来年のご多幸をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
ブログランキングに参加しています。ワンクリックお願いします。