ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

私が私であるために

2013-06-26 17:47:10 | 第四章・愛とゆるし
悩みを打ち明けて、嫌な思いになっていることを、ここで度々書かせていただきました。

一つには、傾聴とはという観点から、もう一つは大事にされていないことの不安感から書かせていただきました。

遠い昔、愛の孤独感でさみしくて仕方なかった時に、何時間も電話で話を聞いて頂いていることに、愛されていると思い込んでしまったのだと思います。

大事にされているとも思い込んでいたと思います。その頃の私の現実吟味力に問題があったのだと理解できます。

けして其の友の事を、否定的に考えているのではなく、その頃はそれでありがたかったのですが、相手の話を聞く観点から考えた時、其の友の問題ではなく、私の現実吟味力に問題があったのだと思います。

相手の状況、考え方、環境など考えなく一方的に話し続けていたのだと気が付きました。

相手の話は、二の次で話し続けた場合その相手は、どんな気持ちで聞いていたのかなど、考える余裕もありませんでした。そんな私に付き合ってくださった其の友に感謝したいと思います。

今生き甲斐の心理学を、長年学んできて、まずは私自身が、私の良き聞き手になる事が、大事なのではと思えるようになりました。

1、 無防備 2、共感性 3、受容性 4、間 5、理解力 6、熱意

湧き出てくる感情に、無駄なことは何一つない、どんな汚い感情でも上記の観点で、これからは私の感情を大事に聴きたいと思います。

何時か、そんな私が大好きと言えるようになるために !!


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人間関係を聴く

2013-06-22 22:07:03 | 第一章・意識と知覚
台風も梅雨前線の影響も、今回は大分の北部の昨年の洪水の被害を考えて不安になっていましたが、降水量は多かったようですが、被害がなくて良かったと思っています。

昨年中津の洪水で被害にあわれて「心が折れた」とお話ししていたご婦人の事をふと思い出しました。復興に向けて心が、前向きになっていると信じております。

台風の被害はなかったのですが、私の心の中に小さな嵐が吹き荒れました。

ストレス曲線(不安・いかり・身体症状・うつ状態・錯乱)の怒りで一杯になってしまいました。

ある事柄で、少し不安になった私は、また友達に話をしました。コリもせずに同じ友達です。なぜ彼女に話すのかは、これから考えたいのですが、今回も話し終わった時に怒りが、こみ上げてくるのです。

話の初めは、不安感だけだったのに、話を終えて暫く経つといつの間にか怒りがこみあげてきて不安感だけだった話の内容が、何故かある方に対しての怒りへと変わっていったのです。

この友とお話しするといつもこのような状態になっていったのだと自己分析中に気が付きました。

そして其の事を、考えていく最中に「生き甲斐の心理学」のある理論を思い出しました。

傾聴は、相手の話の内容を聞くのではなく、相手の話されている感情を聴くことなのであり、そこで1.無防備 2.共感性3受容 4間 5.理解力 6熱意で聞く事が相手の心を癒す方法になるのだと思います。

私の心が、不安感から怒りになるのは、ある方にではなく、其の友から、これまで気が付かなかったのですが、3の受容されているのではなく、私の話の内容を、話を聞いている友の考え方、成育史上からの経験等から。私の話を否定して聞いておられたのだと気が付きました。

今まで、そのことが理解できなかったので、ある方への怒りが増したと誤解していました。
これは、私やある方にとって、悲劇でしかなかったのだと知りました。

ご近所のおじいちゃん、おばあちゃんでも心が軽くなるなら良いのですが、私のように元の問題よりも感情がこじれてしまうことは、避けたいですね。

また傾聴を、悪い事で使う人もおられるとの事、やはり傾聴される方のお人柄も大切な条件になるように思います。

お話しを聞かせていただく時に、私のこれまでの経験は、とても良い勉強になりました。

しかし今回の件でも理想と現実のギャップが私の怒りとなりました。

友達を理想で判断していました。
その理想は、話を聞いて受け入れてくださる方、現実は、普通の方そのギャップが、怒りだったように思えます。

今回は現実を受け止め、とても良い方なので普通の友として、難しい話はしないことにして、楽しい良い友として末永く付き合いたいと思います。

また生き甲斐の心理学の理論で、大事な友を失わずに良かった。




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嬉しい便り

2013-06-17 21:57:59 | 第八章・魂と聖霊
日本にあるK修道会のイタリア人のR神父様が、司祭になられて70数年のお祝いに、イタリアからK神父様が、お祝いのために日本に来られました。大分に来られて我が家にも泊まっていただきました。

K神父様は、日本に60年前5人の司祭たちで、中国を経由して日本に来られました。その中には、大分で大変お世話になったB神父様や今回司祭になられて70数年のR神父様や私の人生に生きる希望を、教えてくださった亡くなった神父様も一緒でした。

60年前の船旅は、大変なことだったのではと思っています。

K神父様が、娘の家に来られたのですが、孫達はとても元気で活発なので、ご高齢でもある神父様にけがをさせてはいけないとの事で、我が家に泊まっていただくことになりました。その次の日は偶然に私の誕生日でもあり、また60歳の還暦のお祝いの日でもありました。

神父様からとても心にしみる言葉を、沢山いただきました。その一つに60歳は、新たな出発の年だということでした。そのように考えたことがなかったので、新鮮なお話でした。

60歳になって、もう歳だからと考え始めていましたが、いや誕生日のその日私は、また生まれたのだと考えると不思議に心の奥底から、何かを始めたいという思いがわきだしました。

そして今日メールを、見ると懐かしいイタリア旅行を、お世話してくださったN神父様からのメールでした。

K神父様が、日本で写した写真でした。

お父さんのように慕っているB神父様、もう100歳を超えられていると思うR神父様そのほかに懐かしい神父様方のお顔がありました。


何だかとても嬉しくなってブログに書かせていただきました。イタリアの思い出の地が、懐かしく目に浮かんでいます。


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聴く

2013-06-11 20:55:23 | 第二章・五感と体感
ある朝、畑に行く予定にしていましたが、雨のため中止にするか、それとも雨の止むことを見込んで出かけるか迷いました。

心の中で暫く、自問自答しましたが、何か惹かれる思いがあるので出かけることにしました。

畑に着くと暫く小雨程度でしたので、ニンニクを収穫することにしました。

収穫して初めて、茎が流れている物や一個だけ腐ったものがあり、今が収穫時だと気が付きました。

暫くニンニクを、持って帰れるように茎を切ったり、根を取ったりしていました。すると雨足が速くなり、畑にいる事も出来なくなったので、大分に帰りました。

今は、家中ニンニクの匂いが、充満していますが、心地よい香りのように感じます。

あの日、畑に出かけなければ、収穫の時には腐ったニンニクのにおいをかがなければいけない状態だったと思います。心の声に素直に従ってよかったと思います。

ある本を読んでいて、傾聴に五感が大事だと、書かれていました。目の前に来られた悩みを抱えて苦しんでいる方の感情を、五感を通して聴くという意味を、この畑の出来事で改めて考えさせられました。

野菜たちの声を、私は感じたのだと思います。

五感で感じた、“今畑に行くことは大事だ”という思いを大切にして良かったと思います。


それと同時に、目の前に来られた方の話を聞くのではなく、その話を話されているその方の感情を聴くことの意味も、少しわかったように思います。

私の成育史に間向かって数年たちますが、私というものの捉え方、感情などに傾向があるのを知りました。

畑の野菜たちの声も私自身の感情を、聴く事も一つの何かにつながっているようです。

生き甲斐の心理学の本を、また読みたくなりました。

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私の経験から

2013-06-06 19:38:37 | 第一章・意識と知覚
傾聴という話で、時々ビックリするようなお話を、聞かせていただくことがあります。

傾聴の意味を、自分流に解釈してそれを実践なさっているのです。

中には、話を聞いてくださる、ご近所のおじいさん、おばあさんでも良いのではと問い掛けられたこともあります。

優しいおじいさんやおばあさんが、親身になって聞いてくださることは、美しい姿だと思います。

でも傾聴となるとそれで良いのだろうかと考えてしまいます。

答えは、悩んでおられる方の中にあると私は、学んできました。その答えを、その方が見出すまでのお手伝いをすることも傾聴の一つだと思います。

私の人間関係で、もやもやとした思いにいる時、ある方に悩みを、打ち明けると何故かそのあとで、嫌な思いになる事が近頃ありました。

その方はとても良い方なのですが、何故そのような感情が、湧いてきたのか考えてみました。

話を聞いてくださっているのですが、ご自分の経験から判断して、結論を話されるのです。

私は、ただ話を聞いてほしい、分かってほしいその思いで話しているので、最後には否定されたような孤独感になるのだと分かりました。

私が良い悪いではなく、今さみしい思いをしている私を温かく受け入れて欲しいと感じているのです。そのさみしい私を、そのまま受け入れられた時の安心感は、暖かい傾聴により受け入れられたという思いになるからではと考えています。



唯ひたすら私の話を、否定も肯定もせずに聞いてくださる、そんな友と出会いたいなあ


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