ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

明るい感情へ

2011-12-23 13:51:56 | 第六章・螺旋状に上昇する意味
感情にはすべて意味がある。(生き甲斐の心理学第3章より)

この言葉は、私に勇気を与えてくださいます。

何度も同じところで苦しみますが、その度にまたその問題に向かい合い前向きに捉えることが、出来るようになりました。

やはり幼少時の入退院は、愛されるという安心感を学ぶ機会が、少なかったと思っています。

身内特に母は、私をとても扱いにくいと感じていたのだとこの頃思います。
私自身も母に馴染めなかった記憶があります。

母と妹と私今では仕方なかったと思うのですが、やはりその原点に度々返り思い悩みました。

今は愛の孤独感を、強く感じていたからこそ沢山の優しい暖かい方たちに出会ったのだと思えるようになりました。

初めて大分にあった修道院に知り合いの方に連れられて行きました。静かな修道院の奥のほうから優しく微笑むイタリア人の神父様に出会い、5年間の短い年月の間変わることのない優しいお人柄で、いつも私を出迎えてくださいました。

病気で、入院されて福岡に転院されるまで、意識のない神父様のお見舞いに別府に通いました。今思うと私が、入院していた病院でした。

不思議なのですが、その頃身体症状に苦しんでいたのですが、神父様と出会い転院されるまで、その症状は消えていました。亡くなられた時の悲しみで、肉親を亡くした方の気もちが、わかりました。

今思うと私の愛の原型の祖父に、とてもよく似た方だったのだと思います。

そして私は、愛されない存在ではなく、ただ相手の愛の原型を理解できなかったのだとわかりました。

その頃が、愛の孤独感から人を信じる方向へと向かい始めた時期だと思います。

ただ過去のさみしさは、時を経ていろいろな人間関係の中で、経験し苦しみ
私を暗い感情にさせます。

明るい感情へと向かう、その間隔は、次第に短くなっています。行きつ戻りつしながら、過去の問題よりも現在の生き甲斐に目を注げるようになりました。

今日は孫の4歳の誕生日、明日はクリスマスイブ、心を明るい感情に移行しましょう。


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祈りのうちに

2011-12-21 17:47:25 | 第六章・螺旋状に上昇する意味
こうして自己分析していると今まで見たくない問題、触れたくない問題が、少しずつ直視出来る様になりました。

幼い時から、どうも前に書いたと思うのですが、3人という人間関係が苦手で、途中何故か相手よりも劣っていると感じその場から去っていました。

高校の頃、とても仲の良い友達ができたと喜んでいたのですが、途中その友達と他の友達と3人になる事が多くなり、次第にまた自己否定が出てきて、私は其の友にとって魅力がない、ダメな私だから仲間外れにされるなどの思いがわいてきて、次第に其の友たちと距離を置くようになりました。

そのパターンは、どの年代でも経験しました。ある問題の時は、泣いて友に他の友達の悪口を言った覚えがあります。

何故自己否定をしてまで、相手方と距離を置いたのか、とても苦しみました。

高校の友達関係は、同窓会で解決しました。仲の良いと信じていた友の性格の悪さから来ていたようです。

そして今回の身内のことと通じるものがあることに気が付きました。

理想(愛されて大事にされる) 現実(愛されていない)そのギャップは不安感(愛されていないのではと感じる)

愛されたい相手に愛されていないと感じる愛の孤独感からくる不安感で、愛されていないという現実を直視できなくて、そういう状態を感じた時、その状態から逃げていたことに気が付きました。

この気づきまでの時間、祈りながら過ごしました。

“どうぞ過去の辛い経験を良い方向へと導いてくださいますように・・・。”



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自問自答へ

2011-12-13 16:23:12 | 第一章・意識と知覚
前回のブログで猫と書きましたが、正確には子猫ちゃんです。その子猫ちゃんも段々と大きくなり、片足の悪いのも忘れるほど元気に飛び回っています。

爪とぎの激しさに戸惑っていますが、今のところ娘のコルクのボードで、がりがりと爪をといでいます。子猫ちゃんの隣に置いてある犬のソラ君の小屋に上り中に入って遊んでいるのにはビックリしました。ソラのほうが、怖がって小屋の隅に居ました。

そんな動物たちの様子を見ながら、嫌いな身内を相性が悪いからと長年思っていたのですが、どこかに身内だという思いから嫌ってはいけないという罪悪感が、働いていたのではないかと考えるようになりました。

今回嫌いという感情を意識化し「私は○○が、嫌いだ」と素直に肯定できたことで、長年のモヤモヤを、軽減することが出来ました。

動物たちの癒しのパワーを借りながら、過去 (成育史)で感じていた嫌いという感情を抑圧したことによるストレス曲線(不安・怒り・身体症状・ウツ状態・錯乱)をもう少し自問自答したいと考えています。

問題から逃げて、いつも泣き寝入りしていたことの原型が、成育史上からもう少しで見えてきそうです。

そして今私は、動物園の園長になったような嬉しくて困った複雑な感情でいます、

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思い込みに・・・・

2011-12-01 14:07:40 | 第二章・五感と体感
ある朝、前の土手の入り口に置いてある、ごみ捨て場に行きました。道を挟んでのごみ捨て場なので、行きかう車を待ちながら渡りました。

ごみを捨て、数段の階段を下りている時、我が家の塀沿いに一匹の猫が蹲っていました。車の多い通りなので、気になり傍に近づいたのですが、動くことも鳴くこともしませんでした。持ち上げようとすると少し動くので車の通りが、激しい時間帯でもあり、また頭上から聞こえてくるカラスたちの鳴き声に何か異常を感じ、家に連れて帰り箱の中に入れました。

動物好きの娘が、「仕事から帰ってきたら、病院に行こうね」と声をかけ少し世話をして仕事に出かけました。

途中ホームヘルパーの講習で習った方法で、綿を水に浸し口の中に入れてあげました。

娘が仕事から帰ってきたので病院に連れて行き、肺の場所に内臓が入り込んでいて、その手術には多額の費用がかかるとの事でした。一晩考えた結果、病院の先生が半分、私と娘とで半分出すことで手術を受けました。

結果は、手術は成功、足は不自由な状態となりましたが、また手術すれば元通りになるとのことでした。

飼い主を探しましたが、足の不自由なことで見つからず日にちは過ぎ去っていきました。段々愛くるしいさが増し泣き声もかわいいと思えるようになりました。

実は私、猫が大嫌いなので、これまでの人生で猫を飼ったことがありませんでした。

世話をしている時、嫌いな身内がとても猫が好きでかわいがっていた事を思い出しました。そのことで猫が、嫌いだと思い込んでいたのではと考えてみました。

猫の世話をしながら、かわいいと感じている今の私、本当は猫も好きな私だったのだと気が付きました。

また一つ、思い込みにさよならしました。


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