ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

笑顔

2011-08-25 10:56:03 | 第八章・魂と聖霊
昨日、長湯の土地で、九重連山を見ていました。山の上から段々と下りてくる雲の流れを見ていると数年前、イタリアに旅行に行った日々を思い出しました。

北イタリアの高い山、名前を忘れたのですが、雪を纏った険しい山頂その美しさは、私の心奥深くまで清くなるような、深い感銘を受けました。そして澄み切った空の青い色、雲の流れの美しさ、に暫らく我を忘れて見入ってしまいました。

その前の日、パルマにあるカルメル女子修道院に2泊3日滞在させていただきました。帰りの日イタリア旅行を車で案内してくださった神父様のお陰で、そこのシスター方にお会いできることになりました。そこのシスター方は、修道女とも言いますが、祈りのために世間から離れて暮らしています。

日本でもカルメル会の受付のシスターとは、お話できるのですが、他のシスター方とは、よほどの事がない限り、お会いする機会がありません。

友達に誘われての旅行で、神父様のご好意での日々でしたが、シスター方との出会いは、私にとって人生を変えるような衝撃でした。

生涯を神さまにささげ、世間から遠く離れて祈りの中での生活なのに、私の想像していた姿ではなく、良く話し良く笑いまるで少女のようなシスター方、そしてその笑顔は、これまで経験した事のない温かく優しく穏やかな素晴らしい笑顔でした。

今でもその笑顔を、忘れることが出来ません。


この素晴らしい経験をさせてくださった、神父様に心から感謝します。


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灯り

2011-08-17 12:53:17 | 第八章・魂と聖霊
ここ一年、心無い中傷に悩み苦しみました。

泣き寝入りせず、その問題に向かい、戦い解決しました。

そしてこの一年、私の心を傾聴して、自分自身とも向かい合い沢山の気づきに出会いました。

思い込み、思い違い、無理解などで暗い感情(ストレス曲線)にいましたが、この経験は、今生きているから味わえることなのだと信じて、今日まできました。

そして私の願いは、今年の秋に叶います。暗闇の中から信じる灯りだけを、見てきました。そしてこれが、信仰の灯りなのだと体感しました。

今朝、テレビで大萩靖司さんのギターの音が、流れてきました。生まれて初めて曲を聞いて涙が出てきました。


大聖堂という曲でした。




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静けさの中で

2011-05-22 21:40:30 | 第八章・魂と聖霊
朝、別府に向かうため電車に乗りました。海岸にそって走る電車から見える別府湾の景色は、私の好きな景色の一つです。

電車が、別府に入ると直ぐにH駅に着きました。電車を下りて知人が来る時間、大きく枝を伸ばしたサクラの古木の下で、昨夜の雨の後が、残る地面とサクラの大きく伸びた枝と隙間なく茂った葉っぱの森林浴を思わせるような心地よい空間で、静かな時間を過ごしました。

迎えの車で、山道を走ると小さなK女子修道院に着きました。森の中にそっとあるそんな雰囲気の小さな修道院のお御堂に入ると数人のシスターと信者さんが、いました。

今日は4月に司祭になられたばかりの神父様の初ミサ、このK男子修道院の神父様となられたので、東京から来られたのです。

木々たちに囲まれ、鳥たちのさえずりの中での御ミサは、まるで天国にいるような幸福感で一杯になりました。


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辺見庸さんのお話

2011-05-02 05:30:14 | 第八章・魂と聖霊
先週の日曜日、NHKの「こころの時代 作家辺見庸さんが語る東日本大震災」を見ました。
その個性的な語りに思わず引き込まれ最後まで見てしまいました。

辺見さんの深い思いは、ここで私が表現できる事ではないように思います。

しかし番組の中で、辺見さんの友達から送られてきた石巻市の写真が、画面に写し出された時、この表現は正しくないかもしれませんが、もう一つの大震災を見たように思えました。

焼けて黒くくすぶった学校、その学校で行き先を終えた焼き焦がれた多くの車の残骸、廃墟となった街、どの写真も報道で見たものとは異なる悲惨さを私は見ました。途中で津波の先端ではなく、海の底となり見えなくなった街、もうそこは海としか言いようのない海面が、映し出され私は、酷い衝撃を受けました。

真実の姿は、現地に行かなければ私にはわからないと深く感じました。と同時にあの深い海の中に幼い子供からお年寄りの方々まで、全てをとられてしまった人々の叫び、悲しみを辺見さんの語りの中に聞いたように思いました。そう思うと心からの叫びの涙が溢れてきました。

今生きている私は、この悲惨な出来事で、生きる意味を深く考えさせられています。ただ今までのように生きるのではなく、またこれから世の中に出てくるであろう、このことを利用した不吉な出来事として捉えるのでもなく、残された人生の日々を、より精神的に豊かに生き抜く事が、大事なのではと考えさせられました。

“困難が来ようとも、今生かされている命を大事に生きていこう。そして祈り続けよう。”


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気づき

2010-09-02 03:58:55 | 第八章・魂と聖霊
昨日の夜明けに秋の音色を聞きました。

ミルクテーを飲みながら虫の音色の美しさに季節の変わりを味わいました。

朝の静寂の中での虫の歌声は穏やかな一日の到来を知らせてくれたのかなと思い朝ミサに出かけました。

途中どうしても納得のいかない出来事を思い出し、怒りで心が一杯になっている時、おじいさんの姿が目に入りましたが思わず前を向いてしまいました。

すると案の定そのおじいさんは、私が意地悪に知らん顔したと受け取ったらしく、私とすれ違うとき顔も見ずに横切って行かれました。ああごめんなさいと後姿に謝ってミサに行きました。

ミサの間も怒りの感情は収まらず、まあこの感情に暫らく付き合おうと決めました。その感情を思い巡らしているとふと気づきがありました。

私は、怒り(暗い感情)で人に接する時、心が冷たくなり優しさや暖かさが無くなっているのかも知れません。


“そう言えば、優しさや暖かい心で接してくださる人には怒りは湧かないなあ。

そうだ怒りの状態にいるより、明るい感情に自分の心を向けた方が、今日一日楽しいだろうな。

もうその怒りの事を考えるのは止めようと。 ”


そう言えば昨日は感情豊かな一日を過ごし早くぐっすりと眠ってしまいました。


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