ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

心に残る人 愛に生きた人

2017-04-25 19:07:09 | 第九章・愛



この数か月、心痛めることが続きました。孫の事は、ママの強さが、彼らを救ったようです、落ち着いたら、此処で書きたいと思います。

昔々、心が愛を求めているときに、あるカトリックの修道会へと友人の紹介で、出かけることになりました。まだ、洗礼を受ける前の事でした。

その修道院で、一人の修道士との出会いがありました。その神父様に、出会わなければ人間の心の交流がどのようなものであるか、わからず人生を過ごしていたと思います。このブログで何度も書いてきた神父様です。イエス・キリストの愛を、その姿から感じる事が出来ました。

短い時の流れで、私は愛される事、愛することを学びました。心に初めて平安を知る事が出来ました。その神父様は、数年の時を経て、神様の元へと旅立たれました。

私の反発する姿を受け入れて、25年近く私を、導いてくださったもう一人の神父様が、また神様の元へ旅立っていかれました。イエス・キリストの愛に生きた方でした。64年前、5人の修道士が、イタリアを出て、長い船旅の途中、中国へと寄りその後日本に来られました。

東京に修道院を設立して、大分に30年近く前にその中の数人の神父様方が、来られました。初めて日本に来られた、その中の4人の神父様方に出会いました。今イタリアに帰られた神父様が、お元気でおられるだけで、後の4人の神父様方は神様の元に旅立たれました。

先日亡くなられた神父様は、私の心の父親でした。この神父様の生き方を側で見ながら。信仰とは何か、愛に生きるとはどういう事かを、学んできたように思います。

私の中にある氷のような心のありようを、少しずつ溶かしていただきました。神父様に反発して遠ざかった時も、訪れると何時もの姿で、迎えてくださいました。長い年月をゆっくりと接してくださったことは、感謝の思いで一杯になります。


その神父様とイタリアに行く飛行機で、偶然というのでしょうか、エコノミーに席が取れて無く、機長の計らいで、ビジネスの席に座れたこと、おいしい食事においしいチーズ、ゆったりとした座席、不思議な出来事でした。その機長に司教様ではと呼ばれたと嬉しそうに話されていた事、ベネチアに妹さんの娘さんとドライブがてら連れて行ってくださったこと、妹さんの手料理を何度も食べさせていただいたこと、塔に上がるのに、偏頭痛で行かれないと断ると、ホームシックと怒りながら言われたこと、後で思うと塔の上からの景色を見せたかったのでしょう。帰りの車の中で、激しい雨にも気が付かず寝ていた私を、後で呆れたように見ていた事、大分の修道院で、何かの行事で食堂の中で私と若い子と言い争いのような話声に、わざわざ「うるさい」と言いに来られたこと、昨年の暮れ東京の修道院に神父様をお尋ねした際、神父様にお説教をして、ご機嫌斜めに諭されたこと、思い出は、尽きることがありません。どの思い出も、昔流行った、落ちこぼれの私を、導いていただいた優しい神父様の姿です。

昔お御堂の中で、あまりにも孤独で寂しい時、神様お友達を下さいと願ったことがあります。

友達ではないのですが、人生において最も信頼のおける神父様方に出会いました。孤独と疎外感で、生きることもむなしいと思っていたあの頃が、無ければそのような祈りもなかったのではと思います。そして神父様方にお会いする事も無かったのではと考えています。

幼いころから家族の愛を、体験できなかったけれども、優しく暖かいお父さんを、得たことは、心から神様に感謝の思いでいっぱいになります。

想いでは尽きることなく、私の心の中で生きています。愛に生きた神父様方、私もあのような優しい人になりたい、そう心の底から思います。

そして神父様方が、教えてくださった愛を、私も伝えていきたいと思います。

ありがとうございました。 感謝のうちに またお会いするまで・・・・。


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