ロカビリー歌手として一世を風靡(ふうび)した山下敬二郎(やました・けいじろう)さんが5日午後8時ごろ、胆管がんのため都内の病院で死去した。71歳だった。昨年11月末にがんであることが発覚したが、末期で手の施しようがなかった。「歌える限りステージに立つ」という強い思いを支えに歌手活動を続け、年末にもライブを行っていた。通夜、告別式の詳細は未定。喪主は妻直子(なおこ)さん。
関係者によると、山下さんはこの日、入院していた東京・板橋区内の病院から、自宅近くの都内の別の病院に転院した。直子夫人ら家族も付き添った。転院した後、処置を施していたところ容体が急変し、意識を失ったという。緊急手術のかいなく、息を引き取った。
昨年11月末に胆管がんが発覚した後も「歌える限りステージに立ち続ける」という強い思いを支えに歌手活動を続けていた。先月26日には、栃木・佐野市内でディナーショーを行い、代表曲「ダイアナ」を熱唱した。さらに、駆け付けたファンに、がんに冒されていることを告白した。山下さんにとって、これが最後のステージとなった。
同28日には、東京・赤坂ステージワンで30年来行っている恒例の「忘年LIVE」にも出演する予定だった。妻で歌手の山下直子さんとのジョイントステージの予定だったが、体調を崩し、出演することはかなわず、電話でファンに、がん克服を誓った。楽しみにしていたファンもエールを送っていたという。
昨年11月には、平尾昌晃(73)ミッキー・カーチス(72)とともに「ロカビリー3人男」としてNHK衛星第2の特番の収録を行った。スタジオではかなり体調が悪い様子だったという。特番は12月に放送され、話題を集めた。
末期がんで手の施しようがない状態と知りながら、最後までがんと闘う意志は捨てなかった。2月に予定されていたよこすか芸術劇場と浅草ビューホテルでのライブはキャンセルしたが、4月には歌謡界や芸能界の重鎮が発起人となり、平尾やカーチスも出演する大々的な“がん決起ライブ”を行うことも計画されていた。それだけに、転院したその日に息を引き取ったことで、悲報を受けたカーチスらは大きなショックを受けているという。
◆山下敬二郎(やました・けいじろう)1939年(昭14)2月22日、東京生まれ。「笑いの王様」といわれた喜劇俳優で落語家の故柳家金語楼さんの長男。19歳の時に日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。平尾昌晃、ミッキー・カーチスとともに“ロカビリー3人男”と呼ばれ人気を博した。「ダイアナ」が代表曲。全盛期には、興奮した女性客がパンツをステージへ投げ付けるほどの熱気を集めたという。91年、26歳の年齢差でコーラス歌手の佐々木直子さんと5度目の結婚をした。
[2011年1月6日11時47分 日刊スポーツ
去年、井上順・新妻聖子、司会のテレビ「魅惑のスタンダードポップス」のゲストに出て親父・柳家金語楼譲りの軽妙な話しが聞けた時なは懐かしかった。この人、噺家でも行けたのじゃーないだろうか?“ダイアナ”でヒットを飛ばしたポール・アンカが来日した時は、自分で迎えに行って「俺は日本のポール・アンカだ」と言ったとか言わなかったとか。ずっと歌い続けていたんだろう、とてもいい声が出ていたね。たぶん、好きなことをやって生きてこられたのじゃーないだろうか。テレビでも動画の中のお話でも悟りを感じる、馬鹿に徹することができる。ご冥福をお祈りします。
ようやく顔を思い出させていただきました。
柳家金語楼師匠のご子息だったとは、今の今まで存じ上げませんでした。
当時まだ幼かった私にとっても、あの熱狂的なステージは強く印象に残っています。
好きな歌を歌い続けていられたなんて、羨ましい限りです。
平尾昌晃氏とミッキー・カーチス氏の方が名が売れていますよね。
父君の柳家金語楼氏はNHKの人気番組ジェスチャーの片方のキャプテンでとても馴染みがありました。
えっ、ウエスタンカーニバルのことご存知ですか?
けっこう長いこと続いていたのでそうかも知れませんね。
内田裕也みたいに偉そうにしないでって書こうと思ったら同い年ですね(笑)
有名人の方の訃報は、悲しいですよね。
という、あ無名人でもだけど、、
この方は存じませんが
この歌は 賠償千恵子さんが 良く歌われていたのを覚えています
71歳って 若いですよね
私の計画では 老後を主人と 楽しんでいる生活をしている予定ですが
ただ、本当のファンと言ったら私より7~8歳上の世代なので若い人はあまり知らないと思います。
上に書いています司会の井上順なんかも気を使っていました。
このゲストコーナーは伝説の歌手とかいう時間で2~3曲歌いお話も入ります。
調べたら内田裕也のウエスタンカーニバルデビューが1年後でした。
ラジオやテレビでも落語をよく聞いたものです。
「ラストダンスは私に」は倍賞千恵子さんがよく歌っていましたね。この動画は、その後にふざけた話しが入り、日本のポール・アンカ(この人もご存知ないでしょうね。)http://bit.ly/eNbEZh
のただひとつのヒット曲“ダイアナ”が入っています。
老後には健康体で備えるのが一番です!
彼の曲は こちらでも聞きますね
Diana(1957年)
You Are My Destiny(1958年)
My Home Town(1960年)
Kissin' On The Phone(1961年)
The longest day (1962年)
上は日本語で簡単な歌詞がつけられて日本人歌手が歌っていましたね。