150年前、勤務先の上海から来日中に生麦村(現横浜市内)で薩摩藩士に殺害された「生麦事件」の英国人チャールズ・リチャードソンさんが、事件に遭う前に家族に日本の印象をつづった手紙などがロンドンで見つかり、横浜開港資料館で公開されている
▼来日前には「日本は大きな貿易国になる」と書き送っていた。来日後は「山や海の景色は抜群で、日本は私が訪れた最高の国」などと書いた。好きな国での最期が痛ましい
▼維新前後には多くの欧米人が来日し、多くの日本印象記を残している。そこに書かれた日本は現代の日本人にも興味深い。西洋にはない「子どもたちの風景」も、極東の島国では見られたという
▼万延元年の遣米使節団は米国で見た乳母車に感心したが、欧米人は日本の赤子が母親や兄姉の背に負われたりする姿に感銘を受けた(石川榮吉著「欧米人の見た開国期日本」風響社)
▼少し大きくなると、通りで友だちと「暗くなるまで転げまわっている」とデンマークの軍人エドアルド・スエンソンは書いた。「生き生きとした顔を見れば、健康で幸せに育っているのが分かる」とも
▼教育は家庭と寺子屋でなされていた。日本を旅した英国の紀行作家イザベラ・バードは、子どもが「10歳になるころまでには、何をしたらよいか、何をしてはいけないかを正確に知っている」ことに驚いた。1世紀半前の日本はそんなふうに語られる国だった。
=2012/07/21付 西日本新聞朝刊=
日本の子供って150年前の方がちゃんと教育が出来ていたってことなのか?知育偏重、モラルや礼儀作法がどこかに置き忘れ去らはじめたのは一体いつ頃からなんだろう。まあ、子供だけじゃーなくってそんな大人も今は多いね。外国人が驚く、大震災時の配給に整然と行列を作る日本人の姿以上のものが日本には元々あるんだろう。
躾なのか教育なのか、今一度道徳教育のスタートラインに皆が立つ時が来ているんだろう。よその子も注意し合う、そんな社会に。高度な文明の発達が世の中の精神構造を後退させているのかな?
アメリカでもおかしな訴訟が起こることほかで 先生の生徒へのかかわり方も 昔とは違ってきて 先生は先生で大変な状況での教育になってきているようです
近所の大人も 皆 自分の親のような関係がたもてていた昔
それもなくなってきています ね
怖い人 というのが 子供には必要ですよね
人より大きな存在を信じること
自然に触れることも 都会では 少なくなってきているのでしょうね
コロラドの映画館の銃乱射事件もアメリカではショックでしょうね。
たぶん、まともに教育を受けた若者がどうして?というような・・・。
この子こそ何か大切なごく普通の常識が欠けた教育環境にいたとしか思えません。
アメリカは訴訟がすすんでいる国なので何でも裁判にかけられるんですね。
教師もボランティア団体の指導者も大変でしょう。
>怖い人 というのが 子供には必要ですよね
そう思います。
私は息子にきびしく接してきたつもりです。
よその家のことはよく分かりませんが、甘い(子供に妥協してしまう)親が多いように思います。
>人より大きな存在を信じること
大事ですね。
今の日本から欠如していると思います。
>自然に触れることも 都会では 少なくなってきているのでしょうね
野外活動も大切だと思います。
今晩は すぐにでかけるので
今のうちに訪問しました
以前読んだ本で お坊さんがおっしゃっていました
今の日本がおかしいのは ひとつに教育から 宗教をとったこと と、、、。
昔から ちょっと精神のおかしな人とか変わった人はいたのに こんな 異常な事は 数多く起こらなかった と 主人が言っていましたね
これはとても大きいことでしょね。
戦後教育の特長でしょう。
ご主人がおっしゃるように日本人の凶悪犯人もとても共通しているように思えます。
満ち足りた環境にいる子が、自分のストレスに耐えられず分けがわからない犯罪を犯してしまっています。
自分のうさばらしともとれる、理由も目的もないものです。