児童虐待防止、親権を停止しても機能しない恐れ

2010-01-28 14:06:12 | Weblog

 

  ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 《親権制度の見直し諮問、一時停止も》msn産経/2010.1.22 22:40)記事――

 法務省設置の「児童虐待防止のための親権制度研究会」が虐待を繰返す親から子供を守るための一時的な親権制限などを盛り込んだ報告書を今月纏めたのを受けて、千葉景子法相が民法の親権に関する制度の見直しを法制審議会(法相の諮問機関)に諮問することを22日の記者会見で明らかにしたと伝えている。

 報告書は〈児童虐待に適切に対処できるような親権制限の枠組みの必要性を指摘。家庭裁判所の審判により、一時的な親権制限が可能になるための制度設計などを論じ、児童養護施設長や里親の権限を、部分的に親権より優先させる考え〉を示しているという。

 要するに現行民法は親の虐待からの子どもの保護に親権がネックとなっていて有効に機能していない。〈児童相談所などの施設が保護した子供を親が親権を理由に連れ帰る事例や、子供に必要な医療を受けさせない医療ネグレクト、学校に退学届を出し、辞めさせるなどのケースも多い。〉、だから一時的な親権制限といった強制措置が必要になったということなのだろう。

 現行民法でも親権の乱用や親権者の著しい不行跡を要件として「親権喪失」の規定(834条)があるということだが、戸籍に記録が残るなど影響が大きいため申し立てや宣告が躊躇(ちゅうちょ)され、適切に活用されていなかったと記事は書いている。だが、親の虐待で子どもの命を失わせてしまう、あるいはそこまでいかなくても心に大きな傷跡を残してしまうことと「戸籍に記録が残る」こととどちらが取るべきだろうか。

 「親権喪失」の規定を有効に活用できなかった周囲の取扱いは一時的な親権制限を法律で規定することになっても、同じく有効に活用し得ない状況で推移する恐れは生じないだろうか。

 親権の全部を奪う「親権喪失制度」については、「YOMIURI ONLINE」記事――《虐待防止へ親権制限…民法改正方針 子供保護しやす》(2010年1月5日)は、〈期限の定めがなく、親子関係に与える影響が大きすぎるとして、適用されるケースは少ない。このため、児童養護施設などの現場から、より使いやすい制度を設けてほしいとの要望が出ていた。〉と書いている。

 そして改正の予定事項を次のように伝えている。

 〈1〉一定の期限を設けて親権を停止
 〈2〉親権の一部である、子どもの世話や監督をする「監護権」などを停止する

 その仕組みは――、

 〈親族や児童相談所からの申し立てを受けて家庭裁判所が決定する。この後、虐待を受けた子どもを保護する児童養護施設などに対し、親が子どもの引き取りを主張しても、施設側は家裁の決定を根拠に拒むことができる。〉としている。


 千葉景子法相が親権制度の見直しを法制審議会に諮問すると発表した22日の記者会見から2日後の1月24日、警視庁小岩署が小学1年生、7歳の長男が死亡した事件で両親を傷害容疑で逮捕している。

 死亡に至るまでの経緯を「時事ドットコム」記事――《昨年9月に暴行把握=区側に歯科医連絡-東京・江戸川の小1男児死亡》(2010/01/25-13:35)から見てみる。

 昨年の9月、長男が通っていた歯科医院の医師が顔がはれていることに気づいて、親の虐待と疑ったのだろう、区子ども家庭支援センターに連絡、センターは学校に確認の電話を入れた。

 「東京新聞」記事――《昨年9月『虐待の疑い』 江戸川の小1死亡》(2010年1月26日)では、多分虐待を疑った歯科医の声掛けに答えてのことなのだろう、「パパにぶたれた。ママは見ていて何も言わない」と話したと出ている。

 「時事ドットコム」記事はこの連絡に学校が行動を起こしたのは「数日後」と書いている。民主党政権のハイチ地震対応のように即座の対応となっている。昨年の9月にセンターから確認の電話が入った「数日後」に小原サナヘ校長(60)と副校長、担任の男性教諭(28)が家庭訪問。三人が一緒に行けるスケジュールが取れるまで「数日間」待ったということなのだろうか。

 31歳の父親が子どもを叩いたことを認め、「二度とやらない」と約束した。大の大人である上に学校教育者でもありながら、この手の約束が往々にして口先だけで終わることを学習していなかったからなのか、約束が今後の面倒を省いてくれる期待をも約束してくれて、学校の責任を解放してくれる責任回避意識からなのか、約束で終わらせて警察への通報はしなかった。

 もしも学習していたとしたら、責任回避意識の前に霞んでしまい、学習事項を打ち消してしまったということになる。

 記事は区教育委員会の担当者のコメントを取っている。

 「協力的で、保護者会にも積極的に参加しており、様子を見ることになった」

 あそこの母親は保護者会にも満足に出席しないという批判を恐れる世間体からこまめに出席する母親もいるだろう。

 小原サナヘ校長か副校長か、いずれかが学校側から区教委へそのように報告し、区教委は新聞社からの問い合わせに学校からの報告をそのまま伝えたということなのだろう。

 いわば学校は規則に則って区教委に報告し、区教委は規則に則った学校の報告を以って了として済ませ、学校共々昨年の9月から今年の1月24日まで、「様子を見る」と約束したことでもある保護観察行為を忠実に守って約4ヶ月間を過ごし、7歳の児童の死という現実の状況とは懸け離れた「協力的で、保護者会にも積極的に参加しており、様子を見ることになった」という4ヶ月前の報告どおりの状況をそのまま新聞に伝えることとなった。

 虐待が露見した経緯を「YOMIURI ONLINE」記事――《「食べるの遅い」両親が小1暴行→病院で死亡》2010年1月25日03時08分)から見てみる。

 母親(22)と再婚相手の夫(31)の二人が1月23日午後8時頃、自宅アパートで7歳長男を「ご飯を食べるのが遅い」と言って正座させ、顔面を平手打ちしたほか、左足をけるなど約1時間に亘って暴行。

 長男がぐったりしたため母親が119番通報。1月24日朝、搬送先の病院で死亡。警察が両親を傷害容疑で逮捕。取調に二人「しつけのつもりで叩いた」と容疑を認め、父親は「普段からうそをついた時などに平手で殴っていた」と供述。

 死因は司法解剖でも特定できず、病理検査にまわして詳しく調べると記事は書いている。

 学校と区子ども家庭支援センター、児童相談所にもセンターから報告が入っていたと言うことだから、児童相談所の各対応がどんなものだったかを《親の暴力、事件前に区が把握 小1虐待死、情報生かせず》asahi.com/2010年1月26日6時44分)から見てみる。

 〈昨年夏から休みがちで、同10月は11日、12月は6日、今年1月も8日欠席していた。今月22日には身体測定があったが、傷やあざは確認できなかったという。〉

 父親が昨年9月に「二度とやらない」と約束したものの、子どもを叩いていた事実は父親が自ら認めたことで、学校側は9月の時点で把握していた。そして昨年10月から今年の1月まで通算25日も休校しているにも関わらず、そのような継続的な休校と「様子を見ることになった」保護観察行為を責任を持って結びつけることはしなかったようだが、身体測定の際には保護観察行為を働かせて傷やあざを探したが、確認できなかったとしている。

 最近の身体測定は着衣のまま行うことが通例となっているが、この学校では下着だけで行ったのだろう、だから、目で見るだけの保護観察行為を可能とすることができた。しかし、傷やあざの確認はできなかったため、父親は学校に約束したとおりに子どもを叩くような虐待は行っていないと判断したということなのだろう。

 だが、2日後に病院に搬送され、死亡。父親が暴力を振るったことを認めた。

 小原校長の会見での発言。

 「その時々できちんとやってきたつもりだが、できることがもっとあったかもしれない」

 継続的休校と保護観察行為を有効に結びつけることができなかったのだから、校長の言葉は空々しく聞こえる。

 都墨田児童相談所。

 「学校で対応し、親も従ったということなので、それ以上の対応はしなかった」

 これは学校の報告を受けた区教委の対応と同じで、学校から受けた報告をそのまま児童相談所の新聞に対する報告としているに過ぎない。最初の報告以降、何か手落ちがないか、事態の急変はないか、自身で確かめる確認行為を役目の一つとして担ってもいるはずのチェック機関としての機能を児童相談所は果たしていなかった。自らは何も動かず、報告の鵜呑みを役目としたに過ぎない。学校に対しても、両親に対しても、何よりも7歳児童に対して、どのような声掛けも行わなかった。単にそれぞれの地位に胡坐(あぐら)をかいていただけだった。

 だが、声掛けについては記事から窺う範囲では学校の対応も児童相談所と同じとなっている。子どもが継続的に休校を繰返していることに対して、学校がどのような声掛けを行ったか学校の報告として記事は書いてもいないし、身体測定を行った際にも、〈今月22日には身体測定があったが、傷やあざは確認できなかったという。〉と書いているのみで、学校が7歳児童に対して言葉で確認する声掛けを行った様子を伝えていない。

 学校が声掛けについて何も言ってなかったから、報道しようがなかったのかもしれないが、事実を知るために何らかの声掛けを行ったのか新聞の方から聞くべきではなかったろうか。

 身体測定に関しては「47NEWS」記事――《死亡小1、暴行発覚後も欠席続く 学校と区、虐待疑わず》(2010/01/25 21:57 【共同通信】)では次のようになっている。

 〈今月登校したのは21、22日だけで、22日に長期欠席のためできなかった身体測定を実施。海渡君は長袖、長ズボンを着用し、測定は身長と体重だけだったが結果に問題はなく、養護教諭も異常に気付かなかったという。〉――

 今年1月の出席が21、22日の2日間のみ。身体測定は長袖、長ズボンを着用して行い、身長と体重の測定のみの結果で問題はないとし、養護教諭は異常に気づかなかった。

 養護教諭は職員会議等で父親に叩かれたこと、父親が「二度とやらない」と約束したこと、だが、継続的に何日も休校を繰返していること等々を聞かされていて、そういった事実を把握していたはずであるにも関わらず、あるいは把握していなければならなかったはずであるにも関わらず、ここでもどのような声掛けが行われたのか記事は書いていない。

 また「asahi.com」記事の〈身体測定があったが、傷やあざは確認できなかったという。〉情報は例え警察を介した情報であっても、発信元は学校のはずで、警察の捜査で〈全身にやけどなどの古い傷が残っていた。〉(YOMIURI ONLINE)としている以上、長袖、長ズボンから覗いている僅かな身体部分に異常がないことを以って「傷やあざは確認できなかった」とする、一種のウソの情報を学校は発信したことになる。

 この手のウソの情報発信、情報操作は責任回避から生じる。

 「47NEWS」記事は、〈担任の男性教諭(28)が家庭訪問であざを確認した昨年9月以降も欠席が相次ぎ、同10月には「頭痛」を理由に11日間連続で休んでいたことを明らかにした。〉と伝えた上で、校長の発言と担任教諭の昨年12月の3回の家庭訪問を伝えている。

 小原サナヘ校長(60)(10月の11日間連続の欠席について)「親から欠席の連絡が毎日あり、家庭訪問時に父親が『二度と暴行しない』と約束したので疑わなかったが、これだけ続くのはおかしいと当時も思った」

 「親から欠席の連絡が毎日あ」ったことから家庭訪問したような言い回しとなっているが、歯科医からの虐待疑惑の連絡が区子ども家庭支援センターを介して学校に伝えられたことからの家庭訪問であり、そのとき「父親が『二度と暴行しない』と約束した」ということでなければ他の記事との整合性が取れない。校長はここでも微妙に自分に都合のいい言い回しに変える情報操作を行っているが、この場合の都合の悪い情報から都合のいい情報への操作はやはり責任回避意識から発していると見なければならない。

 この責任回避は都合の悪い事態が勃発したことから生じた意識変化ではなく、元々責任を果たしてこなかったことから生じた産物なのは 「これだけ続くのはおかしいと当時も思った」と言っている言葉自体が証明している。学校長の立場にある以上、「これだけ続くのはおかしいと当時も思った」なら、それが事実として存在する疑いなのか、単なる疑いに過ぎないのか確認する責任を負っているはずだが、確認を怠る責任放棄を演じているからだ。

 昨年12月の担任の3回の家庭訪問について記事は次のように伝えている。

 〈また昨年12月中に3回、担任教諭が家庭訪問したが、父親には会わず、母親にも虐待の有無を聞いていなかった。小原校長は「顔に傷があったり、児童から申告がないと、家族に聞くのは難しい」と述べた。〉

 この記述で記事は終えている。

 〈父親には会わず、母親にも虐待の有無を聞いていなかった。〉程度の家庭訪問だった。歯科医から区子ども家庭支援センターへの連絡、センターから学校への連絡、そして父親が子どもを叩いたことを認め、「二度とやらない」(「47NEWS」では「二度と暴行しない」)と約束したこと、これらの経緯が約束以降も7歳の児童に役立って、虐待を受けない状況に置かれているか、「虐待の有無」ぐらいは声掛けによって確認すべきを、声掛けするだけの責任さえ果たさなかった。

 校長「顔に傷があったり、児童から申告がないと、家族に聞くのは難しい」――

 ここで校長が言っていることは目に見える身体上の異常や児童自身の申告等の、いわばそういった他からの要請を受けた他律性に立たなければ行動は起こせないということの白状でしかない。顔に傷があった場合、それを見たなら、学校保護者として理由を尋ねなければならない他からの要請としてあるサインの一つであろう。

 他からの要請を受けた他律性に立たなければ行動を起こすことができない行動性は自らの要請から発して行動を起こす自律性を欠いていることの証明以外の何ものでもない。

 だから、長袖、長ズボンを着用した身体測定では着衣から覗いている身体箇所は僅かしかないにも関わらず、傷やあざといった他からの要請を促す他律性を持ったサインは何ら見当たらなかったというだけのことで何ら異常なしと判定することができた。

 立派。誰も彼も立派である。

 12月の担任教諭の家庭訪問も「時事通信出版局」記事――《先月家庭訪問、男児と会えず=小1死亡》(2010年01月27日11時30分)では題名どおりの展開であったことを伝えている。

 〈担任の男性教諭(28)は昨年12月、学校行事の連絡などのために3回家庭訪問したが、いずれも千草容疑者が対応するなどし、海渡君には会えなかった。〉――

 担任の家庭訪問が〈父親には会わず、母親にも虐待の有無を聞いていなかった。〉、〈海渡君には会えなかった。〉といった性格のものだったということは「学校行事の連絡」という他からの要請を受けた他律性からの家庭訪問だったからで、自らの要請によって行動を起こす自律性を持った虐待の確認ではなかったことを否応もなしに物語っている。

 要するに「学校行事の連絡」という他からの要請がなければ行われなかった家庭訪問だった。

 要するに虐待の「ギャ」の字も頭になかった家庭訪問、単に学校行事の連絡を行うための家庭訪問だった。

 記事は〈区教委によると、海渡君は小学校側が暴行を把握した昨年9月から今月までに、計31日間欠席していた。〉と書いているが、学校に出席していた日が欠席していた31日以上はあったはずだから、例え他からの要請となる「顔に傷」がなくても、あるいは同じく他からの要請となる本人からの直接的な「申告」がなくても、欠席が多いことの懸念から何らかの声掛けをするとか、残された最後のチャンスだった、死亡する2日前の身体測定のときに長袖、長ズボンから僅かに覗いている身体箇所に傷やあざがなかったとするのではなく、少なくとも上着をめくらせるくらいの自らの要請に基づいた自律性を見せて確認すべきだったが、学校教師として持つべきそういった責任さえ果たさなかった。

 責任とは他からの要請を受けた他律性に従った行動性からではなく、自らの要請に基づいた自律性に則った行動性によってよりよく発揮されることは断るまでもない。


 例えこの7歳児童の死亡が親の虐待を死因としていなかったとしても、虐待を学校もセンターも児童相談所も区教委も把握できなかった。把握できなかったということは虐待は存在しないとしていたことを示す。

 一時的親権停止は虐待の存在の把握を前提とする。先に「親権喪失」の規定を有効に活用できなかった周囲の取扱いは一時的な親権制限を法律で規定することになっても、同じく有効に活用し得ない状況で推移する恐れは生じないだろうかと書いたが、虐待の存在を今回のように把握できなかったケースでは、親権停止にまで至らないまま子どもを殺すことになる。

 但し虐待の情報を他からの要請を受けた他律性に従う形式で把握していながら、そこに自らの要請に基づいた自律性に則った行動性を加えることができずに虐待死に至らしめてしまう例が数多くあるが、こういったケースでは一時親権停止という法律による他からの要請を受けた他律性は十分に発揮することができるに違いない。

 兎に角他からの要請を受けた他律性に従った行動性は学校も児童相談所も得意中の得意、十八番としているのだから、きっと責任が自分に回ってこないように早い段階で親権停止を乱発することになるのでないだろうか。そんな恐れが出てくるような気がする。

 学校や児童相談所の他からの要請を受けた他律性に従った行動性は断るまでもなく、上は下に従わせ、下は上に従う権威主義の他律的行動性からきている。

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