大相撲は伝統だ文化だ品格だと言う程大層なスポーツなのか(2)

2009-01-28 12:07:22 | Weblog


 1975年春場所千秋楽で大関貴ノ花(現在の貴乃花親方の父親・故人)との優勝決定戦での北の湖の横綱時代の敗戦が八百長だと疑惑報道した「週刊現代」の記事に対して日本相撲協会の北の湖前理事長と協会が発行元の講談社などを相手取り損害賠償請求した裁判が昨年(08年)の10月半ばから開始し、各テレビ局のワイドショーが競って取り上げた。それが朝青龍の横綱としての品格問題と重なり、大相撲は日本の国技だ、伝統だ、文化だという言葉が飛び交った。

 何日か正確な日付を記さないままに録画を文字に起こしたものだから、何日放送のTBSテレビ<みのもんたの「朝ズバッ」>か不明のままだが、裁判で証言した後の当時はまだ協会理事長だった北の湖に記者がインタビューしているから、八百長疑惑裁判が開始されたほぼ直後の日付なのは間違いないと思う。この番組中の言動を通して、杉山邦博が如何に伝統だ文化だを言う資格のない人間か、自分を偉く見せる利害行為からの振りかざしに過ぎないかを証明してみる。解説及び感想は( )付の青文字で記した。

 先ずは既にご存知だろうと思う17年前の1991年に録音されたカセットテープが流される。

 二子山元理事長「君ら、よく聞けよ。親方衆、これは重大なことだ、親方衆。若い親方衆、今での相撲を見てみろ。師匠、何とも思わんか。その勝ちで喜んでいるのか。それで手を叩いているのか。お目出とう、お目出とうって。逆に叱らなきゃならないですよ。

 皆様方にお忙しい中、今回来て貰った、ことは、無気力相撲について、出席していただいたところであります。」――

 (17年前に国技館であったある会議の席だそうだで、親方衆と十両以上の関取全員を集めた「異例」の緊急会議で、テープは30分に亘る長さだとか。)

 二子山元理事長「よーく耳の穴を掃除して、右から入ったら左へ抜けないように、左から入ったら右へ抜けないように頭の中で止めていただきたいと思います。――」

 出羽の海親方(元佐田の山・無気力相撲を見定める観察委員会の観察委員長)「全然自分は関係ないと言う人も、一杯いると思います。いると思うんですけど、ここのところ、非常に一二、私の感じとしては多くなってきたんじゃないかと思っています。優勝とか大関になろうというときでも、何回挑戦しても跳ね返される。夜も寝れない。心臓ドキドキする。そういう思いを何回も何回もして、獲ち取るもの。これが得難いものなんですよね。

 それを簡単にカネで手に入れるってことは、もうこれは稽古も何もしなくていい。まあ、床山とか若い者頭だとか、どういうのか分かりませんけど、何しろそれを仲介した人ですね。ええ、それも相当な処罰を得ます。場合によっては、若い衆はクビになるかも分かりません。床山とか、そういったものも廃業させられると思います」

 「観察委員会」なる組織があったこと自体が伝統だ、文化だで相撲が行われていないことの証明であろう。人間の利害行為に入る勝負事の一つに過ぎないということである。しかも「観察委員会」なる組織が存在していたにも関わらず、カネのやり取りがあったと言っている。)

 ここで八百長裁判の原告である北の湖前理事長、どう証言したのか記者に聞かれて、
「膝の怪我とか庇って相撲を取ると、膝で庇ったりして相撲を取ると、力が入っていないような感じに見えますからね、それと八百長は別だと、そのように申し上げました」

 これは一般論を述べたに過ぎない。本来なら、「断じて八百長ではなく、カネの遣り取りもありませんと、そのように申し上げました」と言うべきだろう。しかしそう答えずに、一般論を裁判で述べた。)

 再びテープ。出羽の海親方「絶対にあってはならない。故意による無気力相撲が一部の不心得者によって行われたことは許されないことであります」

 ここでみのもんたが元NHK大相撲解説者、現在相撲ジャーナリスト、且つ日本福祉大学客員教授だとかいう杉山邦博に聞く。

 みの「今のテープを聴いての感想を」
 杉山「いや、本当に厳しさで定評のあった二子山理事長がホントに危機感を感じてですねこれはどうしても放っていられないぞと言うね、その現れで、まさに赤裸々な、もう胸の内をお弟子さんや、それから協会全員の前で吐露していらっしゃいますよね。ええ」

 みの「出羽の海の発言を繰返し説明、そういう発言で出てくるんですけど――」
 杉山「つまり、今巷間では八百長という言葉が使われていますが、流布していますが、協会ではその言葉は一切使われていませんで、気力のない相撲、あるいは故意による相撲ということですが、そのテープの中にもございますように故意によるっていうのは、これはもう、わざとと言うことですよね。このわざとの場合も、ただ、今場所勝つよとか、来場所どうするって言ってんじゃなくして、金銭の遣り取りがあったかのような、今話が聞かれましたよね。これはホントーに私はね、もう情けなくて、何とも言いようがありません。ええー」

 (みのはテープを聴いた範囲内で八百長、もしくは無気力相撲が存在したかどうかの判断を尋ねたのである。それを曖昧にしたまま、「これはホントーに私はね、もう情けなくて、何とも言いようがありません。ええー」と自身の感情表明に変えている。この合理的な判断の回避は普段言っている伝統だ文化だが客観的な合理的判断を欠落させているからこそできる物言いであり、そこから生じている情緒的な把握への転換であろう。いくら長年相撲解説者を務めていたとしても、合理的判断に常に厳しくあろうとしていたなら、できない回避だからだ。)

 みの「そうすると、今八百長疑惑っていうのは、じゃあ本当にあったのかっていうふうにつながってきちゃう可能性ありますよね」
 杉山「そうなんですよね。それであのう、このテープの中で過去のことを云々する人がいるかもしれないけれども、そういうことを言っていたら先に進まないんだと、と言うか、絶滅しなきゃいけないんだということを強調していますよね。

 それからもう一点は、あの、今、師匠みんなに言っているけど、果して師匠がそれぞれの弟子に伝えているかどうか、あなた方は呼び出されて注意された、その師匠がお弟子さんに、直に取った力さんに伝えていますかってことまでおしゃってますよね。そのテープの中にね、ええー」

 (ここでも八百長相撲、あるいは無気力相撲があったかどうかの判断を回避している。部屋の親方の指示による取組、あるいは他処の親方から持ちかけられて双方の親方が承知している取組ということなら、「直に取った力さんに伝え」るも何もないだろう。すべての可能性を考えることができない物言いも合理的判断能力の欠如が原因しているからで、そんな人間が伝統だ、文化だを振りかざす。)

 みの「八百長疑惑の裁判ですけど、これ(テープ)がもし提出されるとなると、相当影響出ますね」

 杉山「私は、あの専門家ではありませんので、先生(弁護士の道歩みが出演している。)のお話を伺いたいんですが、ま、少なくとも心証的には、こういうことがかなり多く行われていたで・・・・(声を強めて強調する)あろうと思われても仕方がないですよね」

 (専門家に聞かなければならない判断とすることで自らの合理的な判断は回避した上で、「少なくとも心証的には、こういうことがかなり多く行われていたで・・・・あろうと思われても仕方がないですよね」と他者の推測の判断にとどめることで自らも推測の判断に逡巡させる二重の合理的判断の回避を巧妙に試みている。)

 杉山「実は17年前の平成3年のノートなんですが(と古びた大学ノートを取り出して見せる。)今、テープでお聞きいただいた3日後に初日が始まったんですね。秋場所の初日。ちょっとここを見ていただきたいんですが(とノートの余白を示す。)、私はここに『待ったをしたら、罰金5万円』という制度もこのときできたんですよね。時間一杯から。『敢闘精神欠如に』(と読み上げ、)二子山理事長の、ええー、『厳しい通達のスタート』。で、『内容すこぶるよく、気迫十分』と書いてあるんです。

 つまり、これはですね、この通達が、3日前にこういうことが行われたことによって、その秋場所の9月場所、ここで書いてあります、平成3年9月場所なんですが、相撲が内容が如何によかったかと。私もそう思って、一行コメントをこう残しているんですが。ですから、ま、そういう意味では危機感にもう、充満してますので、九州場所は(と言ってから、声を強めて)間違いなく、私は素晴らしい展開すると思うんですけれども、それにしましても、今の話にちょっと戻らせていただきたいんですが、裁判は北の湖のと貴ノ花の33年前の相撲がどうあった、っていう話なんですね。私は今のこれだけ厳しい師匠であった、協会のトップだった二子山さんの、あの姿勢をみなさん、ご覧なる、お聞きになったら、とてもじゃないけども、北の湖と貴ノ花は協会切ってのクリーンだった二人の相撲が、私は八百長だったとか、あるいは気力を欠いた相撲だったとは、(言葉を強める)到底信じられません。そのことだけは申し上げたい」

 「『待ったをしたら、罰金5万円』という制度もこのときできた」。結果的に「内容すこぶるよく、気迫十分」の相撲がその場所を通して展開された。としても、無気力相撲と指摘される取組はその後も続いていたし、手を突く振りをして突かなかったり、待ったしたりは現時点でもいくらでもあることなのだから、厳しく注意された当座の場所のみ守られたとしても意味はあるまい。継続性を維持してこそ初めて意味が生じる。日本福祉大学客員教授までしていながら、合理的な判断を持ち得ず、自慢する。)

 みの「ここへ持ってきて、400万円、用意しろ、しないと、変な噂が流れたりねぇ、誰も証言台に立たない。勝手に流れている話ですからねえ」

 杉山「あの、若貴の兄弟の弟さんが初優勝したときにしても、これはもう本当に土俵上で引退定年退職直前のお仕事として天皇杯を手渡した、涙ぐみながら顔も真っ赤にして渡したのがこの土俵の二子山理事長だったんですよ。それを手にしたのが貴及花だったんですよね。後の貴及花は。そういうことを考えるとね、確かに私は無気力相撲ががあったんであろうということは色んなとこで情報としては分かりますけども、今巷間裁判の場に上げられている、この相撲に関しては、私はあり得ないと思っています」

 みの「逆にあれですね。杉山さん、取材によると、そこであった無気力というものが非常に一掃されて、必死の土俵がこれから繰り広げられるようになった。審判制度も大変厳しくなって、そして来たと。だから、若の花(ママ)だの北の湖だの、何だと、一線がそんなことあり得ないよという。逆に逆実証になるかもしれませんよね」

 (みのにしても、人間は不正な利害感情からいくらでも抜け道をつくり出すという合理的な判断ができない。振込め詐欺犯だけが新たな手口となる巧妙な抜け道を拵えるわけではない。)

 杉山「そうありたいですよね」
 みの「まあ、それは裁判所がどう判断するか、もし、証拠提出されたらですね・・・・、厳しい話、もう一度聞けますか」

 再びテープの声を流す。

 みの「厳しい、まあ、ね、話という、あったわけですよね。ですから、その場所っていうの、大変いい相撲が展開されたということなんですけれどもねえー。まあ、いずれにしても、それははっきりしなけりゃいけない。ま、記事の、さっき与良さんがおっしゃったように、確か書かれていることですね、それ以外は随分はっきりしちゃっている」

 与良(正男・毎日新聞論説委員)「勿論証言の事実も関連事実として偽証の対象になり得ることはあるんです」

 (いきなり「偽証」に持っていく見事な合理的判断。)

 みの「どうもありがとうございます。しかしそれにしても凄い取材ノートですね」
杉山「いや、いや、そんなこと」

 与良「これはありがたいものを。ボクはホント、記者の先輩として見せていただいた感じがします」

 杉山「いや、恐れ入ります」と頭を下げる。

 みの「道さん、どうですか」と弁護士の道あゆみに話を振る。
 道「これ何か、この事件、ある意味。劇場化している、って言うんですか?私がこの前何気なく行ってみたら、その傍聴人の物凄くて、びっくりしたんですけれども。で、本来いつ法廷で出されるべき、ま、証拠、であるとか、その出廷すべき証人が、何か事前に記者会見をしたりとかですね、そういった形でマスコミに証拠を流しているんで、私たちも、それに翻弄されてしまうんですが。しかし、問題はですね、あの、この週刊誌が書いた記事、そこでテキジされた(摘示〈てきし〉暴き示すこと、また、かいつまんで示すこと『大辞林』なのか)事実が果して真実なのか。あるいは真実と信じるべき相当な理由があるようなことなのかどうか、っていうことなんですね。過去のずっと昔の八百長相撲かどうかって、この記事を見なければ分からないので、その週刊誌の事情の真偽に左右されてはいけないじゃないか、というふうに思います。まあ、記事に何と書かれているかだと思うんですね」

 (記事の内容も把握せずにごく当たり前のことをごく当たり前に言ったに過ぎない。これでコメンテーターが務まるのだから、楽なものである。)

 与良「心証の部分が大きいかもしれないんですね、元々メディアの報じる側から、この確証を把えると、我々、あの、報じる側の方が苦しんですよ。この種の裁判と言うのはね。なぜなら、要するに、その、あの、取材源を誰から聞いたってことを明らかにできないからですね。それを講談社が仮に明らかにしなかったら、このメディアとしての責任を問われるということなるんで。

 そこの難しさ、っていうのは、我々、その報じる側からするとね。まあ、これはボクはどっちが正しいかっていうことを、僕は裁判をもうちょっと見ていこうと思ってますけども。だから、もう、次々と講談社側としてあね、ありとあらゆるものを出していくっていう、まあ、戦法だと思うですよね」

 (これもごく当たり前のことをごく当たり前に言ったに過ぎない。)

 みの(杉山に)「当時、実際取材なさってるんですよね」
 杉山「はい・・・・・」(以上)

 (再度言うが、相撲取りは伝統や文化で相撲を取っているわけではない。名誉と金銭的褒賞を大きな動機とした勝負事として行っている。勝負事だから、ファンも集まる。もし神事の域を出ない競技であったなら、一部の特定のファンしか惹きつけなかったろう。勝ちをカネで購う営利行為だからこそ、相撲取りは必死にもなるし、八百長相撲も行う。自分が白星を献上して貰うこともあるから、必要な相手に白星を献上することもある。すべて伝統だ、文化だ、品格だといった問題とは別次元のプロ競技に過ぎない。

 「品格」を問題とするなら、ガッツポーズよりも朝青龍の不必要・過剰なダメ押しを問題とすべきだろう。伝統とか文化とは関係なしに、競技者のマナーに反するからだ。それをガッツポーズを品格ないと問題とし、ダメ押しは不問に付すのは見事と言うしかない合理的判断でとなっている。)


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