野田首相の党公認、「自分たちで決めたことは決めたとおりに守り抜く戦う集団」要求の盗人猛々しい自己矛盾

2012-11-23 10:52:21 | Weblog

 野田首相の自民党世襲体制批判が「“舌”好調」だと、次の記事が伝えている。《野田首相:“舌”好調「2世、3世、ルパンじゃない」》毎日jp/2012年11月22日 22時34分)

 11月22日(2012年)の全国幹事長会議で挨拶。

 先ず挨拶冒頭。安倍自民総裁との党首討論で11月16日の衆院解散を宣言したことを振返って。

 野田首相「『近いうちっていつだ』と言うから答えたら、相手(安倍氏)もびっくりした。一番驚いたのは(民主党の)同志のみなさんだ。私の女房も、解散については寝言でも言わないと言っていたので大変驚いていた」

 記事は安倍晋三をびっくりさせたことを、〈電撃作戦を自賛。〉と書いている。だが、この驚かせ作戦が予想不利な中で総選挙を有利に逆転させる起爆剤となる可能性を孕んでいたならまだしも、世論調査を見る限り、その可能性はほぼゼロに等しく、そのための政策とは関係のない世襲批判を激しく繰返すことになっているはずだ。

 何よりも選挙結果でびっくりさせなければ意味はないのは分かっているはずだ。結果でびっくりさせて初めて自賛の価値に値する。

 このこともわかっていなければならない。

 唐突な解散宣言に「一番驚いたのは(民主党の)同志のみなさん」だということは、現在のところ民主党大敗の方向でびっくりする確率が高いことの証明としかならない。

 解散宣言がいくら唐突であっても、勝利の方向に世論の風が吹いていたなら、驚く間もなく勝利に向けて欣喜雀躍、勇躍して選挙戦に突入していくはずだからだ。

 唐突さが過ぎて選挙の準備ができていないなどといった不備は世論が相殺してくれるだろうから、何ら障害とはならない。

 いわば予想不利の中で結果に結びつく保証のない“びっくり”は意味がないにも関わらず、「相手(安倍氏)もびっくりした」と今更ながらに取り上げるのは判断が甘いからに他ならない。

 自民党幹部に世襲議員が多いことに対して衆院選で世襲議員を公認しない民主党方針を強調しつつ、次のように発言したという。

 野田首相「特定の後援会がずっと続き、特定の家柄が政治を続ける。これ家業じゃありませんか。2世、3世、ルパンじゃない」

 会場は笑いが起こったという。

 民主党の世襲批判には有能性という資質を問うキーワードを常に欠いている。例え有能な世襲であっても、その有能性を問題としないということであって、問題とするのは世襲議員を排除して世襲以外の議員の有能性のみとなり、一種の差別の論理を容喙させていることになる。

 また、このような世襲議員の有能性如何を問わずに非世襲議員の有能性に限定する差別の姿勢は橋下徹の「行政トップ経験者でなければ国家運営できない」とする行政トップ経験者の国家運営万能者説が行政トップ無経験者を国家運営非適格者だとすることになる差別の姿勢と同じレベルで対応している。

 自己絶対化による自己と異なる他者差別であり、他者排除である。

 物事を見る合理的判断能力を欠いたまま自己を絶対化しているから、発言に自己矛盾を来すことになる。

 《首相 決断したら実現する党に》NHK NEWS WEB/2012年11月22日 19時36分)

 同じく11月22日の全国幹事長会議。

 野田首相「政権交代を通じてやり遂げようとしている改革を前に進めるのか、政権交代以前の既得権益に軸足をおいた古い政治に戻ってしまうのか。それとも理念や方向性の十分な議論もしないで、合従連衡の新しい政治勢力に、この国のかじ取りを委ねるのかの戦いだ。

 (民主党執行部が党方針に従うことを公認の条件にしていることについて)自分たちで決めたことは、決めたとおりに守り抜く、戦う集団を作りたい。『決断する政治』が求められている。決断したら、みんなで一緒に実現していく党になれば、間違いなく国民の信頼を得ることができる」――

 「自分たちで決めたことは、決めたとおりに守り抜く」は絶対ルールであろう。

 2009年民主党マニフェストは「自分たちで決めたこと」であるはずだ。例えマニフェスト作成に直接関わらなくても、事後承認し、そのマニフェストの旗のもとに2009年総選挙を戦い、政権を得た。

 だが、野田首相は「自分たちで決めたこと」「決めたとおりに守り抜」いたのだろうか。絶対ルールを守ったのだろうか。

 民主党は「自分たちで決めたこと」「決めたとおりに守り抜」こうとする集団と「自分たちで決めたこと」「決めたとおりに守り抜」かなかった集団とで内部分裂し、「戦う集団」とは程遠い指揮命令系統の大混乱を招き、決断に手間取る党内状況に至った。

 なぜ2009年マニフェストで「自分たちで決めたこと」を絶対ルールとしなかったのだろうか。絶対ルールとしていたなら、いわば「みんなで一緒に実現していく党」になっていたなら、「間違いなく国民の信頼を得ることができ」たはずだ。

 例え財源不足で実現できない政策が生じたとしても、「みんなで一緒に実現して」いこうとする一生懸命に努力する姿勢は国民の共感を呼ばないはずはない。

 だが、その逆を行った。マニフェストに決めていない消費税税増税を野田首相の前任者である菅無能が突然言い出して、一番ビックリしたのは国民であって、国民との契約がないままに野田首相がマニフェストに決めていない消費税増税を引き継いだ。

 にも関わらず、野田首相は自らが絶対ルールとしなかったことを今になって党所属議員に対して絶対ルールとすることを求めた。

 盗人猛々しい自己矛盾でなくして、どう表現できるだろうか。

 「決断したら、みんなで一緒に実現していく党になれば、間違いなく国民の信頼を得ることができる」は既に遅きに失した発言であることは種々の状況が示していて、誰の目にも明らかである。

 遅過ぎるにも関わらず、このように言うこと自体、判断能力を欠いているとしか言い様がない。多分、自分の勇ましい言葉に頼る以外に打つ手を失ってしまったのだろう。

 最後に民主党世襲議員党非公認問題で羽田雄一郎議員が無所属で立候補して復党する抜け道があると先頃のブログに書いたが、羽田議員は党に迷惑がかかることを理由に立候補を断念した。

 だが、2009年マニフェストは、「現職の国会議員の配偶者及び三親等以内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することは、民主党のルールとして認めない」という世襲禁止ルールになっていて、一度間を置いて次の総選挙まで待てば、奇妙なことだが、世襲扱いとはしないことになる。

 勿論、間を置くことは難しい問題が生じる。民主党が空白区として手付かずのままにしておいてくれたなら、次の総選挙ですんなりと立候補できるが、誰かを立てた場合、後援会が当選に力を貸さないというわけにはいかないから、当選が実現し、その当選者が居座ったとき、身内同士の戦いとなる。

 後援会が次の次は羽田雄一郎に譲るという密約の元、後援会の息のかかった者、例えば雄一郎の秘書か誰かを立てた場合、スムーズに藩主交代といくが、将来、譲った者の口から密約が露見しない保証はなく、露見した場合、雄一郎は例え当選を続けることができても、政治家としてのイメージに打撃を受けることになる。

 だとしても、困難を考えて父親の選挙区を永久に受け継がないということは考えられない。閣僚になるにしても、参議院枠は2人だ、3人だと言っている参議院議員の身分であるよりも、衆議院議員の身分の方が門戸は遥かに広い。

 連続の立候補でなければ世襲に当たらないとするルール自体が滑稽で、意味はないのである。

 父親の羽田孜を大量差で当選させてきた後援会は強固な組織を維持し続けるだろうから、間を置いて当選した場合、野田首相がいくら忌避しようとも、「特定の後援会がずっと続き、特定の家柄が政治を続ける」状況を保証することになって、世襲禁止ルールに触れない純然たる世襲が続くというパラドックスを打ち立てることになるに違いない。

 所詮、世襲禁止も言葉だけで終わるということである。


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