奇麗事・美化からは満足な改革は期待できない

2006-07-18 06:17:44 | Weblog

 朝日新聞にこんな記事があった。「政態拝見 小泉氏のやり残し 『改革の先の日本』聞きたかった」(06.6.20.朝刊)

 「『小泉首相が好きな歌人がいる』とある閣僚から聞いて、その歌集を読んでみた。
 橘曙覧(たちばなのあけみ・1812~68)。江戸末期に、福井で清貧の生涯を過ごした国学者だ。岩波文庫から『全歌集』が刊行されている。首相は夜の宴席などで時折、話題にするという。
 『たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物くふ時』
 『たのしみは あき米櫃(こめびつ)に米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき』
 『たのしみは まれに魚烹(に)て 児等(こら)皆が うましうましと いひて食ふ時』
 貧しくとも、家族が寄り添って、ほどほどの生活を楽しむ。そんな情景がほのぼのと描かれている」――

 人間の幸せの原点はこのような風景にこそあると言いたいのか。今の日本人は恵まれ過ぎている。格差社会だなどと、飛んでもないことだとでも。

 だがである、橘曙覧の時代の現実はこのような幸せの原点にさえも到達できない人間の方が多くを占めていたのではなかったか。「清貧」であろうとなかろうと、兎に角も自らの生活を保ち「生涯を過ご」すことができたのだから、そうできなかった不特定多数の人間から比べたら、橘曙覧はずっとましな「生涯」に恵まれていたのである。

 また、このような幸せの原点を現代社会に持ってくることには無理がある。モノが売れなければ、政治・経済が成り立たない、橘曙覧の時代とは異なる消費社会の時代となっているからである。小泉構造改革の財政再建策も、経済成長の度合いとそれに連動する税収と金利の推移それぞれの予想値を基本に国債利払いや償却費用を含めた歳入・歳出予算が計算可能となって初めて再建策としての体裁を持つのであって、先ずはモノが売れて経済が成長する前提に立っている。極論するなら、可能ならば国民全員に贅沢してもらわなければならない時代となっている。「米櫃」にいつも米が満杯状態でなければ国家運営上困るし、「まれに」ではなく、朝昼晩、毎日毎日「魚烹(に)て」、豚肉・牛肉焼いて食べてくれることによって経済発展が大いに期待できることになる。

 小泉首相の「郵政民営化なくして構造改革なし」の言葉を借りて説明するなら、「モノが売れずして経済成長なし」なのである。いわば小泉首相が一国の首相であるということは失われた10年から日本を脱出させるためにもモノが売れるべく陣頭に立って指揮を取っていたのであって、裏を返すと、日々橘曙覧の世界を否定し続けていたのである。否定することによって経済成長は可能となる。単に小泉首相がそのことに気づかなかっただけのことで、酒席でほろ酔いとなって橘曙覧の歌を披露し、幸せの原点ここにありと自分の感性・知識を誇りながら訳知り顔に解説して、俺は政治だけじゃないぞ、オペラの趣味もあれば、ロックの趣味だってある、そんな多趣味・多才な自分が好きと自らに酔い痴れていたといったところだろう。

 モノが売れて日本の経済が回復基調に乗ったものの、売れた利益が一部の人間のみに偏って、格差社会のおまけまでつけてしまった。そういった改革の結末には無関心・無頓着に、「たのしみは 妻子(めこ)むつまじく」などと経済成長至上主義時代には否定されるべき世界を肯定して素晴しい世界だと披露していたとしたら、その時代錯誤な自己陶酔は一国の首相としてはあまりにも倒錯的で、その奇麗事・美化は如何ともし難い。

 政治家が文学者の側面を持ったとしても、批判はされない。だが、政治家は当然のことだが、本質の部分で政治家を成し、大半の資質を政治家が占めていなければならない。小泉首相が真に政治的な人間であるなら、日本の歴史が一時代を画した江戸時代全体を俯瞰し、それを読み解く作業を先に持ってこなければならないはずで、そうしていたなら、橘曙覧の生活世界を他人が予想しない意外な趣味として臆面もなく紹介するといったことはできもしなかったろう。中途半端な独りよがりの文学的感性で馴染んでいるに過ぎない
 
 そのことの証明は橘曙覧が生きた時代を眺めるだけで可能である。このような幸せの原点にさえ到達できない人間の方が多くを占めていたのではなかったかと言ったが、橘曙覧が21歳から24歳にかけて、当時の時代からしたら、阪神大震災の何十倍にも匹敵する一大災害であった天保の飢饉(1833~36)に日本全体が見舞われているのである。それを『日本史広辞典』(山川出版社)の解説で見てみる。

 【天保の飢饉】「全国的飢饉。33年は天候不順で冷害・洪水。大風雨が続発。全国的に作柄が3~7分にとどまり、米価が騰貴。34、35年も不作に見舞われ、36年も全国的な凶作となり、翌年にかけて大飢饉となった。農村では農民が困窮・離散し、奥羽を中心に多くの餓死者が出た。江戸では物価が騰貴するなか、農村からの流入者や行倒れがやまず、各地で一揆・打ちこわしが続発した。幕府は米銭の賑給(しんきゅう)、御救小屋の設置、酒造の制限、小売値の引下げ、囲米(かこいまい)の売却、廻米・隠米の禁止などの施策を取ったが不十分に終わった。大塩平八郎の乱に代表される各地の騒乱とともに、幕府体制の基礎をゆるがす要因となった」

 「施策は不十分に終わった」――いつの時代も政治は十分には機能しない。小泉構造改革にしても然り。農民の困窮が飢饉が終了したからといって、すぐに改善されたわけではあるまい。あとを引いたはずである。天保の飢饉から約30年ちょっとで徳川幕府は瓦解している。
 
 敗戦後、日本人の絶対多数は貧しい生活を強いられた。それは個々の生活能力がつくり出した貧しさではなく、戦争とその結末ががつくり出した時代的な貧しさであった。橘曙覧の貧しさも町人の立場からしたら時代的なごく一般的な貧しさであったろう。しかし身分制度で武士に次いで第2位につけられた農民・百姓は〝貧しさ〟を超えていた。飢饉時ではなくても、江戸時代を通して多くの百姓が〝生かさず、殺さず〟の年貢政策に苦しめられ、借金に苦しめられ、食えなくなった百姓は妻子を売り、それでも凌げなければ土地を捨て、故郷を捨てて江戸やその他の都市に〝走り百姓〟となって吹き寄せられていった。
それらの情報を『近世農民生活史』(児玉幸多著・吉川弘文館)で見てみる。「江戸時代においてはわが国民の8割以上が農民であった」彼らの「生活は、大土地所有者である封建領主およびその家臣らの、全国民の1割ぐらいに相当する人々を支えるために営まれていた。飢饉の年には木の根・草の根を掘り起こし、犬猫牛馬を食い、人の死骸を食い、生きている人を殺して食い、何万何十万という餓死者を出したときでさえも、武士には餓死する者がなかったという」。

 「武士には餓死する者はなかったという」―― 一方が凄まじい生活を余儀なくされているというのに、見事な格差社会ではなかったか。「いつの時代も格差はあった」といった程度の格差ではなかった。

 『近世農民生活史』は人身売買に関して次のように解説している。「幕府でも諸藩でも人身売買を禁じ、十年季までの質入れを許しているが、一旦質に入れれば取り返すことの困難なのはこの時代も同じであった。また事実は江戸初期には人身売買も盛んに行われていて、年貢につまると子女を売り女房を質入れすることは通常であった。それらの証文もいくつか残っている。高知藩の如きはその場合の規定さえ設けている。会津藩では正保2年(1645)に、御林盗伐の過料金は例え妻子を売っても急度取り上げると達している」(同)
「江戸初期」でも飢饉とかに関係なく、人身売買で凌がなければ生活を成り立たせることができなかった。また、禁止令を必要とするのは人身売買がなくならない状況があり、それを受けての措置であろう。百姓側は法律を犯すことをしてまでも人身売買しなければならない状況が続いていたのである。

 支配者たる武士の側が一方で禁止していながら、その抜け道として「質入れ」を許可していたのは、厳格に禁止したなら、貧しい百姓の生活が成り立たなくなる現実があり、それを無視したなら、年貢取り立てに支障を来すといった、藩財政に直接関わってくる自己利害もあったからに違いない。このような日本の歴史的事実を学んでいたなら、餓死や餓死した死骸を食うといったところまでいっていない、とにかくも家族揃って食糧にありつける橘曙覧の世界が何だと言うことになる。

 人身売買は江戸時代を通して行われていただけではなく、明治の時代も、大正の時代も、戦前の日本社会でも、特に北陸・東北の寒村地帯で戦後の一時期まで、延々と続けられていた。当たり前のことだが、妻子を身売りした家では、「妻子(めこ)むつまじく うちつどひ」といった光景は望みたくても望めない情景となる。

 今の時代でも、時代なりの幸せの原点に到達できない人間が多くいる。望んでいながら、社会参加を拒まれている障害者、医療政策の不備によって、輸血を通してエイズや肝炎を発症させられ、病気や死の不安を抱えて日々の生活を送らなければならない人間、人命よりも企業優遇の産業政策によってアスベストによる中皮種や有機水銀中毒による水俣病といった公害病に苦しめられ、人生を縮めざるを得なかった者たち、無理やり長時間労働をさせられ、過労死に見舞われた者とその家族たち、その他その他――。

 当時の〝幸せの原点〟どころではない悲惨な生活を強いられた〝時代の被害者〟に向けることができる意識・視線が、比較対照を誘って今の〝時代の被害者〟へと照射させることができる。逆もまた同じ経過を辿る。目線をどこに据えるか、その人間の資質に関わっている。

 小泉首相が橘曙覧の世界に酔い痴れるだけで、そういった意識・視線を持つことができなかったから、小泉構造改革の負の成果として表れた格差問題を問われて、「人生色々」とか「いつの時代も格差はあった」とあっさりと言ってのけることができたのだろう。橘曙覧のつましい生活を愛でてはいても、小泉首相の実際の意識が何十万という餓死者を出した大飢饉の時代でも餓死することはなかった武士の意識と同質の場所に立っているからに違いない。

 『朝日』の記事は次のように続く。

 「9月の退陣を控えて、メディアでは『小泉首相ににとって最後の・・・・』という表現が目立つ。27日には『最後の訪米』に出発する。7月には『最後のサミット』に出席する。
 5月17日に開かれた『最後の党首討論』では、民主党の小沢一郎と小泉首相との間で、こんなやり取りがあった。
 小沢氏 日本人は、心の豊かさ、モラルの高さでは西洋に負けないという誇りがあったが、どうして、こんなにすさんだ社会になってしまったのだろう。
 小泉氏 先人が、何とか平和な時代に持っていこう、食べ物に困るような時代をなくそうと言っていた。そこに到達した今、想像のできない憂うべき事態が山積している。まさに心の問題、人間として何のために生きているのかが問われている。
 5月25日の参院行革特別委員会の質疑では、米国型の規制緩和社会を目指しているのかと聞かれ、首相は反論した。
 『私は米国型にしようとしていると、誤解か曲解する人が多いが、そうではない。日本はあくまでも日本型だ。民主主義も日本型だ』
 小泉氏といえば、構造改革、規制緩和、競争社会といった言葉が連想される。それが、橘曙覧の世界を愛し、『何のために生きるかが問題だ』『米国型社会をめざしていない』と語るのだから、意外に響く」――。

 小沢一郎の「日本人は、心の豊かさ、モラルの高さでは西洋に負けないという誇りがあったが、どうして、こんなにすさんだ社会になってしまったのだろう」といった独りよがりな言葉はどこを叩いたら出てくるのだろう。飢饉の時代、百姓だけを餓死させ、武士の間からは一人として餓死者を出さなかったモラルは、保守政治家が日頃非難している「自分さえよければ」の利己主義に相当し、日本の歴史・伝統・文化としてあるモラルであることを図らずも証明している。

 そのことを補強する証明を天保の飢饉を発端とした大塩平八郎の乱に関する『日本史広辞典』の解説の中に見ることができる。小沢一郎の認識が如何に独りよがりなものであるかが明確に分かる。

 「1837年(天保8)大阪町奉行所元与力で陽明学者の大塩平八郎らが起こした挙兵事件。前年の大飢饉は大阪市中にも大被害をもたらしたが、町奉行所は有効な施策を講じえず、豪商らも豪奢な生活を続けていた。平八郎は近隣農村へ檄を飛ばし、37年2月、門下の与力・同心や豪農とともに挙兵。一党は町に火をかけ、鴻池ほかの豪商を襲い、金銭や穀物を窮民に与えるなどしたが、二度の戦闘で鎮圧された。平八郎親子は約40日の潜伏後、発見されて自刃。天下の台所大阪でおこり、首謀者が元幕府与力で著名な学者だったため影響は大きく、各地で『大塩門弟』『大塩残党』と称する一揆・騒動がおきた」

 農民その他の困窮をよそに「豪奢な生活を続けていた」豪商らのモラルは日本の歴史・伝統・文化として現代の日本社会にも受け継がれているモラルであって、小沢一郎が言うかつてはあったとする「西洋に負けない」日本人のモラルは奇麗事・美化の幻想に過ぎないことが分かる。豪商たちは高騰した米価のお陰で面白いように大儲けすることができ、引き続いて大儲けできるという予測のもと、使い過ぎを心配することなく贅沢三昧できたに違いない。

 また例え払える状態になくても、それを無視して「過料金」を何が何でも取り立てる武士の利益目的のために百姓に対して「例え妻子を売っても急度取り上げると達」しを出せるモラルは、受診料を一旦全額自己負担で立て替えなければならない「被保険者資格証明書」を代理発行するものの、国保料長期滞者に一律保険証を返還させる(返還世帯05年度全国で32万世帯、00年度の3・3倍)払えない事情に考慮を払わない今の自治体のモラルに通じるものがあり、やはり歴史・伝統・文化的に連綿と続くモラルではないだろうか。

 一時全額立て替えさえもできない者が医者にかかることを控える「受診抑制」が原因で「00年度以降少なくとも21人」が死亡していたと朝日新聞の調査((06.7.14.朝刊記事)で判明したという。厚労省は「真面目に払っている者との公平を保つため」と言っているそうだが、保険料を払いたくても払えない、一時立て替えもできない事情を斟酌することも「公平を保つ」モラルに入るはずである。最低限の生活を保障している憲法の約束を裏切るモラルでもあろう。

 物価が高騰すれば、買いだめ・売り惜しみが江戸時代、いやそれ以前から存在し、そして現在にまでつながっている自分だけが儲かればいいの商モラルであろう。時代が違っても、人間の本質は変わらない。これらを以て日本人が歴史・伝統・文化としてきた「心の豊かさ、モラルの高さ」を示す姿だと言うなら、その客観的認識性こそ、どこの誰にも「負けないという誇り」を内外に示すことができる。

 戦後の自民党史をほんのちょっと振り返っただけでも、少なくとも政治家からは「心の豊かさ、モラルの高さ」をクスリにしたくてもとてもとてもクスリにすることはできないことが分かろうというもので、日本人だけではないだろうが、実態としては歴史・伝統・文化としてある〝心の貧しさ・モラルの低さ〟なのである。

 小沢一郎の奇麗事・美化は、小泉純一郎の橘曙覧を愛でる奇麗事・美化に通底する、政治家としたら犯罪にも相当する詐欺そのものではないだろうか。なぜなら、政治を職業とする人間の中でもその集団の上層に位置する政治家は現実を見る目、現実を読み解く目を特に備えていなければならないはずで、それがあって初めて時代が何を要求しているか、どのような社会を築くべきか、その方向性を見極めることができるからである。

 奇麗事・美化は現実の姿、あるいは人間の実態をありのままにではなく、美しく取り違えるズレを生じさせることであって、当然なことではあるが、ズレた認識からは有効な政策上の創造性を描くことはできない。

 小沢の問いに対する小泉の答自体が小沢のズレた認識を受けたものだから、これも当然なこととして、ズレた内容となっている。「先人が、何とか平和な時代に持っていこう、食べ物に困るような時代をなくそうと言っていた。そこに到達した今、想像のできない憂うべき事態が山積している。まさに心の問題、人間として何のために生きているのかが問われている」

 「想像のできない憂うべき事態」は何が原因して出来したことなのか。よく言われるように欧米化が原因だとしたら(実際には基本のモラルは時代を超えて変化しない姿を取るから、欧米化が原因ではないが)、小泉首相が目指している「日本はあくまでも日本型だ。民主主義も日本型だ」は〝欧米化原因説〟を否定するものとならなければならない。いわば『日本型』によって「想像のできない憂うべき事態」が改善されることを証明しなければならない。ところが出来原因に対する分析も改善可能の証明もない。小沢一郎の「西洋に負けない」という文言から、日本人の「心の問題」を対象とした認識だろうが、具体的に日本人の「心」のどこにどう「問題」があるのかの、一国の総理としての分析もない。

 別の言い方をすれば、二人共現代日本人に特殊な精神(=心の状態)を問題にしたのである。「人間として何のために生きるか」の指針を示した上で、それに外れて今の日本人は「何のために生きているのか」を解説することで、その違いから改めるべき方向が示される。言葉の遣り取りにそういったプロセスを持たせることで、初めて議論の体裁を持つ。それがないから、党首討論でありながら、時間の無駄でしかない意味不明の抽象論で終わる。

 記事の最後の部分は次のようになっている――。

 「構造改革という『手段』を通じて何を実現するのか。小泉政権の5年余、ともすれば改革自体が『目的』となり、改革の先にめざす日本の姿は、あまり語られなかったように思う。首相の『最後の国会』は将来の国のありようを論議するラストチャンスだったのだろうが、会期延長もなく、幕が引かれた。
 首相が思い描く橘曙覧のような『日本型の幸福』について、首相自身の肉声が聞かれなかったのが残念だ。『首相自身も将来の夢を語りきれなかったことは「やり残し」と感じているのではないか』と閣僚の一人は言う。『改革の先の日本』こそポスト小泉を含め、与野党の政治家たちが論争すべき大切なテーマだろう。
 ところで、橘曙覧の歌集にはこんなものもあって、思わず笑ってしまった。
 『たのしみは 銭(ぜに)なくなりて わびおるに 人の来たりて 銭くれし時』
 150年前の日本人には豊かなユーモアセンスがあった」――

 橘曙覧の世界と類似した世界を今の時代の「日本型の幸福」と言える記者のセンスのズレ。もし小泉首相自身が実際に橘曙覧の世界を今後の日本人が目指すべき「日本型の幸福」だと、少なくとも原型とすべきだと「思い描いていた」としたら、そのこと自体を問題にすべきだろう。消費社会にクビまでどっぷりとつかり、橘曙覧のつましさには満足できなくなっている「日本型の幸福」だからである。

 「たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物くふ」ために残業せずに定時帰宅を習慣としている家族で、家のローンを組み、子どもに多額の教育費を不自由なくかけることのできる家族がどれほどあるだろうか。遅く帰ってきて、家族の夕食に同席しない夫ほど、甲斐性ある頼れる夫なのである。大体がテレビのグルメ番組や食べ歩き番組、料理番組、あるいは旅番組などは行き場を失うだろう。日本経済の壊滅である。

 記者のズレは「150年前の日本人には豊かなユーモアセンスがあった」という小沢一郎の独りよがりに通じる独りよがりな解説からも証明できる。

 日本人すべてにユーモアのセンスがあったわけではない。一人の人間のセンスを民族全体の資質だと買いかぶることができる見事な客観性。そのような現実を美しく取り違える奇麗事・美化は真のジャーナリストならば備えていなければならない客観的認識性の欠如を示して、職業上の資格を疑わせる。民族全体の資質だとしたら、飢饉で一層の米価の高騰を狙って「隠し米」をした商人等は、きっと「豊かなユーモアセンス」からしたことなのだろう。

 また例えユーモアのセンスを持った人間であっても、生活の余裕を失ってもまだユーモアを発揮できる人間は多くはいない。あるいは江戸時代の水呑みと称された小作人の中には、生まれたときから極度の貧しい生活を強いられ、それを百姓の運命と諦め受け入れて生きてきた人間にとって、ユーモアと言うものを知らずに育ち、知らずに死んでいく者もいたに違いない。

 「たのしみは 銭(ぜに)なくなりて」云々にユーモアの感覚を見るとするなら、橘曙覧なる人間にとってはまだ生活に余裕を失うまでに至っていなかった幸せ者であったということだろう。妻を質入れし、娘を女郎に売らざるを得ない百姓のうち、「銭くれし」を「たのしみ」とすることができた者はどれ程いただろうか。恵めば、自分が困るギリギリの生活を誰もが送っていただろう。ギリギリの生活しかさせてくれなかった。それが〝生かさず、殺さず〟の生殺与奪性というものであろう。

 今の日本で自殺者が年間3万人を超えると言うが、人生途中でまさに死を選ぶ瞬間、そのような人間にとってユーモアは何程の効果があるだろうか。

 政治家に望む「改革の先の日本」は、厳格な意味での〝公平・公正な社会〟であろう。それ以外に何があるだろうか。それがどのような改革であっても、目指す先は誰もが〝公平・公正なルール〟に則らなければならな仕組みを持った、誰に対しても〝公平・公正なルール〟を誤魔化しなく機能させることができる構造の制度・組織・機構等とすることであろう。そうすることによって、〝公平・公正な社会〟の実現が可能となる。

 これは理想論であって、実現不可能な社会である。例え実現不可能であっても、常に改革の努力目標としなければならない。天下り・談合・不正取引・縁故取引・不正蓄財・不正手当て・脱税・ピンハネ・法の悪用・犯罪・公金流用・私腹行為・手抜き作業・怠慢・不作為・非効率・学歴差別・男女差別・人種差別・裏ガネ作り・贈収賄・リベート等々が一切ない社会への目指しである。

 すべての人間がそのような〝公平・公正なルール〟に則った経済活動、あるいは社会活動を行った上で生じた収入の格差・生活の格差は、誰もが受け入れなければならない止むを得ない矛盾であろう。


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