――野党は「テロ等準備罪」が施行された場合、監視社会となると批判するが、国民が理解しやすいそのことの合理的な説明ができていない――
先ず断っておくが、日本の刑法は殺人・強盗等の重大犯罪に限って実行前の予備行為の段階の場合は例外として取り締まることができるが、一般的には実際に犯罪行為が生じ、被害が発生して初めて処罰することを原則としているという。
いわばテロ等準備罪は日本のこの刑法の大原則に反して犯罪に走る一歩手前の共謀、あるいは計画の段階で取締り・逮捕を可能とする法律ということになる。
2017年4月17日の衆院決算行政監視委員会で民進党議員山尾志桜里が法務相の金田勝年に野党が言う共謀罪(テロ等準備罪)について様々に問い質した。当然、「テロ等準備罪」が施行された場合は監視社会となると言い立てている関係から、自身もそのように主張し、金田勝年の答弁からも、監視社会となることの理由を引出して攻め立てるかと思いきや、そういった質疑応答となっていなかった。
このブログの趣旨に関係する個所のみを文字に起こしてみた。
山尾志桜里は先ず法務省がマスコミにのみ発表している共謀罪構成の277種類の対象犯罪(正確には対象法律)をマスコミから借りて記したパネルを、277種類もあるから、大きな文字にすることはできない、小さな文字になって読み取りにくいがと断って示した。
山尾志桜里「共謀罪がテロ対策に役立たない上に監視社会をつくる、国民にとって百害あって一利なしの法案だということを明らかにしたいと思っているのですが、先ず国民の皆さんに知って頂きたいのは今回の法案は共謀罪という罪が一つ増えるのではないのです。
政府いわく。277の人を刑務所に入れる新しい犯罪を作るということです。これをパネルにしました。
文化財保護法、これも共謀罪の対象となっていますね。重要文化財の損壊等、これも共謀罪の対象となっています。私が大変疑問なのはテロ対策という考えも関係ないこんな罪まで共謀の対象にして無用な取締まりを強化しておきながら、文化財を懸命に保護する立場にある学芸員を侮辱する、余りにも一貫性のない場当たり的な方針に大変首を傾げているわけであります」
そして問題発言をした金田敏夫や稲田朋美、自主避難は自己責任発言した今村復興相の名を挙げて、こういった大臣を守るよりもしっかりと国民を守ることに注力を注いで欲しいと続けたが、共謀罪から国民を守るためには如何に監視社会になるかの説明を国民に受け入れさせるか、その才覚にかかっているはずだが、余分なことに時間を費やしているようでは、目的を達するに道遠しの感のみが募ってくる。
余分な時間の浪費はこれだけではない。政府は過去の共謀罪の対象犯罪の615を277に絞ったとアピールしているが、過去二つに数えていたり、三つに数えていたいくつかの対象犯罪を一つに纏めた結果、277となっただけのことで、数の上では殆ど変わりはないことを指摘しているが、そういったカウントのカラクリが監視社会化の理由となるわけではない。
例えば電車の往来危険罪と船の往来危険罪と別々にカウントしていた罪を今回は一つにカウントしているといった例を挙げていたが、テロ対策の対象犯罪に入れることによってどう監視社会を形成することになるのか、そのことに向けた視点がないままにカウントのカラクリだけを問題にしている。
山尾志桜里「先程文化財保護法の話をしました。この文化財保護法然り、その他にテロ対策と言えないものが入っている。例えば種苗法、種と苗法と書いて種苗法ですね。あるいは絶滅の恐れのある野生動物の種の保存に関する法律、モーターボート競争法、著作権法、一方でテロ等準備罪という犯罪がこの277のリストの中にはありませんね。
大臣、なぜテロ対策と関係のない法律でたくさん取り締まろうとしながら、テロ等準備罪という法律はないんですか」
これは無理な質問である。あくまでもテロ等準備罪を構成する可能性として想定した277項目の対象犯罪である。テロ等準備罪との合理的な関わりを問い質すべきなのだが、金田勝年の方から、自分たちは合理的とする説明を行った。
金田勝年「テロ等準備罪の対象となる法律については今法律案の別表に明確にしているところであります。テロ等準備罪については死刑または無期、もしくは中期4年以上の懲役、もしくは禁錮と定められている刑の内、組織的犯罪集団が実行を計画する場合、現実的に想定されるものを対象犯罪としております。
加えて、只今質問の中でなぜこれがという対象犯罪もございました。そのテロ集団、組織的犯罪集団についてその資金源となるような犯罪というものもあるわけでございます。だから、組織的犯罪集団が実行計画する(場合)現実的に想定されるものを対象犯罪とする中で、それが対象となっているのだと、このように申し上げております」
金田年男が答弁している前段は刑の重さでテロ等準備罪を構成する対象犯罪として設定していることになる。ここの設定に合理性を見い出すことができるのだろうか。
後段は「組織的犯罪集団が実行計画する(場合)現実的に想定される」「資金源となるような犯罪」を対象犯罪としたという説明となる。
いわば資金源として利用することができる行為に関係する法律で、その罪が一定以上に高い法律を対象犯罪として決めた。
山尾志桜里「国民の皆さんも驚いていると思います。テロ対策のためにテロ等準備罪をつくると思っていたら、テロ等準備罪という犯罪がない。組織的犯罪集団がテロ対策の資金源となるような犯罪を入れたと仰っていますけども、保安林でキノコを盗ることも、テロ対策の資金源ですか。
保安林で溶岩のカケラを盗ることも、これテロ対策の資金源ですか。如何ですか大臣」
金田勝年「保安林区域内に於いて保安林の森林窃盗は、その産物を窃取する罪であります。組織犯罪集団は組織維持・運営に必要な資金を得るために計画するのが現実的に想定されることから、対象犯罪としたものであります。
つまり森林窃盗の対象となる産物が流木、竹、キノコといった森林から発生する一切のものが含まれる他、森林内の鉱物、その地の土砂など無機物、産出物もこのような森林窃盗の対象となる客体を考えた場合、(対象犯罪に)含まれる理由であります。
相当な経済的な利益が生じる場合もありますことが組織的犯罪集団がその組織の維持・運営に必要な資金を得るために計画することが現実的に想定されるものであります」
山尾志桜里「これ、テレビ中継で国民の皆さんに聞いて頂いたことが本当に良かったと思いますよ。テロ対策のために掲げていた法案が、結局、今いい答弁を頂きました。
私も必死に書き留めましたけども、保安林の中の流木、流れ着いた木を盗る、竹を盗る、キノコを盗る、土砂を盗る、鉱物を盗る、こういうものをテロ集団の資金源になるから取り締まるんだと。
これ国民の常識、国民の良識と余りにもかけ離れた答弁をしたんだと思っています。本当にこれテロ対策なんでしょうか。私たちはテロ対策なら喜んで協力します」
山尾志桜里はテロ等準備罪が施行された場合は監視社会となると国民に向かって強硬に主張している以上、そうなることの合理的な理由を金田勝年の答弁を捕まえて証明しなければならない責任を国民に負っていながら、その責任に意識を集中していないから、金田勝年のこの答弁の中に証明できる可能性が含まれていながら、見逃してしまった。
まず最初にテロ等準備罪が犯罪に走る一歩手前の共謀、あるいは計画の段階で取締り・逮捕を可能とする犯罪である以上、監視を前提としなければ成り立たない法律だということを押さえておかなければならない。
いわば初めに監視ありの法律の体を成している。
当然、テロ等準備罪を構成する可能性として想定した277項目の対象犯罪にしても、監視を前提としなければ、資金源獲得等の利益行為として行う法律違反かどうかは判明できないことになる。
その監視にしても組織的犯罪集団が単独でキノコや鉱物を窃取する、あるいは手っ取り早く獲物を手に入れるために殺人を犯す場合、組織的犯罪集団に対する監視だけで済ますことができるが、関係ない他人を騙して協力させてそういった犯罪を犯そうとする場合、それが共謀、あるいは計画の段階に入ったかどうかを確認するためには関係ない他人まで監視しなければならなくなる。
また、関係ない他人が単に利用されるだけの存在で、最後まで関係ない他人で在り続ける可能性は絶対ではない。関係ないと思っていた人間が後に組織的犯罪集団の思想に感化されて仲間に入る例はいくらでもあるのだから、監視の対象外とすることは不可能となる。
いわば組織的犯罪集団と接触する第三者をその集団と関係あるなしに関わらず監視の対象としなければならないことになるし、その第三者が組織的犯罪集団とどの程度の関係なのか、あるいはどのような性格の関係なのか、そのことの確証を得るためには第三者の妻とか親とか兄弟とかの近親者まで監視の対象を広げざるを得なくなる。
組織的犯罪集団が凶悪犯罪を決行する前、合意や計画の段階で取り締まるためには監視の無制限の拡大を絶対条件としなければ、不可能だということである。
いわば組織的犯罪集団によるテロ等の凶悪犯罪を未然に防ぐためには監視が勝負となる。監視に始まって、組織的犯罪集団と疑った組織と接触する誰彼なしを監視対象に広げていかなければ、とてもテロ等の犯罪を未然に防ぐことはできない。
テロ対策を口実に否応もなしに関係ない一般国民をも監視し、監視社会化に進むことになるテロ等準備罪となるはずだ。
昨日2017年4月19日の衆議院法務委員会でテロ等準備罪の実質審議が始まり、金田年男の次のような答弁を「NHK NEWS WEB」が伝えている。
金田勝年「犯罪を計画したという嫌疑があったとしても、計画に組織的犯罪集団が関与している疑いが無ければ、テロ等準備罪の捜査が行われることはない。また、一般の人が組織的犯罪集団と関わりが無ければ、構成員であるという疑いは生じず、捜査の対象とはならない」
「犯罪を計画したという嫌疑があったとしても、計画に組織的犯罪集団が関与している疑いが無ければ」という事実判明は強力な監視が可能として得ることができる答であろう。
また後段の「一般の人が組織的犯罪集団と関わりが無ければ、構成員であるという疑いは生じず、捜査の対象とはならない」という決定にしても、監視がなければ不可能な決定である。
記事は次のような発言も伝えている。
金田勝年「犯罪実行の準備行為が行われていない段階であっても、例えばテロが計画され実行される蓋然性があって必要性が認められる場合には、任意捜査を行うことが許されると考える」
監視という行為を前提としなければ、「テロが計画され実行される蓋然性」は把握不可能となる。先に監視ありで、初めて成り立つ「蓋然性」の把握となる。
「犯罪実行の準備行為が行われていない段階」か行われている段階かを知るためには監視の確実性が決めることになる。
その監視が組織的犯罪集団にとどまる絶対的保証はどこにもない。
最終的には監視社会を許すか、組織的犯罪集団の凶悪犯罪を許すか、どちらを選択するのかという議論になるが、警察権力によるテロ対策に限られた監視に留まっているうちはいいが、警察権力の上に国家権力が覆いかぶさって、国家権力の思いのままの遂行に監視を利用する危険性は絶対的にゼロではないということである。
特に安倍晋三のような戦前回帰を願っている国家主義者は監視利用の危険性は高いと見なければならない。