キレる大人たち

2007-11-17 09:16:00 | Weblog

 07年11月14日『朝日』朝刊≪孤独が生む「暴走老人」≫はキレる高齢者を題材に現代を見つめた『暴走老人!』(文芸春秋)を8月に出版したという作家・藤原智美氏に聞くという形式を取った記事である。(下線は筆者)

 <疎外感、情報化が追い打ち

 東京・新宿の路上で、お年寄り同士が胸座をつかむ。確定申告に訪れた税務署で、スーツ姿の初老の男性が窓口の女性に怒鳴り散らす。スーパーのサービスカウンターで、70歳前後の男性が拳でテーブルを叩いて甲高い声で怒る。
 どれも、私自身が数年前から目にしてきた光景だ。驚いた。身なりのちゃんとした人が、公共の場で、アカの他人に。遭遇した「事件」を機に、現代社会の窮屈さ、生きづらさの源を見つめたいと書いたのが『暴走老人!』。ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こし、暴力的な行動に走るお年寄りだ。
 尋常でない怒りによる暴言・暴力のきっかけはささいなことだが、背後には孤独感や社会へのストレスが蓄積されている
 ストレスはすべて人間関係から生じ、別の人間関係で解消するしかない。キレるかどうかの境目は、グチをきいてくれる人がいるかどうか。お年寄りを支える人間関係の輪が欠けていく中では、見いだしにくい。
 「切れるお年寄り」は何も男性に限った話ではないが、幸せの象徴だったマイホームから子どもは独立し、連れ合いが先立ち、残されたのは1人。地域社会にも個を支える力はなく、人間関係は疎遠。リタイヤ後は職場の人間関係からも遠ざかるという状況だ。
 情報社会も追い打ちをかける。パソコンや携帯電話の進歩は加速し、日々更新される技術を使いこなすのは、若者ほど容易ではない。現代のコミュニケーションの標準からずれていく疎外感を味わっている。
 パソコンや携帯はコミュニケーションの新たなルールさえ作り出す。待ち合わせに遅れる時、メールをせずに電話すると失礼になるといった具合だ。過去の経験則が生かせず、むしろ邪魔になることに、お年寄りの生きづらさがある。

 「自分もキレる」自覚が必要

 社会の変化に伴って言葉の力が弱まった影響も大きい。①他者や社会のことを考える②自分の感情のありか〔例えば、なせ、怒っているのか〕を理解する③人とかかわる、そのいずれの言葉も弱まった。人に怒りを伝える適切な言語的スキルがない分、感情が激しく露出して、キレる。
 病院の床に寝転がり、手足をばたばたさせてわめき散らす年配の男性がいた、と医師が話していた。原因は順番を巡るトラブル。自己を表現する言葉を持ち合わせず、感情で訴える「赤ん坊化」した例だ。
 また、フルマラソンをするおじいちゃん、フラダンスで活躍するおばあちゃんという健康長寿のイメージもストレスになる。世間は「あなたは、あなたのままでいい」と子どもに言っても、お年寄りには言ってくれない。
 キレる社会を食い止めるには、「ひとごと」と思わず、自分もキレる危険性があると自覚することだ。自分は正当に抗議したと思っても、きちんと対応できていないこともある。自分に不利益をもたらし、他者も傷つけることを想像する力を持つことが、怒りの発火を抑えることになるはずだ。
 一定期間、携帯やパソコン、テレビなどの情報を意識的に断つ、「情報断食」をして、生のコミュニケーションを取り戻す時間を持つことも一法だろう。また、暴力的行為への対処方法やルール作りも大切だ。
 自分たちが生み出したストレス社会にどう向き合うのか。個人の気の持ち方や心のあり方に還元するのではなく、社会全体で考える必要があるのではないのか。〔聞き手・森本美紀〕>

 その主張が錆び付いてしまったのか、最近は口にされることもなくなった教師集団「プロ教師の会」だが、その主張がまだ世間にもてはやされていた1990年代後半、月刊誌で読んだことだが、「プロ教師の会」の一員諏訪哲二高校教諭(現日本教育大学院大学客員教授)が確か、「外部からそう仕向けるような『非合理的な力』を借りて授業が分からなくても、自己規制をしておとなしくしていた」昔の生徒たちを懐かしみ、そういった管理教育で教室を支配したい衝動を疼かせていた。

 「非合理的な力」が何を示すか具体的には明示していなかったと思うが、「外部から仕向ける」と言うのだから、教師自身が自発的な力とし得ないもの、いわば自助努力ではなし得ない場所にあるものだろう。

 その裏を返すと、その当時からの教室の無秩序は「外部からそう仕向けるような『非合理的な力』」を失って、授業が分からなくても、生徒がおとなしく「自己規制」することがなくなってしまったことが原因で起きているということになる。

 このことは教室の秩序は「外部からそう仕向けるような『非合理的な力』」を変数として、それとの対応で授業が分からなくてもおとなしくしていた生徒の「自己規制」によって成り立っていたことを証明する。と言うことは、教師自身は舞台の役者が与えられた役の衣装を纏って舞台上を動き回るように「外部からそう仕向けるような『非合理的な力』」によって与えられてい秩序に助けられて教室に立つことができていたことの証明でもある。

 これと同じことを「プロ教師の会」の代表選手の一人でもあり、その主張を本にして売れっ子作家となった河上亮一も言っている。

「学校は教育の場だから、〝力〟は必要ないというが、根強い世論である。しかし
、学校で教育が行われるためには、教師―生徒の関係、つまり教師の言うことを生徒が聞くという関係が成立していなければならない。うるさい生徒を注意して静かにならなければ、授業などできないからである。しかし先にもふれたように、この〝力〟は、親や地域社会の支持があってはじめて発揮されるもので、その後ろ盾を失ったいま、学校からこの〝力〟が消えつつあるのである。いじめをエスカレートさせないために教師の指導力を発揮させたいと思うのなら、基本的な〝力〟を教師にあたえ、それを支持しなければならないのだ」(『学校崩壊』草思社)

 言っていることは教室の秩序は「親や地域社会の支持があってはじめて発揮される」外部認知型の「力」があって成り立つもので、外部認知を失って教師は指導力を発揮できなくなった結果、「教師の言うことを生徒が聞くという関係」が損なわれ、荒れるままに任せるに至っている、と言うことだろう。

 教室の秩序に関わるこの教師対生徒の関係も外的要因を変数とする関係式にあり、諏訪哲二の「外部からそう仕向けるような『非合理的な力』」と対応する。

 偉大なプロ教師・河上亮一はその「力」について同じ著書の第3部「何のための勉強か――中学から高校へ」の中の「父性の力こそが学校を支える」、「怖い教師が必要だ」で、「大切なのは、教師の生徒に向かう姿勢である。父性的という言葉を使ったが、ひらたく言えば、あっ、この先生はお母さんとは違う、怖いというふうに思わせることなのだ。
 怖いからとりあえず黙っていなくてはいけないとか、座っていなくてはいけないということを繰り返す中で、自分を抑える力を少しずつつけるようにしなくてはいけないのだ」と言及している。

 要するに戦後の昭和30~40年代以前の封建的な怖い父親が持っていた殴りつけることで子どもを言うことを聞かせてきた「父性の力」を教師にも与えられることを望んでいて、与えられるについては封建時代を離れて民主主義の時代だから、「親や地域社会の支持」がなければ実現しないと言っているのである。

 「怖いというふうに思わせる」には、張子の虎であってはならない。言うことを聞かない生徒には必要に応じて社会的認知によって教師自身が纏うこととなる「父性の力」に実体を持たせ、本当に怖いのだと思い込ませる必要が生じる。いわば「怖いというふうに思わせる」だけでは張子の虎と化してしまうから、必要に応じて物理的強制力(=体罰)で実体化しなければならない。

 かくかように「外部からの力」を借りて諏訪は「授業が分からなくても、おとなしくしている」、河上は怖いから「教師の言うことを生徒が聞く」という生徒の「自己規制」を教室秩序構築の最善の処方箋だと訴えて止まない。要するに二人とも体罰容認派なのである。

 「あっ、この先生はお母さんとは違う、怖いというふうに思わせる」「親や地域社会の支持があってはじめて発揮される」「父性の力」(=体罰への恐怖)に支配されて「教師のいうことを生徒が聞く」自己規制、あるいは「外部からそう仕向けるような非合理的な力」に支配されて「授業が分からなくても、おとなしく席に座っている」自己規制は現在の民主主義の時代に於ける人間の存在性を考えるとき、それが許されるとするのは楽観的に過ぎないのではないだろうか。人権意識との兼ね合いで、生徒は居心地悪い場所に立たされることになる。

 確かに父親や教師といった世間の大人が怖い存在であった時代は、怖い教師に関係する場合に限って、つまり、直接怖い教師の授業を受けるか、怖くない教師でも教室の秩序を乱せばすぐに怖い教師に告げ口することから、間接的に関わることになる場合に限って、生徒は授業が分からなくても、あるいは授業が死ぬ程退屈で面白くなくても、自己規制しておとなしく席に座っていた。そして教師は授業ができる生徒だけを相手にしていた。

 だが、戦後の民主主義の時代の社会の情報も手伝った権利意識の発達は授業が分からなくても、退屈で面白くなくてもおとなしく席に座っている自己規制に不合理感を与え、その結果として権利意識の現われとしてのその反動が今日に於ける学校荒廃の様々な姿を取らせているのではないだろうか。

 権利意識が社会的に無力な姿を取るのは上が下を従わせ、下が上に従う上下関係を基本構造とした権威主義の思考様式・行動様式を古くからの民族性としている関係から、上下関係を払拭できず、その残滓を色濃く残しているために上の者も下の者に対して、下の者も上の者に対して権威主義意識に邪魔されて権利意識を正当に表現することに不得手だからだろう。

 その最も象徴的、且つ顕著な上下関係が今日の親子関係と言える。権威主義の横行が許されていた時代は親は怒鳴りさえすれば子どもに言うことを聞かせることができ、子どもは親の威嚇に自己規制しておとなしく従ったが、権利意識は高まったものの、親は子供を従わせるとする上の者の意識、子どもは親に従うとする下の意識にそれぞれ囚われて権威主義の範囲内でしか権利意識を意思表示ができない結果の混乱が殆ど口を利かない親子の会話の不在と言うことではないだろうか。

 要するに権威主義の無視できない残滓が権利意識の滑らかな発現を阻害し、上下関係の磁場でスムーズに噛み合わないコミュニケーション状況をつくり出していると言える。

 こういった関係は親と子どもの関係、あるいは教師対生徒の上下関係だけではなく、同じ権威主義を行動様式としている関係から、会社での上下関係、夫婦間の上下関係にも(対等にうまく付き合う夫婦もいるが、熟年離婚現象がその多くないことを物語っている)当然のこととして同じ色彩を与えている。

 夫が自己を上の者と位置づけ、妻を下の者に位置づけて上の者が下の者を従わせる権威主義的な意思表示を絶対として、下の者に暗黙の「自己規制」を強いる。下の位置に立たされた妻はこの関係を当たり前のものとして諦め、「授業が分からなくても、自己規制をしておとなしくしていた」かつての生徒のように権利意識を押し殺して「自己規制」を自らに強いる。

 だが、目を閉じようと耳を塞ごうと飛び込んでくる膨大なまでの社会の情報は日々個人の権利の在りようを訴えている。妻の夫に対する反乱、部下の上司に対する反乱等々の情報。あるいは夫よりも社会的に活躍して著名人化し、それなりの権威を獲得する妻の存在等の情報。あるいは離婚して家庭的に自立し、新しい仕事を見つけて自分の人生を歩み出す女性等の情報。

 だが、上の者に下の者が従う権威主義の軛に「自己規制」を強いられてきた下の者たちが権利意識にしっかりと目覚めて、正当な自己主張の姿を常に取るとは限らない。その多くは「自己規制」から逃れられず、権威主義と権利意識とのせめぎあいに疲れて「自己規制」に対する忍耐が臨界点に達したとき、ちょっとした火の気でガスが爆発するように、ちょっとした人間関係の衝突、あるいは齟齬から「自己規制」が爆発、過激、且つ突発的なキレるという形を取るのではないだろうか。

 例えば上記『朝日』記事のキレる老人の一例。<病院の床に寝転がり、手足をばたばたさせてわめき散らす年配の男性がいた、と医師が話していた。原因は順番を巡るトラブル。自己を表現する言葉を持ち合わせず、感情で訴える「赤ん坊化」した例だ。>と言葉の有無の問題だとしているが、年配に達する人生を経験しているのである、例え稚拙でも「自己を表現する言葉を持ち合わせ」ていないはずはない。「公」(おおやけ)を上に置き、「私」(わたし)を下に置く権威主義に縛られた人間は上に置いた「公」に従う下の者の「自己規制」を慣習としていることから「公」に対し言葉をよりよく発信し得ないということが起こる。例えば家では妻を怒鳴り散らしているが、会社に行くと上司には何も言えず、ペコペコ頭ばかり下げている人間はこの例に当てはまる。

 もしこの「年配の男性」が妻帯者で妻を自己と対等の位置に置く他者の権利をも尊重する人間なら、妻の言い分に耳を傾け、自分の言い分も主張して、双方の主張に程よい折り合いをつける権利意識の双方向性を慣習化していただろうから、病院で「順番を巡る」問題でも他にもいる順番待ちの患者の権利との兼ね合いで、自分の名前が呼び出されるまで待つ権威主義からのものではない「自己規制」か、あるいは緊急に診察の必要を感じたなら、その必要に応じて自己権利の主張を適当な言葉で言い表すことができたはずで、それができなかったということは少なくとも「公」の場では自己を下に置いて上に従う権威主義の抑圧があったことから起きた「自己を表現する言葉を持ち合わせ」ていないということではなかっただろうか。

 80歳の妻が「こき使われた」と75歳の夫を布団をかぶせて窒息死させようとした事件や「お前を捨ててやる」と言われたことを根に持った51歳の妻が55歳の夫を斧で殴り殺した最近の年配夫婦間、もしくは高齢夫婦間の妻による夫殺人・殺人未遂から簡単に浮かび上がってくる光景は、夫が自己を上の者の位置に置き、下の位置に立たせた妻を上の者として従わせ、妻が下の者として上の位置に立つ夫に権利意識を抑圧した「自己規制」で従ってきた権威主義的人間関係そのものであろう。

 もし権威主義的人間関係から双方共に解放されていて対等な立場から権利意識をそれ相応に満足のいく形で発散させていたなら、その過程で「自己規制」をまったく無縁のものとしたお互いに通じ合う自己主張の言葉を相互に獲得し、夫婦間の問題をその場その場で話し合っていただろうから、こき使うこともこき使われることも、「お前を捨ててやる」といった残酷な言葉を発することも、投げつけられることのなかったはずである。

 しかし逆の状況にあった。とすると、上記『朝日』記事が言っているように「社会の変化に伴って言葉の力が弱まった」と言うことではなく、権威主義的な抑圧関係が上下双方向の言葉の発信を阻害していて、そのことによる言葉の未獲得、あるいは未発達が言葉の不在となって現れているだけのことで、そのことが一見「言葉の弱まり」に見せているに過ぎないのではないか。

 アメリカ映画を観ていると、閣僚が大統領と激しく議論し、ときには衝突する。大学生が教授と激しく議論し、ときには言い合いとなる。一刑事が上司である課長や署長とまで激しく議論し、ときには罵り合いとなり、最後に「クソったれ」と悪態までつく。

 日本では一般的場面でも、映画・テレビでも見かけることのない光景である。下の者は上の者に従うことを自らの行動様式とし、上の者は下の者を従わせることを当然の人間関係としている。いわば上下は相互に一対の対応形式で人間関係を推移させているから、個の確立云々が言われ、自律(自立)云々が言われるのだろう。

 特に自己を上に置いた権威主義の行動様式を慣習としてきた人間は、相手の権利を尊重する言葉を持たないだけではなく、地域との人間関係を新たに構築する場合は上の立場に立った権威主義で対応しようとするために、簡単には溶け込めない。妻に先立たれると、権威主義的に一対の関係としてきたことが原因して、一人ではどのような行動を取ったらいいか、たちまち戸惑うこととなる。

 とすると、「一定期間、携帯やパソコン、テレビなどの情報を意識的に断つ、『情報断食』をして、生のコミュニケーションを取り戻す時間を持つ」方法はさして役に立たないように思える。地域社会に「個を支える力」がないのは、権威主義的関係にある人間同士は上下意識で相互に支え合うことができるが、そこから離れた人間は上下の力学が及ばないことによる「支える力」の不在であろう。権威主義の関係から離れた人間の方も、それを捨てて改めて上下関係の中に入ることは煩わしく、ためらう。

 携帯やパソコンといった「現代のコミュニケーションの標準からずれていく疎外感を味わ」うのは、そのことを上の者に直接嘲笑われるか、陰で小馬鹿にされているかもしれないと関係妄想する心理的圧迫からで、権威主義的人間関係から無縁の立場にいたら、「俺には俺の生き方がある」と言える。世間が「あなたは、あなたのままでいい」と言ってくれなくても、自分は自分のままでいいのだと自己を守ることができる。

 ところが自分を上に立たせた夫が最初は渋々認めていたものの、妻が外で自由に「フラダンスで活躍」され、妻だけが生き生きし出すと、自分の支配下から離れたようで「勝手に外に出歩くな」と言ったとき、家では普段から夫に従うことに慣らされていたことが原因して妻が権利意識に訴えずに「自己規制」しようものなら、その抑圧・忍耐が破れる方向に膨張していかないはずはなく、膨張が臨界点に達した場合、当然キレるという感情の爆発の形を取らない保証はない。

 「グチをきいてくれる人」がいたとしても、一時的なストレス解消方法でしかなく、自らを権威主義性から解放しないことには対症療法とはならないだろう。権威主義性から自由になったとき、例え「お年寄りを支える人間関係の輪が欠けてい」たとしても、一人でしたたかに生きていけるに違いない。


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