安倍晋三の「最高責任者は私だ」の独裁意志は小松法制局長官「安倍晋三の方針に従う」が誘引・誘導

2014-02-28 08:15:26 | Weblog


 
 籾井勝人NHK会長の発言にしても、安倍晋三の独裁意志を誘引・誘導しかねない危険性を孕んでいる。

 籾井勝人「尖閣や竹島といった領土問題は日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい。国際放送は、国内放送とは違う。領土問題については、明確に日本の立 場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」――

 例え領土問題であろうと、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」は、 無条件の従属性を意思表示するもので、ジャーナリズムに於ける報道の自由――思想・信条・表現の自由を自ら投げ捨てる行為に等しい。

 あるいはジャーナリズムとしての報道の自由のもとの権力監視の役目を自ら投げ捨てるに等しい。

 例えば、政府の領土交渉に批判的な思いを抱いたなら、固有の領土であることとは別に例え相手国に心理的な利益を与える可能性があったとしても、批判すべき点は批判すべきだろう。政府というものが領土問題で、固有の領土だ、固有の領土だとのみ言うわけではない。

 公共放送NHKの会長の領土問題に関しての「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」という態度に於ける無条件の従属性の意思表示が他の報道に反映されない保証はないし、反映された場合、あそこは何を言っても大丈夫だ、あるいはこちらの言うとおりになるからと、報道の自由等の民主主義のルールは麻痺し、逆に政府、そのトップである安倍晋三の独裁意志を誘引・誘導し、成り立たせる危険性を招くことになる。

 いわば国家権力の側からではなく、報道機関の側からの権力の独裁意志の誘引・誘導である。

 籾井NHK会長の「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」が言い表している無条件の従属性と同列性の発言を小松法制局長官が行っている。

 病気入院から退院して職務復帰した2月24日午後の記者会見である。

 小松法制局長官「内閣法制局は内閣の一部局だ。安倍晋三首相の方針に従ってやるべきことをやる」 (MSN産経)  

 この発言は2月12日の衆院予算委員会で、安倍晋三が目指している集団的自衛権の憲法解釈変更による行使容認に関して従来の政府見解との整合性を問わたときの安倍晋三の答弁に対応しものである。

 安倍晋三「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」(しんぶん赤旗

 「安倍晋三首相の方針に従ってやるべきことをやる」と安倍晋三に対して無条件の従属性の意思表示を行っている。

 小松法制局長官の2月24日午後記者会見から翌2月25日の産経新聞のインタビュー。

 小松法制局長官「憲法規範を行政に反映させるには、第一義的に内閣が責任を持って解釈をしなければいけない。その最高責任者は法制局長官ではなく首相なのは当たり前だ」(MSN産経)――

 確かにそのとおりだろう。だが、「第一義的に内閣が責任を持って解釈」する憲法規範の行政への反映だとしても、その妥当性・正当性 を審議・チェックするのが内閣法制局の役目であり、その責任者は小松法制局長官であって、憲法規範の行政への反映が政府に無条件の可能性として与えられているわけではないはずだ。

 無条件の可能性として与えられているなら、内閣法制局は不要な行政機関となり、当然、その責任者も不要な存在となる。

 にも関わらず、憲法規範の行政への反映が無条件の可能性として安倍晋三に与えられているかのように発言しているところに安倍晋三に対する無条件の従属性の提示がある。

 いや、小松法制局長官は安倍晋三と同じ穴のムジナであって、 元々集団的自衛権憲法解釈行使容認派であり、安倍晋三は行使容認派の小松一郎を法制局長官に任命することで、憲法解釈行使容認を容易たらしめようとしたに過ぎないから、無条件の従属性と言うよりも、無条件の同調性と言った方がより正確な表現となるかもしれない。

 だが、小松法制局長官がいずれの姿勢を取っていたとしても、集団的自衛権の憲法解釈に関わる内閣法制局、並びに法制局長官としての役目を外した場合、安倍晋三は元々 国家主義的独裁意志を血肉としているからこそ、安倍晋三の独裁意志を強める形で誘引・誘導しない保証はない。

 いや、小松法制局長官が安倍晋三に対して議論・チェックを無効にしていること自体が安倍晋三の側の独裁意志の存在を証拠立てる。

 元内閣参事官・嘉悦大教授の高橋洋一氏が《首相発言は「立憲主義否定」か 内閣法制局に「憲法解釈権」なし》ZAKZAK/2014.02.19)という記事で、内閣法制局の所掌事務を書いている。 

 (1)閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること
 (2)法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること
 (3)法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること
 (4)内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと

 記事題名は、〈内閣法制局に「憲法解釈権」なし〉となっているが、憲法も法律の一つである以上、無条件の従属性や無条件の同調性を示していい役目とはなっていない。

 安倍晋三が集団的自衛権憲法解釈行使容認派の小松一郎を法制局長官に任命したこと自体が既に自身の独裁意志を可能とする行使容認に向けたヤラセ人事と言うことさえできる。

 問題は議論・チェックする場に於いて民主主義のルールが十二分に機能してメンバーそれぞれの意見一致か、賛成意思からの同調であって、それが多数を占めたということなら問題はないが、強い立場の上の地位ある者に対する恐れからの同調であった場合、最も避けなければならないことだが、小松法制局長官の安倍晋三に対する無条件の従属性、あるいは無条件の同調性のメンバー全体に対する波及、支配を意味することになる。

 このような構図は籾井NHK会長がNHK理事10人全員に日付空欄で署名捺印させた辞表の提出を求めて、10人が10人共、 堤出に無条件に応じた民主主義のルールに反する従属性・同調性の理事全体に対する波及と支配と同列の構図を示すことになる。

この構図がNHKの報道全体に、あるいはNHK報道の部分部分に波及し、支配しない保証はない。
 
 小松法制局長官が2月26日の衆院予算委員会分科会で発言している。《集団的自衛権行使 憲法解釈変更で容認可能か検討》NHK NEWS WEB/2014年2月27日 4時32分) 

 小松法制局長官「(集団的自衛権の憲法解釈行使容認は)まず閣議決定を行い、政府としての考え方を確定したうえで、具体的に立法措置を国会に求めるのに先立って、国会でご議論いただくという安倍総理大臣の考えは、なるべく丁寧なやり方で物事を進めたいという考え方に基づくものと理解している。

 従来の憲法9条に関する政府の立場は1つの体系をなしており、解釈の変更に限界があるなかで、変更することができるのか、できないのか検討する必要がある。現在、(内閣法制局で)内々に検討、議論している。

 憲法解釈の変更は、『真に変更することが至当 である』という結論にならなければできない。あらゆる角度から検討しているところであり、結果を予断するわけにはいかない」

 辻元清美(らしい)「総理大臣が変わるたびに憲法解釈を変えることはできるのか」

 小松法制局長官「厳しい制約の中でそれはあり得る。法制局は組織として動いていて、局内で議論を積み重ねているが、最終的には私の責任において判断するということだ」

 如何にも民主主義のルールのもと、いわば無条件の従属性、あるいは無条件の同調性を排して厳正な議論・チェックを粛々と進めているかのような発言となっているが、法制局長官として負っている役割に対する国会答弁上の型通りの公式見解に過ぎないことは、この国会発言と2月24日午後の記者会見や翌2月25日の産経新聞のインタビューでの発言が一致していないことが証明している。  

 一致して初めて型通りの公式見解であることから免れることができて、議論・チェックの意志を確認できる。

 逆に一致していないということは前者の発言に現れている安倍晋三に対する無条件の従属性・同調性をこそホンネの意志としているということであって、安倍晋三はツーカーの関係でそのことを前以て承知していて、その反映として「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」という強気の発言を口から飛び出させることになったはずだ。

 改めて言う。小松法制局長官の長官就任前からの集団的自衛権憲法解釈行使容認に関わる安倍晋三に対する無条件の従属性・無条件の同調性が誘引・誘導することとなった安倍晋三の「最高責任者は私だ」の独裁意志と言うことができる。

 当然、立憲主義も何もあったものではないことになる。

 勿論、この独裁意志が集団的自衛権憲法解釈行使容認以外に波及、他の政策をも支配しない保証も、これまたない。何しろ国家主義者である。


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