――すべては政治がしっかりしているかどうかにかかっている――
選挙だから、マニフェストの冒頭の挨拶で、「『責任ある政治』、『信頼できる政治』、『安定した政治』を、早急に取り戻さなければなりません」と約束し、政策に関しては、「何々します」、「何々します」と約束の大盤振舞いをしているが、安倍晋三自身の人間性の本質は国民よりも国家を優先させる国家主義者であって、当然、この国民よりも国家優先の思想は今後も安倍政治に反映することになる。
安倍晋三は自著『この国を守る決意』に、「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」
この言葉に安倍晋三が国家主義者であることが集約されている。
同じ安倍著『美しい国へ』にも特攻隊を美化した箇所に同趣旨の表現が存在する。
「国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦に向かい何を思い、何といって、散っていったのだろうか。かれらの気持を次のように語る人は多い。
《かれらは、この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた。愛しきもののために――それは、父母であり、兄弟姉妹であり、友人であり、恋人であった。そしてその愛しきものが住まう、日本であり、郷土であった。彼らはそれを守るために出撃していったのだ》
私もそう思う。だが他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠にしようとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。彼らは「公」の場で発する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつ、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。
今日の豊かな日本は、彼らが捧げた尊い命の上に成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきたのだろうか。国家のために進んで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。
たしかに自分の命は大切なものである。しかし、ときにはそれを投げ打っても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。〉・・・・・・
薄っぺらで浅はかなご都合主義に全編彩られている。
「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」という言葉にしても、「彼らは『公』の場で発する言葉と、『私』の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつ、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである」という言葉にしても、「今日の豊かな日本は、彼らが捧げた尊い命の上に成り立っている」という言葉にしても、「自分の命は大切なものである。しかし、ときにはそれを投げ打っても守るべき価値が存在する」という言葉にしても、国民を国家に従属させて、国家を国民よりも優先させる国家主義の思想を背景として語っている。
確かに戦前、命を投げ打った兵士はたくさんいた。特攻隊兵士のみならず、大日本帝国軍隊兵士も加えなければならないだろう。ガダルカナル島攻防戦で、東部ニューギニア戦線で、ミッドウェー海戦で、硫黄島の戦いで、沖縄戦で、その他等々で、230万人(旧厚生省発表)の兵士・軍属が命を投げ打った。
外地一般邦人約30万人、空襲等の国内戦災死者約50万人にしても、国に命を投げ打たされたようなものだろう。
だが、「命を投げ打った」と言えば、聞こえはよいが、実際には230万人の軍人・軍属の命の投げ打ちを以てしても国を守ることはできなかったのである。
一般国民80万人の犠牲を以てしても、国を守ることはできなかった。
軍人や軍属、一般国民を国を守る役割対象とする(「道具とする」言った方が適切な表現となるかもしれない)こと自体が国家主義の思想そのもので、ここに安倍晋三という政治家の頭の程度と本質が現れている。
国家を守る役割対象は国家権力(=国の政治)であるはずである。国家権力(=国の政治)が国家の構成要素である主権・領土・国民を守る役割を担わされている。勿論、そのためには国民の協力が必要となる。
だが、国をどう守るか、何を以て守るかは国家権力(=国の政治)が決めることである。どういう方向性の政治を選択し、どういう戦略・戦術の外交を使い、国の富(=経済)をどう築いて国民生活を豊かにし、国力のバックアップとするのか、戦前に於いても戦後に於いても国家権力(=国の政治)にかかっているはずである。
特に戦後は全面的に国民の負託を受けるという手続きを経ている。
戦前の国家権力(=国の政治)の場合、同じく国家を守る役割を担わされていながら、その国家(=主権・領土・国民)を守ることができなかった。その最たる原因は国の政治が軍部のコントロールを受けるようになり、軍部の暴走を許すことになったからだろう。
このことは国を守るには政治がしっかりしているかどうかにかかっていることを何よりも証明している。現在の活力が低迷した日本の国力にしても政治のだらしのなさ・低迷がそのまま反映して国を守ることができなくなっている一つの完成図であるはずである。
安部晋三は特攻隊兵士が突撃に当たって「この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた」と的外れなことを書いているが、日本が平和で豊かな国になるもならないも偏に政治にかかっているであって、兵士の行動は間接的には国の政治、直接的には当時の政治をコントロールしていた軍部に従った行動に過ぎない。
また、現在の政治家は「国民の生命・財産を守る」とよく口にするが、このような発言も国の政治が国を守る役割を担わされていることの間接的表現であるはずである。
当然、政治を国を守る役割対象に規定すべきを安倍晋三は、国家優先・国民従属の国家主義者らしいと言えば国家主義者らしいと言えるのだが、「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」などと時代錯誤にも国民を国を守る役割対象に位置づけようとしている。
安倍晋三は自衛隊を国防軍に組織替えして、国民を一人でも多くそこにぶち込み、国を守る役割を担わせようとしているが、国を守るのは第一義的にはあくまでも国の政治であって、政治がしっかりしていなければ、戦前のように多くの兵士が国を守るどころか、精神論だけで成り立たせた愚かしい政治と軍部の犠牲となって犬死を押し付けられることになる。
国を守る役割対象を国民に置くのか、国の政治に置くのか、安倍晋三はこういったごく当たり前のことも理解できない。このような頭の程度、その認識能力からして、どの程度の政治ができるか、推して知るべし。
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