――見事な、いや、見事過ぎる発信力を発揮した事例が2つある――
《首相 国民への発信に努力を》(NHK/10年12月4日 18時49分)
臨時国会が一昨日3日(2010年12月)に終了、国会質疑の針のムシロから解放された安堵感からか、低支持率の深刻な状況も忘れたにこやかな顔で昨4日、千葉県の農業組合法人の施設とかを訪問、特殊な製法で糖度を高めめることに成功したという小ぶりのトマトを試食、頬張って見せ、日本の農業の競争力強化に向けた取り組みとして農業に従事する若者の育成支援の考えを示したという。
菅首相「なかなかにぎやかな6か月だったが、私としては、かなりいろいろなことが前に進んだと考えている。日本とアメリカの間でいわゆるオープンスカイ協定が結ばれたし、インドやペルーとの間でEPA=経済連携協定の締結で合意できた。さらには、ベトナムでの原子力発電所の建設を受注し、レアアースの共同開発も合意した。待機児童ゼロに向けた取り組みもかなりのことが進んでいると思う」
菅首相「ただ、現在進んでいることや、進める準備をしていることを国民の皆さんに伝える発信力が足りなかったかなと考えている。『もう少し肉声で語れ』などといろいろと言われているので、今後は、いろいろな機会に国民の皆さんに積極的に私の考え方を伝えていきたい」
既にここで大いなる勘違いを犯している。日本の農業の第一番の問題点は高齢化、耕作地放棄が最も集中している分野である米作等の穀物栽培にあるはずである。
平成22年11月5日農林水産省公表の「農業経営統計調査・平成21年個別経営の営農類型別経営統計(経営収支)」によると、平成21年の水田作経営(全国)の1経営体当たり農業粗収益は210万円、前年比1.7%減少、農業経営費175万円、0.6%増加、差引き農業所得は35万円、12.0%減少となっている(都府県は33万円で8.7%の増加、北海道は386万円で7.3%の増加)状況に対して菅首相が訪問した千葉県の農業組合法人のような平成21年の施設野菜作経営(全国)の1経営体当たり農業粗収益は1,022万円、前年比2.0%増加、農業経営費640万円、0.5%増、差引き農業所得は382万円、4.7%増加となっている。
1経営体当たり施設野菜作経営農業粗利益1,022万円-1経営体当たり水田作経営農業粗収益210万円=812万円
1経営体当たり施設野菜作経営農業農業所得382万円-1経営体当たり水田作経営農業粗収益35万=347万円
施設野菜作経営でも大中規模経営と小零細規模経営との格差があるだろうから、菅首相が訪問した千葉県の農業組合法人と跡継ぎもなく過疎地高齢農家の少人数家族経営の施設野菜作経営とでは収入の違いは大きいはずで、大中規模経営では1000万やそれ以上の所得を上げていると考えることができる。
いわば野菜経営と米作とでは農業に於ける光と影の関係と形容できる。影の分野を訪問してその影を取り払う理念ある具体的方策を語るべきがより光が射している分野を訪問して全体的な進むべき将来的方向を語るならまだしも、若者の育成といった個別的問題で全体を取り繕う楽な道を選んでいる。
しかも水田作経営の所得が減少しているのに対して施設野菜作経営の所得は増加を示している。このことは現在の状況のままでの将来性を示している増減でもあろうから、施設野菜作経営に関しては何も首相訪問という要素を特別に加えなくても経営が成り立つ分野とも言える。
このようなミスマッチを犯すのは発信力を単細胞にも殊更に国民の目に見える場所に立って発言すること、いわば“肉声で語る”ことと把えているからだろう。効果的発信となると、将来性の点でより明るい場所が得点を稼ぎやすい。結果的に千葉県の農業組合法人を訪問し、小ぶりのトマトを頬張った姿をテレビカメラに映させて、「国民の皆さんに伝える発信力が足りなかったかなと考えている」などとトンチンカンなことを言うことになる。
菅首相は野党時代から、いやそれ以前の自民党時代から、特に厚生相の時代、言葉、政策、その全体的存在性を常に発信してきた。新聞、テレビ、雑誌、特に現在ではインターネットを通じて国民はその発信を受け、良し悪しの評価を下してきた。いわば常に国民の目に見える場所に立っていたのである。国会質疑に於ける答弁、首相官邸での記者会見、選挙のときの遊説、外国訪問時、あるいは国内訪問時の現地での記者会見等々、常に発信し、その発信を国民は受け止めてきた。決して「発信力が足りなかった」わけではない。
だが、首相の発信を受けた国民の首相に対する現在の評価は内閣支持率で30%を切っている。それは発信力が単に国民の目に見える場所に立って目に見える形で発言することではなく、政策や諸問題に対する的確・迅速な対応こそが有効・有力な発信力となり得るからであって、的確・迅速な対応が全般的に国民の目に届いていないことの反映値としてある現在の内閣支持率であるはずである。
特に国民は尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件での領土問題とそれ以後の対中外交姿勢、さらにメドベージェフロシア大統領の国後島訪問に端を発した対ロ外交姿勢に関して的確・迅速な対応を自らの発信力とし得なかったことが響いた世論調査の結果値であろう。
肝心要の領土問題等の国益に特に重要な場面場面で、あるいは消費税増税問題や子ども手当の支給方法、朝鮮学校の無償化問題といった国民生活に特に重要な場面場面で内閣総理大臣としての的確・迅速な対応を演じることができなかったことをこそ省みるべきを、そのことは棚に上げて、「なかなかにぎやかな6か月だった」と自らの任期を振り返る批評感覚は的確・迅速な対応という観点に鈍感だから発揮できる批評と言わざるを得ない。
あるいは「農業の再生と開国の両立」を盛んに言うが、単にスローガンとしているだけで、具体的にどういう道筋を取って両立の姿を取るのかの将来図を未だ国民に示していない状況、あるいは「熟議の国会」と自分で言い出したのだから、自らの政治指導力で実現を果たすべきを臨時国会の開催中は何ら実現することができずスローガンのままとしている無残な結末にしても、的確・迅速な対応を自らの政治姿勢の要諦としていないということにとどまらず、その結果としてそのような姿を取り得ていなかったことの証明であろう。
こういった肝心なことを他処に置いて、オープンスカイ協定、インドやペルーとの間でEPA=経済連携協定の締結合意、ベトナムとの間の原子力発電所建設受注とレアアースの共同開発合意等、内閣の責任者である菅首相の的確・迅速な対応を特に必要とする範疇には入らない政策課題を取り上げて、「かなりいろいろなことが前に進んだ」とする自己評価、ある自画自賛する姿勢にも首相の発信力がどこに発揮されるべきかを何ら理解していないことを示している。
最後に挙げた進展しているとしている待機児童ゼロに向けた取り組みは特に的確・迅速な対応を必要とする政策ではあるが、順調な進展とは程遠い、未だ道半ばの課題となっていて、決して的確・迅速な対応を取ったことにはならないはずで、国民に対して強力な発信力につながる問題とはなっていないにも関わらず、自身の内閣の成果の一つに入れることも偉大にして愚かな勘違いとすることができる。
発信力が的確・迅速な対応を取ることによって示し得る能力であるなら、的確・迅速な対応を取れなかった場合はマイナスの発信力となる。
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件での領土問題とそれ以後の対中外交姿勢、さらにメドベージェフロシア大統領の国後島訪問に端を発した対ロ外交姿勢に関しては菅首相は国民の目に見事なまでの発信力を示したのである。これが見事な、いや、見事過ぎる発信力を発揮した2つの事例である。但し国民の目にはマイナスと映る発信力であった。
いわば「発信力が足りなかった」と言っているが、実際は十分過ぎる発信力を常に発揮してきた。その結果としての世論調査に現れた内閣支持率である。本人の偉大にして愚かな勘違いから、「発信力が足りなかった」と思い込んでいるに過ぎない。
このようにも合理的判断能力を全く欠いた政治家を我々は日本の首相としている。 |
それぞれの言語には、固有の特色がある。
日本語には、時制がない。それで、未来時制もない。
日本人には未来のことが鮮明には考えられない。構文がないので常に未来の内容は混乱している。
結論も決断も下すことができない。
決断を慎重にするためではなくて、不鮮明で結論が得られないためである。
自分から考えることもできず、他人から伝えられることもない。
未来の内容そのものが、社会に存在しない為である。
未来の内容が脳裏に展開できないので、不安になる。
政治家も一般国民も理想社会の予測が立たない。
政治指導者の指導もない。
金の切れ目が、縁の切れ目としか信じられない。
人は信じられない。金を信じるしかない。
1500兆円の個人金融資産も社会資産となることなく宝の持ち腐れになっている。
金はあっても保育所には入れてもらえないようなものである。
英語の時制は、現実と非現実の内容を分けて考える作業に役立っている。
この作業は、英米の高等教育の課程で行なわれている。
現在時制の内容は現実であり、未来時制の内容は非現実である。
非現実の内容がなければ、人は無哲学・能天気になる。
神の意思に導かれることもなく、政治指導者の構想に導かれることもない。
大人になっても12歳の子供の精神状態にとどまる。
目先・手先にまつわる事柄ばかりを考えて生活することになる。
構想がなければ、備えあれば憂いなしとはゆかない。危機管理は、難しい。
一旦、問題が起これば、無為無策で閉塞感を味わう。
そのうち、何とかなるだろう。と見守る。
何とかならないのであれば、諦観に入る。
ああ、この世はむなしい。と漏らす。
こうした繰り返しが日本人の一生である。
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