李明博韓国大統領の天皇の「お言葉」の勘違いと日本の誤った反応

2012-08-23 10:54:25 | Weblog

 ――韓国が日本の歴史問題を解決したいなら、日本人自身による戦争総括とその公式文書化を求めるべきだろう。総括の正当性・妥当性は世界の検証を受けることになる――

 その正当性・妥当性の程度に応じて、歴史に向き合う日本人の真摯さ、その知性・教養が計られることになる。

 8月10日(2012年)に竹島(韓国名・独島=トクト)を訪問した李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が日本の植民地支配からの独立記念日の8月15日の前日8月14日、忠清北道(チュンチョンブクト)の大学で天皇の訪韓に関して次のように発言したことが報道された。

 《被害者は忘れず、ただ許すだけ…李大統領》YOMIURI ONLINE/2012年8月15日22時33分)

 全文引用。

 李明博韓国大統領「(竹島上陸は)2、3年前から考えていたことだ。思いつきでしたことではなく、深く配慮し、(日本の反発などの)副作用がありうる点も(検討した)。
 日本は今や世界最高の国家ではないか。中国が大きくなったと言うが、中身を見れば日本は(世界)第2の強国だ。我々とはるかな差がある。科学技術、社会システムなどいろいろ……。(日本は)加害者と被害者の立場をよく理解していないので、(私が)目を覚まさせようとしている。

 私は、日本には(国賓としては)行っていない。シャトル外交はするが。日本の国会で私の思うままにしたい話をさせてくれるなら、(国賓訪問を)しよう。(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何か月も悩んで『痛惜の念』などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない。

 私は2年前に訪日し、テレビ局で100人の学生らと生放送で質疑応答した。若者が『大統領は未来志向で行くと言って過去より未来に向かっていくと言うのだが、過去を全て忘れるということか』と尋ねた。私は実際にあった話をした。

 小学生だった頃、暴力的な子がいて私をよくいじめた。その子のせいで学校に行くのが嫌だった。ひどく殴られた。小学校を卒業してから40~50年たったある集まりに、この友人が来た。この友人は(自分との再会を)どれほど喜んだことか。これは私がソウル市長時代の話なのだが、私の名前を呼びながら近づいて来たので、『あいつ、俺をいじめたやつだ』との考えが頭をよぎった。この話を(若者に)した。

 加害者は忘れることができるが、被害者は忘れず、ただ許すだけだ。忘れはしない。日本の加害行為は、許すことができるかわからないが、忘れることはないと話した。うまく答えたのではないか。

 日本とは多くのことで協力していかなければならない。ただ、問いただすべきことは、ただしていかなければならない」(ソウル 中川孝之)――

 発言の趣旨は戦争被害者と戦争加害者の歴史認識の違いに対する不満となっている。

 日本のマスコミは主として、「(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何か月も悩んで「痛惜の念」などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない」の発言部分のみを取り上げ、そこに焦点を当てている。 

 李明博大統領は勘違いしている。天皇の「お言葉」は天皇自身による作成によるものではなく、内閣が作成した言葉を天皇の「お言葉」としてアナウンスするに過ぎない。

 このことは多くが承知していることであろう。天皇の役割に対する日本国憲法の規定がそうさせている。 

 先ず、「日本国憲法第1章天皇第4条 天皇の機能」は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定している。

 天皇による政治的行為の禁止である。

 さらに、「日本国憲法第1章天皇第3条 天皇の国事行為に対する責任」は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定している。

 いわば外国訪問という天皇の国事行為に於いて、「お言葉」を含めた「すべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」こととしているために、内閣が作成した「お言葉」を天皇が自身の言葉としてアナウンスするという奇妙なことが起こる。

 問題は天皇が戦前の日本の戦争に関わった特定の外国を訪問して日本の過去の歴史が外国に与えた影響を謝罪を含めて発言することは、そのこと自体が両国関係だけではなく、他の戦争関係国にも影響を与えることであるゆえに極めて政治的行為に当たるはずだが、それを政治的行為に当たらない国事行為だと括っているところにあるはずである。

 要するに日本の政治行為者は自分たちが作った言葉を天皇の言葉としてアナウンスさせることで、かつての戦争関係国との友好関係を維持する政治利用を天皇に課してきた。

 例え外国訪問時の「お言葉」であっても、国内統治に深く関わる言葉でもあるゆえに外交関係のみならず、国家統治に対する政治利用でもある。

 ここに現在に於ける天皇の日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるオモテの顔と政治利用に関わる実際には天皇に政治的な権限は何もないウラの顔の権力の二重構造(=権力の二重性)を見ることができる。あるいは現実の為政者は天皇の権力に二重性を持たせている。

 この政治利用をかつての中曽根康弘首相が露骨に自慢、自ら暴露している。以前ブログに利用したが、1984年(昭和59年)に全斗煥韓国大統領が来日した際の昭和天皇の「お言葉」作成に関してである。

 《84年の昭和天皇「お言葉」 中曽根氏が決断》朝日新聞/1990年5月22日)

 5月21日午後、都内の事務所で記者団と懇談。〈1984年(昭和59年)に韓国の全斗煥大統領(当時)が来日した際に昭和天皇がお述べになった「今世紀の一時期に於いて(日韓)両国の間に不幸が存在したことは誠に遺憾」とする「お言葉」は政府部内で検討を重ねた上で最終的には、首相だった中曽根氏自身の決断で決まったものであることを明らかにした。〉という。

 昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々な議論があり、このため首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められた。

 中曽根首相「全大統領は政治生命をかけて日本にやってくる。大統領が(ソウルの)金浦空港に帰ったとき、韓国国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進の上で、キーポイントだ。ついては私に一任させてほしい」

 いわば昭和天皇が84年9月6日、皇居開催の歓迎夕食会の席上で述べた「お言葉」は過去の「お言葉」を参考にしたものの、肝心要の部分は最終的には中曽根康弘作成によるものだったと自慢、お言葉の正体が政治利用であることを暴露した。

 例え天皇自身が心から痛惜の念を抱いて内閣作成の「お言葉」をアナウンスしようとも、あくまでも天皇自身による言葉ではないことと、「痛惜の念」だとか、「両国の関係の永きに亘る歴史に於いて多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」とか、各国が受けた実際の戦争被害の悲惨さから比べたなら当り障りのない常套句を用いて日本の失点とならないよう配慮した作成となっているから、何らかの心理的な乖離が生じないでは済まないはずだ。

 心理的な乖離を何も感じなかったとしたら、他人の言葉を機械的な抑揚をつけて喋るロボットそのものと化していることになる。 

 このような政治利用のカラクリがある以上、李明博大統領が天皇に対して心からの謝罪を求めたり、「何か月も悩んで『痛惜の念』などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない」などと言うのは無理な要求であり、天皇の政治利用を政治利用と思わない勘違いとしか言い様がない。

 天皇の「お言葉」が内閣作成である以上、歴史認識上その言葉に不満があるなら、内閣に抗議を申し込むべきだが、李明博韓国大統領の発言は直接天皇に向けたもので、この点でも勘違いしていると言える。

 尤もいくら内閣に抗議をしようとも、憲法の制約上、天皇の「お言葉」が天皇の言葉となることはないはずだ。憲法を改正しない限り。

 李明博大統領の発言に対する日本側の反応を見てみる。

 藤村官房長官「わが国政府から、韓国政府に対し、天皇陛下の韓国ご訪問を取り上げたことはない。

 そうしたなか、イ・ミョンバク大統領がきのうのような発言をしたのは理解に苦しむことであり、極めて遺憾だ。韓国側には強く抗議している」と述べました。

 日韓両国は、きょうまで難しい問題があっても大局的な観点から冷静に対応するよう努めてきた。そうしたなか、韓国側が非建設的な発言をすることは、国際社会において韓国自身のためにもならないと考えている」(NHK NEWS WEB

 安倍晋三「常軌を逸している。そもそも天皇陛下が訪韓される環境がない中にあって、大統領の発言はあまりにも礼を失している」(YOMIURI ONLINE

 安倍晋三「一国のリーダーの資格そのものに疑いを持たざるをえない。天皇陛下の権威は日本国の権威だ。それを汚すような発言は許すことができない。

 政府も強く抗議をして、何らかの処置をすべきだ」
 
 古賀誠「遺憾の一語につきる。大統領の発言で日韓関係が良い方向に向くとは到底思えない。むしろ悪い方に逆行していく」

 山口公明党代表「この時期にどうしてああいう発言をされるのか非常に驚いている。2国間の関係の大きな基礎が揺るがないような双方の努力が必要だ」(以上MSN産経

 李明博大統領の被害者と加害者の歴史認識の違いについての発言の正当性・妥当性の面から把えて批判を加えるのではなく、天皇に関わる発言のみを俎上にして批判を加える謝った反応を示している。

 尤も誤った反応しかできないだろう。実質的には天皇の「お言葉」ではなく、時の内閣作成の言葉だから。いくら言葉で「不幸な一時期」と言おうと、「痛惜の念」と言おうと、政治家自らが作った言葉でありながら、歴史認識上、言行不一致の姿を曝したのでは加害国を満足させることはあるまい。

 従軍慰安婦の日本軍の強制的関与を認めた河野談話の撤回を求める動きもある。もし撤回が日の目を見ることになった場合、
金大中元韓国大統領が訪日時、「20世紀に起きたことは全て20世紀に終わらせよるために一度文書で過去について謝罪してくれれば、韓国政府としては二度と問題にしない」と言いながら、再度問題にしていると批判していることの日本側の二の舞となる。

 最初に書いたように、韓国が日本の歴史問題を解決したいなら、日本人自身による戦争総括とその公式文書化を求めるべきだろう。総括の正当性・妥当性は世界の検証を受けることになる。

 その正当性・妥当性の程度に応じて、歴史に向き合う日本人の真摯さ、その知性・教養が計られることになる。


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