10月30日(2011年)放送、第399回目の放送――「たかじんのそこまで言って委員会 400回目前記念!8年間の名珍場面大放出SP」で過去放送の「歴代視聴率ランキング」トップテンから話題となったシーンを切り抜いて放送していた。
その中の2006年9月10日放送で評論家の一旦は絶滅したと思われていたが、どっこい生きていたシーラカンスといった風情の三宅久之が女性天皇反対論をぶっていた。
その主張の正当性を探って見る。
皇太子妃雅子が愛子を出産したのは2001年12月1日。その後周囲が男子出産を心待ちしていたが、妊娠の兆候がない。小泉純一郎元首相が男子出産がない場合の女性天皇・女系天皇の可能性を探るべく、2004年12月27日に私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を立ち上げ、2005年1月より会合を開催、同2005年11月24日は皇位継承について女性天皇・女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出。
そして皇太子妃雅子の男子出産を見ないまま、秋篠宮妃紀子が2006年9月6日に皇太子、秋篠宮に続いて皇位継承第3位となる待望の男子悠仁(ひさひと)を出産。男系に拘る保守派の天皇主義者たちを一安堵させたばかりか、女性天皇・女系天皇の容認に向けた皇室典範改正の動きも声もピタッと止んでしまった。
このような時代背景を見せていた頃、番組が取り上げたテーマが「悠仁御誕生で皇室典範は?」であり、そのテーマに対するシーラカンス三宅久之の女系・女性天皇反対の主張である。テーマ提出者は皇室史、その他を専門としている所功京都産業大学法学部教授。
最初の発言者はデーブ・スペクター。「改正すべき」派。「いつまでも相撲の土俵のようではダメ!」と書き入れている。
デーブ・スペクター「だって、今はですね、当然男系の方が問題ないし、あの、伝統という意味では、無難で、あの、それは確かにいい面があると思うんですよ。可能だったらね。
ただ、愛育病院(悠仁出産の病院。愛子出産は宮内庁病院)、見てくださいよ。もう最新の世界レベルの病院で、お子さんと一緒に抱っこしたり、同じ部屋入れたり、外国人の患者も一杯いるし、もう最先端いっているし、やろうとしていることは非常に今の時代じゃない。つまり――」
三宅久之「(怒って)君は何を言おうとしてるんだね?」
要するにデープ・スペクターは病院を例に取って科学技術が進歩した今の時代に男系だ、女系だと騒いでいるのは時代遅れでふさわしくないと言いたかったのだろう。
デープ・スペクター「欲張っていることを言っている」
三宅久之「皇室典範を改正すべきか、すべきでないかなんかと愛育病院と関係があるんだということと――」
デーブ・スペクター「それは僕の話が理解できないだけなんです。今言おうとしている話」
三宅久之「バカな話、理解できない。人の話・・・・、黙ってろ」
デーブ・スペクター「だって、あのね、女性が今40年、女の子ばっかり生まれてるんじゃないですか(男子皇族が40年誕生していないこと)。それでね、雅子さまが産めないからと責められてるんだけど、実際に男の子にするのは男の側なんですよ。つまり父親側なんですよ。なのに雅子さまはハーバード行ったせいかしらないけれども、こんなにバッシングされてるわけですよ。今は女性たち一杯来てるんだけど、恐らく非常に不愉快に思っていると思おうんですよ。つまり今の道義――」
所々意味不明。
三宅久之「道義じゃないです」
デーブ・スペクター「あなたは平安時代の人だから、分かんないですよ。今は男女同権ですよ。男女同権――」
三宅久之(前を向いたまま腕を組んで怒り声)「男女同権と天皇制と何の関係があるんだ?」
ここで所功氏が登場
所功「悠仁さまが生まれたことで、政治家の無定見・無責任と言いますか、一つの形として法案を出すところまでいきましたのに、(秋篠宮妃紀子の)お目出度報道以来、さっと引いたのみならず、今回非常に驚きましたのは、もうこれで40年安心だとか、万年解決したと言っている人がありました。
ただ今から約50年前、自民党の憲法調査会的なところで作った憲法草案がありまして、それを見ますと、皇室典範を改正し、女性天皇を認めるものとするという案が既にできてるんですよ。
そういう意味でもう50年前に真剣に議論し、解決しておくべきことを今日まで先送りしていて、更にこの先30年先送りしようというのは無責任と言うほかないと思います」
三宅久之「視聴者の皆さん(と見学者に話しかける。)、お分かりだと思うけど、愛子さまが天皇になられるとですね、愛子さまは必ず結婚されるわけですよ。
ね、その時、今のままいくとですね、それは今度は皇配(こうはい)陛下って言うだろうけど、皇配陛下っていうお婿さんをどこかか探してくるかして外国から輸入してくるわけにはいきません。やっぱ国産で、やっぱ賄わなければならない。
そうなるとですね、渡辺君とか金子君とかね、何とか君となるわけですよ、ね。そうするとですね、その段階から、じゃあ、田中天皇になる。我々の受け取り方はね。
そのお子さんは今度は渡辺君なら、渡辺天皇になっちゃう。つまり皇統譜(こうとうふ)というものがどんどん小さくなちゃって、天皇家の存在が一般庶民というかな、そうなってくるわけですよ。そういうときにね、今までと同じような感じで天皇家というものを見ていられるのか――」
辛坊キャスター「そこで言うと、女系を容認している倉田さん(漫画家の倉田真由美)なんですけど、現実問題としてイメージしていただきたいんですが、愛子さまがデープの男の息子と結婚すると、ね、そこにさらにこどもが生まれて――」
三宅久之「いくら何でも生まれないだろう」(笑いが起こる)
当時の録画再生はここまでで、女性天皇問題とは無関係な、放送400回目を迎えるに当たっての三宅久之の感想が入る。
三宅久之が言わんとしていることは、皇室典範改正によって容認された女性天皇が一般人と結婚して子どもを設けた場合、それが男子であろうと女子であろうと、さらに一般人と結婚して出産ししていく過程で、「皇統譜」という言葉を使っているが、要するに天皇家の血が薄まっていって、一般人の血に限りなく近づいていき、天皇家の存在自体が一般人の存在と変わらなくなる。
「今までと同じような感じで天皇家というものを見ていいられるのか」と有難味が減ずることを心配している。
しかし三宅久之のこの主張は天皇家の血を最上に置き、一般国民の血を遥か下に置いてそこに上下優劣の差をつけた権威主義からの血への信仰である。血、血統、血族を人間の優秀性を計る価値観としている。
血を基準とした人間価値観である。
だから、女性天皇の結婚相手として、渡辺君や金子君や田中君が許せない。デーブの息子と結婚するなどとはとても認めることはできない。たちあがれ日本の平沼赳夫が「愛子さまが天皇になることになって、海外留学して青い目の外人ボーイフレンドと結婚すれば、その子供が将来の天皇になる。そんなことは許されない」と言ったのは悠仁が生まれる約半年前のことであるが、三宅久之と同様にやはり天皇家の優秀な血が汚されることへの忌避感の表れからの発言であろう。
だがである。人間の価値を決するのは血ではなく、信頼を得ることができるかどうかの人柄・人格を価値尺度とするはずである。日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇に関しては、その象徴という意味に於いて特に信頼を超えた敬愛という価値観を以てして価値づけられるべき存在であるはずである。
だが、多くの日本人が天皇家の血を基本として、その上に人柄・人格を対象とした敬愛を築いて、それを以て血抜きに人柄・人格を対象とした敬愛だと錯覚している。
錯覚しているからこそ、三宅久之のように最終的には血を問題とする。
このことが間違っていることは皇族の血は一切受け継がず、三宅久之が天皇家の血の遥か下に置いている平民の出である美智子皇后の存在が何よりも実体性を備えた証明とすることができる。
彼女は血によって自身を表現しているわけではない。今上天皇に於いても同じであろう。 |