宮台「何が分かりにくいと言うことはね、僕なりに噛み砕いて申しますね。あのー、例えば、そのー、土地におカネを、おカネを土地に代える、持つとか。あるいは預金担保融資という形でおカネを借りて使うとかっていうのは、例えば、これはロンダリングではないか。出所を隠すために、あるいは綺麗なカネにするための仕組みじゃないか、みたいなね、疑問というのは、それは、それが合法であれ何であれ、存在することは事実です。
で、先ずそういう問題、先ずどういうことかって言うと、あのー、おカネを使って人々を動かすっていうのを、遣り方がね、狡いのか、公正なのかっていう、違いが先ずありますよね。これをどう評価するのかという問題があります。
それとは別におカネの本当の出所ですね。これが例えば個人献金のようなものによって、例えばオバマさんの一人大体10ドル以下ね、募金みたいな形で集めるのがいいのか、あるいはまあ、簡単に言えば、後援会というのか、要するに企業、あるいは自分たち企業から見たら自分たちにとって得になるような政策を遂行してくれると期待して、出す。政治献金というものはそういうものに決まっているわけですね、大体が。企業が出す場合はですね。
おカネを帳簿にちゃんとつけないで、帳簿につけないから、つまり人があとから検証できないような形で、不透明に使うからいけないのか、あの、どこがいけないのか。
あるいは何が許されるのか、例えば今申し上げた話で言えば、個人献金を使っていて、帳簿を簡単につけていて、情報公開ですべてのおカネの流れがはっきりしている。あるいは団体からおカネを貰っていたとしても、全部帳簿の流れが分かるので、団体の利益になる質問をしたのかどうかって言う活動のチェックも国民からちゃんとできる、みたいなことがあれば、おカネをいくら使ってもいいんだって考えていいのか。
それとも政治家の本意って言うのはおカネは二の次で、本当は政策で勝負すべきだというふうに考えるべきなのか、その辺ね、『政治とカネ』って言うときの、最終目標、先程のアリストテレスの話じゃないですけどね、それがよく分からないんですよ」
よく分からないのは当たり前で、クリーンでオープンと位置づけた自分を小沢氏はそうでないと印象づける対比へと誘導するための詭弁、不正に選挙を行っている悪者と見せかける詐術を働かせているのであって、これは小沢排除で自身の支持率を上げたのと同じ手法を用いた言葉の数々に過ぎない。
菅首相「基本は透明性でしょうね。まあ、あの、私はかつてコモンコーズという、アメリカの、政治団体、そういうものをチェックする、あの、市民団体も、もう30年前に行ったことがありますけれども、やはり、あのー、先程言ったように、あのー、政治参加とは、ボランティアで応援に行くのも、あるいはそれこそ20ドル出すのもですね、一つの政治参加ですから、私は、それは大いにあっていいと思うんです。
で、そのときに、えー、それが、そのどういう形でですね、あのー、影響するのか、まあ、特にアメリカの場合はクロスボートでしたから、それによってですね、どういう団体から、どういう人がどういうおカネを貰って投票したということを、ま、例えばライフル協会からおカネを貰うとかですね、そういうふうにオープンにすることによって、まあ、そのー、そういう影響力に対しての、まあ、ある種の、何て言うんでしょうかね、おー、バランスというか、カウントパワーを、オー、生み出して、逆に今度はそういうのを反対するグループからは、そういうところの、オー、対して批判するとか。
ですから、それ、全体のプロセスは一つの民主的なプロセスですから、そのこと自体は大いにあっても私はいいと思っています」
献金という名のカネの流れをチェックする団体があると言うことは不正なカネの不正な流れの存在を逆に証明する。チェックとは良し悪しの判別が目的であろう。だが、小沢氏の問題は検察がチェックして不起訴処分とした。それを不服として、検察審査会が強制起訴したということなら、強制裁判のチェックを待つしかないはずだが、菅首相は小沢氏がさも汚いカネで選挙をしているかのような印象づけの方に力を入れているに過ぎない。
宮台社会学者「菅総理、それ大事な発言でね。あの、日本人の実は多くのマスコミを含めてね、政治家がおカネを使って何かをすることがいけないかのような勘違いをする。で、今言ったコモンコーズ的な図式はそうではなくて、アメリカって、アソシエーショニズム結社の社会だから、結社が自分たちにとって利益になる政治にカネを出すのは当たり前なんですね。
それがアメリカの政治文化だから、企業団体献金、オッケーに決まってるわけです。だから、帳簿に書いて、国民がチェックできるようにして、どういう団体の影響が彼らのどういうふうに及んでいるのか、国民がチェックした上で、投票のときに参考にできるようにする。
ところがヨーロッパは全く違って、伝統で、ヨーロッパはアソシエーショニズムではない。ですから、基本的には、あの、まあ、分かりやすくいえば、その方がむしろ日本に近いから、知らないところがある。自分の頭で考えて、自分の背後にいるのがアソシエーションよりも地域社会だったり、家族だったり、するんですね。
で、自分たちの家族、自分たちの地域のために遣ってくれているかなあって思った個人が献金をする。それ以外の企業っていうのは、家族とも共同体とも関係のない、別の原理で動く生きものだから、その企業に献金をさせるってことになると、政治家が地域や家族を守ることじゃない活動をしてしまう。
これはヨーロッパの発想ですよね。今のコモンコーズ的な発想というのは前者の発想ですから、これは重要な発想なんだけど、日本人は何かカネがいけないみたいな、やっぱり考えているみたいなところがありますよね」
それを利用して菅首相は小沢氏を一生懸命に悪者に仕立てようとしている。
神保代表「献金というものは2年3年以内に禁止するということに民主党としてはっきり決めているのですか」
菅首相「法律を変えて、経過期間として3年ということは決めています」
神保代表「だから、企業献金はやめると」
菅首相「この議論もですね、実は、あのー、おー、かなり私も、その最初の頃に、市民運動やっていた頃に、あの色々議論しました。で、真っ白と真っ黒じゃないんですね。例えば、その女性のですね、えー、社会参加のために、えー、活動をしている、ウー、女性の政治家に献金をする。それは広く言えば、女性の、おー、まあ、あのー、プラスになるような。
それが狭くなるとですね。ある団体の活動にと、なると、それがまさに企業になるとですね、今度は必ずしもそういう広い意味の社会的な、えー、目標ではなくて、中には義理的な目標になる。
ですから、色んな要素があるわけですよ。ですから、それは一定のルールの元に、それをオープンにして、あまり、そのルールのですね、そのー、ま、例えば、えー、ですから、例えば、よく労働組合を企業のことも言われますが、若干性格が違うわけですよ、企業というのは利益を上げるための組織体で、労働組合というのはある意味で、その組合員のいろいろな意味のですね、この、おー、福利厚生であり、あるいは発言力を組織をつくることによって、影響力を高めようとする、ま、ある意味で組合員の組織なわけで、そういう意味では若干違うんです。
市民運動も違います。色んな性格が違うわけです。そういうものが勿論、あのー、混在して社会を構成しているわけですから、そこは一定のルールと透明性ということで、エー、そういうことの中でやってきているし、私は日本も30年前に比べると、ずっとよくなっていますから、ですから、それは、あの、もうその問題をあのー、議論しなくても、大丈夫というところまで、もうすぐ行くんじゃないでしょうか」
企業であろうと労働組合であろうと市民団体であろうと中身は違っても、何らかの経済的・物理的利益を目的とした組織体であることに変わりはない。その利益には労働環境や生活環境、あるいは地位の向上を通して金銭に還元される場合もある。
菅首相は「一定のルールと透明性」を言うことによって、ここでも反意味的に小沢氏を「一定のルールと透明性」を体現していない存在とする誘導を密かに行っている。指導力がない割には、指導力を埋め合わせる形であろう、そういった人を陥れようとする陰謀に長けているところがあるようだ。
神保代表「でも、これだけ透明になっていても、例えば、そのー、まあ、民主党のね、元代表である小沢さんがやはり出てきて、『政治とカネ』について、何か釈明しなくちゃいけない状況なんですか?そこでこれだけオープンになっているにも関わらず」
菅首相「まあ、少し全体のシステムの問題とですね、あの今の個別の問題と、あのー、ありますけれども、やはり多くの場合は、イー、国会議員は、えー、そういうことに対して、説明を求められるわけですから、国会の場で説明をするという、いうふうにご本人がいわれたわけですから、それはやはり果たされるべきじゃないでしょうか」
神保代表「やっぱ本人がやったかどうか別にして、やっぱり説明すべきことがある、というお考えですか。菅さんとしては小沢さんのの『政治とカネ』の問題というのが厳然たる問題としてあるという考え方ってことしぃうか」
食い下がる、食い下がる。
菅首相「それはあると思いますね」
離党、あるいは議員辞職に追いつめるまで誘導しようとしているのだから、当然の答え。
神保代表「『政治とカネ』の問題はある?」
菅首相「問題があると言っても、その問題があるということを断定的に言っているのじゃなくて、説明される、説明すべき問題は、あのー、あると思いますけど」
菅首相はシーソーで有利な立場に自分を立たせている。小沢氏がシーソーの片方に座って地面につくことによってもう片方に座っている菅首相は身体を上昇させることができる。
神保代表「つまり、不透明な問題はあるという意味ですね。そうすると――」
宮台社会学者「じゃあ、噛み砕いて申しますとね、検察が今まで2回不起訴にした問題について、やっぱり疑念があるっていうことで、透明な説明を要求していらっしゃるのか、あるいは93年当時の自由党を解党するときの、そのおカネをですね、例えば、どう使ったのかみたいな問題であるとか、あるいは党の活動費、これは幹事長の権限で使えるおカネを、その権限を使って、恰も自分から売った恩であるかのようにね、おカネを配ったりした、疑惑がないのかどうかみたいなね。
そうした、つまり、政治手法のあり方、政策で人を誘導するのではなくて、カネで恩を売って誘導するような遣り方じゃないかみたいなね、ことについての疑惑があるのか、何の疑惑かっていうことが結構大事なことなんですね?」
菅首相「私が予算委員会に出ると、私に質問されるわけですよ。あの、多くの野党。しかしこの種の問題は、これがその子ども手当とかですね、あるいは場合によったら税制とか、ま、一つの党ですから、一定の合意がありますから、それは当然私が答える、あるいは財務大臣が答えるわけです。
しかし、あのー、個人の『政治とカネ』の問題というのは他の人は答えようがないんです。どういう疑問であるかを越えてですね。ですから、そこはご本人が、あの、国会で答えるというふうに約束されたんですから、それは当然、約束は守られるのは、あのー、当然の筋だろうと。それをですね、それを代りに、それを答えることできません」
検察が不起訴としたのだから、例え検察審査会が強制起訴に持っていったとしても私は検察の不起訴処分を信じます。政倫審出席も証人喚問も必要としません。そう言えば済んだことを一度『政治とカネ』の問題で自身の支持率上昇を企んだばかりに、その陰謀から抜け出ることができなくなって、野党の追及を執拗なものとし、却って自分で自分の首を絞めることとなった。バカな男だ。
仮に、万が一そうはならないとは思うが、強制裁判で有罪となったとしても、具体的なことは知りようがないのだから、検察の取調べを信じるのは当然だと言えば済む。
要はそうするだけの度量がなかった。逆に一時は仲間とした人間を陥れて逆に自分の助けとしようとした。
神保代表「その手法の問題っていうのは、菅さんはどう思われますか。つまり、ロッキード事件出されたけれども、ロッキードの話をされたけれども、田中角栄氏以降の、ある種手法としての、やっぱり物凄いたくさんの政治資金力というものを持って、それをいろいろな形で政治力の源泉として来る、源泉としてきたっていう政治スタイルっていうのは、まちがいなくあるわけですよね。
で、ある種、小沢さんがそれを引き継いできたというところは勿論議論はあるでしょうけども、おカネの遣い方としては、勿論政治活動そのものもおカネがかかるけども、やっぱ、例えば、子分という言い方が悪いかどうか分からないけど、色々な議員をおカネで援助して助けることによって、その人が自分の派閥を形成するような、手法っていうのは自民党時代からずっとあったわけですよね。それについて手法の問題ってあるのかどうか、どうですか」
菅首相「ですから、先程来申し上げているように、そういう形でなくてもですね、若くて能力があって、志のある人が、国政にも出ていけるようなということで、制度をつくってきたんです。で、それに添って今の民主党の大半の若い候補者は、あのー、党の支援でですね、えー、当選してきているんです。
ですから、私もそれはそういう新しい仕組みの中で、あのー、やっていくべきだと、またやっていくことは可能だと、今の民主党そのものの存在がそうです。ですから、ですから、私にとっては民主党というのは少なくとも、長い間自民党との対比で自分のことも見てきましたから、自民党のそういう古いですね、どちらかと言えば、それは親分・子分であったり、ある程度はおカネの関係もあったりするのは、その、いいとか悪いとかってことは超えて、やはり一つの古いスタイルの政治で、それに対して民主党というのは、もっと一般の人が参加して、えー、選挙にも当選可能性があるということですね。
そういう新しいオープンの政治だと。で、こういう新しいオープンな、クリーンでオープンな政治を、その民主党がやっていくいくべきだというのは、私の考えです」
「クリーンでオープンな政治」は結構だが、政策構築能力、内閣、あるいは党を率いて構築した政策を実現する指導力と実現可能能力がなければ、「クリーンでオープンな政治」は意味を失う。「長い間自民党との対比で自分のことも見てきましたから」と言うなら、自民党歴代首相の政策構築能力、指導力と政策実現可能能力も見てきたはずだ。だが、菅首相のいずれの能力の欠如は自身が掲げる「クリーンでオープンな政治」とは滑稽な逆説となっている。
神保代表(宮台氏に)「『政治とカネ』の問題でまだあります?」
宮台社会学者「最後に纏めておくとね、あの一言で簡単に言うと、お役人と言うのは人事と予算が最大の関心事(「かんしんごと」と言った)。彼らにとって最大の武器は法律・条令、なんですね。それに対して政治家っていうのは、何が最大の武器かって言うと、ま、一つは理念。ポピュリズム的なものですけど。理念とやっぱ権益の配分なんですね。
権益の配分で、それが必ずしもおカネっていうことであるとは限らない。地域をもっと良くするってことを含めて。例えば他の地域でなくて、その地域であれば権益の配分になるってことがあるんですよ。
なので、実は行政官僚がおカネに関わる法律や条令使って自由自在に政治家を恣意的に追い落としたりする可能性が出てくるので、それは先ず気をつけなければならない面である」
菅首相「ですから、これはあのー、例えば、色んな法律が色んなところから出てきておりますけども、そのー、ある時期からですね、あのー、電話かけるアルバイト、というのが、その運動員買収という言葉で、逮捕者が出て、で、資格が剥奪される。あるいは中にはビラを配るということもですね、その作業員としてならいいけど、何かその菅をよろしく何て言うとですね、それがアルバイト扱いだとダメだとか、あの、私割と詳しい方ですけど。予想を超えてですね、あの、そういう、何と言うんでしょうか、あの、ま、ある意味で政治家をやめなければいけない、厳罰ですから、そういうことになっている例があります。
ですから、私などは、そのー、そういったですね、アルバイトとボランティアで、これはしていいけど、これはしちゃあいけないという区分が非常に曖昧な法律に選挙はなっていますから、そこはやはりきちんと、はっきりするように、という理屈で、これはいけなくて、どういう理屈でこれはいいか、はっきりした方がいいと思います。そういうことは気をつけなければいけないことはたくさんあります」
宮台氏は内心呆れ返って菅首相の言葉を聞いていたのではないだろうか。宮台氏は『政治とカネ』の問題を論じる中で、「行政官僚がおカネに関わる法律や条令使って自由自在に政治家を恣意的に追い落としたりする可能性」を言ったのであり、アルバイトやボランティアが犯す些細な選挙違反に関連した政治家への影響ではなく、選挙での買収、政治資金規正法や収賄罪等の大きな網を利用した違法献金や贈収賄、利益誘導等の摘発を指していたはずだ。
それを『政治とカネ』の問題から外れてアルバイトやボランティアを持ち出して、たいしたことのない選挙違反を念頭に合理的判断能力を働かすこともできずに、「私割と詳しい方です」と自慢する感覚は話にならない単細胞としか言いようがない。
政策構築能力、内閣、あるいは党を率いて構築した政策を実現する指導力と実現可能能力を全く欠いていることが納得できる一連の発言となっている。欠いているからこそ、自己存在性を高めるために小沢氏の『政治とカネ』の問題を餌とする必要が生じたのだろう。消費税発言で国民の支持を失うと、鳩山前首相と小沢幹事長の辞任をキッカケに民主党の支持率V字回復を思い出して、利用することを思い立った。
だが、支持率は下がるばかりで、『政治とカネ』の問題が有効に作用してくれない。そこで躍起となって、なおさら『政治とカネ』の問題にしがみつくことになっている。必要なことは『政治とカネ』の問題で自身の支持率を上げることではなく、指導力、政策実現可能能力だということに気づいていない。その自縄自縛にかかっていることに。
話はマニフェストの問題に移った。次の機会に譲ることにしたい。
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