2013年4月5日衆院予算委の日本国憲法観に関わる細野剛志民主党幹事長と安倍晋三の質疑答弁

2013-04-07 11:36:38 | 政治

 新聞報道に促されて文字に起こしてみた。安倍晋三の日本国憲法否定衝動が如実に現れている答弁となっているが、今日は文字に起こした日本国憲法に関する質疑答弁のみの記載にとどめておき、明日にでも、自分なりの意見を述べてみたいと思う。

 皆さんはどう受け止めるだろうか。

 一つだけお断りしておくと、細野豪志は最後のところで沖縄返還の日を「昭和27年5月25日」と言い、安倍晋三は「6月25日」と言っている。「6月」というとき、少々舌に引っかかって聞き取れなかったが、「6月25日」が実際には「5月25日」と言ったとしても、調べてみたから確かであるはずだが、沖縄返還の日は「47年(1972年)5月15日」となっていて、二人共日を間違えている。

 このことは沖縄のことがどれ程頭に入っているかどうかを占う記憶に関係することで、瑣末な問題として無視することはできないはずである。 



 2013年4月5日衆院予算委員会細野VS安倍晋三「日本国憲法観」

 細野豪志民主党幹事長「(主権回復の日について)4月28日に政府主催として式典を行うということが発表をされております。これは閣議決定されてますね。

 私共としても、この主権回復の日をどのように判断をしていくかということについて様々に意見を今交わしているとところでありまして、このことを考える上で総理に少し認識をお伺いしたいことがございますので、いくつかお答を頂きます。

 去年の4月28日、自民党を中心としてですね、主権回復60周年を記念の国民集会というのが開かれていて、安倍総理は当時おられませんでしたけども、メッセージを出されております。

 メッセージですから、一つ一つの言葉は揚げ足を取るつもりはありません。ま、そこに総理の重要なですね、、認識、歴史認識が入っているのではないかといいうふうに思いますので少し紹介させて頂きたいと思います。

 『本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした』

 えー、この、えー、昭和27年4月28日の、えー、このサンフランシスコ講和条約の主発点というのは本来あるべき姿でのスタートではなかったと、いうふうに読めるご挨拶をされているんですが、日本はどのように改造され、精神に影響を及ぼされ、そしてスタートがなぜ間違っていたのか、その辺りのことをお伺いします」

 安倍晋三「昨年、自民党ほぼ、自民党主催だったのかな、の、えー、主権回復の記念日が開催されたわけでございます。

 私は、えー、たまたま前から約束をしていた懇意がございましたので、メッセージを、ビデオメッセージを出したわけでございます。ま、そこでですね、昨年いわば、まさに、60年を記念して行った式典ではございましたが、ま、そこで、60年前にまさに日本は、サンフランシスコ条約、平和条約、を結んでですね、戦争時代を集結をしたわけでございます。

 何年間の占領時代というのは戦争状況の継続である、ということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。

 ただ、私が投げかけた問題点はですね、それをきっちりと区別していなかったことによってですね、占領時代と、これから独立をしたという、いわば精神に於いての区別をつけていなかったのではないか、ということですね。そして同時に、この7年間の間にですね、7年間の間に憲法とか、あとは教育基本法、国の形を決める基本的な枠組み、えー、が、できた。そしてそれは果たして、それでいいのかという、ま、ことであります。

 例えば、ドイツに於いてはですね、占領軍がいた段階に於けるものは、憲法ということではなくて、基本法という形をしてですね、いわば、そうした状況が変わったときにもう一度考え直そうという、ことでありましたが、日本はそうではなかった、ということであります。

 そこでもう一度、やはり考えてみるべきではないか、ということを申し上げたわけでございまして、えー、それは60年前にですね、本来であれば、やっておくべきことだったのではないかという問題意識を申し上げたところでございます」
 
 細野豪志「確認ですが、そうしますと、憲法ができたのは、えー、昭和21年ですね。27年に日本はサンフランシスコ平和条約が発効して独立をしていますね。

 つまり、その6年間の間に、もしくはその独立をするときには憲法を新しくしてスタートしておくべきだった、そういうご認識ですか」

 安倍晋三「基本的にはですね、いわば、えー、様々な疑問があってですね、例えばハーグ陸戦協定上ですね、、えー、占領している期間にはその国の基本法を変えてはならない、という規定があるわけでございます。

 ま、しかし、そん中に於いて、えー、我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。

 ま、形式的にはですね、そうではないわけであります。しかし、占領下にあって、それが行われたのは確として事実であります。その中に於いてですね、やはり、占領が終わった中に於いて、そういう、いわば機運が盛り上げるべきではなかったか、というのが私の考えであります。

 ま、まさにこれは、えー、昭和21年でありますが、ま、当時の幣原内閣に於いて、松本烝治担当大臣が案を作って頂いたのでありますが、甲案、乙案、というのを考えていたわけでございますが、これは、2月1日に毎日新聞がスクープをしたわけでありまして、このスクープをした案を見て、ま、マッカーサーが激怒してですね、そして4日に、2月の4日に、えー、ホイットニー民政局長とケイジツ次長を呼んでですね、これは日本には任せておけないから、これは私たちで作ろう、という指示をですね、えー、ホイットニーとケイジツに出して、そしてホイットニーとケイジツに対して、えー、委員会を作って、作りなさい。そして25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります。

 ま、これは、原案、と言われているわけですから、しかしそこはですね、そういう事実を踏まえて、その段階ではそういう事実に対してみんな目を覆っていたんです。ですが、そういう事実はちゃんと見ながら、自分たちでですね、真の独立国家を作っていこうという気概を持つべきではではなかったかということを申し上げたわけでございます」

 細野豪志「あのー、ご認識はよく分かりました。あの、もう一つお伺いしたいんですが、あの、(自分の憲法観を話せとでもヤジが入ったのか)じゃあ、私は申し上げます。私はこの戦後の歴史の中で現憲法が果たしてきた役割を前向きに評価をしています。

 勿論、完璧なものではなかったかもしれない。しかし当時の我が国の状況の中で3原則、即ち国民主権をしっかり確立をし、基本的人権を守り、そして平和主義を保っていくと。この3原則のもとに戦後60年に亘ってですね、日本が独立国としてやってきたことを評価をしています。

 ですから、そこは総理と私の考え方というのは恐らく異なるということだろうと、いうふうに思います。

 その上で、総理、総理、お伺いしたいことがあります。それは憲法というには何のために存在するのかということですね。憲法っていうのは何のために存在するんですか、といったことが一番重要なんですが」

 安倍晋三「先ずですね、勝手に私がですね、(笑って)あたかも自由や民主主義や基本的人権を否定しているが如くにですね、発言されるのは極めて迷惑な話でありまして、えー、自民党案に於いても明確に平和主義・民主主義・基本的人権、この基本的な考え方、いわば国民主権ですね、そうしたものは受け継いでいくということを、えー、予めですね、えー、宣言をしているわけでございます。

 そこは誤解のないようにして頂きたいと思いますが、えー、憲法制定過程に於ける、えー、問題点についてですね、私は申し上げているわけでありまして、しかし問題点は決して小さなものではないということは申し上げておきたいと、えー、思うわけであります。

 そして同時にですね、憲法って言うものについては、えー、権力を持っている、ま、権力者側、に対してですね、かつては王権でありますが、王権に対して様々な制約を国民が課す、という、そういう存在でありました。

 しかし今ですね、自由や民主主義が定着していて、えー、国民主権ということが明らかである中にあって、果たしてそれだけでどうかということなんですね。いわば、どういう国にしていくか、ということもやはり憲法には、これは込めていくべきなんだろうと、このように私は考えているわけであります」

 細野豪志「先程私が申し上げたのは、総理と違うと申し上げたのは、現行憲法に対する評価が違いますねということを申し上げたんです。ですから、総理はできればスタートから現行憲法ではなくて、えー、自民党が主導してこられたような憲法が必要だとお考えであった。

 私は戦後憲法が果たしてきた役割を前向きに評価をしている意味で、違うねって言うことを申し上げた。

 で、今総理が、立憲主義についておっしゃいました。そうなんですね、憲法っていうのは権力をしっかりと縛るものなんです。

 そういった意味で自民党が出されているですね、自民党憲法案ていうのは、そういう大原則を逸脱していると思います。今日はそのことを長々と議論するつもりはありませんが、そこは戦後に対する認識であるとか、憲法観が民主党と自民党と違うとこがあると。

 ま、従いまして、4月28日のこの歴史をどう思うかについても、ややスタンスは違うけれども、私はですね、日本が主権を回復したということ自体は前向きに評価をしておりますので、えー、この会合にはですね、党を代表をして出席したいというふうに思っております。

 その上で総理、もう一つ提案があります。4月28日は本当に日本が真に独立した日なのかということについて私は疑問を持っている。なぜなら、4月28日に独立することができなかった人たちがたくさんいるわけですね。奄美の皆さん、小笠原の皆さん、そして沖縄の皆さんです。沖縄の皆さんが本土に復帰をされた、その時が本当の意味でですね、日本が独立した日じゃないですか。

 そこで提案があります。昭和27年5月25日、沖縄本土復帰の日をですね、4月28日と同じように政府としてしっかり式典をする。それをですね、主権回復の日として、もう一つしっかりとですね、定めるということを提案したいと思いますが、如何でしょうか」

 安倍晋三「今から61年前にですね、日本は主権を回復したが、残念ながら主権外に奄美、小笠原、そして沖縄があった。えー、しかし、この時にですね、えー、サンフランシスコ講和条約に於いて平和条約を結ばなければ、そもそも主権外に置かれている地域を取り戻す外交権すらなかったわけでありますから、当時は苦渋の決断なんですね。

 占領軍がいるんですから(両手を広げて強調する)、そん中に於いて、先ず占領軍から基本的にはですね、えー、占領軍という形ではなくて、日米、当時の安保条約という形で、条約に基づく駐留軍という存在に代えて、占領軍から自分たちの主権を取り戻した。外交権を回復をして、そして悲願として、そうした主権外に残された残された方々を取り戻す。

 そん中に於いて、当時の自民党もですね、えー、その段階では自民党ではありませんが、佐藤栄作もですね、まさにライフワークとして沖縄が還ってこなければ戦後は終わっていないということは明確であったわけでありまして。

 そういう歩みをしてきたということであるということは間違いのないということは申し上げておきたいと思います。

 そして今年の主権回復の日、平和条約を記念するその主権の日でございますが、毎年毎年やるというものではなくて、昨年は60年という節目でありましたが、えー、またそれはできなかったので、と言うことで、やるわけでありまして、どういうタイミングでやるかは今後考えていきたいと、まあ、それは毎年毎年やっていく式典ではないということだけは申し上げておきたいと思いますが、同時にですね、沖縄の、いわば返還されたこの6月25日でございますが、その日についてもですね、えー、どういうタイミングでやるか、どうかということは考えながら、当然、今幹事長から言われた提案も、考えていかなければならないと、こう思っております」

 細野豪志「以上で終わります。ありがとうございました」
 

コメント
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