なぜ靖国神社でなければならないか

2006-06-12 05:49:04 | Weblog

 「国立追悼施設は靖国神社に代わるものではない」

 森前首相のテレビ朝日・サンデーモーニングでの国立戦没者追悼施設建設に関しての発言。「私は出来ないと思っている。靖国神社に対する日本人の気持がある」(06年5月28日)

 これは森前首相一人だけの考えではない。国立追悼施設の話が持ち上がっては消える状況の繰返しから判断すると、多数派を形成した考えであろう。反対派が反対の姿勢を明確に表さないのは、新施設建設の話がある中で、それを無視する形で首相や閣僚の参拝が行われている経緯を踏まえた意思表示となるから、そのことが靖国神社信奉と取られることへの批判を恐れるからで、参拝自体に後ろめたいところを感じているからこその自制であろう。森前首相にしても「出来ないと思っている」理由を一般論に帰すのみで、自身の立場を明確に示しているわけではない。

 「靖国神社に対する日本人の気持」とはどんな「気持」なのか検証する前に建設が決定しない理由として〝世論の熟成〟如何を挙げている状況を見てみる。

 安倍官房長官は「政府が検討している新たな戦没者追悼施設については、『国民世論の動向を見つつ、諸般の状況を見ながら、検討していきたい』」(05.11.2.朝日朝刊)としながら、「『靖国神社を代替する概念で検討しているわけではない』」(同)と発言しているが、「国民世論の動向を見つつ」は永遠に続くのではないかと思える前々からの反復表明であって、建設するつもりはない口実に「世論の動向」を持ち出しているに過ぎない。すべての政策が「国民世論の動向」に対応しているわけではないからだ。小泉首相自身、自らのアメリカのイラク攻撃支持に反してマスコミの各種世論調査が反対を示している「世論動向」に関して、「世論が正しいこともあるが、世論に従って政治を行うと間違っていることもある。それは歴史の事実が証明している」と、政治が必ずしも世論に従うわけではないことを意思表示している。

 世論が追悼施設反対の姿勢を示していたとしても、その世論に逆らって、あるいは小泉首相が言うように「世論が正しいこともあるが、世論に従って政治を行うと間違っていることもある。それは歴史の事実が証明している」と建設を強行してもいいわけである。だがそういった方法を採らない。自分たちにその気がないからだ。

 選挙を直近に控えていて、議席獲得に悪影響を及ぼす消費税の税率アップといった政策でない限り、「世論の動向」よりも内閣及び政権党の政治意志に従って政策は決定される。〝世論〟は政治決定の絶対的要素を占めているわけではない。ときには政策遂行に都合が良いように世論を誘導することもあるし、世論に反して政策を強行することもある。小泉構造改革のうちの社会保障関連の改革は「国民世論の動向を見つつ」進めただろうか。進めたとしたら、財政削減最優先・中低所得者負担増無視の改革とはならなかっただろ。新しいビールの開発のたびに繰返される酒税の引き上げにしても、「国民世論の動向」に反する政策であったはずである。

 国立追悼施設建設に関しても、少なくとも政策に関しては政府及び政権党が必要とするかどうかに決定はかかっている。政治意志が必要としたなら、例え世論が反対意志を示していても、政策遂行を可能とする環境整備に向けた世論のリードが次の展開としてあって然るべきであるが、それが全然ない。世論ではなく、自民党内に反対派議員が多数派を占めているに過ぎないから、党及び内閣としての政策決定まで行かず、当然世論に働きかけるところまで行かない。それは新施設が出来上がってから、いくら靖国神社に代わるものではないとしたとしても、世論やマスコミによって、あるいは中国や韓国からの働きかけもあって、靖国神社参拝の手足を縛られることになるかもしれない危険を避けるためであろう。参拝行為自体を政治及び政策とは無関係の政治家それぞれの姿勢の問題だとしてきた手前、新施設が出来上がってからでは世論の動向は完全には無視できなくなる。世論が新施設があるから、中国や韓国との関係改善を最優先すべきだといつ豹変するか判断不能という点もある。

  安倍官房長官の「靖国神社を代替する概念で検討しているわけではない」は目下のところ建設するつもりはないが、建設された場合の国立追悼施設が「代替する」施設であってはならないと前以てクギを指したものだろう。それが本音なのはミエミエで、政策決定が「国民世論の動向」に従うとするなら、政治に関わる意志決定を洞ヶ峠に貶めることとなるだけではなく、政治自らは責任を持たないシステムとすることを意味する。

 尤も自ら決定した政策であっても、その失敗した場合であっても責任を取らないのが日本の政治における歴史・伝統・文化とはなっている。

これまでに〝世論〟を口実に機会あるごとに「国立追悼施設は靖国神社に代わるものではない」、あるいは「代わることはあってはならない」とする態度を示してきた政治家たちの言動を日本遺族会が建設反対の立場から作成したHPに発表してある〝資料〟やその他から拾い出してみる。

 福田官房長官当時の主催による「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」に対して、古賀誠は「『懇談会』では、表面上は新施設は靖国神社に代わる施設ではないことが強調されていますが、そこに現われた意見には戦歿者遺族の感情を無視し、靖国神社の存在意義を形骸化するものが少なくない。最終的には、遺族をはじめとする多くの国民が『戦歿者追悼の中心的施設』と考えている靖国神社の根底を揺るがす施設との懸念を抱かざるを得ない」といったことを言って、「遺族をはじめとする多くの国民」の意向を〝世論〟と位置づけて「新施設」が「靖国神社に代わる施設」であってはならないことを強調している。

 古賀誠が財団法人日本遺族会会長名で2002(平成14)年11月19日付けで福田氏の「懇談会」に出した『要請書』には、「戦没者遺族の感情を無視し、戦没者追悼の中心施設と考えている靖国神社の存在意義を形骸化する」とか、「国家は国のために散華された方々を靖国神社に手厚く祀り、末永く慰霊の誠を捧げることを戦没者と国民に固く約束している」とかの文言が並んでいて、今度は〝国民との固い約束〟が世論として形成されているかのように装って、「『国立戦没者追悼施設新設構想』を断じて容認できない。その撤回を要請する」と結んで、「戦歿者追悼の中心的施設」が新施設へと代わる恐れを訴えて、靖国神社を「形骸化」しかねないから建設は断念すべきであると主張している。

 中曽根康弘の参謀を任じていた後藤田正晴は「分祀したとしても、神として祀られたままでいるわけだ。戦争の結果責任はどうなるのか、という問題は残る。一番いいのは合祀されているA級戦犯のご遺族が、それぞれの家庭に引き取って静かに慰霊なされることだろう。どれもダメだというなら、新施設をつくるのもやむを得ないかもしれない」(05.7.13.朝日朝刊)と、あくまでも「やむを得ない」を条件としつつ、「国民の多くは、戦死者を祀る中心的施設は靖国神社だと考えている。戦死者自身、靖国神社に祀られたことで安らぎを感じているはずだ。新施設ができると、そうした安らぎが壊れ、遺族に対し申し訳ないとことになるのではないか」(同記事)と、「国民の多く」の「考え」を〝世論〟と見なして、「新施設」が靖国神社に代わる恐れを訴えている。

 小泉首相を見てみると、02(平成14)年8月に官邸記者団から「懇談会」で検討中の新追悼施設ができた場合の対応を聞かれ、「靖国は別ですから」と答え、同02(平成14)年11月の「懇談会」の骨格発表翌日は、官邸記者団の質問に「靖国に代わる施設じゃないから。靖国は靖国ですから」と言い、施設ができても靖国参拝を続けるのかの問いに「ええ、時期を見て判断します」とここでは直接的には〝世論〟を持ち出してはいないが、暗に多くの日本人がそういう〝世論〟を形成しているとして、「新施設」が決して靖国に代わる施設ではないこと――裏を返すと、代わってはならないことへの拘りを見せている。

 04(平成16)年1月には政府は当分の間、新たな戦没者追悼施設の具体化に着手しない方針を固め、同年1月6日、小泉首相は官邸記者団の質問に、「施設整備への意欲は『今も変わりません』と述べる一方で、『どういう施設がいいか、時期がいいかはよく考えないといけない』と語り、幅広い国民の理解を得られるまで具体化は慎重に時期を見定める考えを示した」(朝日新聞・06.1.7)と、いわゆる安倍長官の「国民世論の動向を見つつ、諸般の状況を見ながら、検討していきたい」と同じ姿勢を2年近く前に既に小泉首相は示している。新施設が靖国に代わるものではなく、それができたとしても、靖国神社参拝は続けるとしたなら、新施設は単なるダミーでしかなくなる。但し現状は「国民世論」を建設しないための第1ダミーとしていて、施設そのものをダミーとするまでには至っていない。

 例えば郵政民営化政策に関して、「郵政民営化なくして構造改革なし」と国民世論に自分の方から訴えたのに反して、追悼施設に関しては自分の方から国民世論に訴えることは一度もしていないのだから、小泉首相や安倍晋三が言っている〝検討〟が如何に口先だけのことで終わっているか、また「国民世論」が如何に建設しないためのダミーでしかないかがよく分かる。

 04(平成16)年10月。衆院予算委員会で「首相の靖国参拝が日中首脳交流を途絶えさせている」との質問に対して、小泉首相は新施設建設について、「仮に建設されたとしても靖国神社に代わるべき施設ではない」と答弁している。

 小泉首相の靖国神社参拝を中止させたい韓国は05(平成17)年6月20日の小泉・盧武鉉日韓首脳会談決定後、韓国の外交通商相が「(新しい追悼施設の)建設検討を首脳会談で強く促す」との方針を決めていると発言したのに対して、小泉首相は首脳会談3日前の6月17日に官邸記者団の質問に、「わだかまりなく追悼できる施設は検討してもいいと思うが、いかなる施設をつくっても、靖国に代わる施設はありませんよ」と明言している。

 これまでの態度から言って、言外に国民がそう望んでいる〝世論〟であることを前提として、例え内外からの圧力によって建設せざるを得ないケースに立ち至ったとしても、あくまでも「靖国は靖国だ」が〝世論〟だとの態度を固持して、靖国擁護にまわったのだろう。

 片山自民党参院幹事長が「小泉首相の靖国に代わる施設ではない」発言に対して、記者会見で、「国のために亡くなった方を祀るのは靖国神社だけという一種のコンセンサスがある。(新たな追悼施設は)国民が受け入れるとは思えない」とはっきりと国民の「コンセンサス」という形で形成された〝世論〟を計画停滞の理由としている。

 小泉首相、は6月20日、日韓首脳会談への出発前に官邸記者団に、「(新しい追悼施設について)靖国神社に代わる施設と誤解されている面もある。どのような施設が仮に建設されるにしても、靖国神社は存在しているし、靖国神社がなくなるもんじゃない」

 これは一般論(=〝世論〟)の形を借りて、代替論の否定と靖国擁護論を改めて示し、靖国神社参拝の手足を縛られることを前以て警戒した発言だろう。

 日韓首脳会談後の共同記者会見で韓国大統領が新しい追悼施設について、「会談前の両国の事務当局の調整による合意」であると断り、「首相が、日本の国民世論など諸般の事情を考慮し、検討していく」ことが合意されたと発言したが、小泉首相は共同会見後の同行記者団の質問に「建設するかどうかも含めて検討する。つくるからプラスとか、つくらないからマイナスという問題じゃない。日本人自身の問題だ」と、〝日本の世論が決めることだ〟と言い直し可能な「日本人自身の問題」という言葉を使って、それを楯に「合意」したわけではない、「検討」を約束しただけであることを表明して、「官房長官のところでいろんな意見を検討すると思う」と、安倍晋三が言った言葉で説明するなら、「国民世論の動向を見つつ、諸般の状況を見ながら、検討する」と同じことを言い、首脳会談だから話に応じないわけにはいかなかったから応じただけのその場しのぎでしかないことを語るに落ちる形で自ら暴露している。いわば、全然ヤル気なしなのである。靖国こそ絶対だと、靖国絶対論者ぶりを示したと言ったところだろう。

 6月21日麻生総務相は「(戦没者は)靖国で会おうという前提で命を亡くしている。追悼施設をつくることは、靖国をなくすこととは一緒ではないのではないか」と、「靖国で会おう」を〝世論〟だとしている。

 一方戦没者遺族や一般人の追悼施設建設に反対する者たちの意見を集約してみると、

 「国に命を捧げた肉親の御霊は靖国神社に祀られているのに、戦争で亡くなった人々を追憶し、思いをめぐらす場所だけの施設が、いま、なぜ必要なのか」

 「無宗教の追悼施設の御霊に参拝して追悼といえるのか。『靖国神社で会おう』と散っていった戦友たちは、どこに行けばいいのか」

 「靖国の英霊の殆どは、万一不幸にも戦死を遂げた場合、靖国で永久に祀られるとの言わば国家との約束を信じて戦地に赴いたのである。この英霊との約束を守るのか国家の義務である」

 以上は麻生総務相当時の「靖国で会おうという前提で命を亡くしている」との発言に対応する考えであり、それを〝世論〟とすると同時に戦没者追悼は宗教施設でなければならないという2つの意見に集約される。

 靖国神社は1869(明治2)年に明治天皇の発議により招魂社として創建され、19879年に靖国神社と改名されている。「『靖国』には『国を平安にし(「安」の字は〝靖〟に通ずる)、平和な国をつくり上げる』という明治天皇の気持ちが込められているといわれている」(『靖国神社』) と言う。

 靖国神社は戦前まで別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)で、国家神道の時期には陸海軍所管の特殊な神社として位置づけらていた。別格官幣社とは「1871(明治4)年、国家神道の元で改めて官国弊社(かんこくへいしゃ)の制が定められ、歴代の天皇・皇族を祀る神社と皇室の崇敬の厚い神社が官幣社に指定されて、太・中・小3等級にわけられた。1872年には別格官幣社が設けられ、国家のために特に功労があった人臣を祀る神社がこれに指定された」(『大辞林』三省堂)ものだという。

 いわば靖国神社は「皇室の崇敬の厚い神社」であり、それも皇室から「別格」扱いを受けていた神社だと言うことが先ず分かる。

 明治天皇の発議により創建された招魂社を前身としていて、戦没者を祭神(=英霊)として祀る〝国家神道〟に則った神社形式の特殊な宗教施設であることと言い、「靖国」という名前の由来と言い、別格官幣社の地位を与えられていたことと言い、戦前の天皇制に深く関わった、言ってみれば天皇の神社であろう。天皇の神社であるからこそ、「靖国で会おういう前提で」「国に命を捧げ」ることができた。その褒賞として英霊の名誉を与えられて御祭神として祀られる――ということは天皇の懐に抱かれるということを意味せずに、他の何を意味するのだろうか。戦前は国民は天皇を父とし、自らを天皇の赤子(せきし)としていたのである。

 戦前天皇は例えそれがタテマエであったとしても、国家の上に位置していた。少なくとも国民はそう教え込まれ、そう信じていた。そして天皇のため・国のために命を捧げた(靖国神社参拝理由に「国のために命を捧げた戦没者の追悼」を言うが、まずは天皇のために命を捧げたのであって、それを言わないのは歴史の事実を誤魔化すものだろう。最初に天皇陛下バンザイを叫んだのである)。何よりも天皇は神であった。日本国家は天皇という神によって支配された二次的存在でしかなかった。

 国家は抽象的な存在ではあるが、天皇は現人神として人間の姿を取った目に見える具体的存在であり、崇拝の具体的な対象となり得た。明治の政治権力は天皇の力を借りて国民を支配統合するために天皇を国家の上に位置させただけではなく、「国体の本義」等を通じてその神であること・絶対的存在であることを証明してみせ、現在の北朝鮮が金日成・金正日親子の写真をあらゆる場所に掲げさせているように、具体的崇拝の対象として天皇と皇后の写真(御真影)を全国すべての学校・役所・各家庭、その他あらゆる場所に額入りで掲げさせ、天皇の神格化とその偶像崇拝化に成功を収めた。

 「関東大震災のときに『御真影』を燃えさかる炎のなかから取りだそうとして多くの学校長が命を失った事件」(『近代天皇像の形成』安丸良夫著・岩波書店)が起きるほどに天皇崇拝は、それが不条理なことだと認識することもできずに不条理を極め、その際「『御真影』を学校から遠ざけるほうがよいという意見はだされたが、学校長が焼死するよりも『御真影』が焼けるほうがよいということはまったく問題にならなかったという事実」(同)は、それぞれの命を絶対とするよりも、それを犠牲にしてまで一枚の写真でしかないモノを救い出そうとするほどまでに天皇への崇拝が日本人の中に如何に絶対的な位置を占めていたかを物語るものだろう。

 そのような天皇意識を戦前の日本人は内面に抱えていた。天皇に命を捧げ、国に命を捧げる忠義の褒賞に、その魂は天皇の神社である靖国神社に御祭神(=英霊」として祀られる。いわば神である天皇の懐に自身も神となってその他の英霊と共にいだかれ、安らぎを得る。これ程の名誉はあるだろうか。神である天皇のための犠牲となり、神である天皇に神として祭られるのである。当然「戦歿者追悼の中心的施設」は靖国神社でなければならない。他の如何なる施設にも天皇は存在しないし、もはや存在させることは不可能なのだから。

 いわば日本人の心の中には靖国神社には見えない姿で天皇が存在すると意識していたはずである。常に存在しなければならない。英霊を胸にいだき続けるために。靖国神社がそのような構図を持っていたからこそ、兵士それぞれが天皇陛下バンザイと叫んで喜んで名誉の死に赴く姿を演ずることができたと言うことだろう。戦争に関わるこういった意志決定をつくり出していた総体が日本人の死生観にまで影響を与えていた天皇崇拝を土台とした日本人の靖国観、あるいは靖国思想であろう。少なくとも戦前までは。

 森前首相が「靖国神社に対する日本人の気持がある」と言っているは、その言葉が肯定的な意味合いを持つものであるから、このような靖国観・靖国思想を指すのだろう。

 しかし、それは戦後は否定されなければならない靖国観・靖国思想のはずである。戦前の日中戦争、日韓併合、太平洋戦争等が否定されるべき植民地戦争であるなら(否定されるべきだから天皇や歴代首相が外国に対して謝罪を繰返しているのだろう)、戦前の靖国神社思想もを否定することによって整合性を獲ち得る。戦争は否定するが、靖国神社思想は肯定してもいいでは矛盾する。

 「英霊たちは万一不幸にも戦死を遂げた場合、靖国で永久に祀られるという国家との約束を信じて戦地に赴き、その約束どおりに靖国に祀られている」としているが、そこには戦前と戦後を画する意識を些かでも窺うことはできない。

 つまるところ、否定されるべき戦前を否定せずに戦後も引きずっているからこそ、「靖国神社に対する日本人の気持」にしても、「靖国神社で会おう」という合言葉も、「国家と国民との約束」も反故を受けずに生き続け、履行されるべきものと考えているのだろう。

 だとしたら、「靖国は靖国だ」、「靖国に代わるものではない」とする立場の人間の意識の中には、戦前の国家観ばかりか、戦前の天皇観までが生きていることになる。少なくてもその影を引きずっていると言える。

 それはなぜなのだろうかと考えた場合、〝国のために命を捧げて犠牲となった戦没者を祀った〟靖国神社への参拝を通すことでしか、戦前の戦争を否定され、極東裁判を通して悪とされた日本の存在そのものの名誉を維持し、自らの矜持を示す口実が残されていないからなのではないだろうか。

 極東裁判をいくら否定したとしても、ゴマメの歯軋り程度の効果しかなく、その歴史事実は抹消不可能であるし、侵略戦争否定史観も反撥を受けるだけで力を持ち得ないし、強制連行・従軍慰安婦・南京虐殺等の否定もその事実があったことを示す証拠資料の発見で否定の否定を受け、残されたものは靖国神社に祀られている戦没者を「国のために戦った」、「国のために殉じた」と参拝・顕彰する形式を借りて、「戦った」対象・「殉じた」対象である「国」そのものを肯定し、それと同時に「国」という存在に絶対性を与えて名誉回復を図る。

 このこと自体も戦前の「国」と戦後の「国」を画せずに、一連のもの、連続するものとして把える意識の働きからの合理化に過ぎない。

 この手の合理化は戦前の侵略戦争等の日本国家の誤謬・日本の負の歴史を認めがたいとする意識の裏返しとしてあるそれらの肯定化ではないだろうか。そうであるなら、首相の靖国参拝を過去の戦争の肯定と取られるのは当然の受け止めとなる。

 かくして、「戦没者追悼の中心的施設」は「靖国神社でなければなら」ず、他にどのような施設を建設したとしても、「靖国に代わるものではな」く、「靖国は靖国」であり続けなければならないこととなる。

 最後に小泉首相が「靖国は靖国」だとか「いかなる施設をつくっても、靖国に代わる施設はありませんよ」と言っていることに対して、マスメディアは単にあった事実をあったままの事実として伝えるだけではなく、事実を事実としている由来を解き明かして伝えることも情報伝達者の役目であろうから、現在の靖国神社をどう把え、どう位置づけているのか、小泉首相自身の靖国観を問うことも自らの守備範囲としなければならないのではないだろうか。

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