くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

母は強し。

2021-08-01 08:08:11 | 日記

1月からずっと熱がつづいていた母は たびたび誤嚥性肺炎になり   食欲も
ないため 点滴と酸素吸入をしていました。

4月になりさらに病状が進み 看取りコースに移され 担当医に延命治療は
しませんねと再確認されて もう長くないと覚悟しました。

それが6月に入り 病状がよくなって看取りコースから外れたため 面会は
月1回しかできなくなり 6月につづいて 7月の面会にいきました。

点滴と酸素吸入は外れても 6月の面会は 話しかけても母は寝るばかりで
寝顔を見てから帰るしかなかったですが 7月の面会は 母のお世話をして
くださるAさんが    いっしょに入ってくれました。

Aさんが母の耳元で 大きな声で生年月日を聞くと 昭和2年6月25日ですと
正しく答えたものの 聞かれた年齢には 77です と言います。 おいおい
 

入れ歯を外しているため 何を言っているのか私の耳には うわうわとしか
聞こえない母の声が Aさんにはちゃんと分って 通訳してくれます。

日本画家の奥村土牛が100歳をむかえた1989年 長期にわたり取材した
『百歳の富士・奥村土牛』のNHKアーカイブスを 少し前に観たばかりです。

入れ歯を外した土牛の 梅干しの口から発するうわうわを 土牛の娘さんが
通訳していたシーンを 母とAさんの姿から思いだしました。
        

♬ 青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ~~ ♬ と母の愛唱歌である
楠木正成の歌をAさんは口ずさみ これなんの曲ですか?  と私に聞きます。

私よりAさんの声に反応する母の しゃべろうと 一生懸命くちを動かす姿は
母をたよる おさな子のように見えました。   

よかったね母ちゃん こんな人がそばにいてくれて ほんとうによかったねと
胸が熱くなり 涙があふれました。
 

あっという間に30分の面会時間が終わり 特養の玄関まで見送ってくれた
Aさんが 来月の面会もいっしょに入りますよ と言ってくれました。

13年いたグループホームでも職員によくしてもらい 次に来たここ特養でも
いい人にお世話してもらえる 母の最晩年の幸せを 深く深く感謝しました。

帰ったら神棚のお父ちゃんに 今日のことを伝えるよ きっと喜ぶだろうね
と復路のハンドルをにぎりました。

姉妹でお葬式の段取りを ぼつぼつ相談していましたが 94歳の母は強しで
まだ父のもとへは昇りません。まずはホッとしました。


コメント (29)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする