くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

手結港。

2018-09-30 11:41:49 | 日記

高知市から車で2-30分走れば 香南市の 手結(てい)港に着きます。
小さな港ですが 全国でも珍しい跳ね橋(可動橋)があり これを初めて見た
一昨年 blogに載せた記憶があります。

台風が来る前に撮っておこうと出かけ 着いたときはちょうど橋がみごとに
上がっており そこを航行する船を撮ろうと 慌てて横から見える場所まで
行きました。

三脚を構え撮っていた男性が 船はもう全部通ったそうです 朝からずっと
撮っているが 看板の時間通りには開かないですと言い 聞くとTVの番組に
使うそうで 手結港一帯を撮りに 東京から来たと言います。

こちらでも放送がある民放の   ナニソレ何とか・・・という番組名でしたが
聞いてもすぐ忘れ 放送日はまだ決まってないそうです。

 
 

やがて跳ね橋は下り始め 何ごともなかったかのように 普通の橋に戻りました。

350年前の江戸時代初期に作られた 石の常夜灯や港を囲む石垣は 河口の岩盤を
人手により掘削し 石積みした 日本最古の掘り込み港湾 だそうです。

3-4年前 日帰りバス旅で行った 広島の鞆の浦に 雰囲気がよく似ています。

 
 
 

こちらが手結漁港で 港を囲むこちらの石垣も 手結港を作った350年前のものです。
 

跳ね橋脇にある 展望台からはこうです。
 

この手結港を作った 土佐藩家老野中兼山は 室戸港 津呂港など多くの港と山田堰
など用水路の建設で新田開発をし 土佐藩の繁栄は 兼山の尽力によるものが大です。

しかしこれら土木工事の成功は 過酷な労働を強いており 領民の不興を買い失脚し
兼山は 県西部の宿毛に幽閉された直後 49歳の若さで亡くなりました。

    

ここまでは何となく知っていました。ところが ここからの恐怖を今回知りました。

野中兼山には 4男4女の8人の子がいましたが 兼山の死後藩は報復を怖れ 全員を
宿毛に幽閉しました。8人の子は皆幼く   下はまだ2歳の男子で 男子の全員が死亡し
男系が絶えるまでの40年間 屋敷の外へ一歩も出さない 見張り付きの幽閉でした。

子どもたちは成長するにつれわが身を嘆き 病死 狂死 自殺で半数の子どもが命を
落としたといわれ 土佐藩はなぜこれほどまでに むごい仕打ちをしたのでしょう。

報復を怖れ 血縁の男子全員を葬るとは 戦国時代は当たり前に聞きましたし 現代
でも 核をなかなか手放さない隣の国では 当たり前に実行していると聞きます。

父の死後 4歳で幽閉された野中婉は 44歳で自由の身になったのち 猛勉強をして
医者になります。

高知出身の 大原富枝さんの代表作『婉という女』は 過酷な運命を生きた野中婉の
生涯を綴ったもので 勉強不足の私は まだ読んでおりません。

 

理不尽な罪状で島流しとなり 直後死亡した野中兼山。兼山の死後40年の長きに渡り
幽閉され 外の世界を知らず育った娘の婉 まだまだ知りたいことだらけです。

県民は野中兼山を気の毒に思い 県内のあちこちに 兼山ゆかりの碑を建てました。
県立公園五台山には 立派な兼山神社があり 県民の憩いの場所になっています。

土曜日に手結港を撮っていた東京のカメラマンは あの日の最終便に間に合ったかな
空も陸も 全ての便が止まり 少しずつ風が強くなった 今は日曜日のお昼前です。



 

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すいふよう。

2018-09-28 00:00:10 | 日記

酔芙蓉の花が好きで よそさまの庭ですが 毎年撮らせてもらっています。

スーパーの帰り そのよそさまの家の前を通りかかり 道端に車を止め撮って
いたところ すぐ横に車を止めた 70代と思しきムッシュに声かけられました。

 
 
        

ねえさん そりゃ    なんという花ぜよ?  とのことです。

他県では知りませんが高知の場合 初対面の女性に声かける場合は 相手を
ねえさんと呼ぶ人が多いです。若者におばさんと呼ばれるは仕方ないとしても
年配者に言われたら ムッとしますもの。

かといって お嬢さんと呼ばれたら バカにされたと これも腹が立ちます。
わが県の場合 相手がいくつであっても通用する ねえさん 兄さん との
呼び方が一般的で 当たり障りのない言い方となります。

これは すいふようと教えると ふ~ん 芙蓉の花は知っちゅうが この花は
頭へ水がつくということか とムッシュです。

違う違う 朝は白い花でも   時間が経つにつれ色が付いて 夕方には真っ赤に
なってしぼむ ほら あの赤い花は昨日の花で この花は1日しか持たん

朝はシラフでも 夕方は大酔いで真っ赤になる すいは水じゃなく酔うという字
と教えると ほぉ~~ 酔うて赤こうなるかね とムッシュは感心しています。

そら知らざった へんしもいんで女房に教えちゃろ バイバイと車の窓から手を
振って ムッシュの兄さんは 走り去りました。
(へんしもいんで とは翻訳すると 急いで帰って という意味です)

いや~ 兄さん 奥さんはきっと ご存じやと思うよ と笑いながら おっと
いかんいかん 車のお刺身が煮魚になったのでは? と慌てて車にもどりました。

 

 

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運動会。

2018-09-25 00:00:10 | 日記

久しぶりに 本当にもう何年ぶりかで 運動会を見にいきました。
息子のところの上の子が中1になり 運動会があると誘いを受けました。

孫からの誘いではありません。足が遅く それがコンプレックスの孫は
小学校の時から 運動会のお誘いは 一度もしてくれませんから。

昔々の 50年前の同級生から誘われました。彼女の息子さんと愚息が
同級生になり 時は流れまた 息子同士の娘が同級生になったわけで
ばば 息子 その娘と 半世紀に渡る3代の 長きご縁となりました。

朝10時ごろ学校に着くと もう父兄が一杯で 座る場所もないほどです。

1学年が250人おり   1年~3年までの生徒750人が 5色の鉢巻きを締めて
競っています。

 

これは中2男子の徒競走です。運動会は昔から 徒競走やリレーが一番盛り上がります。
男子の中1生は まだまだ子ども体型ですが 中2 中3生になるにつれ 見違えるほど
がっしりしてきます。 
 
 

こちらは中1女子の徒競走 半年前までは小学生でした。
 
 

中1~中3まで 各学年の速い子を集めたリレー。昔 紅白2チームの時代は
紅白責任リレーと呼んでいました。 このリレーが一番盛り上がりました。
生徒のテント前はものすごい応援です。黄色チームがぶっちぎりで勝ちました。

皆同じユニフォームのため どこに孫がいるのか 最後まで分らず仕舞いでした。
 
 

お昼前でしたが 次が控えているため帰らねばなりません。次とはこの日 母の施設
でも創業祭をやっており 駆けつけるとタイミングよく 踊りが始まりました。

 
 

毎年 高知大生がよさこいを踊りに来てくれます。そして今年は タンゴを踊る
カップルが来てくれ 情熱のダンスは やんやの喝さいを浴びていました。

毎年のこと 皆さんボランティアで出演してくださり ありがたいことです。

   

 

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鯖カレー。

2018-09-23 08:08:48 | 食物関係

鯖缶が値上がりする と先月ニュースで聞いてから 買っておこうとかごに
5個入れたら   そのうち2個は味噌煮缶でした これは先月のことです。

鯖は好きでたびたび買いますが 鯖缶はもう    何十年ぶりかで買いました。

長野県人が 鯖缶で作ったカレーが県民食と知り あら~嬉しくなりました。
鯖缶カレーは 私には昔懐かしの おふくろの味になります。

小学校低学年の昭和34-5年のころ 今晩はカレーにしようと母が言った日は
朝から嬉しくて 早く日が暮れんものかと待ちました。

当時のわが家は冷蔵庫がなく 魚売りの車が マイクで歌謡曲を鳴らし行商
に来ていましたが たまにしか買えなくて と当時の農村は皆そうでした。

そんな時 戸棚に大切に仕舞われた鯖缶を使い 何より私が喜ぶ鯖カレーを
母は作ってくれました。

当時のカレールウは確か メタル印度カレーという名で 黒人の絵入りの箱
だったと思います。

スーパーで捜しても メタル印度カレーは見つからず SBのカレールウを
買い 金時ニンジンがないので 洋ニンジンにしました。

 

ニンニクと生姜を入れ カレールウは半箱 水700cc コンソメは1個 形が残るよう
鯖缶は最後に入れて 青みに冷凍の枝豆を散らしました。
ご飯は一食に120㌘と決められていますが カレーの時は 150㌘は食べたい。。。

 

昔と同じ 具だくさんの鯖カレーは 涙が出るほど懐かしい味のはず でしたが
あれ~ これはどうしたことか 期待したほどでなく イマイチの味じゃがね。。

コンソメは普段の半量入れたけれど 1個じゃコクが出んのかな?和風ダシの方が
相性が良かったのかなぁ と考えつつ食べています。

考えつつも 鯖カレーはいけるね これからずっとカレーは鯖じゃね!  と勝手に
口がしゃべるわけでして ええ 演技派女優ですからね私は

お母さん次は ぎゅうかぶたにしよう 鯖はもうこれきりにしよう とは夫です。
はいはい次は ビーフかポークにしましょうね。

    

コメント (16)
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りゅうきゅう2018。

2018-09-21 13:06:53 | 食物関係

毎年々々夏には バカの一つ覚えよろしく りゅうきゅうを載せなければ 夏が
終わらない というほどのりゅうきゅう好きです。

はい りゅうきゅうとは 県内ではどこでも通じる地方区の名前で 全国区では
ハスイモという 標準名があります。

それが今年は不順な天候からか 産直に出るりゅうきゅうが 例年より弱々しく
値段が高いですが 出ると待っていたように 即完売になります。

やっと3束ゲットで 1束が120円でした。皮を剥ぎ斜めにそいで 塩をパラリ振り
きゅっきゅと揉んで   水にさらし塩を抜いたら   小袋に分け冷凍しますが 今年は
品薄で 冷凍保存は諦めました。

 
  

りゅうきゅうは 例年産直に寒くなるまで出ますが 季節が進むと水分が減り味が
落ちますので 暑い時期のりゅうきゅうが 旬の味になります。

わが家のりゅうきゅうレシピは ほとんど酢の物になりますが ↑の切り口を薄く
切り味噌汁に浮かべたら スポンジ状が汁を含み なかなかいけます。

りゅうきゅうを買って 帰りにスーパーへ寄ったら 運よくマグロの切り落としが
1パックあり 生わかめと 酢ミカンのブシュカンを搾って 酢揉みを作りました。
ブシュカンの皮をおろし金ですり入れると ぱあっと爽やかな香りに包まれました。

 

時間とともに マグロに酢がしみて白くなりますが 作りたての赤身のほうが私は
好きです。

子どもの頃 りゅうきゅうは嫌いでしたが 歳とともに好きになりました。

そりゃあおいしいですもの かつて宮尾登美子さんが飛行機に乗って 日曜市まで
りゅうきゅうを買いに来た話は 宮尾さんの講演で ご本人から聞きました。 

 

 

コメント (28)
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