日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 つい先日、池袋の友人宅を訪ねて最近中国で一大センセーションを巻き起こしたテレビドキュメンタリー「大国崛起」の第7話「百年維新」(日本編)を観てきました。

 友人といっても配偶者の友人でハルピン出身の女性。大学を出ていて私と同い年ですから「六四世代」ということになりますが、そういう話をしたことはありません。日本人男性と結婚して子供も生まれ、今後も日本に定住するようなのですが、帰化はせずに中国籍のままです。

「何て言うか、田舎(ハルピンの実家)に里帰りするときに外国のパスポートで帰るなんて、ちょっとできません」

 とのことで、ある種の矜持を持っているという意味では好ましい光景に思えます。

 ――――

 この女性、仮にAさんとしますが、この人の中国語の発音が実に美しいのです。

 よく透る声を持っているということも関係しているでしょうが、方言がなく明晰でメリハリがあって、しかも芯がちゃんとあるのに、たゆたうような、どこかはかなさを感じさせる彼女の中国語を耳にすると「これだっ!これが中国語だっ!」と思いながら私はその発音に酔います。美しい旋律を聞くかのように、目を閉じて陶酔してしまうのです。

 北京語といえば、私が香港から台湾へと流れていったころ、日本の某大企業で中国人チームによるデジタルコンテンツの制作が進められていて、私はその一部始終を取材者という立場で、ごく間近で野次馬として眺めるという幸運に浴しました。日本語版を中国語版にローカライズするのではなく、オリジナルが中国語版で、日本国内でも日本語版を販売するという変則的ながらも画期的な試みです。

 作品の構成上、声優が必要になりました。日本人の声優ならいくらでもいるでしょうけど、中国人となるとそうもいきません。それでもどこをどう探してきたのか、Aさんの域には達していないものの、男性も女性も私の心を揺さぶるような美しい中国語使いばかりでアフレコが行われました。

 ところが、この作品が台湾で発売されるや、「声優がよくない」という意外なブーイングが巻き起こりました。私が音楽のような美しさだと感じていた中国語は、台湾人からすると田舎くさく感じられたようです。

 そういえば中国本土のテレビの司会者がしばしば台湾独特の接尾辞を使う、要するに台湾風の中国語を話すことに「なげかわしい」という声が出て、中央部門のお達し(確か広電総局)で禁止令が昨年出された筈です。真似るくらいですから台湾風の中国語にポップな、あるいはスマートな印象があったのかも知れません。

 当ブログで再三表明しているように、私は何事も無条件で台湾贔屓です。ところがただ一点、Aさんの発音に酔うくらいですから、中国語だけは例外として台湾の肩を持ちません。あのメリハリに乏しく、語尾が甘ったるい発音だけは勘弁してくれといったところです。

 ……また余談に流れてしまいました。軌道修正します。m(__)m

 ――――

 池袋のAさんのところへ行って「大国崛起」を観てきた話でした。

 この「大国崛起」というテレビドキュメンタリーは過去500年の間に大国へと成り上がった国々の歩みを紹介したもので、「大国」としてポルトガル・スペイン、オランダ、英国、フランス、ドイツ、日本、ロシア、米国が選ばれています。私が観たのは第7話、日本編の「百年維新」と題された回です。

 1時間弱の番組でした。1度観て、うーんと思いました。

「どうでした?」

「もう1回、いいですか?」

 とAさんに頼んで再度鑑賞したのですが、やはりこちらは唸るのみです。胡座をかいて腕組みをした格好で、左肩をちょっと落として御家人が首をひねっている図、であります。

 わからなかったのです。明治維新以来、波打つような躍進と没落に翻弄された日本が第二次大戦後に復興して世界第二の経済大国へと発展する歴史を示して、この番組が視聴者に何を訴えたかったのかが私にはわからなかったのです。

 そもそもこのシリーズ化されたテレビドキュメンタリーは何なのだろうと思いました。いや、「大国崛起」という名が示す通り、中国が「大国」の仲間入りをしようかという時期に至って、過去の大国への成り上がりの歴史を省みて参考にしよう、お前ら国民もよく考えろ、という意図であろうことはわかります。

 しかし、です。私は日本編しか観ていませんからそれに限定して話を進めるしかないのですが、この「百年維新」を観ることで、中国の参考になることがあるとは思えません。

 イデオロギーや中共史観からの制約を表面上は受けていない、という点において、この番組は特殊であり平易であり、中共モノとしては例外的に客観性があるというか、勧善懲悪に陥らない珍しいケースです。私の観た「百年維新」にも軍国主義という言葉は出てきますが、南京虫事件とか靖国神社といった単語は登場しません。

 ただ、淡々とした描写に終始していて、緊張感のようなものがないのです。そして、この「百年維新」は中国人にとって毒にも薬にもならないのではないか、と思いました。

 ――――

「Aさん、『河殤』は観たことがありますよね?」

「もちろんです」

 「大国崛起」のヒットによって、比較対象として引っ張り出される1988年に放映されたテレビドキュメンタリーです。ごく簡単に言ってしまうと、

「われわれには伝統文化に由来するしがらみが多すぎる。これを断ち切って西洋文明を大胆に導入しなければならない。さもないと中国は国際社会の発展から取り残される」

 という危機感、緊張感そして切迫感が随所に溢れる名作です。政治的には改革推進路線を主張する趙紫陽・総書記(当時)とそのブレーンら改革派への応援歌といっていいでしょう。1988年夏のスーパーインフレで経済政策の主導権が趙紫陽から保守派の李鵬・首相(当時)らへと移ると、「河殤」は放映禁止となり、関連書籍も発禁本となりました。

 この
「経済改革と政治改革のさらなる深化を」という「河殤」が訴えた内容への共感、改革路線の後退、そして「河殤」が保守派によって発禁にされたことで若手知識人が焦燥感を強め、それが翌1989年春に発生した大学生・知識人による民主化運動の主な源泉のひとつとなり、あの6月4日の天安門事件で全てが終息するのです。

 終息したのは他でもない、「経済改革に政治改革が伴ってこその改革だ」という考え方です。そういう意見の持ち主である趙紫陽は失脚して軟禁され、そのブレーンたちも逮捕されたり海外に脱出するなりして、その後の中国の改革・開放政策は政治改革に見向きもしない、経済改革一辺倒の片肺飛行となりました。

 それを15年以上続けた結果が、汚職の蔓延、官民衝突の頻発、貧富の格差・都市と農村の格差・地域間格差・業種間格差の拡大といった現在の袋小路的な状況です。趙紫陽のやり方で、政治改革を並行して行えばうまくいったかどうかは想像のしようもないことですが、現在よりも調整弁が増えることによって、社会状況はここまで悪化しなかったかも知れません。

 ともあれ、「河殤」と比較してみると、この「大国崛起」日本編は「河殤」同様にイデオロギーや中共史観からは解放されているようにみえるものの、その内容には緊張感も切迫感もなく、日本がなぜ成功したのかという急所を突いてもいません。……だから私はうーんとうなり、これでは毒にも薬にもならないんじゃないかという感想しか浮かばなかったのです。

 ――――

 話は黒船来航から始まります。その衝撃がいままで中国を師としてきた日本を大転換させ、積極的・徹底的に西洋文明を採り入れることで近代化の道に乗った、と説明されます。その勃興の過程を物語る上で、日本の資本主義の父ともいえる渋沢栄一を選び、その足跡をたどる形にしたのはなかなか秀逸です。

 ただ、なるほどと思えるのはそこまでです。あとは戦争で日本が焼け野原になって、しかしそこから復興して奇跡の経済成長を遂げ、瞬く間に世界第二の経済大国にのし上がった過程が描かれます。唯一いいところを衝いていると私が思ったのは、焼け野原から復興を果たした原因を、

「軟実力」(ソフトパワー)

 に帰している点です。ビルは崩れ落ち船は沈み、かつての繁栄を物語る証は全て失われても、「軟実力」があったから日本は再起できたのだ、というのです。

 「軟実力」はどう訳すべきか、創造や発明や創意工夫そして生産性向上を実現せしめる高水準の人間の力といった意味のようで、広義に解釈すれば
「民度」だと私は思います。

 「百年維新」の物足りなさもそこにあります。日本はなぜ復興したのだ?民度だよ、民度が高かったからだ。……とまで語っておきつつも、その民度(軟実力)はどうやって形成されたのかというポイントには全く言及されていません。このあたりが「大国崛起」制作チームの限界であり、イデオロギーや中共史観から一見自由なようでいて、実はそうでないことが垣間見えている。……と私には感じられた部分です。もう一歩踏み込むべきなのに、踏み込むことを許されなかったのではないかと。

 ――――

 この「百年維新」の不可思議なところは、黒船来航と明治維新から話が始まっていることです。ほぼ同じ時期、お隣の清王朝は「アヘン戦争」での大敗など産業革命を背景とした西洋列強のパワーに抗う術もなく、喰い物にされていました。

 なるほど、清王朝も洋務運動といった体制内改革のようなものは試みられていますが、日本と違って全て失敗しています。清王朝にできなかったことが、どうして日本にはできたのか、という中国人視聴者なら当然抱くであろう疑問に、この番組は全く答えてくれません。

 ここからは私の勘繰りとなります。「大国崛起」制作チームは、「軟実力」すなわち比較的高い民度を実現する原動力にふれることを許されなかったのではないか、と私は感じました。

 乱暴な言い方になってしまいますが、民度は社会によって育まれます。その社会を規定するのは政治制度です。「大国崛起」は「日本は中国を師としていた」とさり気なく語るだけで明治維新以前の一切をまとめ上げてしまっていますが、そこが問題なのです。

 日本にとって、中国は確かに師匠に近い存在ではありました。ただ師匠は中国だけではありませんでした。江戸時代には蘭学があり、その手前の織豊時代には大航海時代に乗ってやってきた南蛮文化も吸収しています。そして最も重要なのは、師匠である中国からみて、日本は常に不適格な学生だったということです。例えばクラスメートの朝鮮と比較することでそれは際立つのではないかと思います。

 よく言われることですが、中国の律令国家制度をそのまま引き写した筈なのに、日本は科挙の制度もなければ宦官もいない中途半端なシステムとなり、中途半端であるが故に、お手本である中国の制度からどんどん離れていき、最後には鎌倉幕府という武士政権が誕生し、それが明治維新まで続くことになります。

 鎌倉、足利、徳川といった各時代の将軍はいずれも中国の歴代王朝の皇帝のような絶対権力の持ち主ではなく、大名連合の盟主というべき存在で、大名は将軍家の家来ではありません。このため、将軍家が衰退したとみるや、すぐさま野党ともいえる有力な大名らが立ち上がって政権を覆してしまいます。……結果的に内部からの衝撃、そして黒船来航のような外圧にも臨機応変に対応のきく適応力の比較的高い政治システムだったことが、明治維新という変身技を使えた幕末期の日本と、歴代王朝そのままの清王朝との違いのひとつといえるのではないでしょうか。

 もう一点は「大国崛起」が指摘するように「軟実力」(民度)です。太平の江戸時代が300年近く続く中で、寺子屋や私塾などにより、幕末期を迎えた時点での日本人の普通教育のレベルは、文明の系統こそ違えど西洋列強と比べても決して低いものではありませんでした(文盲率もそうでしょう)。そうした民度を基盤として、その上にエキスパートが存在します。エキスパートが吸収したものが咀嚼しやすい形に転化されて、基盤である一般国民も難なくそれを消化できる。一般国民にも消化できる能力があった、だから近代化の軌道に乗れた。……という点が、清王朝と異なる第二点です。

 ――――

 繰り返しになりますが、民度は社会によって育まれ、その社会を規定するのは政治制度です。だからこそ、「大国崛起」は日本の戦後の復興という奇跡を語る上で「軟実力」と答案のみを示し、答案に至る過程は全て端折ってしまったのだと思います。

 過程を明らかにしてしまうと、国民が「じゃあわれわれ中国の政治制度はどうだ」と自問自答することになってしまうからです。当然ながら、そこには一党独裁制に疑問を呈する声も出てくるでしょう。それが統治者たる中共にとって好ましいものでないことは、いうまでもありません。

 「百年維新」(第7話)以外を観ていないので大上段に振りかぶることはできないのですが、日本編である「百年維新」を観て感じた物足りなさ、毒にも薬にもならないような不徹底な内容は、そのあたりにカギがあるのではないかと愚考する次第です。

 それから「河殤」とは対照的に、危機感、緊張感、切迫感といったものが「百年維新」には全くありませんでした。もしそれが「大国崛起」全編に共通した特徴なのであれば、それはたぶん「大国」の仲間入りをせんとする中国が、その表面的な都市部での繁栄とは裏腹に、実態は対外依存度の高い経済構造に象徴されるような足腰が心もとない空中楼閣でしかないことに通じているのかも知れません。




コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
レビュー待ってました (Unknown)
2007-01-16 09:12:14
youtubeで日本編の雰囲気だけ見ました。
各話上がっております。
 
 
 
Unknown (御家人)
2007-01-16 09:52:55
>>Unknown
 いや、レビューといえるような内容のものでなくて申し訳ありませんでした。それにしてもyoutubeにupされていたとは知りませんでした。他の話もみたいですし、それからあのナレーションがいいです。「河殤」には劣るものの、朗読&作文の教材としては恰好のものでしたから。
 
 
 
Unknown (大丈夫?)
2007-01-16 09:58:50
ようつべには全話アップされていますね。

あと、副読本も出版されているみたいです。

http://book.sina.com.cn/nzt/history/his/daguojueqiriben/index.shtml
 
 
 
Unknown (大丈夫?)
2007-01-16 10:03:18
副読本のコメント欄を読むと、民度と教育重要性を分かってる中国人もいるみたいですねー。
 
 
 
Unknown (御家人)
2007-01-16 11:40:41
>>大丈夫?さん
>副読本のコメント欄を読むと、民度と教育重要性を分かってる中国人もいるみたいですねー。

 そりゃ私ごときがみてもわかるのですから、「百年維新」を真剣に観た中国人なら当然気付くでしょう。コメント欄にはマトモな意見が多かったですね。でもあれより討論を深めてしまうと削除職人の出番でしょう(笑)。

 それにしても、必要以上に日本を敵視する姿勢は、私の留学時代にはなかったものです。ああ亡国の世代。江沢民も罪なことをしたものですねー。

 最後になりましたが、お久しぶりです。m(__)m
 
 
 
軟実力 (鴨洛斎)
2007-01-16 11:56:22
日本の「軟実力」は、古代から続く天皇制と鎌倉・室町あたりから確立した封建制度の二重権力構造が、旨くシナジーを発揮した社会で成立したものですから、何れも欠く支那には、真似できないでしょう。
 
 
 
Unknown (大丈夫?)
2007-01-16 12:07:18
お久しぶりです。

>国民素質源于什么?国民教育!励精図治需上行下效而已。国本不同的悲哀 !

たった一行なのに行間から滲み出てくるものがありますね。
 
 
 
Unknown (御家人)
2007-01-16 12:29:47
>>鴨洛斎さん
 全く同感です。「百年維新」の問題は、「なぜ日本は明治維新に成功したか」についての説明が全くなされていないまま、唐突に明治維新から話がスタートすることです。これは御指摘のように、本来なら「一所懸命」の鎌倉時代からアプローチしないとダメだと思います。

>>大丈夫?さん
 それ、私も読みました。万感の思いが凝縮されているような一行です。しかしこういうリズム感のある中国語はさすがにネイティブですね。到底真似できません。
 
 
 
はたしてそうなのでしょうか? (なみへい)
2007-01-16 17:03:08
Unknownさま
であれば、台湾を別にして、韓国や東南アジアなどの
後発国でも、日本とは別のモデルで発展した國が見あたらないのは何故でしょう。日本程度の人工の國は幾つかあると思うのですが・・・
台湾は、50年間日本でしたから、2世代から3世代の日本統治の影響があると考えております。
 
 
 
Unknown (御家人)
2007-01-16 17:30:20
>>なみへいさん
長々とした書き込みも所詮はUnknownですから相手にする必要はありませんよ。いきなり丸山真男ですしね(笑)。コメントに対するコメントでエントリーから無関係な方向に流そうとする投稿を放置するほど私は寛容ではありません。削除しときました。
 
 
 
明治維新以前の日本 (90)
2007-01-16 19:22:23
シナ人の頭の中は明治以前の日本はシナに及びもつかない後進国というイメージがあるようですね。だから唐突に明治維新がきているのでしょう。「中日論壇」を見ていたらいつも日本を罵るあるコテハンが明治以前の日本を「奴隷制国家」と言っておりました。そんな国家が明治維新を成立させたらそれこそ疑問に思わなければならないのに。

youtube 見るべきでしょうか。
 
 
 
Unknown (金豚)
2007-01-17 07:01:07
江戸時代は商業の発展によりある程度市民社会になってましたからねえ。しかし、戦後の体制移行を支えた大正デモクラシーの見事なスルーっぷりには笑ったです。
 
 
 
識字率と民度の関係 (てんてけ)
2007-01-17 09:41:54
江戸時代に識字率が高かったことについて、
落語に出てくる「長屋のご隠居さん」を例に挙げて、旅になんて全然行ったことがなさそうな人でも本を読むことで世の中のこと、遠くのことを詳しく知っている人が増えた、
好奇心とか本を読む集中力とか人に物を教える親切さとか記憶力のことなどを読み解いた人がいましたけど、
中国では近所の人達が認めるの賢い人の(面白い、伝わりやすい)“お話し”はあるのでしょうか。
(…そういえば現代の日本のマンガでも、主人公がちょっとした疑問、だけど自分で本を読んで調べるほどの手間をかけたくない程度の疑問について、教えてくれる登場人物っていますね)
 
 
 
日本の近代化 (江戸人)
2007-01-17 15:56:59
 『日本の200年-徳川時代から現代ま』(上下)アンドルー・ゴードン著(みすず書房)(原題:A Modern History of Japan)でも、なぜ日本の明治革命が成功したのかということについて、江戸時代後半から始まった近代化ということがあげられていますね。
 日本の特殊性という観点から考えるのではなく、世界史における「近代」という新しい時代が、同時並行的に日本にも立ち現れていた、という視点で書かれています。そのことがかえって、日本の近代化における江戸時代の意義を明確にしているように思います。
 そういう観点なくして、明治維新だけをみても、本当の理解は出来ないと思うんですよね。
 この本は、アメリカの日本史を学ぶ学生向けのテキストとして書かれたものですが、おもしろいです。小泉政権の成立くらいまでが書かれています。
 
 
 
江戸時代の識字率の高さの理由 (princeofwales1941)
2007-01-18 11:13:27
フランスの著名な社会学者で最近日本核武装論を主張しているエマニュエル・トッド氏が「新ヨーロッパ大全」で面白い分析を行っています。http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/book059.htm

ドイツ・スウェーデン・日本・韓国は長男一人に一家の資産を相続させて祖父母が孫と同居する「直系家族」という家族形態という共通点があります。そして、このような国では一度教育普及により識字率が上昇し始めると一挙に非常に高い水準に達し、それが継続するそうです。その高い教育水準は、工業国としての国家の発展の原動力となり、他国より工業の比重の高い状態になると分析しています。中国はロシア・イスラム圏と同様の「共同体家族」という別の家族形態です。
 
 
 
勘違い君は削除しときました。 (御家人)
2007-01-27 06:16:07
 えーと、一種の専門バカ君がUnknownで長々とコメントしていたので削除しました。理由は簡単です。「大国崛起」の感想という主題を無視して別なことを長々と書き続けたためです。専門バカの典型ですけど、そんなに字数を割くのであれば御託は当エントリーの主題である「大国崛起」日本編の感想を述べるところから始めてもらいたいものです。しかもUnknownですからね。

 適応力がどうの、変身技がどうのと書いてありましたが、大雑把に考えれば済むことです。日本が黒船来航から明治維新に至るまでの時間はわずか15年です。清王朝が産業革命を背景とした欧米列強との接触という衝撃からアベン戦争(1840年)やら義和団事件などを経て辛亥革命(1911年)にたどり着くまで何年かかったのでしょう?私の言う政治制度における適応力とはそういうことです。

 アヘン戦争から数えても70年かかっている。しかも辛亥革命も統一国家としての実質を持っていなかった。恐るべき適応力と変身技ですね(笑)。「大国崛起」日本編がそういう基本的な疑問に対してスルーしているところも中国人にとって「毒にも薬にもならぬ」所以です。
 
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