笑っちゃいけませんけど皮肉りたくもなります。例の「農民による民主化運動」、広州市番禺区の太石村事件のことです(正確には広東省広州市番禺区魚窩鎮太石村)。
当ブログでも事件当初から追いかけている事件です。これまで事態が二転三転してきました。「民主化運動だから潰されたんだ」と私は最初に指摘しましたが、その考えはいまも変わっていません。それどころか、事態が転変を重ねるうちに、だいぶわかりやすい展開になってきました。
ここまでの動きについては下記を御参照下さい。
●「民主化運動」だから断固弾圧――番禺太石村事件。・上(2005/09/15)
●「民主化運動」だから断固弾圧――番禺太石村事件。・下(2005/09/15)
●番禺太石村事件3――愚民量産を邪魔されると中共は御陀仏。(2005/09/16)
横着な方は以下を。いままでのざっとした流れについて前回ふれたものです(かなり大雑把です)。
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村民は村長の汚職を糾弾して当初弾圧され、翻って要求が受け入れられ、かと思うと警官隊に踏み込まれ、「社会の安定を見出す不埒な行為」と地元のニュースで叩かれ、悪者扱いさえされました。
ところが中央のメディアで村民の法制に基づいた行動に対する好意的な記事が出ると、地元当局は再び掌を返したように村民委員会の改選を認め、ただし官製候補を立てて我意を通そうとしました。ところが村民が自分達で推した別の7候補が選挙では圧勝。すると今度は当選した「民選候補」に対する脅迫が行われ、村民の団結を何とか切り崩そうと躍起になっています。
……この二転三転ぶりにはいくつかの原因があると思いますが、いずれにせよ「対話」の存在する余地はなく、実際にそのカケラすらみられません。そればかりか、村民を支援していた弁護士が消息を絶ち、選挙を視察に訪れた人民代表が警察によって一時拘留されるという事態すら起きているのです。
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太石村の村民たちが法律に則って汚職疑惑のある村長(村民委員会主任)罷免動議提出に必要な署名を集め、それが受理されて罷免動議が認められたのが9月11日。ところが翌12日に警官隊多数が村を急襲、実力行使によって村民たちが「汚職の証拠」として厳重に管理していた会計資料一切を持ち去りました。その夜の番禺地区のテレビニュースでは、
「一部の不法分子はある種の企てを達成するため、ごく一部の無知な村民を煽動して村長罷免の名目で村民委員会を占拠し、その財務室を封鎖、また幾度にもわたって番禺区や魚窩鎮の担当職員や同村の幹部を職務を妨害するなどの行為に及んでいる。」
と報じて、一連の事態を「少数の不法分子による陰謀」と決めつけました(まるで1989年の天安門事件のようです)。村民たちがちゃんと法に即して署名を集め、それが受理し罷免動議が認められたことは全てスルー。こうなると署名も何も「なかったこと」ということになります。
村民たちは何ら法を犯していないのに悪者扱いされる。ここが象徴的なところです。村民の一部ないし村民たちが「悪」とされたのは「法律に照らして違法」だったからではなく、中国共産党の価値観からみて「政治的に悪」だったからです(これも1989年の民主化運動と同じ展開です)。
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法律や政府よりも中国共産党の意向が優先される、というのは中国では常識です。
村民に広く法律知識を持たせてしまうと、「法制あれど法治なし」という現状を再確認するだけでなく、さらに認識を深めて、問題の原因は政府や法律よりも高い位置に党(中共)が存在しているからだ、それが諸悪の根源だ、という「常識」に気付いてしまうことになります。
それが困るから、中共は毛沢東時代以来ただひたすらに愚民政策、それを揺るがすことなく現在まで堅持し続けているのです。「愚民量産を邪魔されると中共は御陀仏」とはそういう含意です。
だから太石村の事件にも上記のようなパワープレイが用いられました。「政治的に悪」認定が出た訳ですから、あとは「少数の不法分子」(たぶん村民に法律の知識を教え込んだ馮秋盛氏など)を警察が逮捕するだけです。この「陰謀説」に足並みを揃えるかのように、村民の活動を法律顧問として直接支援してきた郭飛雄氏も同じく12日から消息を絶ち、行方不明になっています。
お決まりのパターン、「民主化運動だから断固弾圧」ですね。歴史的な活動ともいえる太石村の「農民による民主化運動」は、これで潰えたかにみえました。
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ところが、ここで再び事態は一変します。署名活動も村長罷免動議も「なかったこと」とされた筈なのに、番禺区政府は9月15日になって突如、太石村村民委員会選挙の実施を発表したのです。村民にしてみれば、なぶられているようなものでしょう。
ちなみにこの選挙は村長選挙ではなく、村長罷免の是非を決める村民委員会を選出するというものです。定数は7。番禺区政府は候補者として7人の名を挙げましたが、これとは別に村民が自分達で候補者を立ててもよいとのことでした。
ただしこの選挙、15日に実施を発表して投票は翌16日の午前9時。村民や、村民をネット上で間接的に支援している反体制系知識人たちに時間的余裕を与えないためでしょう。
が、村民たちは屈することなく、自分たちで7人の独自候補を擁立しました。そして行われた村民委員会選挙の結果は、村民たちが担ぎ上げた「民選候補」7人が全員当選。「官製候補」で村民委員会を固めることで我意を通し、問題を握り潰してしまおうとした当局の目論見は、見事に崩れ去ったのです。
(「下」に続く)
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vipperとして出来ること=嵐wwでがんばりますw
ところで、
>「法制あれど人治なし」
これは『法治なし』の誤りでは?
vipperさん、御指摘本当に有難うございます。訂正致しました。
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