長良川観光ホテル 石金ブログ

岐阜城・金華山・長良川を見ながらのおいしい岐阜のお料理と露天風呂が自慢!鵜飼なら石金がオススメ★

一の門は道三が 天守台は信長が造った

2021年02月23日 | 金華山:岐阜城

岐阜市は令和3年1月29日、市内の金華山の山上部付近で進める岐阜城の発掘調査で、織田信長が築いたとされてきた城門「一ノ門」は、構造から信長の前に居城とした戦国武将斎藤道三が築いた可能性が高い、と発表した。岐阜城はこれまで信長が入城後に大改修したとの見方があった。滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「岐阜城は信長による独創性の高いものと考えられていたが、城の姿を大きく塗り替える」として、定説を覆す成果と強調している。





 市は2018年度から山上部で本格的な発掘調査を始めた。本年度は一ノ門と天主の土台(天主台)周辺の石垣を調査している。

 一ノ門は江戸時代の絵図や記録に出てくる門で、城の入り口に当たる。巨石と石垣を組み合わせた造りで、市は巨石を用いた理由について「来訪者を威圧しようとしたのではないか」と推察している。





 一ノ門の調査は周辺の約180平方メートルで実施。周辺で倒れている巨石や石垣を調べたところ、門の構造が16世紀前半に美濃国守護の土岐氏が築いたとされる山県市の大桑城の「岩門」に非常に似ていることが分かった。土岐氏に仕え、後に追放した道三が、土岐氏と同じ技術を用いて築いたとみられる。道三は守護の居城にあった城門の構造を、美濃国の国主としての威厳を示すために取り入れた可能性がある。

 金華山の山麓で以前行った信長居館跡の発掘調査では、巨石を使った構造の入り口が見つかっている。岐阜市は「信長は新しい城造りをしたというイメージがあり、居館と一ノ門の巨石も同じに見えたので、信長が築いたと考えてきた」と説明した。





 調査ではまた、土中から瓦が発掘された。城の構造に瓦を使うのは、信長が岐阜城に入城した1567年以降に多く見られるため、市は「信長は道三が造った一ノ門を引き継ぎ、瓦ぶきの門に改修した可能性がある」としている。















 天守台周辺の石垣調査は、昨年度に続いての実施となった。出土した瓦の模様や石垣の積み方の特徴から、昨年度の結果と同様に市は「石垣は信長が築いた可能性がさらに高まった」と結論付けた。

 中井教授は「信長は城の中心となる天主台を造り、玄関先の門は道三が造った構造をそのまま活用した。信長は新しい城に改修したと考えられていただけに、どうしてこうなったか研究していきたい」と評価している。

 


岐阜 梅林公園 梅開花情報

2021年02月23日 | レジャースポット
岐阜
梅林公園の梅開花情報です。
令和三年二月二十一日現在



ポカポカ陽気で開花が進んでいます。


梅の名所として知られる公園で、約50種1,300本の梅の木が植えられています。もとは私有地でしたが、岐阜市に寄贈され更に整備拡張され現在に至っています。




毎年1月中旬から早咲きの梅が咲き始め3月上旬から見頃を迎え、3月下旬まで様々な梅の花が楽しめます。
また、3月上旬には梅まつりが開催され多くの人で賑わいます。








この他、園内には蒸気機関車D51(通称デゴイチ)が展示され、現在も市民の手によって保存されています。














ぎふ梅まつり

梅の名所として有名な梅林公園とその周辺で開催される祭り。
園内では写真撮影会など各種イベントが行なわれる他、周辺の商店街での協賛イベントや市民茶会などが行なわれます。
追記
残念ですが
今年も昨年に引き続き梅まつりは中止の発表されています。


疫病退散 赤鬼巡り

2021年02月01日 | 石金周辺イベント情報
今年の節分は
明日
二月二日です。

岐阜市の
疫病退散
鬼巡り



疫病退散


玉性院(ぎょくしょういん)は岐阜県岐阜市加納天神町にある不動明王を本尊とする真言宗醍醐派の寺院で、山号は東光山。美濃四国40番札所。

慶長年間に理源法脈37世義演法海により開かれる。文化年間の地図には修験玉性院と記されている。現在の構えは濃尾地震による震災と岐阜空襲による戦災を経て再興されたものである。

昭和27年(1952年)より、当時の住職の発案で節分の時期に鬼に扮した厄男を御輿に担ぐつりこみ祭りが行われるようになり、岐阜の節分における風物詩となっている。このつり込み祭りは後におかめに扮した厄女も担ぐようになった。平成30年(2018年)以降、金の御朱印を拝受することができるようになった。

本尊不動明王のほか、庚申青面金剛、秋葉三尺坊大権現、弘法大師及び歓喜天が祀られている。







岐阜市
善光寺

善光寺(ぜんこうじ)は、岐阜県岐阜市にある真言宗醍醐派寺院山号愛護山本尊善光寺如来善光寺安乗院ともいう。通称は「岐阜善光寺」、「伊奈波善光寺」。美濃四国第1番札所。

2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される。










岐阜市
大門町
地蔵堂

慈恩寺(岐阜市)概要: 景徳山慈恩寺は岐阜県岐阜市大門町に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。慈恩寺の創建は鎌倉時代初期の文治3年(1187)に開かれ、戦国時代の永禄11年(1568)に現在地に境内を構えたと伝えられています。寺宝である木造延命地蔵尊像は弘法大師空海(真言宗の開祖)が彫り込んだものとされ、当初は一乗寺に安置されていましたが永禄11年(1568)、織田信長が現在地に地蔵堂を建立し移されました(永禄10年:1567年に織田信長の美濃侵攻により新たに岐阜城の城主になった事から城下町の町割りにより移されたと思われます)。

木造延命地蔵尊像は桧材、寄木造、彫眼、彩色像、藤原時代後期に製作されたと推定されるもので貴重な事から岐阜市指定重要文化財(彫刻)に指定されています。木造芭蕉像は安永6年(1777)に永尾季三と惣連中が芭蕉の82年目の命日に慈恩寺に寄進したもので野田興三八が製作しました。木造芭蕉像は杉材、寄木造で貴重な事から岐阜市指定重要文化財(彫刻)に指定されています。地蔵堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き(向拝屋根は銅板葺き)、平入、桁行2間、張間2間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り。山号:景徳山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:地蔵菩薩









岐阜市
正覚院

マスク姿の
赤鬼