息子の応援である高校へ行ったついでにあちこちを歩いて見つけた。
この神社は、たしか高良山のこの神社と関係があるはず。
高良山の方には、
祭神 天照大神
由来 伝えるところによれば、桓武天皇の延暦3年(784)9月国司藤原易興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山田、現伊勢市)より遷座されたという。建仁元年(1201)の文書には、単に「伊勢社」とあり、室町時代末の「高良社画縁起では、山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれているが、明和4年(1767)の府中大火を機として、現在地に遷座された。(標示板より)
そして大石町のほうは、
大伊勢天照御祖神社 石太神宮ともいわれる。
祭神 天照国照彦天火明尊
由来 大石町字速水にあり由緒詳ならず。当地には大石神社遺跡・速水遺跡・南崎遺跡など弥生時代中~後期の遺跡がひろがっている。
『延喜式』神名帳は、筑後国三井郡三座のうちに「伊勢天照国照御祖神社」を記すが、久留米市御井町の高良大社の末社(この伊勢御祖神社のこと)と当社(久留米市大石町に鎮座する伊勢天照御祖神社のこと)に比定が分かれ、他に『筑後国神名帳』の三潴郡「正六位上大石兵男神」を当てる説もある。(パンフレットより)
この神社は地域の人にはなんて呼ばれているのだろうか。
だれかに聞いてみたい。
この神社は、たしか高良山のこの神社と関係があるはず。
高良山の方には、
祭神 天照大神
由来 伝えるところによれば、桓武天皇の延暦3年(784)9月国司藤原易興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山田、現伊勢市)より遷座されたという。建仁元年(1201)の文書には、単に「伊勢社」とあり、室町時代末の「高良社画縁起では、山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれているが、明和4年(1767)の府中大火を機として、現在地に遷座された。(標示板より)
そして大石町のほうは、
大伊勢天照御祖神社 石太神宮ともいわれる。
祭神 天照国照彦天火明尊
由来 大石町字速水にあり由緒詳ならず。当地には大石神社遺跡・速水遺跡・南崎遺跡など弥生時代中~後期の遺跡がひろがっている。
『延喜式』神名帳は、筑後国三井郡三座のうちに「伊勢天照国照御祖神社」を記すが、久留米市御井町の高良大社の末社(この伊勢御祖神社のこと)と当社(久留米市大石町に鎮座する伊勢天照御祖神社のこと)に比定が分かれ、他に『筑後国神名帳』の三潴郡「正六位上大石兵男神」を当てる説もある。(パンフレットより)
この神社は地域の人にはなんて呼ばれているのだろうか。
だれかに聞いてみたい。
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