ゴゥオー!!という地鳴りと共に宙に身体が突き上げられた。
その瞬間、「ギャー!!助けて!!」と叫ぶ悲鳴。
ガラスの割れる鋭い音、棚が倒れる鈍い音。
あの日の恐怖の記憶は、海馬の奥に刻まれている。
1995年1月17日午前5時46分の出来事。
今朝もなぜか5時30分頃に目覚める。
走馬灯のように次々と想い出とともに
暗闇の中の悲惨な映像が浮かぶ。
夜明け後に見た地割れした道、全壊した家々。
曲がりくねった線路、倒壊した高速道路。
多くの地域で天災に遭遇した人たちが見る光景である。
「暗闇の中、凄い地鳴り、突き上げられる激震。舞うからだ。
悲鳴。ガラス類が叩き割れる音。棚が倒れる音。
第一波、第二波の激震がおさまり、直後に外を見ると、
いつもは目に入る阪神高速道路や街の灯りもなく、
一瞬不思議な静寂が漂っていました。」
「一体何が起きたのか、あまりの衝撃に考えることもできない放心状態。
空を見上げると、暗黒の空間に細長い不気味な赤い雲が
大阪の空から神戸の空へと一直線。
神戸市内を見ると暗闇に包まれた住宅街から燃え上がる炎。
まるでおちらこちらで焚き火をしているような光景。
この時、何が起こったのかを悟ることができました。」
「尊い命を失った多くの人々、家が崩壊した多くの人々、
そして今(平成8年11月)なお孤独死が続いています。
親を失った遺児たちが約600人、仮設住宅には約70,000人。
震災のことが風化しつつありますが、
天災に遭遇した罪なき震災弱者の人たちは、
この先、自力で生きていかねばなりません。
この厳しい現実を考えると、
私は生かされていることだけでも幸いだと実感しています。」
1997年に上梓した拙書の中の記述です。
あの日から今日で15年。
600人の遺児たちは、今、どうしているだろうか。
70,000人の人たちのその後の生活はどうされているだろうか。
そして、親や子、愛しい人を奪われた人たちの心に思いを寄せる。
今日は、鎮魂の日である。