北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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坂の町シリーズ その10

2015-06-05 21:35:23 | 函館
不定期になっちゃってますが、とりあえず半分まで来ました。
現在散策済みなのは今日紹介する場所までなので、今度の週末に続きに出向く予定です。





まず紹介するのはこちら。
「えっ、坂じゃないの?」と思われるかもしれませんが、坂と一体で紹介されることが多いので、ここでも一緒に紹介しちゃいます。








そういうことなんですが、「海の日」に繋がる出来事だったということは、ここへ行くまで知りませんでした。

台座の上に乗る、羽を広げた青銅製の鳳凰は、宝来町にある高田屋嘉兵衛銅像の作者としても知られる函館出身の彫刻家、梁川剛一氏が手がけています。





と言うことで、ようやく坂へ。
そう、この記念碑の先にあるのが、「八幡坂」や「二十間坂」と並ぶ観光名所の坂「基坂」です。
坂の先に見える函館山の山頂が、青空に映えて、とても雄大に見えます。





ここは、函館から札幌へと通じる「函館本道」の起点だった場所で、かつては、坂の下に、里数を測る道路元標が建てられていたことから、「基坂」という名前が付いたとされています。
後日改めて紹介しますが、坂の上には、かつての箱館奉行所が存在し、江戸時代には「お役所坂」「御殿坂」とも呼ばれていました。





以前にもちらっと触れたことがあるかもしれませんが、五稜郭を設計した武田斐三郎が開学した学問所「諸術調所」の跡地がここにあります。





沿道には、綺麗な花が彩りを添えています。





沿道にあるパブリックアートの一つ。
その名も「ハイカラさん」と言います。





またまた跡地の碑。
何やら興味深いことが書いてますね・・・。





上の碑にも書いてますが、1454年に蝦夷地に渡来した河野政通という人物が、「宇須岸(うすけし)」と呼ばれていた、現在のこの辺りに、「館」(武士の屋敷)を築きました。
これが「宇須岸河野館」と呼ばれ、その大きさは東西約92メートル、南北約115メートルと大きく、この館が、対岸の北斗市側から見ると、箱に似ていたところから「箱館」と称されたとされています。

因みに「宇須岸」とは、アイヌ語の「ウショロケシ」から転じた「湾の端の地形」を表すとされている言葉で、また「箱館」の由来については、アイヌ語で「小さな砦」「舘」を意味する「ハクチャシ」から転じたとする説もあります。





ここはもう、何度か紹介している、ペリー提督の碑のある場所です。
紹介については、こちらこちらをご覧ください。





六年前に一度だけ行ったことのある「旧イギリス領事館」
またゆっくり見て歩きたい場所の一つです。





坂の上から一枚。
石畳が綺麗だけど、正直、この坂は、下から見た方がいいかなと思いました。





最後に、いきなりの雪景色。
これは四年前に撮影した物ですが、一昨年までは、冬になると、このようなライトアップで楽しませてくれていました。
この坂のイルミネーションは2013年で終わってしまいましたが、また復活してほしいと思います。
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