北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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坂の町シリーズ その5

2015-04-25 16:53:16 | 函館
西部地区の坂シリーズ。続きと行きます。
今現在歩いている所はこれで最後ですが、明日、この続きを歩く予定です。








「青柳坂」から数えて四つ目の坂は「谷地坂(やちざか)」という坂です。





「谷地坂」の「谷地」とは、市電の終点で、函館八幡宮や立待岬に近い「谷地頭(やちがしら)」という地区のことで、かつてこの坂は、遊興地として親しまれた谷地頭へ通じていたことからこの名が付いたとされています。
しかし、昭和9年の大火の影響による区画整理によって、谷地頭まで通じなくなったばかりか、坂の長さも短くなってしまい、現在は、ご覧のとおり、普通の住宅街を通る坂で、特に観光名所となるスポットも、沿線にはありません。





続いては、先日も一度紹介した「函館市地域交流まちづくりセンター」
五つ目は、ここを起点に登って行きます。




名前は「南部坂」と言います。
では、出発進行。





ほほう、割と緩やかな坂ですね。
これならゆっくり散策を楽しめそう・・・。





うわっ、何じゃこりゃ?
すみません、前言撤回します。
ここから、急に傾斜がきつくなるのです。





途中、こんな碑がありました。








なるほど、そういうことでしたか。
最近は、「ニュースウォッチ9」(のお天気コーナー)や、「穴場ハンター」、「ブラタモリ」など、NHKの番組も好きで観ているのが結構あるので、こういう場所があるのだということは、しっかりと意識しておかねばと思います。





続いて、このような表示が。





そう、「南部坂」の南部とは、現在の岩手県北部地方から青森県南部地方にかけて存在した「南部藩」のこと。
「水戸黄門」では、南部藩と津軽藩のいさかいが題材になったストーリーがあるので、時代劇ファンの方にはおなじみの藩かと思いますが、その南部藩の陣屋が、かつてこの地に存在していたのです。

江戸幕府が蝦夷地を直轄とした1799年以降、時の南部藩が蝦夷地を警備するための陣屋がここに設置されていて、最盛期には、その面積は36,000㎡以上にもなったとされています。
この陣屋は、1821年に、時の松前藩の蝦夷地復領によって廃止されるも、1854年の箱舘開港に伴ない、蝦夷地が再び公議御料となり箱舘奉行が設置された際、沿岸警備の拠点として、元の陣屋の交付を受けました。
その建物は極めて粗末で使用に耐えなかったことから、工事による増強が行われ、東西120m南北180mの敷地が三段に分かれ、210人ほどの兵員が配置されていたとされていますが、1868年、戊辰戦争に絡む政情不安から、南部藩は蝦夷地警護兵を撤退させることとなり、同年8月31日夜半、陣屋に火を放って帰国し、南部陣屋は廃絶したとされています。

南部藩の陣屋は、道南地方では、他に、室蘭、長万部、砂原(現在は合併して森町)にもありました。





そんなこんなで、坂の上へ到達。
見下ろしてみると、確かに急なのがわかります。
冬は怖そうだなあ・・・。





坂の上には、函館山のロープウェー乗り場がありました。





しばらく頂上に行ってないけど、また今度、ゆっくり行ってみることにします。
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