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函館の有名な観光名所の中で、まだ紹介していなかった一つが、「外国人墓地」。
1854年に、ペリーが来航した際に死亡した水兵二人を埋葬したのが始まりとされ、1870年に、開拓使と、在函五カ国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)領事との間で、正式な外国人墓地設置に関する協定書が交わされ、現在に至っています。
上の写真は、その一つ、ロシア人の墓地。
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ここは、1859年に死亡したとされる、ロシアの軍艦、アスコリド号の航海士であった、ゲオルギィ・ポウリケヴィチという人物の墓が最古の物で、現在判明している墓碑銘は43基。初代ロシア領事であったゴシケーヴィチの夫人もここに埋葬されている。
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「中華山荘」とも呼ばれる中国人の墓地。
寺と、23基の墓碑が設置されています。
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これだけ最近撮ったのがバレバレだけど、構内はこんな風になっています。
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そしてここが、冒頭で触れた、ペリー艦隊の水兵、ウォルフとレミックの墓があるプロテスタント墓地。
他にも、ドイツの代理領事だったハーバー、デンマーク領事だったデュースなど、全40基の墓碑が設置されています。
日米和親条約(1855年)によって開港した函館(箱舘)の地にあって、多くの外国人が、どのような思いをこの地に捧げ、この地でその生涯を全うしていったのか、その一端に思いを馳せることができる、大変貴重な施設だと思います。