エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

日高町の里山 「銀嶺山」 (722.8m)

2009年11月27日 | 山紀行 (日高山系)
日高の里山・・銀嶺山 (ぎんれいざん) (722.8m)
2ヶ月ぶりの山で汗と涙を流す・・・
■ 山 行 日    2009(H21)年11月26日(木)  日帰り
■ ル ー ト    三朝の沢~南東尾根 往復
■ メ ン バ ー     夫婦登山 №31
■ 登 山 形 態     踏み跡&笹藪漕ぎ (長靴)
■ 地 形 図    1/25000地形図  「日高」
■ 三角点・点名   三等三角点 点名「西山 ニシヤマ」
■ コースタイム   登り 1時間55分  下り 1時間
<登り>
07:30     登山開始
08:05     南東尾根に取付く
08:25     C480尾根上
08:42     C535一端平ら場所で休憩下界を見下ろす
09:25     銀嶺山 頂上

<下り>
09:48     下山開始
10:10     C480尾根上
10:25     砂防ダム
10:45     国道出合
10:50     駐車帯(登山口)


★ 喪が明けて・・・
 去る10月2日、妻の母が急死した。81歳だった。
33年前夫を病気で亡くして以来3人の娘を女一人で育てて来た。その娘たち
もそれぞれ嫁ぎ一人となっても持ち前の明るい性格と歌好きそして働き者は変
わらなかった。近くには姉妹や一番下の娘家族も居て普通に暮らしていたのに、
10数年前軽い脳梗塞で倒れてから12年前アルツハイマー病と診断され、苦
渋の選択として特別養護老人ホームへの入所を決めた。
母の病気は次第に進行し、その間ホームで転倒、骨折して以後は回復する事無
く車椅子の生活だった。最近ではわが娘の呼び掛けにも反応することなく寝た
きりの生活であり、毎晩のように通っていた妻チーヤンとの夕食タイムが親子
の和みの時間だったかも知れない。
そんな最愛の母との別れは、今も現実のものとして受止められない妻なのだが
葬儀を終え49日の法要も無事に終了し、33年前に別れた父とようやく再会
を果たして再び二人が夫婦として天国で楽しく暮らせるという事が唯一妻の救
いになっているかも知れない。

時間が何もかも解決させてくれる訳ではないが、自分たちのライフワークにも
なっている「夫婦登山」の再開には約2ヶ月の時間を要することになった。

★ からだ慣らし・・・
夫婦登山の復活に向けて殆ど何もしていないエバとチーヤンだったが、止めて
いないのが「晩酌」である。
当然ながらエバの腹は・・なのだ。しかし、何故かチーヤンの腹には何もつい
ていないのが不思議だった。
復活前2度だけランニングを試みたが、重いからだが身に染みて実感し単なる
オヤジ体形だけが目立つばかりでそれ以上続くことはなかった。

HYMLの仲間が投稿するメールだけは欠かさず見ていたが、いつか俺だって
ではなく、しっかりと喪に服し亡き母を偲んでいたのだが、そろそろ登る山の
選定も・・と思っていた時、「銀嶺山」に登った報告MLを見てエバも以前か
ら気になっていた山だったし登行時間も「からだ慣らし」としては丁度良く未
踏で日帰りが可能ということで決めた。


【11/26(木)】

6:10 自宅を出発。久しぶりの夫婦登山でめずらしく緊張している自分に
気が付く。
7:17 日高町に到着し、R274からR237に右折する。600mほど
走ると「舟水橋」を渡り程なく右側の広い駐車帯に入る。ここが実質登山口と
なり車を止めて早々準備をする。目指す銀嶺山は駐車帯のすぐ西側に隣接する
ところにヒョコンと鎮座して見えているがこの時はまだそれが銀嶺山だとは確
信がなくMLの記録を思い出しながらその通りに歩けるかの挑戦段階である。


7:30 登山開始
駐車帯から国道脇を200mほど南下すると山へ向かう林道の出合がありその
近くにはバスの停留所と大きな看板(写真を参照)が立てられているので参考に
してほしい。



広い駐車帯が実質の登山口となった・・(下山時撮影)


林道出合のすぐ南側にある停留所


林道出合にある大きな看板・・(駐車帯からくるとこの看板の裏側を見るが真っ白だ)


林道に入り正面に目指す「銀嶺山」を望む・・


小さな沢に似つかわしくない砂防ダム (沢は三朝の沢というらしい)

林道は真っ直ぐに山へ向かっていて300mほど歩くと松の植林辺りから左に
折れて行くがその先はすぐに不明瞭となり廃道化していた。しかし、林道のす
ぐ左手には小さな沢とその沢に似つかわしくない立派な砂防ダムが目に飛び込
んで来る。現状況では涸れ沢であったが連続する5つの砂防ダムは平成12年
に造られたものらしいが山や沢の大きさから見ても本当に必要だったのか素人
目には疑問が残る。
MLの記録では、砂防ダムを過ぎた頃一端作業道に出る・・とあったが立派な
林道を見つけそれは頂上から派生する南東尾根の末端を沢を跨いで回り込むよ
うに続いていたので取り合えず林道を歩いてみた。
しかし、尾根の東斜面側に来ると林道は下りとなって頂上の方向とは離れてい
くので適当な所から南東斜面に取付き急な笹薮を攀じ登ってみた。(8:05)
10mほど登ると笹が生い茂ってはいるが廃道化した造材道に出合、無造作に
縦横無尽な道があった様に見える。しばらくその廃道を笹を掻き分けて辿ると
再び沢のある南東尾根の西側に回り込む形となりC480で完全に道は途絶え
た。(8:25)
しかし、笹は低く平になった尾根上に上がるのは容易でそれ以降は、頂上に向
かって南東尾根の直登である。
南東尾根の斜度は急で低い笹や潅木に掴まりながら登ることになるが、すぐに
鹿道が登山道のように付いていて助けられた。鹿道は頂上直下まで続き、直下
から少し深い笹薮となるが踏み跡にも助けられほどなく頂上に到着した。

(9:25 登り1時間55分)

天候はくもり、気温は0度位だろうか。風は無いが汗を掻いた分すぐに寒くな
りカッパの上からフリースを着てしのいだ。

2ヶ月ぶりの夫婦登山も今年31回目を数えるが、チーヤンにとっては30回
目の屏風岳(9/28) が12時間の遡行を終えて下山した後、母が入院した旨連
絡を受け泊まらずに層雲峡から帰宅した時の事が走馬灯のように蘇えり涙する
31回目だったようだ。

眼下に広がる日高町の街並みと南隣の北日高岳(750m) 日高国際スキー場を間
近に見ながら暫しの山頂を楽しんだ。あいにく主峰北日高の高峰や南東側に聳
えるシキシャナイ岳は霞んでしか見えなかったが、からだ慣らしの山行として
は充分だったし初冬の山の雰囲気を感じるきっかけとなって満足行くものだっ
た。
下りは、ズルズルと滑り落ちそうな急斜度の尾根を笹や潅木を掴まりながら往
路を忠実に降りて約1時間で車に着いた。
恒例の風呂はパスしてすぐに帰路となり12時に帰宅した。



南東尾根の下部には、笹が生い茂る廃道が縦横無尽にあった。


頂上直下は少しだけ笹薮が濃い


銀嶺山頂上の三角点(三等三角点「西山」というらしい)


薄っすらと雪積る「銀嶺山」頂上にて・・・


頂上から南側の日高町市街地を見下ろす


頂上から南側にある日高国際スキー場はすぐ隣だ


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