超級龍熱

香港功夫映画と共に

本格派詠春拳高手にして邵氏武打星狄龍、その凄味と実力!

2024-04-28 11:17:28 | 邵氏兄弟電影黄金時代
武術雑誌「當代武壇」の表紙を飾る若き日の狄龍。詠春拳の大家招允に師事した狄龍は邵氏兄弟公司で張徹監督の許で姜大衛と共に数々の主演作品を撮り70年代香港映画を代表するトップ武打星として活躍しました。ただ狄龍はその穏やかかつ端正なマスクとは別に荒々しい詠春拳を駆使したストリートファイトでは無敵を誇った人でもありました。
ただ狄龍自身はそんな自身の“武勇伝”を人前では決して安っぽく自慢したりしなかったそうです。
日本から倉田保昭さんが香港の邵氏公司に招かれ、張徹監督作品『悪客』(72)で香港映画デビューが決まった時、同作の主演武打星である狄龍と姜大衛の間で「今度、日本から凄い空手使いの俳優が来るらしいぞ。どうする?」「よし、なら今ここでジャンケンで負けた方がその日本人と最初に立ち回り(闘う)をしよう!」となり、ジャンケンに負けた狄龍が『悪客』の撮影で最初に倉田さんと闘いました。
昨年、私が倉田保昭さんにお会いした際にこの話をすると、倉田さんは「そうなんだよ。僕も後になって狄龍から実はこんな事があったんだと聞いたから。そう言えば『悪客』のオープニングで姜大衛、狄龍、僕の順番でスタジオで演武するでしょ。あの時に僕がスタジオで演武している様子を狄龍が見ていたそうだから」と懐かしそうに話して下さいました。
例えそれが映画でも、そこには香港☓日本の初遭遇における如何にも武打星らしい緊張感あるやり取りが存在していたわけです。
最後に狄龍(ディ・ロン)の芸名の由来ですが、これは“邵氏女帝”こと方逸華が狄龍に「香港のアラン・ドロンになりなさい」とイメージして命名した芸名でした。

Ti Lung wing chun expert himself got cover of old Martial Magazine.

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする