カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

満願の寺、谷汲山 華厳寺(後編)

2013-10-01 11:05:42 | 西国三十三所巡礼
「巡礼の終着駅」西国三十三所満願霊場だけあって、何かと見どころが多くて



本堂から参道を振り返っても、仁王門は遥か向こう。真っ直ぐな道なのに見えません。





本堂前の石灯籠、ちょっと目を引きます。
やかんにハート型?何かかわいい・・・
これ、善導寺型灯籠と呼ばれるもので、京都の善導寺にその原形があるそうです。
六角の火袋に彫られているのは茶道具。中台側面のハート型は、猪目(いのめ)型。
猪目文様は古来より使われているもので、全国的に見られるもののようです。
このお寺では中台にハート型が彫られた石灯籠が、あちこちにありました♪








[鐘楼]



本堂からは渡り廊下で、幾つかの堂宇や祠に繋がっています。


[苔ノ水地蔵]
ミ、ミイラかと見間違いそうな貼り仏さん。身体の部分で悪いところ、
気になるところに水に濡らしたお札を貼って治癒を祈るというものです。
私も1枚貼ってきましたよ・・・頭に。(^_^ゞ



[四天王像]
本堂の裏でしょうか、四天王が邪鬼を踏みつけています。
西方広目天(白)・北方多聞天(緑=黒)・東方持国天(青)・南方増長天(赤)


[お地藏さん?]            [持経観音]


[大黒天?]              [!!??]

祠(ほこら)があちこち多数、ほこらじゅうに・・・(^_^ゞ



本堂より手前が[笈摺(おいずる)堂]、その先に[子安堂]。



[笈摺(おいずる)堂]
笈摺と言うのは、巡礼装束で着物の上に羽織る、袖のない薄い衣のこと。
巡礼でそれまで使っていた笈摺や杖、笠などを奉納し満願とするようです。
ま、巡礼装束の方はめったに見ないのですが、すごい数が奉納されていました。
それと、千羽鶴、折り鶴がかなりの数奉納されています。これって・・・
「おいずる」の代わりに「おりづる」?・・・まさかね。(^_^ゞ


[子安観音堂]
ここには夥しい「よだれかけ」が奉納されています。赤ちゃんを抱っこした家族の
姿もよく見かけました。子供の健やかな成長を願う親の気持ちは大きいですね。




何の祠か分りませんでしたが、大黒様と布袋様のミーティング?
思わず、もらい笑してしまいます。(^▽^)



[阿弥陀堂]本堂の右から登って行ったところにあります。






[?]何という建物かは知りませんが、
中を覗いて見ると、奉納されたものらしき納経帳が山積みされていました。


[謎?]
この堂宇も名前が分かりませんでした。前にお地藏さんが並んでいるかと思えば
中を覗くと三体の仏像が・・・古そうな建物でしたが。



[本堂・屋根]


ここらで、ひと休み。石段の途中ですが・・・ちょうどお昼時。





門前町でゲットしておいた谷汲名物、三桝屋の「ういろ」。
四角に見えますが三角に切れていて三色、十切れ。持って歩くのが重いくらい
ボリュームがあります。これで600円♪二切れも食べたらお腹いっぱい・・・
京都では「ういろう」と言えば三角形がオーソドックス、上に小豆がのっている
「水無月(みなづき)」、六月晦日の水無月の祓い(夏越しの祓い)に食べる
風習があります。
ここの「ういろ」は、手作りの素朴な感じでした。もちろん二人でもこの量は
食べきれませんw 賞味期限は本日中とか・・・どうしよう。(-。-;)








[満願堂]です。何故か周りは、たぬきさんだらけ。


“誰かさん”に似た方も発見♪


これまた珍しい

「三猿」ならぬ「三狸」。(^_^ゞ






まだあるかってくらい、ぽんぽこの石像だらけ・・・



こんなのもありましたけど。


さて、満願堂を降りて本堂の左に幾つか伽藍が建っています。


[元三大師堂]
元三大師(がんざんだいし)はちょくちょく出てきますね、良源という僧で
諡は慈恵大師(じえだいし)。元三大師は通称です。
比叡山延暦寺の中興の祖ですが、「おみくじ」の創始者としても知られています。



[中門]内側から参道を見る。


[内仏客殿]


「庫裡(くり)」
ここの前には大きな「菊花石」が置かれてあります。まるで絵に描いたようです。
菊花石は観賞石の最高峰とも言われていて、岐阜県本巣市の「根尾谷の菊花石」は
国の特別天然記念物に指定されており、この区域での採取は厳しく禁止されてます。
一部には、母岩に人工的に結晶を埋め込んで研磨した偽物も出回っているとか
化かされないようにね!


・・・って、こんなとこにもまた出た、化かすヤツが~!





2013.9/22、谷汲山 華厳寺にて。

西国三十三所巡礼 第三十三番札所 谷汲山 華厳寺

2013-09-28 12:51:04 | 西国三十三所巡礼
思えば、すでに四国八十八ヶ所巡礼も結願されていた7駆さんを追いかけて・・・
2011.6/19、第一番札所『那智山 青岸渡寺』を皮切りに始めた 西国三十三所巡礼。
番外3寺を含めた36番目のお寺は、『谷汲山華厳寺(たにぐみさん けごんじ)』
巡礼の終着駅、西国三十三所満願霊場。これにて無事、結願(けちがん)達成です♪



華厳寺は33所で最も東に位置する岐阜県にあります。
Googleマップでルート案内を試したら「地点が道路から離れているか、サービス
提供範囲外の可能性があります」って・・・w

県道40号に山門前って交差点があり、そこに建っている総門をくぐって行くと



待ち構えているのが、駐車場の呼び込み。これってあまり好きじゃないんですよね
京都の郊外のお寺でもよく見ますが・・・
お寺の駐車場(無料)もあるかもと、確かめるため先まで行ってみたら何と!
日・祝日は「これより先、通行止め」だとか。結局「たかい400円」の駐車場に
停めました。10:30ですがまだ充分余裕あり700台収容の町営駐車場でした。
ちなみに平日ならこの先の無料駐車場に停められるはずですw



以前「近畿 道の駅スタンプラリー」に挑戦しましたが、範囲はほぼ同じですね。
近畿エリアなら京都市はほぼ真ん中、何処へ行くのも楽です。道の駅の場合は、
414日で101拠点走破達成!できましたが、巡礼はそんなに甘くなかったです。
歩き、特に難所も多いので・・・



「観光プラザ」と銘打たれた小屋、ここから門前町を歩いてお寺を目指します。



1kmほどもあるという門前町通りには、色んなお店が軒を連ねていました。


秋の味覚をならべたお店や、秋の石?菊花石と言うそうです。菊の花のような
模様が特徴。この辺りの名産なんだそうで、石を売る店も多かったです。


門前町ならでは?それらしいお土産物屋さんも・・・

そうそう、このお店は見逃せません。



「ういろ 三枡屋」
名物なんだそうで、行列ができ、早々に売り切れることもあるとか。
しめしめ、行列はできてません。でも帰りに通りがかった時にはもう・・・


旅館や食べ物屋さんも。さすが巡礼の門前町って感じかな。


さて、長い門前通りを抜けると、立派な二層の仁王門に突き当たります。



いよいよ満願霊場の入口です。









とてつもなく大きな草鞋(わらじ)が奉納されています。



運慶作と伝えられる金剛力士像(仁王像)、格子が太くて見辛いですが。


仁王門をくぐると、石畳の真っ直ぐな参道。まだ本堂は見えません。




仁王門を入ってすぐ右手には

[放生池(ほうじょうち)]と[地蔵堂]


[三十三度石]

参道の真ん中には、三十三度石、百度石、焼香堂。両脇には百八燈が並んでいます。


[百度石]と[焼香堂]。 石畳の参道と両脇に並ぶ[百八燈]。



[一乗院](上)と、[法然院](下)

参道の左右には塔頭や堂宇が建ち並んでいます。


なかなか見応えがあるお寺でした。


[明王院]

明王院には、荼枳尼天(だらにてん)や阿弥陀如来像が祀られています。



他にも・・・

[白象?]
大人の方は乗らないようにね。

ゾウさんの隣り、水琴弁財天のところには「水琴窟」があって、

[水琴窟]
よほど心地よい音がしたのでしょうか・・・(^_^ゞ



[延命地蔵尊]


ここにも[延命地蔵尊]、そして[念仏石]謂れがあるのでしょうが・・・



[十王堂]



長~い石段の先に本堂がやっと見えてきます。
ここの石段は、整っていて勾配もそれほど苦にならなかったです。


三界万霊・・・ん~、難しいです。ネット検索してもいい加減な間違った解釈が
いっぱい出てきます。仏教用語の本来の意味は、よくよく勉強しないとね。


左が観世音菩薩、右が勢至菩薩の大きな菩薩像があります。


[一切経堂](上)と、[英霊堂](下)


[三十三所堂]


最後の石段を登りきると、すぐに本堂です。



よいちょ、よいちょ・・・頑張った子には

こんなご褒美が待っています・・・望んではいなかったでしょうが。(^_^ゞ



[本堂・拝所]

お寺の創建は1200年以上前、延暦17(798)年です。ご本尊は秘仏ですが
幾度かの戦火により伽藍も焼失しているので、当時のものかどうかは?

縁起はと言うと、奥州会津の大口大領(おおぐちだいりょう)という人物が
御告げにより霊木を手に入れ、それを持って都の仏師に十一面観世音を刻んで
もらいその帰路、観音像が杖、笠、草鞋を履き自ら歩き出しました。
「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、
其処にて衆生を済度せん」と言うと、この地で立ち止まり突然重くなって
動かなくなります。大領はここが結縁の地だろうと思い、ここで修業をしていた
豊然上人(ぶねんしょうにん)と力を合わせて山谷を開き、堂宇を建てて
尊像を安置しました。
これにより開祖は豊然上人、本願は大口大領とされています。
なおその際、堂近くの岩穴より油が湧き出し、燈明に使ったことから「谷汲山」の
山号、地名になったようです。



拝所は薄暗い上に線香の煙が充満していました。






本堂の正面、両側の柱には[精進落しの鯉]と言われるものが、阿吽一対あります。
満願参拝を済ませた巡礼者がこれに触れ、これまでの精進生活から解放されて
普通の生活に戻るための習わしのようですが・・・

ところで「精進」と言うのも仏教用語。本来は修業につとめはげむとか、
悪を断ち善を行うという意味。落としてしまってはいけないものですね。(^_^ゞ
「精進料理」と言うのがありますね、肉食はいけないと誤解されている仏教には、
「殺すまい、盗むまい、不倫すまい、嘘をつくまい、酒を飲むまい」の五戒が
ありますが、肉を食うまいとはされていません。ただし酒は駄目、放逸になり
精進を妨げる大きな要因になります。ただ不飲酒戒を守らぬ者でも阿弥陀さまは
救って下さるのだとか・・・フレキシブルな宗教ですね♪



[賓頭盧尊者像]



[納経所]
満願の寺ならではでしょうか、御朱印も3枚セット。(^_^ゞ
現在(本堂・観音堂)、過去(満願堂)、未来(笈摺堂)の3つになっています。






○宗派:天台宗 ○開基:豊然上人・大口大領
○御本尊:十一面観世音菩薩 ○創建:延暦17(798)年

御詠歌
世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり(現在)
万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 (過去)
今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎ納むる 美濃の谷汲 (未来)


これにて西国三十三所巡礼、結願ですが・・・お寺の記事は後編があります。(^_^ゞ



2013.9/22、谷汲山 華厳寺にて。

西国三十三所巡礼 第三十二番札所 繖山 観音正寺

2013-08-31 15:58:02 | 西国三十三所巡礼
繖山 観音正寺(きぬがさやま かんのんしょうじ)に行ったのは
猛暑真っ只中の今月15日、京都では38度越え連発の日々だったかな・・・

このお寺、標高432.9mの繖山(きぬがさやま)の山中にあるので少しは涼しいかなと
期待したのですが、何とここ、西国三十三所でも一、二と言われる難所だとか。
表参道ならず表山道、石段が1400段とも・・・長命寺の808段でも驚いたのに
それを軽く上回る。
・・・但し、長命寺同様、こちらも中腹までクルマで行けます♪



入山料や拝観料は要らないのですが、クルマ用の林道には通行料が必要。
麓の小屋で500円払うと、昔の遮断機みたいなゲートを上げてくれます。
くねくね狭い舗装路を登ると10台ほど停められるかなって駐車場。



駐車場から下を見ると、先が見えない険しい石段の山道。

上を見たら・・・まだまだあるやん!この先、登ること300段?400段?。






石段と言っても整備されたものではありません。自然石ゴロゴロって感じ。

それだけではありません、周りが竹薮ってところがあり、ヤブ蚊がワ~~ッて!



ショートカットしたはずの駐車場からの登り、想像以上にかなりなものでした。
手すりに付けられた木札に書かれた格言を読みながら…少しは気が紛れます。





書かれた数字でカウントダウン、ちょうど登り切ると「一」が読めます。


ヤブ蚊に餌を与えながら、汗だくで登りつくと、山門(仁王門)は無く、



二体の仁王様が露天でお寺を守ってます。





仁王様用の鉄下駄? カッパちゃんには合いません・・・w


観音正寺の歴史は1400年以上前に遡るかなり古いものです。
鎌倉時代から室町時代にかけては、佐々木六角氏の庇護の下、三十三もの塔頭を
擁するまでの大寺に発展したのですが、その佐々木氏が応仁の乱の頃、ここに
居城である観音寺城を築いたことで、堂宇は山麓に移転。戦火に巻き込まれ
やがて織田信長によって観音寺城も落城。寺も焼討ち?
江戸時代に現在の地に移転し、明治15年(1882)に彦根城の槻(けやき)御殿
という建物を移築して本堂としていましたが、平成5年(1993)の原因不明の
出火によりその本堂も全焼。
現在の本堂は平成16年(2004)に再建、落慶されたもので新しいです。

境内も狭く、仁王像から本堂まで100mほどかな。その間に小さな堂宇が
並んでいる程度です。


「鐘楼」
仁王像の手前にあります。ここでもまたひと撞き・・・(^_^ゞ


右手の仁王像の先には池があり


「弁天堂」?



池の前や奥には小さな祠がいくつかありました。

あった~!

休憩所?
建物内は冷房は入ってませんが、自動販売機が!実はクルマから持って出た
小さなペットボトルの水はもうほとんど飲み尽くし、しかもぬるま湯みたい。
ここで冷え冷えのスポーツドリンクを補給。持って歩くことに・・・








「聖徳太子像」
あまりの暑さで、唇が乾いているように見えるけど・・・

このお寺の開基は31番札所「長命寺」に続いて聖徳太子です。
西国三十三所では、18番「頂法寺(六角堂)」、24番「中山寺」も同じです。

例によって伝承によれば、605年にこの地を訪れた聖徳太子が琵琶湖のほとりで
人魚と出逢い、「前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚にされて
しまい苦しんでいる。どうかこの苦しみから解放して下さい」と頼まれました。
聖徳太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音菩薩像を刻み、後に堂が建立され
その像を祀ったのが寺の創始とされています。
寺にはその「人魚のミイラ」と称するものが保存されていたそうですが、
平成5年の火災の際、焼失しました。ザンネン!
・・・何か写真で見た気もするけど、あれは河童のミイラだったかな?(^_^ゞ



「手水舎」
ここのお水は飲めます。冷たくて美味しい水でした、ついでにタオルを浸して
ドボドボのまま首に巻いておくことに。すぐに乾いてしまいますが・・・

「白蛇大明神」

「子授け地蔵尊」「子育て地蔵尊」


「北向地蔵尊」
ちょっとアートな祠、木樽?藁葺き屋根も面白い。
中には小さなお地藏さんが祀られています。一願地蔵で「声に出すことなく
微音にて7へん真言を称えるべし」とあります。大声で怒鳴ってはいけません。
願い事はひとつだけ、さすれば必ず解脱の方法を表し抜苦与楽を与えてくれる
そうです。必ず願いを叶えると書かないところがイイですね。?

余談ですが、子供の頃、童話などで「ひとつだけ願いを叶えましょう」と
言われた時、僕なら「何度でも願いを叶えて下さい」それが願いです。
って言おうと考えてましたが・・・(^_^ゞ



「濡佛(ぬれぶつ)」
釈迦如来坐像ですね、江戸時代から置かれていたものは太平洋戦争の際、
供出され、今のものは昭和58年(1983)に再建されたものです。



大仏さんの下には可愛いお坊さんが・・・キノコではありません。



「護摩堂」修験根本道場



中にはご本尊のミニチュアモデル?
矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子を従えた不動明王像、
隅には役行者の像も祀られていました。



「太子堂」
堂内には元三大師も祀られています。「おみくじ」を発案された僧ですね。


さて本堂ですが、右手の石積みが気になりますね。





2004年に再建された、まだ真新しいお堂です。


「抱きつき柱」
『本堂内撮影禁止』でしたが、お寺の方に訊ねてみると、内陣ご本尊の撮影は
困るけれど、それ以外だったらどうぞご自由に・・・ってことでした。
ご本尊はどうして駄目なのかとの質問には、ただの像ではなく開眼法要により
魂を入れてたものだから、宗教的にも他の参拝者にも失礼だと言うことでした。

この「抱きつき柱」は、台風で倒れたヒノキですが、節がちょうど33ヶ所
あったので、何かの縁と本堂再建の際に使用されたのだそうです。
これに抱きついて祈れば、三十三所分の功徳があるのだとか・・・
抱きついている人は見かけませんでしたが。(^_^ゞ

ご本尊は、それまでのものが平成5年の火事で焼けてしまい、新たに造立する
にあたり住職が二十数回インドに赴き、禁輸対象品である白檀の原木をなんと
23トンもインド政府から特例処置を受けて輸入。
その貴重な白檀で「千手千眼観世音菩薩坐像」を造り上げたのは、京仏師の
第一人者?松本明慶大仏師だそうです。
新たなご本尊は3.56m(光背を含めた総高は6.3m)の総白檀造り、
平成16年5月22日、本堂の落慶法要と同時に本尊の開眼法要も行われました。
写真は撮れませんが、拝観することはできます。
内陣に入り直ぐ前で拝観、お身拭いなどすることもできるようです。(別料要)


結構なスケールで、気になる石積みを見てみます。



所々の岩の上に観音像など仏像が置かれており、前は蓮池になっています。


「えんむすび地蔵尊」
悪縁を絶ち、良縁を結んで頂けるお地蔵様だそうです。

おっ!人魚のミイラ?

・・・ちゃうな。(^_^ゞ










壮観ですが、石積み自体には宗教的な意味は無いそうで、土木的な意味で
山崩れを防ぐためのものだそうです。
上からロープを垂らしてあったので、登ってみようかとも思いましたが
専門家じゃないと無理っぽいので自重しました。



「魚濫観音」
ちょっと珍しい?観音様ですが、水かけ観音とされていました。
乾き切っていたのでお水を掛けたら、クッキリとお姿が。
ここの水は、本堂建設の基礎工事の際、湧き出たという細菌ゼロ、水温14度の
水だそうです。







境内からの眺めはよく、三上山(近江富士)まで見えるとのことですが、
この日は湿度が高く、空気が澱んでいて・・・w


さて、「濡佛」像の脇から山道に入ると、観音寺城、繖山三角点に行けます。



観音寺城のことはよく知らなかったのですが、日本百名城の一つになっており
こりゃ行くしかないと・・・最初は歩きやすい山道だったのですが



しだいに険しくなり、石段道というより崩落跡?それより何より大群のヤブ蚊の
襲撃に遭い、あえなく敗退・・・途中から逃げるように戻りました。

汗だくでまた自動販売機のある休憩所へ、そこにはなんと観音寺城のスタンプが。



ま、途中撤退したとは言え、行こうとしたのだから日本百名城のスタンプ帳には
スタンプをゲット!・・・逆さまで二重捺しになってしまった。(^_^ゞ

奥の院もあったのですが、あまりもの暑さと、奥の院に行く途中にはこれまた
ロープを頼りに登らないといけないような険しい場所もあるとか・・・
即座に断念いたしました。8月15日、時期が悪かったかも。




○宗派:天台宗(単立寺院) ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手千眼観世音菩薩 ○創建:推古天皇13(605)年

御詠歌「あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを」




2013.8/15、観音正寺 蓮池にて。(SX50SH)

長命寺あれこれ

2013-08-13 17:51:02 | 西国三十三所巡礼
それほど広い境内ではありませんが、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が織りなす
整った伽藍配置が美しいお寺です。
そして派手な朱塗りではなく、弁柄かと思われる酸化鉄の錆赤色の塗りは
重厚さを醸しています。

弁柄(ベンガラ)塗と言えば、奈良や京都の町家。特に京都の花街のイメージ?
インドのベンガル地方のものを輸入していたので、この名がついたようです。
オランダ語でもBengalaと言うのは、日本語が伝わったのかな?
ちなみに、このお寺のある近江八幡の特産品に「赤コンニャク」がありますが
あの赤も酸化鉄の赤ですね。



「護摩堂」(重文)


「三重塔」(重文)


三重塔側から見た本堂です。



本堂の正面?入口側から見たところです。手前は三仏堂。


本堂と三仏堂を繋ぐ渡り廊。
ちょっとした風情を感じますね、このあたりの美意識も高いです。


「三仏堂」



三仏堂には薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来の三尊が安置されています。

「護法権現社拝殿」も三仏堂と渡り廊で繋がっています。

        「護法権現社本殿」
拝殿の奥には本殿がありますが、意外と簡素なものでした。
長命寺の護法神として開山の祖「武内宿禰」が祀られています。
仏教寺的には「開山堂」ですね。

奥の扉?には、こんな木彫が・・・開山の物語を表したものでしょうかね?



「三仏堂」その奥に「護法権現社拝殿」
一段高くなった先に「鐘楼」と「如法行堂」


如法行堂には勝運将軍地蔵尊・福徳庚申尊・知恵文殊菩薩が祀られています。
真ん中の小さな窓から覗けば見られます。
        「如法行堂」

「鐘楼」(重文)



鐘楼は中に入れます。「鐘を撞くな」とは書いてなかったので・・・ひと撞き♪
構造上、頭の真上で鳴り響きます・・・脳みそが揺れました。ノ(>。☆)ノ
くれぐれも思いっ切り撞くのは自重しましょうwww


「拕柷尼天尊(だきにてんそん)」(稲荷大明神)


何かメタリックな感じがしたので、石段を上って間近で見てみると・・・
檜皮葺きの屋根に夥しい1円玉が!
誰が始めたものか、こういう手のものをよく見ますねぃ。

手といえば・・・


よりによって本堂の白壁に、こちらも誰が始めたものか朱印の手形が無数に。
本堂は重要文化財ですから、立派な犯罪ですね。指紋まで残して・・・


↑こちらはちょっと許したくなる。
何かなと思ったら、石仏さんの頭にペコちゃんが乗ってました・・・(^_^ゞ




境内をうろうろ歩いていると、琵琶湖が見えるスポットが何ヶ所かあります。
美しい琵琶湖の夕日が見られることでも有名。
境内の西の端になるでしょうか、「太郎坊大権現拝殿」があり、
ちょうどよい展望所にもなっています。

このお寺の直ぐ近くには「シャーレ水ヶ浜」っておすすめカフェも。


「長命寺港」
レジャーボートが行き交ってます。
手持ち2400mmのSX50HSの出番です!原寸サイズだと乗っている人の表情まで。



これまた気持ち良さそう♪
ウルトラライトプレーンってやつですかね。そう言えばここの近くに
フライトスクールとかの拠点があると聞いていましたが・・・
ジブリ映画『風立ちぬ』を見てから飛ぶのもイイかもね♪



「太郎坊権現社」


ここにもこんな木彫がありました。太郎坊の修業の様子でしょうか?

太郎坊とは、長命寺の修行僧で空を飛んだり、風雨を呼ぶ霊力を身につけ、
後に京都の愛宕山に移り住んだと伝えられています。
愛宕山では、太郎坊を神として信仰し、大天狗と呼ばれるようになりました。

長命寺には巨石がいくつかあり、それぞれに逸話があるようです。


「飛来石」(太郎坊権現社の上)
修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い、京都の愛宕山からここまで
飛ばしてきたものと伝えられています。





「六処権現影向石」(本堂のすぐ裏手)
武内宿禰がここに祈りを捧げて、三百歳の長寿を全うした言い伝えが
残されている、天地四方を照す岩だそうです。
今にも落ちそうなんですけど・・・


「修多羅岩」(鐘楼の裏手)
仏教用語で「天地開闢 天下大平 子孫繁栄」の意味だとか。
武内宿禰の御神体とされているそうです。


何かとても気になる飾り瓦。



三重塔へ上る石段の下の屋根にありました。
近江八幡と言えば、伝統工芸品として八幡瓦が有名。これがそうなのかは
分りませんが・・・


長命寺はまた、紫陽花の寺としても有名。5月半ばにはイベントもあったようです。



季節が合えば綺麗だったでしょうね。

何故か枯れ紫陽花、侘び紫陽花にも風情を感じてしまう私ですが・・・



2013.8/4、長命寺にて。

西国三十三所巡礼 第三十一番札所 姨綺耶山 長命寺

2013-08-11 09:53:57 | 西国三十三所巡礼
西国観音霊場巡りも、あと3つ。
第三十一番札所は『姨綺耶山 長命寺(いきなさん ちょうめいじ)』です。

寺名の由来はかなり古く、聖徳太子が開基した数百年前、景行天皇の御代に
武内宿禰(たけうちのすくね)が当山に登った際、柳の巨木を見つけ
「寿命長遠諸願成就」と彫りつけ長命を祈った。その霊験あって三百歳もの
寿命を保ち五朝に仕える長寿の大臣として大きな功績を残したといわれている。
その後、この地を訪れた太子はこの木に観音を感得し、三尊をつくらせ、
伽藍を建立し「寿命長遠」より長命寺と名づけたそうです。







「長命寺」の名に相応しく?石碑の土台は亀さんです。

標高333mの奥島山にあるお寺ですので、もちろん長い石段上りが待っています。
琵琶湖畔から続く808段の険しい石段。健康には良いのかな?しかし、
長いといってもほどがある。この日も暑かったし・・・と言い訳を考えながら
途中の駐車場までクルマで上がりました。(^_^ゞ



下を見れば延々と石段、1kmほどあるそうです。(写真左)
駐車場からだと残り100段余り。貧脚の私でもこれなら何とかなります。(右)



「山門」
駐車場からは直ぐに山門が見えますが、本堂へはもうひと息石段を登らないと


「手水舎」
手水舎の奥にはお地藏さんが並んでます。向いには書院が建っていました。



この先に本堂が見えますが、湖畔から808段の石段を登って来られた方は
やっとの思い?感動するでしょうね。


「?」
石灯籠とお堂がありましたが、札の文字が読めません。これより先に三重塔が。


「三重塔」(重文)




「閼伽井堂(あかいどう)」
中は井戸です。東大寺二月堂にも「閼伽井屋」がありましたね、御水取りの
御香水を汲む井戸でした。閼伽(あか)とは梵語のアルガの音写で水のこと。
英語のアクアと同じ語源だそうです。


「瓦?」
本堂前の広場に展示されていました。創建当時の瓦とかでしょうか?
ここからも琵琶湖が眺望できます。
白洲正子著「近江山河抄」には、近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、
私は長命寺のあたりと答えるであろう。と書かれています。







「本堂」(重文)

創建は619年とかなり古いですが、1516年に戦火に遭い、伽藍の殆どを焼失。
現存する建造物は1521-1614年にかけて再建されたものといわれています。

本堂は間口、奥行きともに12間4面の単層入母屋造りで檜皮葺きの
天台様式。三重塔と同様、渋い色合いの朱塗りが重厚で味わい深いです。



「賓頭盧尊者」           「釈迦像」
びんずるさんは撫で仏とされ、気になる部分を撫でるとご利益があるとか、
ここの賓頭盧さんは顔ばかり撫でられたのか・・・のっぺらぼう状態w


「本堂 拝所」
ご本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」、千手観音、十一面観音、
聖観音の3体とされている。本堂内陣の厨子に安置され、いずれも秘仏です。


「金剛力士像」
外陣の両側に置かれています。仁王門が無い代わりでしょうか。



ん、覗き込んで写真を?

撮影禁止されていないので、私もo[◎]_- )パチリ
秘仏であるご本尊は奥の厨子の中ですが、代わりのお前立ちご本尊のお姿を。







本堂からも琵琶湖が眺められるよう縁が設けられています。
長い石段を登ってきた甲斐があるってものです。私はラクしましたが(^_^ゞ

今回はここまで、後編へとつづく・・・




2013.8/4、長命寺にて。



○宗派:単立 ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体 ○創建:推古天皇27(619)年

御詠歌「八千年や 柳に長き 命寺運ぶ歩みの かざしなるらん」

西国三十三所巡礼 第三十番札所 巌金山 宝厳寺

2013-06-30 18:04:33 | 西国三十三所巡礼
竹生島は周囲2キロ、面積は0.14平方キロメートルという小さな島ですが
琵琶湖の最深部に近いところにポコッと頭を出している感じ。
船着き場を除いてはほとんど断崖、考えてみると不思議な島です。

調べてみるとその成り立ちが分りました!(科学的じゃないけど・・・)
多多美比古命(伊吹山の神)が、浅井姫命(浅井岳=現在の金糞岳の神)と高さを
競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に
落ちて竹生島になったという。
金糞岳(標高1317m)は滋賀県2位の高峰で、今、最高峰の伊吹山(標高1377m)は、
竹生島の高さを差し引くと本来は2番目だったというわけです。
納得していただけたでしょうか・・・(^_^ゞ




25分の航海(ん、海じゃないから航湖?)を終えて、途中、鯨に船底を破られる
事も無く、無事上陸♪ 神社仏閣が険しい斜面にチラチラ見えます。



この島はお寺参り以外はこれといった観光もできないのに、三ヶ所の港から
1日4便、定期便が往復しているので結構賑わっています。
船着き場から参道に至るまでには、ちょびっと土産店などのお店も並んでいます。



団体ツアー客も多いようですね、関東の某クルマディーラーの旗も見ましたよ。


古来より神の住む島として信仰の対象となっていたこの島には、
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と西国三十三観音霊場、三十番札所である
巌金山 宝厳寺(がんこんさん ほうごんじ)があります。その参道は・・・



道ではなく、勾配も厳しい石段。167段あるとか・・・数えてませんが。
左のはバリアフリーの装置かと思いましたが、そうでは無さそうですね。荷物用?
途中までしかありませんでしたが、これを改良して椅子に座ったまま登れるように
すると良いかもね。



都久夫須麻神社(竹生島神社)は、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る
小祠が作られたのに始まると伝えられています。
そりゃ、この島は浅井姫命(あざいひめのみこと)の首やもんね・・・
一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」
という名前になったとも・・・もうエエか?(笑)



最初の鳥居の額には「竹生島神社」と書かれており、右に折れると神社の方へ。
真っ直ぐ参道の石段を登って行くと二の鳥居、これには「巌金山」の額が。

一気に上っていきたいところですが、先を見るとまだ・・・




この石段脇にもちょこちょこスポットがあるので、見物しながら休みましょう。

「本坊」                「湖底深井」


この「瑞祥水(ずいしょうすい)」、平成14年に掘られた霊泉だそうです。
昭和62年頃より川鵜(カワウ)の異常繁殖により、緑樹は枯れ、山崖は崩れ、
全島にわたって大きな被害を受けていました。
もともと島一帯は殺生を堅く禁じていますから、漁船や釣り人も近寄りません。
それをいい事に?日本でも有数の川鵜のコロニーになったようです。最近は木々に
縄を張って近づけなくしたり、駆除!が行われかなり減ったようですが・・・
山からの湧き水が涸れ果て、困っていたところ、ご住職の夢枕にご本尊様が
「ここに井戸を掘れ」とのお告げがあったそうで、工事は難航、1年間かけて
深さ230メートル(湖底下 約130メートル)より、清浄水が出たそうです。



それにしてもこの何ともひょうきんな龍さんは・・・?
放っておいたら逃げていくのでしょうか、紐でぐるぐる縛られてましたよ。(^_^ゞ

「月定院」と「護摩堂」

         「鐘楼」

石段を登り終えると少し広場になっており、「本堂(弁財天堂)」があります。



本尊の大弁財天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つで、その中で
最も古い弁財天です。そのため、ここでは大弁財天と称しているようです。
(ご本尊は秘仏で60年に一回開帳、次回の開帳は2037年となります)

宝厳寺は、奈良時代(724)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より
「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ」
というお告げを受け、僧 行基をつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、弁才天像をご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、
千手観音像を安置しました。
弁財天はもともとインド古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」です。
よくお寺では弁天池があり、そこに島をつくって弁天様を祀る弁天堂がありますが
此処の場合、弁天池にあたるのが琵琶湖だとしたらスケールが・・・
ちなみに東京 寛永寺の不忍池弁天堂は、琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に
中之島を築き、建立されたものだそうです。

平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えていたのですが、
明治時代になり神仏分離令が発布された際、神社にせよと言われ廃寺の危機に。
どうも七福神の一員、弁財天は神社イメージが強かったようで・・・
寺側は、弁才天は仏教の仏であると主張して譲らず。一悶着の結果、宝厳寺と
都久夫須麻神社に分離することになり、仏教寺院としての存続は果たしましたが
本堂は神社に引き渡すことに。本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、
昭和17年、現在の本堂が再建されました。

納経所、ここでも団体ツアーの添乗員が一人で大量の納経帳を出すものだから
並んだ家内も随分待たされたようです。
巡礼ツアーでは当たり前のようになっていますが、何だかなぁ・・・です!
「納経所」

「不動明王」

それでは、いよいよ内部へ・・・






ご本尊である行基が彫った大弁財天像は秘仏なので見られませんが、
竹生島最大の祭礼行事「蓮華会(れんげえ)」の頭役(とうやく)が奉納した
弁財天像が左右に安置されていました。






なお、北近江を支配していた戦国大名、浅井(あざい)氏が頭役を努めた際、
奉納した弁財天像も後陣に置かれているようです。




本堂(弁才天堂)の中は「幸せの願いダルマ」で埋めつくされていました。



このダルマは、心にある悩みや苦しみを弁天様に打ち明け、安らぎと幸せを願う
ダルマとして奉製されており、備え付けの用紙に住所、氏名、願い事を一つ書き、
ダルマの底にある穴にその用紙を詰めて、代金と引き替えにダルマの底にシールを
貼ってもらい蓋をし、納めるのだそうですが・・・



「本堂(弁才天堂)」
1942年に平安時代様式で新築されたもので、寺内最大の建物。

「五重石塔」(重文)

         「手水舎」
重文の五重石塔は、鎌倉時代のもので高さ2.5mほど。石材は滋賀郡の山中から
採れる小松石だそうです。
五層の仏塔は、地・水・火・風・空の五大をかたどったものといわれています。

手水捨の横の石段を上ると(またぁ!)三重塔、宝物殿があります。
そこが一番高いところかな、その後、下って「都久夫須麻神社」へと向かいますが
・・・それはまた次回。(^_^ゞ




2013.6/9、竹生島 宝厳寺にて。



○宗派:真言宗豊山派 ○開基:行基
○御本尊:千手千眼観世音菩薩(観音堂) ○創建:神亀元(724)年

御詠歌「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして」

西国三十三所巡礼 第二十九番札所 青葉山 松尾寺

2013-06-12 18:48:10 | 西国三十三所巡礼
『青葉山 松尾寺(まつのおでら)』は、京都府舞鶴市と福井県大飯郡との境にある
若狭富士と呼ばれる標高699mの青葉山の中腹にあり、かつては七堂伽藍も整い
末寺は65、寺領は四千石にのぼっていたとか。今は小さな山寺ですが・・・


「仁王門」
かなり傷みが激しいです。金剛力士像もお留守のようで、写真だけ。
実は修復が終わり門を入って右手の宝物殿に安置されていたようです。
いずれは戻されるのかな?



ここも千社札だらけ、どうやって天井にまで貼るのでしょうか?
脚立か梯子を持参で?貼っている現場を目撃したことは無いのですが・・・


「?」
これは何だったのだろ?扉には菊の御紋がありました。
このお寺、入山料も拝観料も不要ですがその分、確かパンフも無かったような。



本堂につづく石段。



登りつめたところに・・・





確かに枝が落ちてきたら大事になりそう。上を見ながら・・・だと
石段踏み外しそうだし、どうすりゃ良いものやら。(/・。\)





「一切経堂」



「本堂」
屋根がかなり特徴的で、方形の宝形造り(ほうぎょうづくり)というものですが
二重になっており、唐破風(からはふ)が前面に出ている。
滑らかな曲線を描き、青銅色といい美しい屋根だと思います。
手前の、何て言うんだろ香炉舎とでも言うのかな?線香を立てる炉を被う屋根も
宝形造りでバランスがとれて、そのまた手前の青銅の六角燈篭も合っています。
それぞれの屋根の頂点は擬宝珠(ぎぼし)になっており、雅な感じもしますね。



唐破風にはここも凝った木彫が施されていました。資料が欲しいなぁ!



破風のみならず、堂の周りにも木彫が数多く見られたのですが、保存状態は
良いとは言えず勿体ない気がします。

お寺の方でしょうか、私らより年配の男性が出て来られ
「どうぞ上ってお参りください」と招き入れ、説明まで始めてくれました。
本堂内の写真も構わないと言うことで、あまり無いことに喜んで撮ったのですが
ピンボケばかりでした・・・(+_+)



この書は「今年の漢字」で有名な清水寺貫主 森清範が此処へ来られた時に
書いていかれたものだとか、写真に撮ると「そんなもんまで撮りますか…」とな。



拝み方まで教えてもらいました。紐はご本尊と繋がっているのだとか。
ここのご本尊は西国三十三所の寺の中で唯一「馬頭観音」を本尊としています。
秘仏で、何と77年に一度しか開帳しないのだとか・・・
確か2009年に開帳しているので、次は73年後?無理です!紐で我慢します。(^_^ゞ



「渡り廊下」本堂側から心霊閣を見る。
本堂と心霊閣を繋ぐ「渡り廊下」、特徴的で味わいもあるのですが
老朽化のためか通行できないようです。




ご本尊 馬頭観音に因んでお馬さんの銅像がありますが、これも・・・(゜ε゜;)

※馬頭観音(ばとうかんのん/めづかんのん):観音菩薩の変化身のひとつ。
観音様といえば普通、優しいお顔をされているがこの観音は珍しく忿怒の姿です。
衆生の無智・煩悩を排除し諸悪を馬の如く喰らい尽くしてしまうのだそうです。
このお寺では「農耕の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通 、更には
競馬に因む信仰を広くあつめている」とあります。



「地蔵堂」?

「鐘楼」

「??」


「心霊閣」


「渡り廊下」心霊閣側から本堂を見る。


ここでちょっと気になる施設を。

「烏瑟娑摩明王殿(うすしまみょうおうでん)」
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)とも表記される、この世の一切の汚れを
焼き尽くす炎の神様。
「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、功徳としては便所の清めって
ことで、要するにトイレの神様?



「手水鉢」大きな自然石をくり貫いたものです。

知る人ぞ知る?隠された名水の湧き場所がありました。

家内がペットボトルの水を入れ替えるのに、たまたま記帳所で水道の水が飲めるか
聞いたところ、此処を教えてもらったものです。



「弘法大師像」


「役行者像」なんだか酷い形相に・・・


「鐘楼」と「鳥羽天皇お手植えの銀杏(イチョウ)」


「竹生島道」と書かれた石標と地蔵像。次の札所が竹生島だからかな?


「鳥羽天皇お手植えの銀杏」を裏から。

ここの高札には「銀杏はジュラ紀に栄えた植物であるが、ヨーロッパや
アメリカでは3世紀末に絶滅。日本と中国だけには残った」とありました。
日本では街路樹やお寺・城でよく見かける馴染み深い樹ですが、植物学的にも
特異で、生きた化石的扱い?日本へは仏教と共に中国から来たものと思われるが
現在のヨーロッパのイチョウは長崎からケンペルにより持ち込まれたもので、
欧州、北米の各地に広まったとされているから、日本の銀杏の子孫なんですね♪



「鎮守社」?「青葉山権現社」とでも言うのかな?
境内の右隣に鳥居と社がありました。かなり傷んでますが両部鳥居の形態をした
鳥居です。神仏習合、密教などとの関わりが伺われます。



このお寺、思っていた以上に興味深く楽しめるところでしたが、何しろ傷みが・・・
寺宝には国宝や重文もあるのだが、建物の保存状態はちと残念です。
私には珍しくお線香を立てたり、お賽銭もいつもの10倍(穴の開いた硬貨ですが)
納めたりして、協力しておきましたよ。(^_^ゞ

また巨樹も多く、自然もたっぷり。いいお寺なんですがね・・・



ってことで、ペンションでいただいたお昼のお弁当、ここで食べました♪




○宗派:真言宗醍醐派 ○開基:威光上人
○御本尊:馬頭観世音菩薩 ○創建:和銅元(708)年

御詠歌「そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに まつのおでら」



2013.5/26、松尾寺にて。

天橋立パノラマびゅ~♪

2013-06-08 18:00:19 | 西国三十三所巡礼
日本三景のひとつ「天橋立」、そのビューポイントは数あれど
この成相寺(なりあいじ)の上には「日本一の成相山パノラマ展望所」と
「弁天山展望台」と言う2つのビューポイントがあります。
この日はお天気も良く、絶好のビュー日和♪

で、まずはお寺の駐車場から「パノラマ展望所」へ、車で移動です。



道は狭いものの離合も可、しっかり舗装した新しい道がくねくねと展望所まで
続いています。
ただ~し!途中、減速用にと凸突起が何ヶ所も・・・・
オフロードバイクやジープなら何てことない凸ですが、
ロードバイクは気をつけないと命取り? 車高の低い我が愛車も。(;´д`;)
這うように、よっこらしょ、よっこらしょと越えて行きます。

辿り着いたら、駐車場即、パノラマビュー♪



もう1歩前へッ! あまり悦び過ぎて前に突っ込むと奈落の底へダイブ?
ここは控え目に・・・それでも愛車と天橋立のツーショットはきっちり撮れます♪




「天橋立」外洋に面さない湾内の砂州としては我が国唯一のものであり、
日本を代表する砂州。海を区切る細い砂州にもかかわらず、地下には真水が流れ
それ故、砂州の上は約8,000本の見事な松林を形成している。

海を隔てる全長3.6km、幅20~170mの長大な砂州に奇跡的にも松が茂るから、
その奇観は日本三景※のひとつとされています。
※江戸時代の初め、全国を行脚した儒学者、林春斎が『日本国事跡考』で「丹後の天橋立(あまのはしだて)、陸奥(むつ)の松島、安芸(あき)の宮島を日本三処奇観」と定めたのが日本三景の始まり。




「記念写真を撮るならこの岩の上からが最高」みたいな看板があり、岩には
ご丁寧に足型も・・・で、そこから撮った写真です。↑

景色を撮るならもっと前の方が良いようで・・・股覗きの足型もあったようですし。




「神の代に 神の通いし 道なれや 雲井に続く 天橋立」

その奇観ゆえ、古代より様々な言い伝えが残っています。
古風土記によると、伊射奈芸命(イザナギノミコト)が、天上から通うために
梯子をかけました。そしてこの梯子を天浮橋と名づけ、天上と地上を往来して
いましたが、ある時、地上におりたイザナギノミコトがうっかり寝てしまった
うちに、天浮橋は地上に倒れてしまい天橋立となり、天上の神々と地上の人間を
結ぶ梯子はなくなってしまったのです。
しかしその後、神と人の絆はかえって強くなり、神仏を求めて白砂青松の
不思議の道を訪ねる人があとを絶たなくなりました。・・・とさ。(^_^ゞ


楽しみにしていた「土器盃(かわらけ)投げ」

ここには、的も設置されています。

円の中に投げた盃が通れば願いが叶うという、開運のかわらけ投げ(3枚100円)
残念ながら売り切れなのか、1枚もありませんでした。


標高500mからの眺望には満足しましたが、愛車と天橋立ツーショット、他にも
撮れないかと考え、家内に少し下まで降りてもらいました。



そこ、そこ!途中で停められる場所があるので、そこで停めてもらい・・・



o[◎]_- )パチリ ・・・う~ん、一応ツーショット♪





さて、「日本一の成相山パノラマ展望所」を降りて、お寺の第二駐車場にクルマを
停めなおし、五重の塔・底なしの池の横から登って行ける「弁天山展望台」に
向かいます。こちらへは徒歩で・・・



「パノラマ展望所」へは車で5分、こちらは徒歩5分・・・結構厳しい山道を。
こちらの方が標高が低いせいか「日本一の」とは言わず、控え目に?それでも
「傘松公園以上の展望台です」という刺激的なフレーズが!



標高が傘松公園より高いってことなんだろうな・・・何て考えているうちに
展望台に到着! すぐと言えばすぐなんですが、勾配きついし足元も荒れている。
だから、ほとんど人の姿も見ません。ガラガラ、独占状態♪
なのに90歳近いような爺様が杖を手に登ってこられた、どうやらお孫さんに
連れられて? 孝行なのか、どうなのか・・・へたって居られたけど。(^_^ゞ



ここもまた良いビュースポットです。しっかりした展望台もあります。





看板通り、白山連峰まで見えていました。


ここでも「かわらけ投げ」をやっていたようですが・・・壊されています。

登る途中にあったベンチ、ここから何を見よと言うのでしょうか・・・


[天橋立ビューポイント・ガイド]
宮津湾内にあり周囲を山に囲まれているので、南・北・西から俯瞰できます。

代表的なのが南(内陸側)、天橋立ビューランド(文珠山)から観る『飛龍観』。
龍が降臨してくる姿に見えます。股覗きをすれば天に昇る姿に?
龍に見えると言う点では、ベストポイントだと思います。

西(湾奥・阿蘇海側)からは、『横一文字』が、一字観展望台(大内峠)より
観られます。一帯は一字観(いちじかん)公園として整備されており、
股覗き発祥の地らしいですが、股覗きをしても横一文字のはずだけど・・・

北(丹後半島側)は、傘松公園が有名で『昇龍観』のビューポイント。
こちらは龍神に関する伝説が多く残っているのですが、眺め的には斜め一文字?
ほとんど松林しか見えないし・・・
今回行った「日本一の成相山パノラマ展望所」と「弁天山展望台」は
傘松公園のさらに上から望むので、天橋立の奥に能登半島、快晴なら能登半島の
上に北アルプス・立山連峰や加賀の白山まで見渡すことができる。
絶景という点ではナンバーワンかもね。

俯瞰と言う事では番外的なのですが、東(栗田半島・獅子崎)からは『雪舟観』が
観られます。これは国宝でもある、雪舟が描いた「天橋立図」と同じ方向から
観られるビューポイント。
獅子崎稲荷神社を登ってくと天橋立雪舟観展望休憩所が設けられています。
雪舟は俯瞰的に描いていますが、ここからの眺めは絵とは随分違うようです。


[おまけ]成相寺の入山料を払うと、案内パンフと同時に無料珈琲券なるものを
もらえます。これは途中の土産物屋さんとのタイアップサービスのようですが・・・

とりあえず寄って、珈琲をよばれて手ぶらで出てきました・・・(^_^ゞ




2013.5/26、弁天山展望台途中から見た成相寺五重の塔。背景には日本海が見えます。

西国三十三所巡礼 第二十八番札所 成相山 成相寺(なりあいじ)

2013-06-06 17:28:25 | 西国三十三所巡礼
京都府宮津市、日本三景のひとつ 天橋立を眼下に見下ろせる
『成相山 成相寺(なりあいさん なりあいじ)』

今年初めての西国三十三所観音霊場巡り、日本海側の山寺と言うことで冬場は敬遠。
暖かくなるのを待っていました。ちょっと待ち過ぎて真夏日でしたけど・・・



待っていてヨカッタかも、凍結が恐ろしいような道を走ってやっと辿り着けます。
境内に続く道にゲートが設けられており、そこで入山料500円を払うと直ぐに駐車場。
下調べで、クルマで行った場合は山門が見られない。見る場合は、少し下山する
必要があるとのことでしたので、そのつもりだったのにすっかりその事を忘れて
しまって・・・よって山門の写真はありません。(-。-;)

またこのお寺、見どころ・逸話、伝説がいろいろある所です。


「五重の塔」と「底なしの池」

ゲートの側にあります。五重の塔は1998年に完成したまだ新しい塔ですが、
鎌倉時代の様式を再現したもので美しい塔でした。
底なしの池…昔この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を呑み込んでいたため、
和尚は火薬を仕込んだわら人形を飲ませて退治したという伝説が残っている。









本堂への階段の途中に立派な鐘楼があります。「撞(つ)かずの鐘(かね)」って
呼ばれているようですが、その由来は・・・
お寺の新しい鐘を鋳造するために近郷近在に浄財の寄進を何度も募ったところ、
裕福そうな女房が「子供は沢山居るが、お寺に寄付するお金はない」と断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の見物人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。
そして銅湯となったルツボの中に、誤って乳呑児を落としてしまった。
完成した鐘を撞くとその音は赤子の泣き声、母を呼ぶ悲しい声に聞こえたという。
聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、以後、一切この鐘を
撞くのを止め「撞かずの鐘」になったと伝えられる。


撞き棒はあるのですが、何やら文字がいっぱい書かれていました。

この鐘楼の向いには約620年前に造られたという大変古いお地藏さん
「一願一言地蔵」があります。

その奥には「観音堂」。
ここには西国三十三ヶ所の本尊全てが祀られています。

「一願一言地蔵」は、ただ一つの願いを一言でお願いすれば、どんなことでも
必ず叶えて下さるとか。また安楽ポックリの往生も叶うと伝えられています。
・・・人生唯一の願いがポックリ往生だったら悲しい気がしますが (・_・、)

石段を登りきると「本堂」に。


もともと、本堂は現在より山の上に建てられていたようですが、山崩れのため
現在地へ移転したとのこと。現本堂は安永3年(1774)の建築だそうです。

五間四方の入母屋造、正面を千鳥破風、軒唐破風で、それを飾る木彫はかなり
手の込んだ複雑なもので、鐘楼も同じような装飾が施されていました。
ただ、ここも千社札がいっぱい貼られている。折角の建築美も台無しです!



はい、ここで寺名の由来を・・・ 一人の僧が雪深い草庵に篭って修業中、
食糧も絶え餓死寸前となりました。死を予感した憎が救いを本尊に祈ったところ、
堂の外に傷ついた鹿が倒れていた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが
命には変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。やがて
雪も消え、堂内を見ると本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていたとさ。
僧は観昔様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると
元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と
名付けられたとな。

堂内の厨子に安置された御本尊の木造聖観世音菩薩は、平安期のもので、秘仏。
33年に一度の御開帳。身代わり観音または美人観音とも呼ばれています。





内陣は撮影禁止だったのですが、貼り紙に気付かずに・・・ま、この程度なら
許されるでしょう。

この内陣での見どころは、「左甚五郎作 真向きの龍」※これは撮影可でした。





龍と目を合わせながら横に移動しても、ずっと視線は合ったまま・・・というものです。
どうでしょうね、その真意のほどは実際にお確かめください。(^_^ゞ

なお、本堂内陣へ上がるのに車椅子用のリフトが備えられていました。
バリアフリーが完璧とは言い難いですが、こういう姿勢は良いことですね。



本堂の右側には「十王堂」があり、そこに撫で仏「賓頭盧尊者」様が。


病んでいる部位をなでると除病の功徳があるといわれているのですが・・・
上半身しか出ていない、膝の悪い人はどうすれば?こんな賓頭盧さんは初めてかも。

お堂の中には「孔雀明王」と

「閻魔大王」が祀られています。





本堂の奥には「熊野権現社」成相寺鎮守堂ですが、ここでは最古の建築物のようで
トタン屋根の小屋ですっぽり被われています。

本堂前の手水鉢は、国の重要文化財「鉄湯舟」です。
今は名水が出る手水鉢として利用されているのですが、かつてはここにお湯を張り、
かかり湯をしたと考えられています。後に薬湯で怪我や病気の人を治療したとも。

本堂左側には石仏群が・・・



「身代わり地蔵」とありますが、その由緒は??


本堂を後にし、スロープの緩やかな左手より降りて行くと第二駐車場に戻ります。

例の底なしの池には「弁天堂」が建てられ、弁財天が祀られています。



「五重の塔」



「底なしの池」




○宗派:橋立真言宗 ○開基:真応上人
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:慶雲元(704)年

御詠歌「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天の橋立」



2013.5/26、成相寺にて。

西国三十三所巡礼 第二十七番札所 書寫山 圓教寺

2013-03-11 23:11:24 | 西国三十三所巡礼
「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三所中最大規模の寺院
『書寫山 圓教寺(しょしゃざん えんぎょうじ)』
最大規模って言うことだから、京都の清水寺より大きい?楽しみにしていたのですが・・・

兵庫県加西市「一乗寺」から姫路市の「円教寺」までは下道で4、50分かな。
途中、昼ご飯を食べたりしていたから書写山に着いたのは午後3時・・・
ロープウェイ乗り場の無料駐車場に停めて、いざ・・・何だか様子がおかしい!



な、なにぃ!ロープウェイ、運休?
12月10日~24日まで定期検査のため・・・行ったのは12月16日、ど真ん中やん。(^_^ゞ

近くに居られた地元のおっちゃんに話しを伺うと、ここのところ毎年、この時期には
ロープウェイ止めるんだとか。「歩いても行けるけど、2時間くらいかかるかな、
もう無理やなぁ」・・・おっしゃるとおり、2時間もかかったら真っ暗になります。
ちなみにここへの登山道は6ルートもあるそうで、山歩きにはもってこいとか。
ただ、境内を歩くだけで1時間はたっぷりかかるそうで、普段はロープウェイの
山上駅からも15分ほど歩かないと着かない。(;-_-メ;)
(マイクロバスがシャトル運行しているようですが・・・昔は馬車だったとか)


写真見て、気がついたのですが、
去年の時点でもう次の大河ドラマが決まっていたのですね。「軍師官兵衛」、
主人公は黒田官兵衛のようです。豊臣秀吉の側近として仕えた天才軍師として有名。
関ヶ原の戦いでは反三成の立場から東軍につき、徳川家康の勝利に貢献、
その勲功として長男、長政は福岡藩初代藩主となっている。
何はともあれ、織田・豊臣の家臣で徳川からも認められた黒田官兵衛、戦国時代を
生き抜き、信長・秀吉・家康の三英傑よりも優れていたと評される人物。
来年の大河ドラマが楽しみでもある。

この円教寺とはどういう縁があるのかは知らないが
・・・だいたいキリシタン大名だったのに。
ただ黒田氏の本拠地は播磨姫路だし、官兵衛自身も姫路城で生まれていたり
姫路市には多くのゆかりの地が残されているようです。
それともこのお寺が、大河ドラマのロケ地にでもなったのかな。
ここは数多くの映画・ドラマのロケ地になっていますが特に有名なのは
ハリウッド映画「ラストサムライ」に使われたことでしょうね。

閑話休題
ロープウェイ運休の間は、待合所にて出開帳しているとのことで・・・

納経御朱印だけは、もらって帰ることができました。

このまま帰るのもなんですから、辺りを散歩して





本来はここから書写山を目指すはずだったのに





西の比叡山と言われる大寺院、いずれここには来ないとな。『7駆さんの記事』

トム・クルーズもロケの合間に寄った?かどうか知らないが
杵屋・書写お菓子の里で、

我が家のにゃんこと同名の姫路銘菓を買って帰りました。



何か虚しいけれど

○宗派:天台宗 ○開基:性空上人
○御本尊:六臂如意輪観世音菩薩 ○創建:康保3(966)年

御詠歌「はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん」

西国三十三所巡礼 第二十六番札所 法華山 一乗寺

2013-03-05 23:45:41 | 西国三十三所巡礼
「法華山 一乗寺(ほっけさん いちじょうじ)」は、兵庫県加西市にあり、
加古川と姫路市に連なる山中に建つ古刹です。国宝や重文も数多くあるお寺です。

開基は数々の伝説を残すインドの法道仙人。第二十五番札所の「播州清水寺」
その後に行った番外「花山院菩提寺」も法道仙人が開山されたことになっています。
法道仙人は飛鳥時代、天竺(インド)から紫雲に乗って中国、百済(朝鮮)を経て
日本へ飛来、播州の山岳地を中心に60以上のお寺の開基とされています。
仙人は飛行自在の能力と限りない寿命を得ていたといわれ、自ら動かず仙術を
駆使して鉢を飛ばし、お布施を受けていたため「空鉢仙人」と呼ばれていました。
そうした法力の逸話が、時の帝である孝徳天皇の知るところとなり、都に呼ばれ
長年患っていた天皇の病を平癒したところ、その功績により法華山に一大伽藍を
建立することとなり、一乗寺ができたということです。

駐車場は少し離れたところにあり、直ぐ側には・・・








水子供養壇がいくつかあり、夥しい数のお地藏さんが置かれています。


「お水かけ地蔵菩薩」像と「粟嶋堂」


粟嶋堂を後ろから。横には絵馬が奉納されています。
この堂宇、「一乗寺 隣聖院 粟嶋堂」となっており、一乗寺の塔頭である隣聖院に
属するもので、ここに移築されたもののようです。
隣聖院は道を隔てて一乗寺の向かいにあります。

駐車場からバス停の方へ歩いて行くと、一乗寺の入口が見つかります。


入山料を払って少し進むと現れるのが・・・




やはりここも石段。172段(私が数えたわけじゃないけれど)しかもかなり急勾配。
本堂に辿り着くまで三段階に別れていますが、階段に次ぐ階段の連続・・・


最初の階段を登り終えると先にも石段が。三重塔が建っていて、その先の階段を
登るとやっと本堂があるはずです。


振り返って見ると、やはり急勾配。(^_^ゞおおコワイ。




ちょっとひと休み。最初の石段を登りきったところには二層になった立派な
常行堂が建っています。常行三昧の行を修するために建てられた仏堂です。
同じ天台宗の比叡山延暦寺にもありますね。


「常行堂」             「経堂」

二つ目の石段を登ると古い三重塔が建っています。向かい合って経堂も。
この経堂の横からも奥の院に通じる階段がありました。


「三重塔」〔国宝〕

我が国でも十指に入る古塔です。建立は平安後期の1171年、建立年代の明らかな
塔としては全国で8番目に古いものだとか。



やっと金堂(本堂)が見えてきました。もうひと息、階段を登らないと行けませんが。


「大悲閣」金堂(本堂)です。〔重文〕

石段を登りきっても舞台造りの足元に着くだけ、参拝するには向こう側に
回り込まないと上れません。





「鐘楼」
本堂脇に建っています。1628年の建築で、袴腰が付いた美しいものでした。
本堂の回り縁から吊られている梵鐘もしっかりと見えます。



本堂東側の縁です。先ほど見上げていた南面へ回ります。


舞台から外陣。            「賓頭盧尊者」

ご本尊は、白鳳時代作の聖観世音菩薩像(重文)で、秘仏となっています。
外陣から外を眺めると目前に三重塔が見えます♪



ちょっと珍しい風景なので、イイ記念写真ポイントかも・・・♪





さて、本堂の奥にも重文建造物が並んでいるようなので行ってみます。


「手水舎」             「護法堂」〔重文〕
護法堂は 一間社春日造で、小高い石垣の上にあります。
ちなみにここの前まで行くには石垣のような石段を登って行きますが、
足腰弱いと、とても危険な気がしました。


手前「弁天堂」、奥「妙見堂」ともに〔重文〕    「行者堂」
弁天堂は一間社春日造、妙見堂は三間社流造で、護法堂と合わせて
鎮守三社となっています。どれも小さな社ですが鎌倉時代の様式をとった
室町時代の建築で貴重なものだとか。

※一間社とは前の柱の間隔が一間(約180cm)で、三間社は柱が四本、間隔が一間
なので合計幅が三間です。流れ造りは棟に平行な平側から屋根をのばして庇と
しているのに対して、春日造りは妻側から庇を付設した形をとります。

このお寺、心霊スポットとしても有名なようで・・・
それにはここに「賽の河原」があるからでしょうが、残念ながら奥の院ともども
土砂災害のため立入り禁止になっていました。


ちなみに奥の院には開基の法堂仙人が祀られている「開山堂」があり、その横から
山の中に入って行くと賽の河原があるようです。そこには、いたるところに
童子供養の無数の小石が積み上げられ、また同じく供養の風車やおもちゃが
供えられれている。そんな光景は子や水子をなくした親の悲しみが、この寂しい
世界の中に凝縮されているようだ・・・とのこと。

本来なら奥の院、賽の河原をお参りして戻ってきたところに放生池が見えるはず。


放生池の中には、弁天様を祀った祠があるのですが、豪雨災害の影響かかなり
荒れ果てていました。



この鳥居の向こうには白妙稲荷大明神と見子大明神を祀る見子堂があるのですが
無残な状態でした・・・



ここら(裏参道?)を通り抜けて駐車場へと戻ります。


「太子堂」
境内、敷地内のいたるところに石造りの祠に入った石仏を見ました。
どういうものなのかは、よく分りませんが・・・




駐車場に戻る前にバス停前の休憩所に寄りました。お番茶がいただけます♪
お土産も売っていたので・・・

こんなんゲット!!ヽ(^。^)ノ




2012.12/16、法華山 一乗寺にて。



○宗派:天台宗 ○開基:法道仙人
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:白雉元(650)年

御詠歌「春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山」

西国三十三所巡礼 第二十五番札所 御嶽山 清水寺

2012-12-21 18:25:32 | 西国三十三所巡礼
清水寺=京都。のイメージが定着しているが、全国には幾つか同名の寺がある
慈眼山清水寺(長野県)、白華山清水寺(岐阜県)、岩手県には山号も
京都の清水寺と同じ音羽山清水寺があったりします。
長野の清水寺の御本尊を京都に移したから京都も清水寺と名乗っているとか
岐阜の清水寺は京都と同じ延鎮上人を開基としています。
これらの清水寺はいずれも奈良・平安時代に創建されたもの。

今回の兵庫県加東市にある『御嶽山 清水寺(みたけさん きよみずでら)』
それより以前、古墳時代・推古天皇の御代に創建、建立されたと伝えられています。
通称「播州清水寺」、京都の清水寺(西国三十三所16番札所)と区別するため
そう呼ばれています。京都のように世界遺産でも無ければ国宝もありません。
修学旅行生の姿も見られない・・・(^_^ゞ



『仁王門』
ちょうど写真を撮る時にDUCATIに乗って来られた方とタイミングが被りました。
「すぐにどけますから」とおっしゃったのですが、逆に「置いといて」って
一緒に撮らせてもらいました。


『仁王像』

このお寺、創建は古いですが大正2年に全山焼失。現在のものはそれ以後
再建されたものです。仁王門に関しては昭和40年台風にて全壊。
昭和55年末、新築再建。平成4年丹塗装完成というものです。
金剛力士像は大正10年岡倉天心に従事した奈良の仏師菅原大三郎氏の遺作。
後に昭和53年太三郎氏の子息、東京芸大 菅原安男名誉教授により修復。

トップ画のようにここからも瀬戸内海が望める絶景スポット。海抜550mの
山岳地に建つ寺院です。アクセスは「清水寺登山口」のゲートで300円を
払うとお寺までくねくねドライブウェイ、門前には普通車390台収容の大駐車場。
ドライブウェイの通行料だけで、駐車場・入山料は無料です。
マイカー参拝はいたって快適。ちなみに公共交通利用となると・・・
JR福知山線「相野(あいの)駅」から清水寺行きのバスで約35分。
・・・ですが、このバス、1日2本のみ。
相野発10:20 清水寺着11:06のバスが清水寺発12:10で、1時間ちょいの
参拝時間はあるのですが、結構広い境内、アップダウンもあるし、
ゆっくりはしていられないかも。次のバスが最終となり清水寺発14:50ですが
これに乗り遅れると、徒歩下山?県道まで出てもバスの便があるのかな?

ちなみに僕らが行ったのは11/25日で「紅葉ライトアップ」の最終日。
点灯時間は17:30~21:00でしたが、バスの増便は無かったような・・・




『大講堂』、写真手前は『放生池』そして『手水舎』
西国二十五番の札堂となっています。大正2年焼失後、真っ先に再建された
お堂のひとつです。


『大講堂』正面


『御本尊・十一面千手観音』     『賓頭盧尊者』
ここの御本尊は秘仏ではなく常時公開、拝観料(300円)を払えば内陣に入れ
間近で拝めます。



眺めても良し、ここからの眺めも良し。大講堂の縁からは日没、夕陽が美しい。
なお、展望台(売店屋上)からは朝日が美しく、初日の出スポットになっています。



『薬師堂』 創建は平清盛の義母「池の禅尼」




『十二神将』
薬師堂の内部には十二支の動物たちが戦士の姿になったユニークな像が。
奈良の平城遷都キャラクター「せんとくん」で物議をかもした
東京芸大 藪内佐斗司教授の作品です。藪内ワールド全開ですね!



『鐘楼』
この鐘の音は播磨、丹波、摂津の三国に響き渡るといわれ、開運の鐘として
親しまれているとか。撞くこともできます(100円)



『根本中堂』(本堂)
創建以来の御本尊はこちらに安置されています。(秘仏です)
開基法道仙人が刻んだ一刀三礼(いっとうさんらい:仏像を刻むのに
一刀を入れる毎に三度礼拝すること)の十一面観世音菩薩。
法道仙人は前回の番外花山院の開基と同じ。天竺(インド)から雲に乗って
来られたって仙人ね。さすがにHPでは中国、朝鮮を経て御嶽山に住まわれ
・・・と書いてありますが。(^_^ゞ
ただこの御本尊、大正2年炎上の際、自ら避難・・・って!



『本坊』
この日は一般公開されていませんでした。その訳は・・・「婚活会場」。


さて、「おかげの井戸」へ。



『滾浄水』
法道仙人が水神に祈って湧水した霊泉。「清水寺」と称される由縁です。



「おかげの井戸」薄暗い井戸を覗いて自分の顔が水面に見えれば、寿命が
3年延びると言われているそうです。写真撮ってて覗き込むの忘れてた。
もう辺りも薄暗く、井戸は真っ暗。まず顔は映らんかったやろな・・・



『宝篋印塔』(ほうきょういんとう)
かつては護摩堂が建っていたところだそうです。



『月見亭』 ちょうどよいお月さんが出ていました。



『多宝塔跡』
元の大塔(多宝塔)は平清盛の生母、祇園女御の建立と言われているが焼失、
再建するも昭和40年の台風で倒壊。今後また再建予定だそうです。
なお、このお寺の常行堂は後白河法皇により、また阿弥陀堂は源頼朝により
建立されたと言われているそうで・・・
大河ドラマ「平清盛」オールスターキャストやね。(^_^ゞ



『地蔵堂』
ここの写真を撮る頃にはもうすっかり暗くなり、扉も閉められるところだった
のですが、カメラを持って写真を撮りたそうにしていたら、わざわざ扉を
開けて撮らせてくれました・・・♪




5時を過ぎた頃からライトアップも始まり・・・



帰りに見た仁王門、駐車場はほぼ満車状態でした。(^_^ゞ





2012.11/25、播州清水寺にて。



○宗派:天台宗 ○開基:法道仙人
○御本尊:十一面千手観世音菩薩 ○創建:推古天皇35(627)年

御詠歌「あはれみや 普き門の 品々に なにをかなみの ここに清水」

西国三十三所巡礼 番外 東光山 花山院菩提寺

2012-12-15 23:54:14 | 西国三十三所巡礼
西国三十三所観音霊場、札所以外の番外はいずれも巡礼を復興された
花山法皇がらみかな?
『東光山 花山院(とうこうざん かざんいん)』は、兵庫県三田市にあり
菩提寺とも呼ばれています。他の番外二ヶ所、法起院(奈良)・元慶寺(京都)に
比べると、大きなお寺でした。



ここから約900m山道を登って行きます。結構急勾配の所もありますが、
お年寄りでも歩いて・・・ちなみに杖が常備されています。
距離は900mですが、標高差は170m。杖無しでは厳しそうです。
クルマで行けば山門の直ぐ側に充分な駐車場があります。(他の番外2寺とは違い)

ここで「番外」、「花山法皇」について・・・
そもそも西国三十三所観音霊場ツアーを開始されたのは「徳道上人」。
突然の病で死にかけた時、閻魔大王より『お前はまだ死ぬな。世に三十三の
観音霊場があり、これを巡礼すると清められ、苦しみ悩みから救われる。
まだ誰もこの霊場のことを知らないので、人々に知らせて広めよ』と言われ
宝印を授けられるとこの世に戻されました。そこで三十三の観音霊場の霊験を
人々に説いて回ったのですが、信じてもらえず。ツアー企画は失敗、破綻。
落ち込んだ徳道上人は、ヤケになって(?)その宝印を中山寺に埋めてしまい、
晩年隠棲した寺が奈良桜井市の「番外・法起院」でした。
時が流れ270年後、この宝印を掘り起こし観音霊場巡りを再興されたのが
「花山法皇」。16歳で第65代天皇に即位するも、わずか2年程で政治的陰謀
により、落飾(出家)された寺が京都市山科の「番外・元慶寺」でした。
また落飾前には寵愛された后をお腹の子と共に亡くされ、非運の人でもあります。
仏門に入られてからは西国三十三所巡礼を再興する大事を成し遂げ、41歳で
崩御される前14年間を過ごされたのがここ「番外・花山院」です。




お寺までの山道は「琴弾坂」と呼ばれています。近くの山中にも「琴弾峠」と
言う地名が残っていたり、この辺りは「尼寺(にんじ)」という地名だったり。
その訳は・・・花山法皇を慕い追っかけてきた(?)11人の女官たち、お寺の
領域は女人禁制なので近寄れず、山上の法皇に思いを馳せながら、法皇の
心を癒さんと琴をつま弾いた場所なんだそうです。
法皇が亡くなった後も11人の女官たちは尼となり、生涯この地で法皇の供養に
努めたと言います。そのため麓の村にこの地名が残っているのだとか。
なお、この麓には花山天皇が若くして亡くされた后、弘徽殿女御(こきんでんのによご)と
11人の女官たちを弔った十二妃の墓があるそうですが、見逃しました。(^_^ゞ








『山門』大きくは無いですが、しっかり阿吽の仁王像が立っている仁王門です。



『花山法皇殿』
小ぶりな堂宇ですがここでは大きいほうかな、観音堂にあたります。
法皇が帰依された十一面観音像、花山法皇像、弘法大師像が祀られています。


『賓頭盧尊者像』


写真奥が観音堂(花山法皇殿)、手前が薬師堂(瑠璃光殿)


『薬師堂』(本堂)
こちらにご本尊「薬師瑠璃光如来」が祀られています。
縁起によれば、開祖の「法道仙人」は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持って
天竺(インド)から雲に乗ってこの地に渡来したと言われています。
この法道仙人は役行者と並ぶ法力を持った修験僧であり、このお寺も
その修行の聖地として開かれました。
雲に乗って来たかどうかは別として、播磨一帯の山岳地にある多くの寺院の
開山、開基として名を残してます。
なお、日本に渡るときに牛頭天王(ごずてんのう)と共に渡ったとされ
その牛頭天王、現在は京都八坂神社の祭神として中の座に祭られています。






『鐘楼』と写真奥のお堂には不動明王が。


『荒神堂』三寶大荒神が祀られています。


標高418mの境内からの眺望は素晴らしく、眼のあたりに有馬富士、南には
六甲連山、西には広く播州平野から播磨灘、そして小豆島まで見えるという




「有馬富士」標高374m、ちょっと見下ろす感じ。「千丈寺湖」


図によると千丈寺湖の右上くらいに小豆島が見えているはずですが
確認はできませんでした、つか、小豆島ってどんなカタチか分んない・・・




さて花山法皇の御廟所は、本堂など伽藍とは広場を隔てて石垣が積まれたところ。





「13仏」他にも宝篋印塔や石碑、石像仏が並べてありました。


『花山法皇御廟所』



石垣が積み上げられ小高くなったところに玉垣に囲まれ供養塔があります。
石段を上がり向こう側にいくと正面、後ろに本堂が控えて見えます。
石でできた扉は閉ざされ、玉垣の内部には入れないようです。
それなりに立派ではありますが、御陵としてはどうなのかな・・・


ここのお寺にも新しい企画商品(?)が・・・『幸福(しあわせ)の七地蔵』







HPには「全国初のお地蔵さま」
家族の絆・その幸せ・そして自分の人生の幸せ・成就のお地蔵さま
・・・とあります。7体のお地蔵様(それぞれに意味がある)は、いずれも
右手を差し出しています。その手を両手でしっかり握ってお願いするのだとか。
私も全部握ってきましたが・・・(^_^ゞ





「本坊」と「納経所」




2011.11/25、花山院菩提寺にて。



○宗派:真言宗花山院派 ○開基:法道
○御本尊:薬師瑠璃光如来 ○創建:白雉2年(651年)

御詠歌「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」

西国三十三所巡礼 第二十四番札所 紫雲山 中山寺(その3)

2012-12-08 15:35:43 | 西国三十三所巡礼
この辺りの地理には疎いので何処が見えているのか(宝塚市街?伊丹方面?)
それほど標高は高くないですが、見晴らし台がありました。



「絵馬堂」
江戸時代の建物を移築したもので、休憩所に。ここからも市街が一望できます。


「萬霊塔」
近代的な建物になっていますが、納骨堂のようです。



この納骨堂(萬霊塔)の前、下のほうは墓地になっていました。またこの横、
上のほうは梅林になっていて観梅の名所になっているようです。

約2kmで奥の院。これは行ってみないとね・・・







奥の院までの道はハイキングコースのような山道。ちょっと険しい石段も。
ところどころに遺跡がありました。





まだまだ先のようです。公園まで来ましたが、引っ返すことに。(^_^ゞ





お腹が空いていたから・・・手近なところ、信徒会館の「観音茶屋」で。




充分歩き回ったことだし、帰途につきます。
ちょっとスナップを撮りながら・・・














門前町をちょっとぶらつくことに・・・



こちらはクルマを停めたJR駅方面。7駆さんが気にされていた
微妙なミニ、まだありました。右は一般の家だと思うのですが・・・?



阪急宝塚線「中山駅」から山門までは商店街になっています。



実は帰りがけに参道にあった屋台のリンゴ飴屋さんで・・・何~んか懐かしくて
ついつい買ってしまいました。かざしているのは、その時のオマケ。(^_^ゞ

どこかゆっくり休憩できるお店はないかと探し、ここに入ることに。





オーガニック素材の店、ナチュラル・スウィートカフェ・・・だそうで。



何だっけな?国産有機ものが材料の天然ジュースとみつ豆♪




屋台で買ったミカン飴とブドウ飴。



「持ち込みお断り」・・・
どうやらココでは食べられそうにないので、撮影だけ・・・(^_^ゞ





2012.10/21、中山寺 参道にて。

西国三十三所巡礼 第二十四番札所 紫雲山 中山寺(その2)

2012-12-06 17:40:30 | 西国三十三所巡礼
山門から塔頭五ヶ院の並ぶ参道を抜け、最初の石段を登ると広場があり、
右手に紫雲閣、納経所。五百羅漢堂。左手には数々の堂宇が建っています。
本堂はまだその一段上の敷地に建っています。私の場合、エレベーターに
乗ってしまったのでいきなり本堂の広場に着いてしまい、順路が混乱。(^_^ゞ
できればエスカレーター、いや、問題なければ歩いて石段を登りたいところです。
なお、エスカレーターはベビーカー・車椅子の仕様は不可となっていました。
もっと徹底したバリアフリー化はできないものか・・・



「五百羅漢堂」





お堂内部には釈迦如来像を中心に、七百体以上の羅漢さんたちが
取り囲む構図。羅漢さんは一体一体お顔や表情が違うようで
「親兄弟の顔が見たくば中山寺の五百羅漢の堂にござる」なる古歌があるらしい。



「鐘楼堂」             「手水舎」
重厚な鐘楼にくらべ、手水鉢は少し変ったデザインですね。
蓮のツボミのようです。開いた萼の部分が柄杓置きになっていました。



「水掛地蔵」



「閻魔堂」
恐い顔の閻魔様が睨んでいます・・・身に覚えは無いのですが(ドキドキ)



「寿老神堂」



「大黒堂」






「阿弥陀堂」            「亥の子地蔵」



「中山寺古墳」
横穴式石室で、中には石棺が安置されている。寺伝によるとこの古墳は
仲哀天皇の妃、大仲津姫の墓とされているようだが建造年代に矛盾も。

この石棺にまつわる話しでは、以前番外札所「法起院」の記事で書いた縁起
西国三十三所観音霊場巡りの実質的な創始者である徳道上人が、閻魔大王より
与えられた三十三ヶ所の宝印をこの中山寺に埋められたとされていますが
その宝印がこの石棺に収められていたのではと伝えられています。
なお、後に花山天皇が宝印を掘り起こし、今日の三十三ヶ所を復興されました。

そのような経緯からか、ここが三十三所第一番札所だった時期もあったようです。



「安産手水鉢」
実はこれも舟形石棺なんだそうです。一説には仲哀天皇の妃、大仲津姫の
二人の皇子のうちの一人「忍熊(おしくま)王」を納めたものらしい。
それが何故か中世以降、ご本尊の十一面観音に祈りをこめてこの手水鉢で
身を洗い清めれば,どんな難産も安産したと伝えられるようになったとか。

そもそもこのお寺がどうして「安産の寺」と言われるかを縁起から読むと
ご本尊である十一面観音はインドの王妃シュリマーラー(勝鬘夫人)が
女人救済の悲願をこめて、自ら等身像を彫刻された尊像であること。
豊臣秀吉がこのお寺に祈願して秀頼を授かった。また、多田城主・源行綱の
妻は不信心による悪態をご本尊が鐘の緒をもって戒められたと伝えられており、
以来「鐘の緒」といわれて、出産の無事安泰を守る「安産の腹帯」として、
今も全国からこのお寺に腹帯を授かりに来られるのだとか。ことに幕末には、
中山一位の局が安産の腹帯を授かって明治天皇を無事に出産されたことで
明治天皇勅願所の「安産の観音さま」として有名になったのだそうです。



「大願塔」
かつて存在していた多宝塔を再現したものです。







2本目のエスカレーター、もちろん元気な人は階段を上っていくと・・・





「本堂」
現在の本堂は1603年に豊臣秀頼の命を受けた片桐且元が再建したもので
桃山時代の代表的な仏堂建築といわれています。


          
本堂前の「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」さん。
ここでは、大量のよだれかけが奉納されていました。



「開山堂」             「護摩堂」


護摩堂には五大明王が祀られています。



「子授け地蔵」



「防火塔」             「六角堂」






「大師堂」





「?」何か謂れがありそうな・・・



「鎮守社」             「稲荷社」


これで完結・・・では、無いです。まだ「その3」につづく。




2012.10/21、中山寺 五百羅漢堂にて。



○宗派:真言宗中山派(大本山) ○開基:聖徳太子
○御本尊:十一面観世音菩薩 ○創建:推古天皇時代(593~628)年

御詠歌「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」